騒々しい日常 ~それは嘘と真実の積み重ね~ - 2/7

テュッティ=ノールバックの華麗なる推理

「怪しいわ」
 帰宅したマサキと玄関先で顔を合わせたテュッティは、マサキの首元に視線を這わせながらそう呟いていた。何だよ、いきなり。マサキは面食らった様子だった。それもそうだ。帰宅を迎える台詞より先に、突然に自分を怪しむ台詞を吐かれたのだから、当然の反応と云えば当然の反応である。
「あら、私としたことが。ごめんなさいね、マサキ。考え事をしていたものだから」
 咄嗟の機転にしては上出来な部類ではないだろうか。そう言葉を吐いたテュッティは、おかえりさないと改めてマサキに声をかけ、彼が家に上がるのを待ってから、その後を付いて歩き始めた。
 何とはなしにおかしいとは感じていたのだ。
 怒りに火が付き易い魔装機操者たちの中でも、マサキやヤンロンといった高い攻撃力を誇る機体を操っている操者たちは、群を抜いて着火点が低いように思えたものだ。だからこそテュッティは、ラングランの有事に、その大事な世界を差し置いて地上へと向かったマサキに、半ば呆れはしたものの、ヤンロンと組んでの結果であるのなら仕方がない。そう思いもしたものだった。
 地上で何があったのか。掻い摘んで説明するマサキの話は主観的且つ断片的で、しかも時系列がごっちゃになっているものだから、実の所テュッティは、地底世界以上に地上世界が危機に瀕していたことと、クリストフ――改めシュウが、サーヴァ=ヴォルクルスに精神を支配されて、世界を滅ぼそうとしたことぐらいしかわかっていない。
 そのシュウは、テュッティたちの与り知らぬところで、ヴォルクルスの支配から解放されたようだ。
 ようだ――というのは、それが状況的な証拠の積み重ねでしかなかったからだ。ルオゾールの姿が消え、サフィーネが本来の名字を名乗り始め、シュウ自身の不穏な振る舞いが形を潜めた。たったそれだけの断片的な情報から、けれども導き出される答えはひとつしかなく。
 マサキは当初、その事実を上手く自分の中で処理しきれずにいるようで、ふとした瞬間に悩まし気に考え込んでいる様子が窺えたものだった。何を考えているの? テュッティが尋ねると、思いあぐねた様子で、あいつがこの先、本当に敵にならないことなんて考えられるか。そう口にしては、きっと、テュッティがどう答えても納得は出来なかったのではないだろうか。マサキはまた黙り込んでは、未来を憂うように物思いに沈んでいった。
 その気持ちに変化が表れ始めたのは、長くシュウを追っていたマサキだからこその嗅覚だったのだろう。少なくとも、テュッティたちの前では顔を合わせる機会にさして恵まれないふたりであったけれども、その僅かな時間の間にマサキはシュウの些細な雰囲気や態度の変化に気付いたようだ。
 一見、反発しているように感じられる軽口や、うそぶいているようにしか思えない脅し。シュウに対して、そういった口をきくようになったマサキは、恐らくはシュウがヴォルクルスに操られてしたことを、仕方のなかったことと受け止める決意をしたのだろう。シュウ自身が道を違えることがあるのであれば、自分が止める。敵を敵として処理してきた少年は、自身の力が及ばない未知の領域に身を置いていた人間の変容を目の当たりにしたことで、全てを断罪することが決していい結果を招くとは限らないということを悟ったのやも知れない。
 それは戦いの真理でもあった。
 どこまでを赦し、どこからを裁くのか。無闇に敵を倒していれば、それは逆に、自分たちの立場に対する反発を招きかねない。どの世界も常にそうではあるが、1+1が必ず2になるとは限らないのだ。足しきれない世界、引ききれない世界、割りきれなければかけきれない世界。この世は子供が願うような純粋な理想で覆われたら、生ききれない人間ばかりが溢れ返る世界だ。
 だからこそ、闇に身を置かねばならなくなった男との付き合いは、マサキを少しだけ他人に寛容な人間にさせたのやも知れない。清い水に魚は住めないと云われる通り、巨大な力に踊らされるかの如く潔癖な正義感を振り回していた少年は、その当たり前の真理にようやく辿り着いたのだ。
 とはいえ、そうして徐々にシュウに対して気安さを見せるようになっていったマサキに、テュッティは疑念を抱かずにいられなかった。敵でもなければ味方でもない。果たしてマサキはそういった曖昧な関係の相手に、気を許せるような性格であっただろうか? 警戒心を解いていないのは明らかだったけれども、仲間とはまた違った気の許し方。馴染んでいる――そう、一見、水と油のようである筈の属性を持ち合っているふたりは、さしたる時間をともに過ごした訳でもないにも関わらず、テュッティの目には馴れ合っているように映るのだ。怪しいわ。リビングに戻ったテュッティは、先にソファに腰を落としたマサキから目を反らせぬまま、またもそう呟いていた。
「何なんだよ、本当に。何が怪しいのか云ってみろよ」
「あら、私ったらまた。さっきまで推理小説を読んでいたのよ。そろそろ話が佳境に差し掛かるものだったから」
「さっさと全部読んじまえよ。どうせその推理は外れるんだからよ」
「失礼ね。これでも三回に一回は当たるのよ」
 どうかねえ。そう云って首を傾けたマサキの伸びきった襟足から、すらりとした首筋が覗く。ほら、やっぱり。テュッティはそこにうっすらと浮かぶ、虫に刺されたような薄紅色の跡を見逃さなかった。
 丸一日に渡っての不在。ふらりと何処かに姿を消すことがままあるマサキが一日以上に渡って姿を消す時は、恐らくそういう時なのだ。全く――、とテュッティは溜息を吐く。秘めなければならない関係など、健全ではない。勿論、マサキとて年頃の少年だ。もしかするとリューネやウエンディ、或いはテュッティが把握していない他の女性である可能性もあったものの、そういった身近に存在している女性が相手であったのであれば、彼女らの側から何某かの情報が洩れ出していることだろう。
 それとも、そこまでテュッティたちは愚鈍であるのだろうか?
 そんな筈はない。テュッティはかぶりを振った。
 性的な関係を持っていることを責めたいのではない。確かにマサキは自分のことを秘めたがる性格だったし、そういった相手を得たからといって惚気るような性格でもなかったものの、だからといって、他人に明かせないような相手と関係を続けるなど。それは不毛の極み以外の何物でもないだろうに。ねえ、マサキ。テュッティはそれとなくマサキからその首筋に付いている紅斑の意味を聞き出せないものかと思案した。何だよ。早速テレビを見始めていたマサキが、画面から視線を外してテュッティに向き直る。
「お姉さんは何でもお見通しなのよ」
「何だよ。また推理小説の話か? わかったわかった。当て推量も偶には当たるってな」
「もう、そういう話じゃないのよ。お嫁に行く時は云って頂戴って云いたいの」
「はあ? 何を云ってるんだ、突然。それに俺が行くとしたら婿だろ……」
 訳がわからないといった表情でマサキは暫くテュッティを見詰めていたが、やがてその話に発展性がないと思ったのだろう。再びテレビへと。その視線を向けていった。そのつれなさに、はっきりと首筋に紅斑があると指摘すべきかテュッティは迷ったものの、それは無粋にもほどがある。今はこれぐらいにしておこうかしら。テュッティはテレビを眺めているマサキの肩越しに、自身もまたその画面を眺めることとした。