腕の中の小さな世界
最後の一機を倒し終えると同時に飛んできた通信電波に、何処のどいつだ。マサキは語気荒く言葉を吐きながらチャンネルを開いた。そしてモニターに映し出された気障ったらしい男の顔を目の当たりにして、果てしなく脱力した。
何度目の邂逅かなど数えきれない。流しで動き回っている時ほど良く顔を合わせる男は、薄い笑みを口元に湛えてみせながら、ご無沙汰ですね、マサキ。本気でそう思っているのだとしたら、日付感覚が狂っているとしか思えない言葉を吐いた。
約束を交わした訳でもないのに方々で出会す男、シュウ=シラカワとマサキが前回を顔を合わせたのは三日前のこと。出会い頭に攻撃を仕掛けてきたシュウにダメージを負わせられたマサキは、どんな気紛れか。マサキの望みを何でも聞くと云ったシュウに、自身を褒めるように要求していた。
彼の膝の上に乗せられてひたすらに頭を撫でられた記憶。何とはなしに照れ臭い。マサキはそうっと画面に映し出されているシュウの整ったきらいのある顔から視線を外した。
「何の用だよ、何の。戦闘が終わるなり話しかけてきやがって……」
「随分と荒っぽい戦い方をしていたものですから、どうかしたのかと思いましてね。無事なら結構。あなたに万が一があっては精霊サイフィスに申し訳が立ちません」
「さっさと終わらせたかったんだよ。蠅みたいにうろちょろしやがって、うざってぇ。そんな連中との戦いなんざに貴重な時間を割けるかよ」
「そういった考え方に足元を掬われないとも限らない。油断はしないことですね、マサキ」
人の心配をしたいのか、それとも説教をしたいのか。マサキを咎めるような言葉を吐くシュウに、用はそれだけか、切るぞ。マサキは精一杯の自制心で湧き上がる怒りを抑え込み、さっさと別れるに限ると通信を終えようとした。
「話があります。出来れば直接あなたと話がしたい。こちらに来れますか、マサキ」
シュウの言葉にマサキは、はあ? と、語尾上がりの声を放っていた。そうでなくとも照れ臭さを感じているというのに、グランゾンのコントロールルームでシュウとまた会う。そういった内容ではないとわかってはいても、跳ね上がる鼓動。グローブの中の手が汗を掻き始めている。
そっちじゃないと出来ない話なのか? マサキが聞けば、なら、私がそちらに行きましょうか? どうあっても直接話をしたいようだ。通信が傍受されるのを警戒してのことなのだろう。それだけ重要な話を聞かずに済ませる訳には行かない。いや、いい。マサキは首を振った。そうしてグランゾンに乗り込むべく、サイバスターのコントロールルームのカバーを開いた。
機体の外装を伝ってシュウの許に向かえば、カバーを開いて待っていた彼は、微笑みひとつ浮かべることなくマサキを迎え入れると、ゆったりと操縦席に身体に埋めて、来なさい。とひと言だけ言葉を発してみせた。
「来い、って、どこに」
ほら、と手を差し伸べてくるシュウが何を求めているかは明らかだったものの、まさかという気持ちが勝る。真面目な話をしろよ。手のひらに掻いた汗で蒸れるグローブ内。それを悟られまいと、マサキは気持ちを奮い立たせながら言葉を吐く。
「真面目な話ですよ。あなたが来ないというのであれば、私が行きますが」
云うなり席を立ったシュウに、緊張感が増す。思わず顔を背けたマサキの傍らに立った彼は、驚く程に静かにマサキの身体に腕を回してくると、何があったの? そうっと抱き締めながら、まるで泣き喚く子どもに事情を尋ねる親のように穏やかに言葉を発した。
「……別に何もねえよ。本当にあいつらが人をこそこそ付け回してたのが気に入らなかっただけだ」
それは事実だった。
州を越える前から感じ続けていた気配。付かず離れずの距離でサイバスターに付いて来る正体不明の機団は、どういった目的でもってそうした振る舞いに及んでいるのか、マサキには予想が付かなかったからこそ、ストレスを感じずにいられなかった。
だからこそ、彼らがいよいよ牙を剥いてきたその瞬間に、マサキは胸に蓄積していた鬱憤を晴らす決心をした。それが褒められた戦い方でないのは承知の上だった。けれども誰の目もない戦場だ。マサキは荒ぶる感情のままに彼らの機体を粉砕した。
「精神的負荷に晒すことでミスを誘う――とは、実に良くある戦術ですよ、マサキ。今回は無事に済んだようですが、今後も同じように済むとは限りません。サイバスターの火力に頼った戦い方は改めるのですね」
「いちいち尤もな指摘をしやがって。わかってるよ、そんなことは……」
「本当でしょうかね。頭に血が上るのと、戦意を高めるのとは意味が違います。あなたはその点を混同し易いようですね、マサキ。命を懸けて戦いに挑んでいる以上、意識を改めなければ、目的を果たすより先に戦場の露と消えますよ」
「それも、わかってる」
「なら、この話はここまでにしましょう」
説教じみた言葉を聞かせるのが目的ではないのだろう。シュウは腕を解くと、マサキの手を取った。ほら、と導かれた先は操縦席。どうあっても自分の膝の上にマサキを座らせたいようだ。何なんだよ、お前。云いながらも誘惑には抗えない。先に操縦席に身体を沈めたシュウの膝の上に、マサキは導かれるがまま腰を落とした。
「そういや、チカはどうしたんだよ」
「ポケットの中にいますよ」
「ポケットの中」
その割にはやけに大人しい。潰れてたりしねえよな。恐ろしい光景を想像せずにいられなくなったマサキが尋ねれば、私の許可なく外に出るなと云い含めてありますからね。との返事。そのまま、マサキの腰に手を回してくるシュウに、やっぱり、嫌だ。マサキは席を立とうとした。
あのお喋りな使い魔が近くにいるとわかっていながら、シュウに身を委ねるのは躊躇われる。だのにシュウは腕を解くことをするどころか、マサキの頭を押さえ込むと自らの胸へと顔を埋めさせた。
「何なんだよ、お前。本当に……」
「前回のことで思ったのですよ」
肌越しに感じるシュウの規則正しい鼓動。正確無比な時計が時を刻むように波打っていている。対して自分はどうだ? マサキは汗を掻ききった感がある自らの手のひらを思った。
緊張と期待と不安で汗が滲み出た手のひらは、マサキの複雑な感情が渦巻く胸の内を如実に表している。
「何を思ったって?」
マサキは爆発しそうな感情を押し殺しながら尋ねた。
「あなたにはこうした時間が必要だということですよ」
そうして、シュウは緩やかにマサキの髪を撫で始めた。
柔らかく触れてくるシュウの身体の温もり。全身を彼に包み込まれたマサキは、何故か泣き出してしまいそうになった。緩みかけた涙腺を口唇を噛むことで引き締める。
「少し休みなさい、マサキ」
シュウの言葉に僅かに躊躇いを感じはしたものの、誘惑に限りない。逃れられそうにない。マサキは身体の力を解いた。そうして、グローブを外してもいいか。と、シュウに尋ねた。どうぞと頷いた彼に、続けて、ブーツを脱いでも? と、グローブを外しながら尋ねれば、構いませんよとの返事。
マサキはブーツを脱いだ。
そのまま、ただ黙ってシュウの身体に身を預けた。シュウもそれ以上、マサキに何かを云うつもりはなさそうだ。沈黙がふたりの間に流れ出る。
穏やかに過ぎる時間が心地良い。沈黙をものともしないシュウの温もりが、マサキの頑なな心を溶かしてゆく。
「昔、私の母がこうやって偶に私を抱いてくれたのですよ」
やがてシュウがぽつりと言葉を口にした。
きっとその瞬間のシュウは安らいでいたのだ。だからこそシュウは、荒ぶった感情の赴くがままに敵機を屠ったマサキを、母親と同じ方法で宥めようとしたのだろう。
マサキは、そっか。と、呟いた。
「……もう少しだけ、こうしててもいいか」
「好きなだけ、そうしていなさい」
許しを与えられたマサキは、身体を撫でてくるシュウの手のひらの温もりを感じながら、暫しの休みを貪るべく瞼を閉じて行った。闇の中に光が差し込むその瞬間まで、ゆっくり休むべく。