(一)
話はひと月半ほど前に遡る。
地上の暦で年明け三箇日をシュウの監視(という名のバカンス)をして過ごしたマサキは、シュウに託された肥料と地下室の壁の付着物の分析結果のレポートをミオとともに情報局に届けた後、時に任務をこなし、時に騒々しい酒盛りをし、時にあてもなくラングランを流離いと、いつも通りの日々を送っていた。
立件が難しいだろうとはセニアから聞かされていたのだ。
テロリストの拠点の地下室から彼らが農場に使用していた肥料へと白鱗菌が伝染したことがその遺伝情報からわかったとして、そしてそれが近隣の農場に流されたとして、では大元の白鱗菌はどこからどういったルートで地下室に入り込んだのか。それが立証できなければ、テロリストたちをそちらの罪に問うのは難しいと。
「シュウもその辺りのことはわかっているでしょうけれど、このふたつのサンプルの分析結果だけでは仮説しか立てられないのよ。最初期に白鱗病に感染した農作物の菌があれば、その遺伝情報から感染ルートが割り出せたのでしょうけど、被害拡大を防ぐ為とはいえ焼却処分してしまった後だし……」
「だが、肥料から検出された白鱗菌の一世代前の菌が例の地下室の壁から検出されたのは事実だ」
「だからこそ、感染ルートの割り出しが必須なんじゃないの。いい、マサキ。あの辺りの農場では同時期に白鱗病が流行したのよ。いくつかの農家から肥料のサンプルは取ったわ。それは確かに、地下室の壁に付着していた例の菌よりは後の世代のものだった。では、その前は? 白鱗病は新規に発生した作物病ではないのよ」
テロリストたちはその件に関しては自分たちも被害を受けた側だと主張しているらしく、彼らからの証言は期待できない。そうである以上、罪に問えるのは確たる証拠が存在している破裂弾を使ったテロ計画のみなのだそうだ。
「無駄足かよ。慣れてはいるけどな」
いつだって実働部隊は末端の構成員なのだ。それは彼らが簡単に切り捨てられる駒であることを意味している。とかげの尻尾切りとはよく言ったもので、そう簡単にテロリストたちは組織の中心部には辿り着かせてはくれない。
「無駄足になるかはこれからの展開次第ね。これはある意味強力な証拠よ。この系列の菌の親株が発見できれば、その場所から組織の本体に辿り着ける可能性がある。今回の立件は難しいかも知れないけれど、収穫は大きかったわね」
そんな話をしてから二十日ほど。情報局に呼び出されたマサキは、だからこそ、セニアの用件は裁判に絡む話だろうと思っていたのだが。
「そういえば、いつの間に指輪なんて付けるようになったの?」
やはり白鱗病でのテロ行為については立件ができなかったと聞かされた直後に、セニアはマサキの左手の小指に光る銀の指輪にようやく気が付いたようだった。「マサキもそろそろ洒落っ気付く年頃になったってことかしら?」
クリスマスにシュウから思い付きのようにプレゼントされた指輪は、年明け三箇日の間にその手によって、これまた思い付きのように古代語で何がしかの文言が彫り込まれ、嫌な例えではあるが、ミオ曰く『恋人からのプレゼント』により相応しいグレードアップを果たしていた。とはいえ、古代語を読めるマサキでもなし。ちょっとしたアクセントが指輪の裏側に付いただけのこととは思っているものの、かといって他人に詮索されていい経緯でもない。
何より、シュウはこの指輪を約束の証としてマサキに寄越したのだ。いざというときには、自分に引導を渡して欲しいと。このヴォルクルスの復活がかかっているやも知れない騒動の最中に、嫌な予感しかさせないその約束をどうして迂闊に口にできよう。
「なんだ、そんな世間話を口にするってことはお前の話はもう終わりか? だったら俺は帰るぜ」
「あら、何? もしかしてその指輪に疚しいことでもあるのかしら?」
「たかだか指輪一個であちこちで騒がれるのが面倒なんだよ。俺が指輪するのがそんなに珍しいことかね」
「そうね。マサキだってお洒落したいときぐらいあるわよね」
セニアはまるで弟を見るかのような眼差しでマサキをじっと凝視めると、「それだけの年月が経ったのね。あなたが地底世界で生きるようになってから」そう呟き、「でも残念ながら、今日の本題はこれからなのよ。マサキ、あなた『ファーガートン炎舞劇団』って知ってる?」
「ファーガートン? どこかで聞いたような……」
「城下に張り出されているポスターを見たなら知っている筈だけど」
「ああ、それでか」
マサキは納得した。ラングラン王都の城下町のあちこちに張り出されているポスターには、火の輪を両手にポーズを取る男女の姿が描かれている。ポスターの煽り文句は『凱旋公演決定! 世界で話題の舞踏家集団!』。その宣伝文を読むに、火の輪を使った舞踏劇を行う劇団らしい。
「来月に中央広場で公演があるんだよな。劇場じゃなくて中央広場だってのに、随分大掛かりな宣伝をしてるなって、ポスターの数を見て思ったんだよ」
「団長のファーガートンはバゴニアの西の地方の出身で、そこで行われていた祭祀にインスピレーションを得て、火の輪を使い始めたらしいわ。だから屋内での公演が難しくてね。城下で観客を集められる場所っていったら中央広場ぐらいなものだから」
言い訳めいた台詞に引っかかるものを感じながらも、マサキはそれが何かわからずにいた。中央広場には巨大噴水がある。水場での公演ならば、万が一の事態にも対応できるだろう――そう思ったマサキがセニアに訊ねてみれば、
「やだ、マサキ。もう忘れちゃったの? 平和ボケかしら。預言書の第一篇第二節よ」
言って、預言書のコピーをマサキの目の前に突き付けてきた。
Ⅰ-Ⅱ
中点に炎舞い、■■は歌い踊る
「全部で千節を超える予言を全部は覚えていられねえんだよ」
年越しの地上で、シュウとミオと三人で預言書について話をした内容を思い出す。あれから半月以上が経過している。全てを思い出すのは難しかったが、その預言書を記したアザーニャ=ゾラン=ハステブルグがラングラン王都の城下町に住んでいたことや、そこから『中点』を『ラングラン王都』と考える向きがあることは思い出せた。「中点=ラングラン王都と考えるなら、確かに今回の公演はある種の予言の成就ではあるな」
「飛躍論理演算機によると、ここの虫食いには『巫女』の文字が入るんじゃないかっていう計算結果だったわ。ヴォルクルス信教の巫女って意味でね。練金学士協会の方ではもっと範囲を広げて『信徒』ではないかっていう見立てだったけれども」
「劇団がヴォルクルス信教の信徒で構成されてるってか。そんな危ない連中に城下で公演させて大丈夫なのかね」
「外交上の問題から、彼らの家系や生育歴を洗うのは難しいのよね。事前に送られてきた入国申請リストを見る限りはキレイなものだったし、公演先でおかしなことが起こったという話も聞かない。それをまさか、テロの疑いがあるから公演は控えてくれないかとは言えないでしょう。
そもそも、預言書の第一篇第一節の予言の成就である白鱗病の発生から時間が経ち過ぎているのが問題なのよ。千四百四節の予言の成就がヴォルクルスの本尊の復活にあるのだとしたら、その成就に何世代もかかるスピードでしょう。この間の空き具合は。と、なると、偶然の一致の可能性も捨てきれないわよね。
だからなのよ、外交担当がいい顔をしなくて」
白鱗病の南下に警戒を強めたセニアの尽力により、今のところ白鱗病の流行はラングラン北部だけに抑えられていた。感染作物の焼却処分……周辺農家への予防薬の無料配布……南部の警備の強化……国家予算からそれなりの資金を対策に注ぎ込んだだけはあって、南部での感染報告は例年と変わらぬ件数に留まった。北部での流行も年明け半月を超えて縮小傾向に転じたようで、このペースなら半月もする頃には自然発生的な量に減るだろうというのが大勢の練金学士たちの見方だ。
「外交担当? そんなに凄いバックでも付いていやがるのか、ファーガートンとやらには」
しかし外交担当という言葉がセニアの口から出てくるとなるとは相当の事態である。ポスターの煽り文句を信じるなら、世界的に有名らしいとはいえ、たかだか一劇団のために出てきていい単語ではない。
そこで、政治的な判断でも絡んでいるのかとマサキが突っ込んでみれば、セニアは困った風に目を瞬かせ、
「ストロハイム人民共和国の紹介なのよ」言って、宙を仰いだ。
「へえ、そいつは珍しい。あの辺りの国が出張ってくるなんて」
「劇団員に何人かラングラン出身者がいるの。その関係で、随分昔にファーガートンがラングランで興行を行ったことがあるらしいんだけれど、そのときの評判はいまいちだったらしいのよ。まあ、あたしも知らないぐらいだから、きっとその通りの評判だったのでしょうね。
ところが今回、流れに流れ着いたストロハイムでの興業が大成功を収めちゃった。評判が評判を呼んで、更なる周辺国家での興行も大成功。ファーガートン炎舞劇団は一躍、世界的な有名劇団の仲間入りを果たしたってワケ」
「それだけ聞くと、至って普通のサクセス・ストーリーだな」
「でしょう? で、芸術には有力な支援者は欠かせないってことで、その結果、あちらで随分と影響力のある支援者を得たんだと思われるのよね。ストロハイムとの外交チャンネルを通じて、彼らにラングランでの凱旋公演を行わせたいって打診があったのが、一ヶ月ほど前の話。
簡単に言えば前回の興業のリベンジを果たしたいってことなんだけど、凄いわよね。確かに彼らの劇団は多国籍を売りにしていて、ストロハイム出身の劇団員もいるわ。でも、独裁国家でもあるストロハイムの外交部まで動かすほどの影響力って、どれだけ有力な支援者がバックに付いたのかしら」
「それで凱旋公演なのか。団長がバゴニア出身じゃおかしいだろって思ってたんだが」マサキも宙を仰ぐ。
外交上の問題は把握した。あの独裁国家からの紹介とあっては、断りにくいのも納得だ。何故彼らが城下で公演を行うのかも納得した。単純にリベンジを果たしたかっただけ。辻褄は合っている。
「劇団員を洗っても、経歴はキレイなもんなんだろうなあ」
「でしょ? 計画してどうのこうのってレベルを超えてるのよ」
それでも嫌な予感が拭えないのは、話が出来過ぎているからだった。それはセニアも同様なのだろう。眉根を微かに寄せて、曖昧な微笑みを浮かべながら、マサキの次の言葉を待っている。感想を聞きたい――そんな様子にマサキの目には映った。
一ヶ月ほど前の話となると、例のテロリストたちが検挙された時期と重なる。そこに何がしかの意思が介在していないとどうして言い切れよう。
マサキは考え込む。
セニアも沈黙を保っている。
無理だ。マサキは頭を振った。今回の件に関しては、偶然の一致の可能性が高い。彼らが立身出世を夢見る一劇団の動きや、独裁政権国家の外交部の動きまでコントロールできるのだとしたら、テロリズムや予言の実現などといった行為に励まず、もっと狡猾に世界を背後からコントロールして国家間の紛争に持ち込んでいるだろう。
あの先の巨人族文明の負の遺産であるサーヴァ=ヴォルクルスは、そういった混乱から生まれる憎悪を好む神であるからだ。
「ちょっと気になることがあってね」
沈黙の後。ややあって、セニアはおもむろに口を開いた。
「気になること?」
「例のテロリストたちの拠点から、テロの計画書を押収したって話は聞いてるでしょ。その中に、王都を狙った計画があったのよ。城下町の各所で同時に炸裂弾を使うことで、王都を混乱させるのが目的の小規模なテロの計画だったんだけど……」
「その計画が繰り返される可能性があるって?」
「調和の結界がある以上、魔装機を使わなければ大規模なテロは仕掛けられないとはいえ、計画の規模が小さ過ぎるのよね。何かから目を逸らさせようとしてるんじゃないかって思ったのよ。彼らが別働隊なのは、組織の上層部を知らない点からも明らかでしょう。だから、その隙に本体が別の動きをするんじゃないかってね。あたしの妄想なんだけど」
「普通に考えれば、狙われるのは王宮だが」
「公演で賑わう城下の警備は手薄になるわよね。もう一度計画を遂行するなら絶好のチャンスだと思うんだけど、情報を混ぜ過ぎかしらね?」
「いや」マサキはセニアの言葉を肯定すべく頷いた。「警戒しておくに越したことはないと思うぜ」
「そう。それならばマサキ、任務の依頼よ。ファーガートン炎舞劇団のラングラン凱旋公演の日の王都の警備をお願い。メンバーの選出と配置はあなたに任せるわ」
※ ※ ※
セニアから公演当日の警備の依頼を受けたマサキは、テュッティにヤンロン、ミオと王宮の詰所に身を置いているザッシュに協力を取り付け、城下町と王宮の二手に分かれて警備を行うことを決めた。
計画書通りにテロが発生した場合、より大きな混乱が引き起こされるのは城下町の方だ。わけても、多くの観客が詰めかけるだろう中央広場の混乱は計り知れない。テュッティとミオ、そしてザッシュに王宮の警備を任せ、マサキはヤンロンとともに中央広場の警備に当たることにした。
ストロハイムとの外交ルートを使って興行をしに来た劇団とあっては、賓客扱いも同義。厳重な警備体制の理由も、これで軍部に言い訳が付く形となった。たかだか芸術と彼らは決して快い顔はしなかったようだが、情報局はその最大限の協力を取り付けることに成功した。
目下の状況が状況だけに大手を振ってというわけには行かなかったが、お忍びで国王が彼らの舞台を観劇することも決まった。「国王には王宮にいられるより、中央広場にいてもらった方が、リスクを分散できると思うのよね」軍部から上がってきた警備計画書を見ながら、セニアは容易くそう言ってのけたものだ。それだけ、城下町の警備が手厚く行われる予定となっていたからだ。
あっという間に日は過ぎ、月をまたいだ公演当日。
凱旋公演と銘打っただけあって、当日の中央広場の賑わいは相当なものだった。かつてのラングランでの公演の失敗からのサクセス・ストーリーを、国営放送を使って喧伝したからだろう。テレビでの中継が決まっているにも関わらず、予想の三倍もの観衆が中央広場に押し寄せた。
中央広場の噴水前に設営された舞台の両脇に巨大な篝火が吹き上がったのは、公演開始の三十分前。輝かんばかりの権勢の象徴でもある豪華絢爛な王宮が、その背後に蒼穹の空を従えてそびえ立っている。
最前列の中央に平素な服を身に纏った国王が身を落ち着けたのが、開始十五分前。無線機器を通じて聞こえてくる警備状況に目立った変化はないようだ。マサキとヤンロンは国王の姿が視界に入る舞台両脇にそれぞれ陣取った。
公演は終盤までは恙無く進んだ。常に火の輪を両手に、躍動感溢れる舞踏を披露する劇団員たちに観客は魅了され、彼らの一挙一動に興奮し、惜しみない拍手と歓声を送った。
各所の警備状況にも問題はなさそうだったし、一番の懸案である国王もリラックスした様子で観劇に集中していた。
クライマックス。舞台上の踊りと炎が激しさを増す。
それまでの小型の火の輪から人間がゆうに潜れる巨大な火の輪へと、彼らが手にした炎はその大きさを変えていた。跳躍に次ぐ跳躍、旋回、回転。ダンサーのしなる身体が次から次へと、観客に息継ぐ間を与えずに技を繰り出す。都度、宙に吹き上がる炎。歓声、拍手。
もうあと十分もすればフィナーレだ。今日一日を凌げれば、危険度は格段に減るだろう。観客席を見渡しながら、マサキは少しだけ長い息を吐いた。周囲に意識を巡らせる。このまま順調に行けば、何事もなく舞台は終わるだろう。恐らく軍部は自分たちの功績にしたがるだろうが、大山鳴動して鼠一匹ならそれに越したことはない。そうマサキが思った矢先だった。
地鳴りを伴う爆発音。立て続けに二発。
王宮の両脇から火柱が上がる。
黒煙を吹き上げるそれを、観客は演出と思ったようだった。ひときわ大きな歓声が上がる。弾かれるように駆け出したマサキは舞台裏に回り、同じく舞台裏に姿を現したヤンロンと鉢合わせした。「ヤンロン、あの位置は」「武器庫に近いぞ、マサキ」当然ながら、マサキたちが事前に入手していた劇の演出にそんな段取りはない。なかったが、国王がこの場にいるのだ。ここで避難を決めて、演出と思い込んでいる観客を無駄に混乱させるのは得策ではない。
そう判断したマサキは無線機器でその旨を兵士たちに伝えると、「陛下を頼む」ヤンロンに後を任せ、駆け足で王宮に向かった。
中央通りを駆け抜け、城門へ。
「風の魔装機神の操者、マサキ=アンドーだ!」
「存じております、マサキ殿!」
「非常時だ! ボディチェックは許せ!」
既に門を固めていた兵士たちに全てを告げるまでもなく、その道が開かれる。
「マサキさん、こちらに!」
通用門から王宮の敷地に出ると、前庭では既にザッシュが事態の収集を図るべく陣頭指揮を取っていた。その指揮に従って、慌ただしく左右に立ち回る兵士たち。呼び止められたマサキは、ザッシュの元に向かいながらその動きに目を配る――おかしな動きをする兵士はいないようだ。それに、思ったよりも混乱が少ない。
恐らくは、日頃、詰所に身を置いてそのコミュニケーションを取り続けたザッシュの人望のお陰なのだろう。兵士たちは非常事態における命令系統の変化にも、柔軟に対応しているようにマサキの目には映った。
「何が起こったんだ」
「東と西の武器庫の番をしていた兵士が、それぞれ同時に中にあった火薬に火を点けたようです。ふたりとも重度の火傷を負った状態で発見され、現在、衛生兵による応急治療を受けていますが、話をできる状態ではないとのことです」
「武器庫の被害は」
「幸いと言うべきか、ここの武器庫には予備の銃と弾に祝砲用の火薬ぐらいしか置かれていないので、建物の損傷は僅かで済んでいます。屋根と壁の一部に穴が空いたぐらいですね」
伊達に調和の結界を構築し、近代科学武器から魔装機へとシフトした訳ではなかったということだ。僅かな被害の報告にマサキは胸を撫で下ろした。
「消火活動は進んでるのか? 向こうから見た感じだと、一瞬、火の手が上がっただけだったが」
「そんなに火薬の量がある訳ではないですからね。一瞬で燃え尽きたようです。今は建物に引火した火が燻っている状態ですので、鎮火にはそう時間はかからないと思われます。そういった状況なので、テュッティさんとミオさんには引き続き王宮の警備に当たってもらっていますが、どうしますか?」
「命令系統を維持しつつ待機だ。兵士を使っている以上、次に何が起こるかわからない。警戒を怠らないよう伝えてくれ。ここはザッシュ、お前に任せる。俺は観客が掃けるまで、中央広場の警備を。そのあとは城下の警備の指揮を取る」
「了解しました」
ザッシュが側に控えていた伝令の兵士に耳打ちする。直立不動でそれを聞いていた兵士は、マサキとザッシュにそれぞれ敬礼すると、一目散に王宮に向かって駆け出した。その背中が道に折れるのを見送って、マサキもまた城下町に出た。
※ ※ ※
不眠不休で厳重警戒体制を敷くこと、それから半日。急ぎ連絡の取れた魔装機操者たちと王都の警備を交代したマサキは、セニアからの呼び出しを受けた情報局にと足を運んだ。
流石にこの状況下とあっては、見知った顔の局員たちも情報収集に忙しない。通りすがる局員との会話も挨拶程度。最上階の最奥にある執務室に足を踏み入れれば、無機質な室内に幾重にも展開されたホログラフィック・ディスプレイの中央で、セニアがそれらの情報に目を通しているところだった。
「軍歴五年と十七年ですって」
「何が」
挨拶よりも先に彼女が発した言葉にマサキが聞き返せば、「武器庫の警備を担当していたふたりよ」言って、彼女はいくつかのディスプレイを閉じた。「経過は芳しくないわ」
あまりいい話は聞けなさそうだ。ディスプレイを睨み付けるように見詰めているセニアの険しい顔付きが、それを物語っていた。
「火薬に直接点火したって話だが」
マサキは手近な椅子を引き寄せて、そこに腰を落とした。膝に肘を突き、両手を組んだ上に顎を乗せる。
消火活動を終えたザッシュから入った追加の情報では、彼らは所持を認められていたライターで武器庫の祝砲用の火薬に直接火を点けたと思われるそうだ。大した量の火薬ではなかったとはいえ、それは王宮に被害を及ぼす規模でという意味でしかない。二名の兵士は、未だに意識がはっきりしない状態が続いているようだった。
「武器庫の番をする兵士は王宮警備隊の中でも軍歴三年以上の兵士に限られるのよ。しかもライターは支給品。戦時下では色々と使い道があるからね。
ということは、もし今回の武器庫爆破が計画通りだったとしたら、人心掌握術に相当長けた人間が組織の中にいると思わないといけないわ。まさか五年と十七年も機を伺って王宮警備隊に所属していたなんてね、有り得ないもの」
豪胆にして豪腕と称される情報局のトップにしては気弱な台詞を吐き、セニアは細く長い溜め息を吐いた。
「そのくせやったことといえば、武器庫の爆破だけ。しかも自爆なんて……――嫌だわ、この感じ」セニアは小声で呟いた。「あちらにいつでも自分たちの匙加減で王都ぐらいどうとでもできると言われているみたい」
「ふたりの経歴は」
「データベースで参照できる範囲では模範的な経歴よ。アドロス=ザン=ノードス。国境警備隊に五年。駐屯兵として五年。剣技と銃の扱いに長け、魔装機も操縦できる才能ある兵士だったようね。その実力を認められて、駐屯地のフォルツ大隊長の推薦で王宮警備隊入り。そこから七年。真面目な勤続態度は折り紙つきの叩き上げの兵士よ。
もう片方はサラブレッド。セオドア=ザン=ハッシュダルド。代々軍属を務め上げた家系の生まれ。父親も王宮勤務の兵士だったのだけれど、王都が壊滅した際に行方不明になっているわね。母親は彼が幼い頃に流行病で亡くなったみたい。士官学校を経て、父親の友人であるゼムス卿の推薦で王宮警護官に着任。目立った戦歴はないけれど、模擬戦の成績は良かったようよ。小隊長として国境警備隊への転任の話も出ていたようだし、出世コースに乗っていた兵士じゃないかしら」
「父親が行方不明、か」
あの戦役で喪われた命は膨大な数に上る。多くの兵士たちはその憎しみや悲しみを、シュテドニアス連合国やバゴニア連邦共和国に向けた。それは攻め入られた側の当然の倫理でもあった。
けれども、一部の兵士たちは、それを魔装機、或いは自分たちが生まれ育ったラングランという巨大国家に向けた。それは国家を分裂させ、内乱を引き起こした。
戦火は限りなく。専制君主制から立憲君主制へとラングランが生まれ変わっても、テロリストが撲滅しないのは、だからだ。ならば、その兵士もそういった兵士のひとりでないと、どうして言えるだろう。
「遺体が確認できない兵士が多数いたのよ、あのときは。彼らは特例法で十年経てば戸籍上の死亡が認められることになっているけれど、まだそこまで時間は経ってはいないしね……もしかしてマサキ、父親が生き延びていると思ってる?」
「あの惨状を目の当たりにしてそこまで楽観的になれるほど、俺は現実に甘えていないつもりだぜ。ただな、五年を耐え抜ける動機にはなるんじゃないかって思ってな」
「その結果が自爆テロ? 笑えないわ、その冗談」セニアは落胆の表情もありありと、頭を垂れた。「それにもう片方は十七年なのよ」
「そうなんだよなあ。無理がある。それまでにいくらでもチャンスはあった」
いかに調和の結界があったとしても、それは魔装機の動きは制限しないのだ。軍属十七年の生活で魔装機の操縦技術をも身に付けた天才肌の兵士がやるテロ行為にしては、規模があまりにも小さ過ぎる。ましてやアドロスは、王都の壊滅と内乱をも経験してきているのだ。
「フォルツ大隊長とゼムス卿の方は?」
「フォルツ大隊長は内乱のときに、一時的にカークス将軍側に付いたのよ。その責任を取って、内乱終結後に軍を退いて、今は故郷で隠遁生活を送っているそうよ。って言っても、軍属三十年よ。勇退と言っても差し支えないんじゃないかしら。立てた武勲だって結構な数だしねえ。
ゼムス卿の方は、先々代が領主に取り立てられた貴族の家系でね。当人は今は地方議会の最大派閥の長をやっているわ。どちらも詳しい調査はこれからだけれど、この辺りにテロリストとの繋がりやヴォルクルス信教が絡んでくるとなると、広範囲な洗い出しが必要になってくるわね」
「そのぐらいの地位を持っているとなると、もうちょっと規模の大きいテロを仕掛けてきそうなもんだ。それを武器庫に火の手を上げただけで終わらせて、自分のキャリアまでふいにするなんてのはなあ。
あのふたりだってそうだ。中央広場に意識が向いている時間にテロを仕掛ける。これ自体はいいさ。けれども軍属五年と十七年だ。武器庫に保管されている武器や火薬の量は知っていただろう。そんなふたりが武器庫を爆破先に選んだ意味はなんだ? どちらにしても理屈に合わねえ」
「愉快犯としか思えないわよね」
ディスプレイをスクロールさせていたセニアの手が止まる。そこにはもう有益な情報はないらしかった。ホログラフィック・ディスプレイから離れると自らのデスクに着いた。そして革張りの椅子にゆったりと腰掛けて、マサキを見遣る。
「だったらまだ、あの武器庫の下に何がしかのヴォルクルスに纏わる遺物があるって言われた方が納得できる」
「武器庫を爆破して自らを生贄に捧げたってこと?」
「そこまでは言ってねえけどな」
思いつきで口にした話に、思いがけず信憑性を認められてしまったマサキは狼狽えた。しかもセニアは面白いとすら感じているようだ。先程までの悄然とした面持ちはどこへやら、生き生きと顔を輝かせて、「遺物があるって話は聞かないけど、調べてみる? もしかしたら、そういった意味で何か出るかも知れないわよ」とまで言い出す。
セニアとて人間。鬱屈が溜まることもあるのだろう。年末から延々予言絡みのあれこれの対策に追われ続けている彼女の胸中を推し量って、気に毒に感じた直後、マサキははっとなった。そう、彼女とて人間なのだ。理屈に合わない不合理なテロ行為より、原因と結果が見合っている宗教の世界の方が安心できるに決まっている――と。
――とはいえ、今回の件に本来の中点の位置は関係ないだろ。サフィーネが会った男が、どこを中点だと考えているかであって。
――あなたの言う通り、彼らがどう考えているかの問題です。だからこれがテロであった場合、厄介なのですよ。
取り澄ました表情ばかりが思い浮かぶ男は年越しのファーストフード店でマサキの言葉にそう返してみせた。宗教にテロリズム……信仰とは彼が言う通りに理不尽なものなのだ。そうである以上、そこに意味を見出せるのは当の本人たちだけでしかない。
恐ろしい考えがマサキの脳裏を過ぎる。この件に関する全ての推測は無意味である。それを無理矢理に打ち消して、マサキは言った。
「いくらかかるんだよ。先史時代の地層に到達するまで、地面を掘り返すって」
「ボーリングしてセンサーで感知すれば、直ぐよ。まあ、そのボーリングにお金がかかるんだけど」
「白鱗病の対策に、今回の警備費用。いくらかかったことやら」
笑顔が上手く作れないマサキに気付いていないのか、現実的な問題を指摘されたセニアは、国庫から更に予算を引き出す方法を考えあぐねた末に、「あたしのポケットマネーを使うしかないかしらね」言って、宙を睨んだ。
「無難だな。所詮は与太話だ」
「その与太話を信じて武器庫跡をボーリングするのと、予言を実現させることに何の違いがあるのかしら」
「ないだろ。何かが出るかも知れないし、出ないかも知れない」
「投資する価値はあるかも知れないわね」
マサキが考えている以上に、セニアはマサキの思い付きが気に入ったようだ。
「精霊信仰のラングランの王都の地下にヴォルクルスの遺物があるなんて、ロマン溢れるおとぎ話じゃない?」
真面目にそう言ってのけると、話に一区切り付けたいと思ったのか、それともようやく客人たるマサキに何のもてなしもしていないことに気付いたのか。セニアはデスクの上の呼び出しボタンを押して秘書官を呼び付けると、コーヒーをふたつ頼む。
そして、ついでとばかりにマサキを自分の方に呼び寄せると、デスクの上に置かれていた書類を渡した。
「あなたも一睡もしてないんでしょう? あたしもよ。自分たちが人員配置をしたくせに、あの人たちと来た日には。経歴調査は情報局の管轄だってうるさいったら。ちゃんとこの通りやってるのにね」
椅子に戻り、程なくして運ばれてきたコーヒーに、マサキは間を置かずに口をつけた。香り高いコーヒーは、配給の泥水のようなコーヒーとは匂いも舌触りも味も違う。それは、疲れ果てた身体に心地よい刺激を運んでくれる。体の内側からじんわりと立ち上ってくる温かみ。それを感じながら、マサキは渡された書類に目を落とした。
「難癖つけたい年頃なんだろ。奴らも長い反抗期だ」
「そろそろ自立してくれないと、お母さんとしては困ってしまうのよ」
Ⅰ-Ⅰ
北より白き葉が、南に降りてくる
Ⅰ-Ⅱ
中点に炎舞い、【巫女】は歌い踊る
Ⅰ-Ⅲ
東に黒き果実が、その実を口にした者に祝福を与えしとき
Ⅰ-Ⅳ
西の双【子】は【奇跡】を起こす
虫食いばかりだった預言書の写しは、飛躍論理演算機の演算結果と思われる単語で穴埋めがなされていた。成程、こうすれば意味が通る……それはマサキが予想した通りのものもあれば、意外なものもあった。
「ファーガートン炎舞劇団にしたって、もう少し突っ込んだ聴取をさせてくれだのなんだの。上がってきている報告書の通りだったら、彼らに聞けることなんて武器庫が爆発した瞬間の目撃情報だけよ。迂闊なことをしたら外交問題になっちゃう。
そもそも、彼らがラングランに入国してから今日まで警護をしていたのあなたたち軍部じゃないのよ。それを……」
自分たちの失態は棚に上げて、あれこれ要求ばかりの軍部に鬱憤が溜まっているらしい。終わりの見えないセニアの愚痴を左から右へと聞き流しながら、マサキは中程まで預言書を読み進めてみる。
けれども、文章の意味は通るようになったものの、では、それで何が起こるのか。その予想までは立てられそうになかった。そう、ヴォルクルス信教に対する予備知識が僅かしかないマサキでは、彼らの解釈次第でどういった結果にも転ぶだろうテロ計画で起こり得る事態の予測など出来ないのだ。
年越しにシュウとミオと三人で預言書を読んだ時もそうだった。シュウはマサキたちに意見を求めているというよりも、自分の考えを話すことで整理しているようだった。それをふたりとも黙って聞いてはいなかったが、思い返せば、マサキもミオも見当違いの感想ばかりを口にしていたような気がする。
こういった話は専門家に任せた方がいいに決まっている。そう考えてマサキはそれ以上預言書を読み進めるのを止め、面を上げた。
「で、この預言書のコピーがどうしたって? お前から聞かされた話からして、このコピーはデュカキスの演算結果か」
「そう。あなたにも渡しておこうと思ってね」
「それで? 渡しただけで『はいオシマイ』って訳じゃないんだろ」
「それ自体は参考資料として渡しておこうと思っただけよ。でも勘はいいのね。次の任務の依頼よ」
「だろうな」