聖夜に限りない約束を - 2/3

 二人きりでの食事を冗談じゃないと一蹴したかったマサキだったが、デートデートとやかましいザッシュを実力行使で黙らせたところで、「食事を奢ってくれるシュウはいいシュウニャのね」とクロに、「情報を渡すふりをして引き出し返せばいいんだニャ」とシロに勧められ、それもそうかと気を取り直した。
 よもや彼とて不釣り合いにもクリスマスなどという単語をわざわざ口にした以上、マサキを誑かすような真似はすまい。稀には本当に何事もなく済む平和的解決もあるのだろう……そうマサキは考え直して、シュウとともに地上へ。サイバスターとグランゾンをそれぞれの使い魔に任せて、百万都市の中心部。クリスマスの街角に降り立った。
 街路樹にはクリスマスイルミネーションが煌き、あちらこちらでサンタの衣装に身を包んだ店員たちが、チキンやケーキはいかがですかとけたたましい。クリスマスカラーに彩られた街角でクリスマスソングの数々を聞きながら、浮かれ騒ぐ若者たちの群れを抜け、マサキが彼と路地裏のひっそりとした隠れ家的な洋風飲食店レストランに足を踏み入れたのは、暮れなずむ空が紫色にその裾野を染め始めた逢魔が時。店内は様々な人種に溢れてはいたが、落ち着いた店内の雰囲気に見合う静かな客ばかり。これなら何事も問題なく、無事に過ごせそうだ――シュウと二人で向き合って、店の奥まった場所にあるテーブルにマサキは腰を落ち着けた。
「先日、サフィーネが引っ掛けた男がおかしなことを吐いたらしいのですよ」
 二冊のメニューの一冊をマサキに渡し、手元に残したメニューを広げながらシュウが言う。
「引っ掛けた?」
 ボディラインを強調する服を好んで着用する彼女は性的嗜好的に真っ当ではない。真っ当ではなかったけれども、そこは恋に生きる女性。好きな男の前でぐらいは慎ましく生きているのかと思いきや、まさかの奔放な生活の暴露である。それはマサキでなくとも聞き返す。
「その言葉の通りですよ」
「ああ、まあ、それはわかるが」
「私がそれを放置しているのがおかしく感じますか? それとも私が口にするには不釣合いな単語だと?」
「そう聞かれりゃどちらもだが、あの女はその、何だ? お前の前でも相変わらずああなのか」
「躾け直すのに労力が要りますね、彼女は」気苦労が知れる台詞を平坦に吐いて、「飲みますか?」と、シュウは酒のボトルの一覧表の頁を開いてマサキに見せる。
「どうせお前の奢りだって言うなら、一番高い肉料理のコースでも頼んでやろうかと思ってるんだが」
「構いませんよ。それだったら、この辺りのワインはいかがです?」
「酒の良し悪しは俺にはわからないから任せるって言ったら?」
「酒豪に囲まれている割によく言う」メニューを自分の手元に戻して、シュウは他の頁を開く。
 どうやら何の酒になるのかはシュウの好みになるようだった。彼は酒をコーヒーや紅茶と同じ気楽さで嗜む。野菜を好む割には酒も好んで見せるシュウの偏った食生活を初めて目の当たりにしたとき、マサキは驚かずにいられなかったものだ。そして同時に納得せずにいられなかった。通りでいつ会っても不健康そうな白い顔をしている筈だと。
「俺は数杯の酒が関の山だよ。ところでお前は相変わらずの菜食主義ベジタリアンか」
「私とてそういうつも野菜ばかり口にしている訳ではないですよ。クリスマスですし、この日ぐらいは鳥料理チキンでも口にしようかと思っているのですが……」
 眉根を寄せたどこか渋い表情のシュウは、気が向かないらしい。いい加減にも指先を遊ばせて、どのメニューにしようか決めるつもりらしかった。
「気が向かねえっつーなら、魚ぐらいは口にしろよ」
 そして店員を片手を上げて呼ぶ。ボトルワインにコース料理を二品頼んで、メニューを受け取った店員が恭しく頭を下げるのを見送り、テーブルから距離を取るのを待って、マサキは話の続きを口にする。
「で、おかしなことって何だ」
「ラングランの北部の農作物が、今年は不作だったのを知っていますか?」
「ああ、そういやテュッティがそんなことを言ってたな。菌繁殖だって。鱗のように菌が層を作って白くなるところから白鱗病って呼ばれてるんだろ。その影響で一部の野菜の値段があがってるとかなんとか」
「それだけ知っていれば充分ですね。で、くだんの男とそんな話題になったらしいのですよ。そのときに彼はこう吐いたそうです。“北より白き葉が南に降りてくる”と。サフィーネは単純におかしなことを言う男だ、程度にしか思わなかったようですがね、生憎、私はその言葉を知っている。ヴォルクルス信仰の預言書の一節、その復活を予言する章の最初の一節がそれだと。とはいえ、何故、葉が白くなるのかは、預言書ですからね。はっきりとは書かれていないのですよ。研究者の間では、通常、ラングランに降り得ない雪ではないかというのが通説なのですが……」
 思わず声を上げそうになったマサキは、そこで自分のいる場所に気付いて、辺りを憚るように声を潜めた。
「だったら穏やかな話じゃないじゃないか」
 幸い、マサキの声はそこまで辺りに響いた訳ではなかったようだった。クリスマス。静かな店内とはいえ、浮かれ騒ぐ気持ちなのは彼らも一緒らしい。声を潜めてはいたが、誰も彼も自分たちの話に夢中で、周囲に気を配る余裕はなさそうだった。
「そうでなければ私はわざわざ彼らの居場所を突き止めようなどとは思わないでしょう」
「奴らがあのテロリストと繋がっているとでも?」
「大掛かりな検挙劇だったようですからね。もしかしたら背後で糸を引いている可能性もあると思ったのですが――まあ、あなたに聞いても拠点の場所は知らないでしょうし、私は他のルートを使って情報を集めることにしますよ。そのぐらいの伝手はありますから」
 そういう話だったらセニアに情報を渡して、それと引き換えに拠点アジトの場所を引き出し、その情報をシュウに渡してもいいとマサキは思ったのだが、その話はそれきり。シュウはあくまで己の力のみで、この問題と向き合うつもりらしく、そのまま話題を変えた。
「ところでクリスマスに私と食事でよかったのですか。クリスマスパーティの予定があったのでしょう」
「酔い潰れたあいつらを客間に放り込むのは、いつだって俺の役目だよ」それに、と言葉を継ぐ。「てめえに付き合った甲斐はあった」
「あまり首を突っ込まないで欲しいものですね。これは私が解決すべき問題だ」
 先に届いたワインを店員がふたつのグラスに交互に注ぎ、赤い液体がグラスを満たす。少しの沈黙。店員が再びテーブルから距離を取るのを視界の端に収めて、マサキはグラスを傾けた。
「メリー・クリスマス」
 言って、シュウが手にしたグラスにグラスを合わせた。

※ ※ ※

 それから、特に共通の話題が他にあるでもなし、と、シュウにサイバスターでの最初の一撃の踏み込みが甘かったことを指摘されたマサキが、先日ミオに教わりながら魔装機操者たちでラクロスをプレイしたこと、それで腕が筋肉痛になっていること、その結果、コントロールパネルが叩き難くなっていることを明かすと、彼は意外にもラクロスをプレイしたことがあるらしく、「成程、それで……あれは想像以上に激しいスポーツですからね」と、話に乗ってきた。なんでも、王宮にいた時分に嗜んでいたことがあったのだとか。
 いつでも書にばかり埋もれて暮らしているのかと思った彼の意外な一面に、マサキが「お前でもスポーツをやるんだな」と応じてみれば、「馬術以外に何がしかのスポーツを嗜めと言われたのですよ。放っておくと私は本ばかり読んでいるらしいですから」との返事。
 どうやら彼はラクロスという言葉の響きに関心を持っただけで、競技の内容を深く知らぬまま、プレイをすることを決めたらしかった。「クリケットとどちらにするか悩んだのですが、こちらは競技内容の資料が書庫にありましたので」とはいえ、興味本位でプレイするには運動量の多い競技。その激しさに最初の内は、殆ど他のことができないほどにばて疲れたのだとか。「やらなければよかった、と後悔しましたね」
「お前、身体を動かすことあるのかよ」
「ありますよ。日常生活を快適に過ごせるぐらいには」
 行動を稀にともにすることはあったけれども、日常生活の動作を行う以外のシュウは本を読んでいるか、グランゾンのメンテナンスに余念がないかのいずれかしかしていなかった。そんな折に、金魚のフンよろしくついて回っているモニカやサフィーネ、テリウスが話しかけても、上の空。絶対に目の前の書物や機器類から視線を外すことがないのだから、徹底しているのにも限度がある。
「どうせ散歩とかその程度なんだろ」
「軽い筋トレぐらいはしていますよ。知識を追い求めるがあまり、本が読めなくなってしまっては本末転倒でしょう」
 頃合を見て運ばれてくるコース料理を酒のツマミに、そうして話をした。
 マサキの意見を取り入れたのか、シュウはメインディッシュに魚料理を選択していた。鮭のムニエル。どうやら女性向けのコース料理らしい。全体的に量の少ないコース料理の数々に、それで腹がくちるのかとマサキが「チキンはどこに行ったんだよ。もう少し量を食ったらどうなんだ」訊いてみれば、「追加で頼むか悩んでいるのですよ」と、シュウがなんとも表現しがたい能面のような表情で、それでも台詞だけは悩んでみせるものだから、
「頼めよ。半分ぐらいなら食べてやるから」
 言って、マサキは店員を呼んだ。スモークチキンのサラダを、とシュウが注文する。もっとクリスマスらしい料理を頼もうという気はないらしい。しかも本の話題が出たところで、堪えきれなくなったのか、メニューブックをテーブル脇のブックスタンドに立てながら、「ところで、読みかけの本があるのですが、食事ついでにそれを片付けてもいいですか」
「お前、本当に本を読むのが好きなんだな」
「本を読むのが好きなのではなく、自分にとって未知なる知識を収集するのが好きなのですよ」
 言いながら、上着のポケットから文庫本を取り出す。その背表紙のタイトルを覗き込んだマサキは、自分には一ミリも理解できない単語ばかりが並んでいることに気付いて、盛大に顔を顰めるしかなくなった。人との食事をなんだと思っていやがる――だが、幸いにも、彼にとってその文庫本はマサキが思うほどに難しい内容ではなかったらしく、どうやら、メニューを捲るのと同じ気楽さで読み進められるものでもあるらしい。
 それは、本の頁を捲りながら料理と酒を口に運び、その上でマサキと話をする余裕があるほどだった。
「先ほどの話の続きですが、同じ知識を集めるのであれば、ネットワークの世界の方が利便性は高いでしょう。ただ、ネットワークの世界は不特定多数が接続しているだけあって、情報にノイズが多い。だからこそ、私は書物を紐解くのが好きなのでしょうね。
 それらの知識の中に、新たな法則を発見したときの快感は、言葉にできないほどですよ。どんな世界も知識がひしめき合うこの小さな脳内の世界に比べたら狭いものです。この広大な知識の世界と比べれば、日常生活などどれだけの些事であることか。
 許されるのであれば、私は生命維持に必要な活動ぐらいしかしたくない……ときどき、本当に実行に移したくなることがあるのですよ。自分をコンピューターにできないかと。ただ知識を収集するだけのコンピューターに、生命維持装置に繋いだこの脳をリンクさせて、死ぬまで知識を集め続けられたら、それに勝る幸福はないだろうからこそ」
「やめとけって。絶対にどこかでは身体を動かしたくなるから」
「あなたはそうでしょうね」シュウは声を上げて笑った。「けれども私はそうではない。息をすることそれ自体ですら億劫でたまらなくなることがある」
「お前、それは相当に重症だぞ。どこか身体が悪いんじゃないか」
「知っていますか? 知能の高い人間というのは、その大半が普通の人間と比べて身体が弱く、その活動量に乏しいのですよ。当然ですよね。普通の人間が身体活動に割り振る分のリソースを、私たちは脳内活動に割いている。尤も、この論には、知識を収集するのに熱中するがあまり、身体活動が疎かになっている可能性も否定できないという欠点がありますが」
 シュウはどうやら本気で知識の収集こそが自分にとっての最大幸福だと信じているらしく、それからも熱弁が続いた。自分たち高知能児の希少性や、その指向性……。彼は自分にとって得意な話題となると、マサキが追いつけないほどに饒舌になるのだ。
 それを迷惑と感じるほどマサキは子供ではなかったけれども、人々が浮かれ騒ぐクリスマスの夜にするには堅過ぎる話のように感じられてならなかった。ならば、口数も減るというものだ。それにシュウは気づいたのかも知れない。本を読み終えると同時に、少しばかり気まずそうに、マサキに何か他の話題はないかと訊ねて寄越した。

※ ※ ※

 そこからは他愛ない話を繰り返し、気付けば二時間が経過していた。
 食事どきを迎えて、店内は混雑の様相を見せ、店の外にまで列ができている有様。慌ただしく店内を行き来する店員たちを横目に、そろそろ出ましょうか、とシュウに促されて、マサキはあまり長居をしても店の迷惑になるだろうと椅子から腰を浮かせた。
 シュウが会計を済ませる間、店の外でマサキは空を見上げていた。そびえ立つビルの群れの隙間に除く夜空に薄い雲がかかっている。その雲に、ほろ酔い加減の火照った身体から吐き出された白い息が重なっては宙に消えてゆく。街灯りの強い都市部では星々を臨むのは難しいことだったけれども、煌々と光を放つ月はよく見えるものだ。
 今年の日本はホワイトクリスマスにはならないらしい。浮かれ騒ぐ街の喧騒を眺めながら、マサキは自分には縁遠いこと、と、イベントごとになると途端にやる気を発揮する日本の国民性を思った。
「ホワイトクリスマスにはほど遠い夜ですね」
 そんなマサキの考えを見透かすかのように、姿を現すなりシュウは言った。言って、どうしますか? と、この後の予定を訊ねてきた。
「日付けが変わる前には家に戻らねぇと、テュッティたちが怒るだろうなあ」
「帰りたくないとでも?」
「あいつらの酔い方、騒ぎ方は犯罪レベルなんだよ」
 館に戻ったらベッキー辺りが裸になって床の上で寝ているに違いない。しかも酔いが回りきった他の魔装機操者たちは、それをいつものことと全く意に介さないのだ。マサキも昔よりはその乱痴気騒ぎに慣れたとはいえ、泥酔するほど酔うことがないものだから、気まずさはやはり消えないもので――。
 それと比べれば、物静かなこの男と一緒にいた方が、まだクリスマスらしい時間を過ごせる気がするのだから、付き合いの長さからくる慣れとは恐ろしい。
「とはいえ、帰らなくては大目玉を食らうのでしょう。それでしたら駅まで歩いて電車を使いませんか。人出もかなり増えてきた。これでは郊外まで出ないことには、人目につかずにお互い機体に乗り込めないでしょう」
「タクシーは使ってくれないのかよ」
「質屋で私の持っている装身具アクセサリーを換金してもらえれば別ですが」
 そう言って、シュウは上着の袖口から腕輪バングルを覗かせて見せた。けばけばしい装飾は苦手なのだろうか。シンプルな図柄が彫り込まれている。宝石はついていなかった。どうやら、純粋な銀製らしい。
「お前でもアクセサリーを付けるんだな」
「いざというときの換金用ですよ。地底の通貨はこちらでは通用しませんし」
「持ち運びに便利そうだし、俺もそうしようかな」
「鑑定書がない分、買い叩かれますが、インゴットより不審がられませんよ」
 路地裏から大通りに出る。人混みを縫うようにして歩き始めたシュウの半歩後ろをついて、マサキもまた歩き始める。思ったよりカップルの姿が少ないのは、地上の暦は平日だからだろう。スーツに身を包んだサラリーマンたちや、学校帰りに街に繰り出してきたらしいカジュアルな服装の若者たちで、街は溢れ返っている。
「どうですか、そこのお兄さんたち。フリータイムで飲み放題つきですよ!」
 サンタの衣装を身にまとったサンドイッチマンが、プラカードを掲げながらカラオケボックスへの入店を呼びかけている。久しぶりの地上に、あれもこれもが懐かしく感じられるマサキと異なり、シュウは度々地上にも赴いているのだろう。それに目もくれずに先をゆく。
「少しは俺の郷愁に付き合ってくれないもんかね」
「これは失礼」
 上着の裾を引いてマサキがそう言うと、シュウは少しだけ、その歩みを緩めてくれた。衣装を纏ったマネキンが並ぶ華やかなウィンドウの前を通り過ぎる……甘い香りを漂わせるドーナッツ屋の前を通り過ぎる……クレープ屋にケーキ屋……ないものはないだろう巨大な百万都市の楽器店の軒先では、置いてあるエレクトーンを少女が巧みに弾きこなしていた。
「あれは何の曲だろうな」
「さあ。私も地上の流行り曲には疎いので」
「その割には慣れた足取りで進みやがる」
「あなたは単純に遊ぶために地上に来ていそうですが、必要があるときだけですよ、私が地上に出るのは。息抜きでそう何度も訪れていい場所でもない。そのぐらいの節度は私にだってある。事象を歪め過ぎるのは、地上にとっても、地底にとっても、いい結果を齎さないからこそ」
「俺だっていい加減そのぐらいはわかってるよ。まあ、偶に、カラオケやゲーセンで遊ぶのに出てくることはあるけどさ」
 先をゆくシュウの足がふっと止まる。
 路上でよく見かける光景。自分で作ったアクセサリーを売る露天商。駅前のコンコースの一角で、トランクを広げている彼にシュウは会釈をすると、やおらアクセサリーを物色し始めた。
「換金できるアクセサリーでもないだろ」
「モニカやサフィーネが煩いのですよ」
「それでクリスマスプレゼントだって? お前にも優しいところがあるじゃねぇか」
「まさか。彼女らに請われるがままにプレゼントを贈ろうものなら、どんな展開になるかぐらいあなたにだってわかるでしょう。私とてそこまで愚かではありませんよ。これは、あなたにです」
 いきなりぞっとしかしない台詞を吐かれたマサキは、驚くよりもただただ脱力し、こうべを垂れると、耳にしてしまった台詞を頭の中から掻き消すように、二度、三度と首を振った。
「何の冗談だよ……ザッシュのいかれた台詞に影響されたのか。それとも俺をからかって遊んでいるのか。それとも自分の言葉で自分が煽られていやがるのか。それだったら、誤解を招くような発言や態度は慎めってあれほど言ったじゃねぇかよ……」
 マサキの当然の愚痴を聞く気は、シュウにはさらさらないらしい。台詞をさえぎって、これはどうです? と、差し出された指輪リングを、マサキはしぶしぶながら指に嵌めてみる。中央に白い石をあしらった鈍色の指輪はすっぽりと左手の中指に収まった。
「どうせなら石がない方がいいんだが」
「石がなくて、もう少し細いサイズとなると、この辺りでしょうかね」
「お前、恐ろしいことをしようとしてないだろうな」
「別に右手でも左手でも私は構いませんよ。小指に嵌まるのであれば」
 いくらマサキがその手の話題に疎くとも、薬指の指輪の意味ぐらいは知っている。知っているからこそ、敢えて釘を刺すように言ってみればこの返し。どうやらシュウが求めたい指輪は小指に嵌まるものであるようだ。
「最近、城下ではこういった露天商が売っている安物の指輪が人気らしいですね」次の指輪を物色しながらシュウが言う。「そうなのか? ミオたちは何も言ってなかったが」そういった情報に耳ざとい彼女らとしたここ最近の城下の流行についての話を思い返しながら、「何で流行ってるんだ?」マサキはどういう理由で安物の指輪が人気なのかをシュウに訊ねてみた。
「最初は安物の指輪。次にそれは婚約指輪となり、最後には結婚指輪となるのだそうですよ」
「女がロマンを感じるポイントが俺にはいまいちよくわからねぇ。指輪の成長物語の何がそんなに面白いんだ? 別に婚約指輪と結婚指輪だけでいいじゃねぇか」
「私にだってわかりませんよ」シュウは苦笑していた。
 これは? と次の指輪を差し出される。上下に二本のラインが入っているだけのシンプルな指輪は、値段からして鉄製ではあるのだろうけれども、銀製と言われれば信じてしまいそうなほどに磨き上げられていた。
 その指輪がマサキの左手の小指に、まるであつらえたように嵌まる。
「これがいい」
「シンプル過ぎる気もしますが、あなたがそれでいいと言うのなら」
 二千円程度の安物の指輪。その会計を済ませ、少しの間。シュウはマサキの小指に嵌った指輪を眺めていた。
「なんだよ。他人に物をプレゼントするのが初めてとか言うなよ」
「クリスマスプレゼントにしては安物ですが」
 名残惜しそうに指輪から視線を外し、「メリー・クリスマス、マサキ」そう呟き、マサキに背中を向けると、シュウは駅に向かって歩き始めた。
 少しばかり、重く感じる指輪。貰ったばかりで無くすわけにも行かないと、左手をジャケットのポケットに入れて、マサキはその背中を追いかける。そしてコンコースを抜けた先にある人垣の薄い券売機前。シュウはふたり分の切符を買い、片方をマサキに渡すと、慣れた足取りで改札を潜る。
「俺も何かプレゼントした方がいいのかね」
 よくもこれだけの人間が集まったものだと思うほどに、帰宅ラッシュで人がごった返している駅のホームで、シュウに追いついたマサキは隣に並んで電車が来るのを待つ。電光掲示板を見上げると、電車が来るのは数分後だ。都市部のダイヤの回転は早い。それにも関わらずの混雑に、うんざりしながらシュウに話しかけてみれば、
「私にお返しをと思う気持ちがあるのなら、リューネやウェンディに何か買って差し上げたらどうです?」
「お前、さっき、何て言ったよ。モニカやサフィーネにプレゼントでもしようもなら、どんな展開になるかはわかってるって言っただろうよ。俺だってそんなことをしたら、どんな展開になるかぐらいはわかってるんだよ。きゃいのきゃいのと煩いことになるのは間違いない。ややこしい人間関係を煩わしい展開にするなんて、俺はごめんだね」
「プレシアやテュッティには何か贈って差し上げてもいいと思うのですけれどもね」
「ああ……そういや、それはそうだな。いつも面倒かけてるしな……しまった。デパートに寄ればよかった」
 電車が駅に着くアナウンスを聞きながら、街の様子を振り返る。駅前に横に伸びるショッピングセンター。その向こうにそそり立つデパート。服にバッグ、靴、アクセサリー、本にハンカチ、財布、ぬいぐるみ……買えるものは山ほどあった。
 テュッティはさておき、地上慣れしていないプレシアだったら、地上で買い求めた品を物珍しく感じてくれたに違いない。
「どこか適当な駅で降りますよ。まだこの時間ですし、空いている店もあるでしょう」
 駅のホームに電車が滑り込んでくる。降りる人の群れと、乗る人の群れ。人いきれに飲み込まれるようにしてマサキはシュウと電車に乗り込んだ。