(二)
海に向かって並ぶコテージタイプの宿泊施設は全部で四棟。その中の一棟を当座の居場所に定めたマサキは、知り合いのない街ということもあって、すっかり寛ぎきっていた。
王都を遠く離れることに多少の抵抗はあったが、そもそも夜討ち朝駆けとばかりにセニアに呼び出されては、やれ西だ東だ国外だと任務に扱き使われているのだ。偶には王都の喧騒を離れてバカンスと洒落込んでも文句は云われまい。
そもそも魔装機神の操者としての活動における縛りはひとつしかなかった。
世界の存亡にかかわる危機には何を置いても立ち向かえ。
任務だなんだと多忙な日常に追われているが、マサキにとって、それらの雑事は本来対応する必要のないものだ。故の余暇。余りある自由時間をどう過ごすもマサキ次第。だからこそ、マサキは久しぶりの自由を満喫する気でいた。
だというのに。
夜更けにベッドに入ったマサキは、中天に座す太陽が明るくなっても眠りを貪り続けていた。
コテージのベッドはマサキの部屋と比べると格段に質の良い寝具を使っているようで、ただ包まれているだけでも相当に気持ちがよかった。
まるで産着に包まれた赤子のような安らぎ。この上ない至福を感じながら、マサキはベッドの中にいた。
「おはよーこざいます、マサキさん!」
そこに突如として降ってきた声。予想外の事態にマサキはベッドから飛び起きた。
聞き慣れた声は紛れもなく、昨日啖呵を切って飛び出してきた家の主の使い魔のものである。まさか昨日の今日でマサキの居場所を突き止めたのだろうか? 慌てふためきながらマサキがベッドの周りを見渡せば、ヘッドボードの上に青い小鳥がちょこんと座している。
「甘いですね、マサキさん」
主人であるシュウはどこに潜んでいるのか。ひと足先に姿を現わした彼の使い魔は、くちばしを羽で覆うとおーっほっほっほと高らかな笑い声を上げた。
「ご主人様の能力を舐めないでくださいよ。あれでも元王位継承権の保持者ですよ。ラングラン全土に効果を及ぼせる魔術の使い手から逃れられるとお思いで?」
どうやらシュウは、その余りある魔力でもってラングラン全土に感知魔法をかけると、マサキの居場所をあっさりと特定してしまったらしかった。本気で逃げたきゃ結界を張ってくださいよ。と、けたけたと笑いながら続けたチカに、マサキはバカンスという砂上の城が一気に瓦解したのを感じ取った。
「……あの野郎は何処だ」
昨日の今日で使い魔を寄越したぐらいである。そう遠くない内に本体が乗り込んでくるのは確実だ。
けれどもマサキの問いに、チカはにやにやと笑うばかり。腹立たしい――早くも癇癪を起こしたマサキは、チカが飛び立つよりも先にその身体をヘッドボードから掴み取っていた。あわあわとチカが慌てふためくも、マサキは彼を逃すつもりはない。徐々に手に力を込めて、その小さな身体を締め上げる。
「待って! マサキさん待って! ない筈の内臓がきゅうって云ってる!」
「だったらあいつが何処にいるか云えよ!」
「いーやー!」
「潰すぞこの極悪ローシェン!」
「何か今、身体の奥でぷしゅって云った! 降参! 降参ですマサキさん! このままじゃ本当にあたくし潰れちゃう!」
そこでようやく口を割ったチカの話によると、あの傍迷惑な歩く騒動勃発体は、神殿か街のマーケットのいずれかにいるらしかった。
「折角、古式ゆかしい神殿が残る由緒正しい古き街ですからね。だからいい出物があるんじゃないかって、神殿に拝礼に向かうついでにマーケットを覗いてくるだ何だと云っていましたが」
マサキは知らなかったが、ここは五千年もの長きに渡って続く街であるのそうだ。
度々戦火に見舞われるラングランでは、ひとつの街が長く続くことはそうそうない。特に数年前の内乱で領主制度が廃止となってからは、街の新設や移設が激しいようだ。その中にあって、頑なにこの土地とそこに建つ神殿を守り続ける街。敬虔な精霊信仰の徒にとっては、一種の聖地でもあるらしい。
成程、そう聞けば、確かにシュウであれば拘りを見せそうな由来である。
それでもマサキはシュウと顔を合わせたいとは思えなかった。
「俺の邪魔はするなと伝えろ。俺からはそれだけだ」
だからこそチカに伝言役を頼む。瞬間、チカが不思議そうに首を傾げるも、それを気にしている精神的な余裕はマサキにはなかった。
昨日この街に辿り着いた時に感じた解放感と安らぎ。あの時のマサキは今日からのバカンスに胸を躍らせていた。それがどうだ。今となっては、逃げなければという焦燥感と冗談じゃねえという怒りが胸を占めている。
それもこれもシュウ=シラカワという男が、比類なき能力に恵まれている人間な所為だ。
学術、魔術、剣術という異なるカテゴリの教義を修めた心技体を字で往く男は、どうしたことかマサキ=アンドーという人間に並々ならぬ執着心を抱いている。例えば目の前の使い魔にしてもそうだ。チカが何処ぞに行方をくらまそうが、シュウは探し歩くことをしない。それは、自分のことは自分で――というのがシュウの信条であるからだ。
だというのに彼は、マサキ相手だと途端にその信条をかなぐり捨ててみせる。
そもそもマサキは本来自分の機嫌を自分で取れる人間だ。だから広告モデルの役をきちんとこなしてみせる為に、気持ちの整理を付ける時間を欲した。数日、いや一週間もあれば充分だろう。それだけあれば、気持ちの切り替えは済む筈だ。
それをわざわざ遠く離れた街に追い掛けてきてまで、云うことを聞かせようとしてしているシュウ。
――俺はあいつの所有物じゃねえ。
忌々しさに舌が鳴る。それでマサキの機嫌のほどを悟ったようだ。そうは仰いますけどね――と、チカが丸い目を凝っとマサキに向けてきながら言葉を継ぐ。
「多分、ご主人様はマサキさんと喧嘩をしたとは思っていないですよ」
自信家なあの男は、世の中の全てが自分にひれ伏すとでも思っているのではなかろうか。よもやあの会話の流れでマサキが本気で怒っていないと思われるとは。絶望的な状況に、言葉を失ったマサキは力なく項垂れた。