(十)
「あー、たっぷり楽しんだ」
様々なグッズを身に着けたマサキは、その格好のまま、今晩の宿となる重厚な雰囲気のホテルの入り口を潜った。
登録者百万人突破記念の旅行の行き先は、マサキの希望でUSJになった。長く地上を離れているマサキにとって、元ネタのあるテーマパークは、理解度という意味で敷居の高いものであったが、エンターテイメントをぎっしり詰め込んだアトラクションの数々は、流石は日本有数のテーマパークだけはある。元ネタがわからないマサキであっても充分に楽しめる出来だった。
「楽しんでいただけたのでしたら、何よりですよ」
「けど、いいのか。俺ばっかり楽しむような旅行になっちまって」
勿論、USJだけで終わる旅ではない。折角の地上旅行である。めいっぱい楽しむつもりであるマサキは、ピックアップした大阪の観光地を全て回るつもりでいる。
日本橋に道頓堀、黒門市場に新世界。通天閣だスカイビルだと盛り上がるマサキに、シュウが出した希望はホテルのクラスだけ。
昔と比べると大分柔らかくなった大阪とはいえ、それでも独自の発展を遂げた文化や風習は健在なだけに、シュウの他力本願な態度にマサキとしては不安を感じもしたものだが、本人は気にしていない風である。
――そうは云っても、こいつには似合ってないよなあ。
ホテルこそ高級感溢れるシックな外観をしているが、ここに来るまでの道すがら目にすることとなった街の姿と来たら! カラフルでどぎついネオンに、ごてごてとして看板が並ぶ通り。そこを颯爽と抜けてゆくシュウは、所作が洗練されているからこそ周囲から浮いて見えたものだ。
「動画に顔を出している回数が多いのは圧倒的にあなたの方ですからね。このぐらいでお礼が済むのでしたら安いものですよ」
ロビーで預けていた鍵を受け取って、エレベータに向かいながらシュウが微笑む。きっと、マサキのこととなると常識が吹き飛ぶ男のことだ。マサキが楽しんでいる姿を見ているだけで幸せであるのかも知れない――……そんなことを考えながら、マサキはシュウと肩を並べてエレベーターに乗り込む。
部屋は最上階のエグゼクティブスィート。
モダンでゆったりとしたリビングやベッドルームに広々としたバスは勿論のこと、最上階ならではの素晴らしい眺望が売りのエグゼクティブスィートは、言葉にならないぐらいに過ごし易い空間だ。おまけにこのホテルには、エグゼクティブスィート宿泊客用のラウンジまである。朝食やアフタヌーンティー、夜の一杯などに使用出来るラウンジは、一般の宿泊客がいない分、気兼ねなく寛げる。
それだけのハイクラスホテルとなると、気になるのは宿泊料だが、シュウは笑ってばかりで答えてくれる気配がない。京都旅行以上にラグジュアリーでハイエンドな部屋だけに、一泊二十万を下らないに違いなかったが、果たして幾らをシュウに渡せばいいものか。マサキは一方的に金を出して終わりにするシュウに不満を感じるぐらいには、彼との時間を大切なものだと感じているからこそ、今日こそ絶対に聞き出すと意気込んでいた。
当然と云うべきか、今回のベッドルームにはキングサイズのベッドがひとつだけだ。
きっとこの動画が公開されたら視聴者は阿鼻叫喚の渦に叩き込まれるのだろう――それを面白いと感じ始めている自分に少しばかりの嫌気を感じながらシュウに続いて部屋に入ったマサキは、話を切り出そうとリビングのソファに向かいかけたところで、あるものに目を留めるて首を傾げた。
テーブルの上に紙袋が置かれている。
部屋を出る時にはなかった荷物は、ホテルからのサービスであろうか。ソファに腰掛けたマサキは、不審物と呼ぶには高級感に溢れている目の前の紙袋をまじまじと眺めた。
「開けていいのかね」
黒い縁取りがされた白い紙袋。店名は黄金色の箔押しだ。
何が入っているのだろうかと想像力を逞しくするマサキの脇で、ベストショットを逃すつもりはないらしいシュウが早速とアクションカメラを構えた。配信者魂ここに極まれり、である。それに何かを云うつもりのないマサキは、紙袋を膝に乗せた。
アクションカメラのスイッチを入れたシュウが、どうぞとマサキを促す。
「何が入ってるんだろうな」
紙袋の中には手のひらサイズの白い小箱。破らないように箱の口を開く――と、漆黒のジュエリーケースが現れた。
「私からのプレゼントですよ」
「お前かよ。構えて損したじゃねえか」
茶化すように声を上げながら、マサキはジュエリーケースを開けた。黒い煌めき。台座に嵌め込まれているマットな光沢の黒い指輪には、中央にシルバーで幾何学模様が刻まれている。
「お前……これ……」
「アクセサリーに興味のないあなたが珍しくも欲しいと云っていましたからね」
タングステン製のメンズリング。あまりファッションに興味がないが故に買うのを躊躇ってしまった指輪の内側には、しっかりとマサキの名前が彫り込まれている。ゆっくりと抓み上げると、ルームライトの明かりできらきらと輝く。
マサキは、もしやと思いながら左手の薬指を通してみた。
するりと根元にまで到達するリング。まるで誂えたようにぴったりと嵌まった指輪に、指輪の号数をシュウに伝えたことのないマサキとしては、喜べばいいのか、それとも呆れればいいのかわからなくなった。
「お揃いですよ」
けれども、その物煩いも長くは続かなかった。言葉を継いだシュウが、コートのポケットの中からジュエリーケースを取り出してきたからだ。
「何だ? ついに俺にプロポーズか」
「もっと高い指輪にしたかったですがね」
勿論、タングステン製の指輪にもそれなりに値が張るものはある。宝石が嵌め込まれていたり、メッキが施されているものなどはその傾向が強い。だが、マサキが欲しかった指輪は、ファッションリングの意味合いが強いこともあって、いいとこ一万円止まりのものだ。
「本気かよ、お前」
しきたりことには厳格な男のアバウトなプロポーズに、冗談だろうと思いながらマサキが尋ねてみれば、どうやらシュウ自身は至って真面目であったようだ。嫌ですか。と逆に問い返される。
「いや、嫌じゃねえけど、結婚して何が変わるんだろうな」
「一緒に暮らす気はないと」
「お前が王都近くに住んでくれりゃいいけどな」
そう、マサキはラ・ギアス世界の治安を維持する役目を持つ魔装機神操者だ。突然の任務に対応しきる為にも、王都近くに居を構える必要がある。それ即ち、自らが被ることとなった汚名が為に王都を避けて生活しているシュウとは、一緒には暮らせないということでもある。
「なら、決まりですね。一緒に新居を探しましょう、マサキ」
「お前、そんな気軽に決めちまっていいのかよ。俺との結婚」
「先程、あなたが云ったでしょう。何が変わるのか、とね。だから、ですよ。変わらないとわかっているからこそ、あなたと結婚したい。それでは理由になってはいませんか」
いつものように涼やかな表情。気負いも衒いもなく、日々の会話の延長線上とばかりに言葉を継ぐシュウが、何だか酷く眩しく映る。本当にいいのかよ。目を細めたマサキは、少し間を置いてから尋ねた。
「私のことを覚えている人も大分減ったでしょうしね。良く云うでしょう。人の噂も七十五日だと」
「わかった。だけどな、シュウ。結婚式は絶対に配信させねえぞ」
「私としては、動画で結婚報告が出来れば充分ですよ」
「それはやる気なのな……」
しらととんでもなく恥ずかしい予告をしてみせるシュウに呆れはするものの、嫌気は感じない。何せ掲示板時代から、カップルチャンネルまでの間、マサキはシュウの数々の奇矯な行いに付き合い続けてきている。動画に顔を出すことには流石に抵抗もあったが、それにも慣れてしまったた。今ではシュウと自分の日常生活を晒すことは、マサキの日常の一部になっている……。
その現実が、幸福に感じられもするのだから、げに縁というものは不思議なものだ。
――視聴者滅茶苦茶喜んでくれるんだろうなあ。
祝福してくれる視聴者が百万人単位でいることに喜びを感じながら、それ置けよ。シュウにそう云って、アクションカメラをテーブルの上に置かせたマサキは、そうして自分たちの未来に思いを馳せつつ、彼の手に指輪を嵌めてやるべくソファから立ち上がった。
※ ※ ※
過去最高の七百万再生を記録したプロポーズ編は、ハイエンドホテルを舞台に一万円の指輪が渡されるというアンバランスな展開がウケたらしかった。
――流石は先生! マサキさんが欲しがっていた指輪でプロポーズってところが素敵です!
過去の視聴者たちの先生呼びが最近になって定着したシュウは、この動画でかなりの好感度を稼いだようだ。普段は顔出ししているマサキへのコメントが多数を占めるコメント欄だったが、この動画ではシュウへのコメントもかなりの割合を占めている。内容は彼の心遣いを称えるものばかりだ。
「ですが、結婚指輪はちゃんとしたものを用意したいですね。あなたの希望はありますか、マサキ」
新居探しに王都周辺の街を巡る最中。そのコメントの話をマサキがすると、マサキの左手の薬指にしっかりと嵌まっている指輪を見詰めながらシュウが尋ねてきた。
「紫色に光る指輪が欲しいな。お前の目と髪の色だ」
「でしたら、私は緑色の指輪でないといけませんね」
きっとシュウのことだ。マサキより先に、その指輪を見付けてくることだろう。そう、このタングステン製の指輪に遜色ないデザインの指輪を。
それを目にした彼女らはまたきゃいのきゃいのコメント欄に書き込んでくるのだろう。その日常が、いつまでも続けばいいと思いながら、マサキはシュウの隣に並んで内覧希望を出していている住まい候補へと歩んでいった。