小人さんの大冒険 - 3/3

chapter:(3)小人さんの冒険(或いはセニアとウェンディの憔悴)

 その瞬間のマサキの表情たるや、俗に魔王と呼ばれる世界を滅亡に導く担い手たる覇者たろうと、ここまで剣呑けんのんとした眼光を発しはしないに違いないと思われるほどに凶悪無比で――思いがけず目にしてしまった、マサキの真っ当には程遠い表情に、チカは一歩、また一歩と後じさりかけて、壁を背にしている己の逃げ場のなさを悟る。
「いやああああああああああああああっ!?」
 そうして窓の外、空に活路を見出そうと羽ばたきかけたところで、
 むぎゅ。
 毎度お馴染みのマサキのチカ・ホールド捕縛が炸裂した。
「てっめええええええええええ! そういうことは先に言えよな、ホントにッ!?」
「ま、ままま待ってマサキさんっ! せめて時世の句だけは読ませて下さい! 武士の情けです! 後生ですから、後生ですからあああああっ!?」
「時世の句とか物騒な話にするんじゃねぇよ! どこに居るって!?」
 その手に掴まれている上に、低く押し殺した声で眼光鋭く言われては心臓も縮み上がるうというものだ。チカは全身の毛が総毛立つのを感じながら、「そこまではあたくしでもわかりませんって!」あらん限りの声を振り絞って叫んだ。
「感覚ですよ? 感覚。第六感シックスセンス! いや第七の眼チャクラ? それとも共鳴ポゼッション? どうでもいいですけど、とにかくそんな感覚がするだけなんですよ! 何度も経験していますけれどもね、ホント気持ち悪いったらありゃしない。だからマサキさんもわかるでしょう。いかにあたくしとて居場所まではわかりませんって! そりゃあね、間近になれば方向ぐらいはわかりようがありますけれど、はっきりとした場所までは地理を熟知していなきゃわかりませんよ。そもそもマサキさんの使い魔だってそうでしょう。主人と遠く離れて居場所がわかりますか? あのご立派な雑種二匹は!」
「雑種は余計だろうよ。お前だってラングランでは珍しくもないローシェンのくせに」
 とにかく叫んで怒りを解いたらしいマサキに、チカは叫び疲れてそのまま机の上に伸びる。
「あたくし助けを求めに来た筈ですのに、どうしてこんなに窮地に陥っているのでしょうね……」
「そりゃ日頃の行い」言いかけて、そこで言葉を切ったマサキがちらと扉に目をやる。警戒心を露わにした表情で、全く……と呟くとまたもチカを掴み、「な、ななな何ですか?」
「ちょっと黙ってろ」逃げる隙も与えず、チカを自らの上着のポケットに押し込む。
「ついに実力行使であたくしの口を塞ぐおつもりで!?」
「いいから黙ってろ!」
 手で押さえつけられてはいるものの、一応加減は心得ているらしく、また幾許か余裕あるポケットの広さもあり、それなりに自由の利く状態だ。チカは指の間からそろりと顔を覗かせてみる。
 足音が聞こえる。
 こちらへ向かってくる足音が。
 それもかなり急いでいる様子で、足音が間隔短いリズムを刻んでいる。
「面倒臭ぇんだよ。お前のことを誤魔化すの」
 どうやらマサキはチカの存在を他の家人には知られたくないらしかった。姿形は立派なローシェンであっても、窓辺に寄った鳥にマサキが構うような性分かと問われれば首を傾げざるを得ないのは確かで。
 ――そりゃああたくしがいたら説明に困りますよねえ。
 と、チカが得心した矢先、部屋の扉が勢い良く開け放たる。
「おにいちゃん! 王宮から呼び出し!」
 そこからプレシアが息せきって飛び込んできた。

※ ※ ※

 一夜で千里を疾り、万里を駆ける生物はこの世に存在するのだろうか。
 『そこ』に渦中の物体が登場したのは翌日の明けの刻――常に中天に座する太陽が燦燦と輝くこの地では時刻は一日の行動を計る目安でしかなかったが、時間に相対性を持たせるのに十二分な威力を発揮している。例えば昨日の事の発端から既に半日以上が経過しているなど。
 数時間もすれば丸一日が経過するだろうその時刻、フェイルロードは独り机に向かっていた。
 オーク製の重厚な両袖型の執務机の上には手透きの羊皮紙が一枚、何も書かれることなく文鎮で抑えられている。ペン差しには使いなれた羽根に万年筆、磨き上げられたインク壷には愛用の黒インクと、文字を書くのを躊躇わせる要素は何もない。文字が思い出せなければ、壁際に並んだ書棚から辞書を取り出せばいい。
 だのにフェイルロードは何をするでもなく、羊皮紙を、ペン差しを、インク壷を眺めていた。柔和な微笑みを浮かべ、遠い日々を懐かしむように凝じっと。
 かつてこの部屋でフェイルロードは政務を執り行っていた。元老院議員によって伝えられる諸国の情勢に耳を傾け指令を出し、書類の形で届けられる軍幹部の陳情に目を通し対策を練る。中央集権制、わけても王制では王宮に権勢が集中する。国家の枢軸は王宮であり、王宮こそが国家でもあった。
 時は流れ、情勢はめまぐるしく変化する。
 幾度に渡る戦争はこの国の政治機能に大きな変革を齎した。それが正しかったのかどうかなどフェイルロードには量れない。紡がれる未来を判じるのはそれを過去と見倣す者達なのだから――。
 そうしてフェイルロードが過去に思いを馳せる最中に、それは姿を現したのだ。
 ブックスタンドに挟まれた幾つかの法律関係の書物の裏側からペン差しへ向けて黒い影が目の前を通り過ぎた。と思ったらそれは机から飛び降り、書棚の裏側に回り込んだ。あまりの素早さに興味を誘われ、書棚の裏側を覗き込むも暗く狭い隙間を探れる程に超人的な目を持ってはおらず、やれやれと苦笑し机に戻ると、
「仕事を下さいです!」
 それこそが問題の物体であるとフェイルードが知る由はない。
「これは……また可愛らしい来訪者が現れたものだ」
 意外な来訪者に驚きはしたものの僅かな間。丁寧に机の上で正座をしている小人の真剣な面持ちが、自分の知る人物の面影残すものだと気付くのにさして時間はかからない。
 懐かしい面差しは、幼少時代を思い起こさせる。
「相変わらず方々で悪さをしているようだけれど、その成果かな?」
 彼は穏やかに微笑み、指先でその帽子を撫でた。
「わたたたたた」力の加減が足りなかったらしく、小人はよろめいた。ずれた帽子をくいと直し、「……小人虐待です」口唇を尖らせて呟くものだから堪らない。思わず吹き出してしまう。
「わ、笑わないで下さいなのです! 真剣なのです!」
「これは失礼したね。君は仕事を探しているのかい?」
 仕事、という言葉に反応して小人は即座にいずまいを正した。
「そうです! 仕事をしてお金を貰うのです!」
「お金を溜めているんだね?」
「乗り物に乗りますです! 親切なねずみさんのお陰でやっと王都まで来れたのです! 後少しなので頑張りますです!」
「そのお金で旅をしているのかな?」
「はい、です!」
 威勢の良さは似てはいなかったけれども、その真っ直ぐな眼差しと態度には思い当たる節がいくつもある。
 それはまだ王宮の対立構造も知らなかった幼少時代、その人物は滅多に顔を合わせはしなかったものの、部屋を訪れ会話を交わす折々に。実直だった彼が変節を繰り返し、アイロニストへの成長を遂げたのは……そう思いかけてフェイルロードは首を振った。過去に思い馳せるしか現在の存在意義がないにせよ、禍根にばかり目を遣っても時は戻りはしない。
 どうせなら、幸福な時間だけを胸に抱いておきたいものだ。
 やがて訪れる、その時の為に――。
「ならそこの万年筆を磨いて貰おうかな。キャップの継ぎ目が汚れたままでね」
 フェイルロードはそう言って、引出しからクロスを取り出した。その身丈には大きすぎるかと思いきや、小人は器用に端を手繰り寄せ、更には万年筆まで自力でペン立てから引き抜くと獅子奮迅の勢いで磨き始めた。
「どこから来たんだい?」
「遠くです」顔を上げずに小人は答える。
「ねずみさんに乗って?」
「その前は鳥さんの背中に乗ってましたです」
「大冒険だね」
 その様子につい手を出してしまいたくなるのを抑え、フェイルロードはただ眺めるに留める。また迂闊に倒してしまっては小人が可哀想だと。
 ――芸事、習い事と、『彼』も一度手に掛けた事合いには必死だったものだ。努力を表に出しはしなかったものの、それこそが自らの居場所を確保する方法だと信じて止まず。陰に潜んで口惜しさを、上がらぬ成果に堪えているのを幾度となく見かけた。
 容易く慰めの声を授けては、その自尊心を傷付けるだろうと黙っていたけれども。
 恐らくこうして必死に物事に立ち向かっていたのだろう。フェイルロードは細めた瞳の下で物思いに沈む。
「これでいいですか?」
 磨き上げられた万年筆を取り上げて満足げに微笑み、フェイルロードはクロスを仕舞う。
 代わりにコインを取り出して、
「ご苦労様」
「ありがとうございますです!」
 わあ、と声を上げて小人は五クレジット銀貨に飛びついた。頬擦りしそうな勢いで抱き締め端をしっかと机に押さえつけると、懐から大ぶりの袋を取り出す。
「凄いです。お金持ちです」そこに銀貨を押し込み、背中に担ぐ。
「やっぱり王宮住まいの人間さんは違うのです。太っ腹です」
「私も懐かしい思いをさせて貰ったからね」
 見上げる小さな両の眼の眩さに、フェイルロードは笑いかけて――、

※ ※ ※

「……誰かいるの?」
 扉が開き、セニアが部屋を覗き込む。
 かつての兄が詰めていた部屋は当然ながら人気がない。それもそうだ。彼は先の大戦で命を落としてしまったのだから。
「そうよね……誰かいる筈なんてないわよね。掃除でもしている侍女ならともかく」
 それでも時折、この部屋からは人気がするのだ。常に命じて保たせている室内の様子は変わりないにも関わらず……そしてその手入れの為に出入りする侍女が去る昼時を過ぎようとも。
 まるで今以って尚、彼がこの部屋でこの国の行く末を案じているかのように。
「感傷に浸ってる場合じゃないのにね」
 小さな溜息と共にセニアが扉を閉ざす。
 その足音が遠ざかる。ひたひたと、奥へ。
「――危なかったです」
 その音が消えると共に、先程までの邂逅が彼の人の留まる想いとは知らず、小人はペン立ての影から顔を覗かせた。「あの人間さんと顔を合わせてはいけない気がするのです」
 危機回避能力は野生生物にも劣らず。未だ正体不明の小人が咄嗟の判断で姿を隠したのは幸いだったのか、それとも。
「でもさっきまでの人間さん、どこ行ったですかね?」
 首を傾げて辺りを見渡すもフェイルロードの姿は何処やら。別れの挨拶がないのは失礼かと思えど、居ないものは居ない。仕方なく先程までフェイルロードが居た場所に向かって小人はぺこりと頭を下げ、
「次こそマサキに会うです!」
 決意新たに袋を担いで机からのクライミングを試みる。

※ ※ ※

「役に立たない癖に餌はしっかり要求すんのな、お前」
 マサキが疲弊しきった表情で見下ろしている先で、チカは彼が朝食の席からくすねてきたパンの欠片を啄ばんでいた。
 ポケットに押し込まれたままチカがマサキの出動に同行させられたのは、そのついでにシュウの探索を目論んでいるからだと、彼がその使い魔と合流し魔装機に乗り込むまでの間に聞かされた。近場といえば近場での簡単な掃討作戦――軍の駐留地点から武器を強奪した盗賊団が相手だったのだが、戦時のどさくさに紛れて魔装機を入手したような輩なのだから実力は知れる。軍だけで存分に相手に出来ただろう盗賊団の掃討作戦にマサキが駆り出されたのは、彼らが乗り込んでいた魔装機がそれなりのものであったからだ。軍の装備では火力が及ばない程の。
 とはいえオリジナル魔装機相手に彼らが性能だけで立ち向かえる筈もなく、呆気なく勝負は付いた。盗賊団はその場で軍に引き渡せたし、煩雑な後始末も必要ない。チカはそのままマサキのポケットの中、シュウの探索の手伝いをする筈だったのだが。
「ナビゲートもまともに出来ず、主人と一緒になって道に迷う使い魔よりましですよ! なんですかあれ!? 北に向かえと言えば南に向かう! 気付いたらヌエット海とかどんだけ移動したら迷ってる事実に気付くんですか!? ああもうあたくし何度飛び出してナビゲートを代わりたかったか!」
 そうなのだ。方向音痴という絶対的特技を有しているマサキは、その特技をいかんなく発揮し、王都周辺の探索をラングラン横断小旅行に変えてしまった。
 チカでなくとも怒る。
 だというのに、
「絶対磁場が歪んでるよな」当人には反省の色がない。
「磁場の問題じゃあないでしょっ!? 思いっきり責任転嫁しないで下さいよっ!」
 骨折り損のくたびれ儲けと館に帰還したのは明けの刻も間際。無駄に長くなった道程に疲れきっていた一行はそのまま就寝したものの、左程時間も経たぬ内にプレシアに叩き起こされた。
 これではチカとて自ら食事を探しに出る気力も湧かない。
 かくて飯を寄越せと盛大に騒いでようやく口にしたのがこの食事。朝食の残り物といえど、時間的には昼食である。
「まさか王都からそう離れてない場所で迷うとはなあ」
「方向音痴ここに極まれりですよ。まったくもう……自動操縦付けて貰ったらどうなんですか。こうも激しく道に迷ってばかりで、今までよく誰にも迷惑かけずにこれましたね。あたくしにはそちらの方が不思議でなりません」
「ここで戦ってる分には誰かしら一緒にいるしな。まあ、後ついて行けばなんとかなるっつーか。うん、なんとかなるよな」
「なんとかなっちゃってるのが問題なんでしょうに……」
 改める気はさらさらないらしいマサキの態度にチカは呆れ、言葉を失う。
 その壊滅的な方向音痴が幾度も偶然の邂逅を生み出していたりするのだから侮れないのだが、とはいえ、有事に対峙するのが使命たる操者がそれでは、危機管理能力が不足している――ようにチカには思えてならない。過去の大戦、その混迷の原因の一端はマサキにもあるのではないだろうか。
 他人事ですけど――と、くちた腹を擦って、「で、今日はどうなさるおつもりで?」チカは改めて口にする。
 昨日の今日で探索は、無茶と言えば無茶だ。ある意味万端だった昨日と比べ、疲労が蓄積された状態なのだ。まともな探索が出来るとは思えない。しかしこのままひとところに留まっていては、避けられる騒動も避けられないに違いなく。
「実はお前と二人の方があの野郎を見つけるのは簡単な気がしてる、って言ったらどう思う?」
 それなりに反省していたらしい。
「その意見に賛成するのはやぶさかじゃあないですよ。むしろ諸手を挙げて賛成しますね、ええ!」
「んじゃあ上手いこと奴らの目を盗んで乗り込まねぇとな」
 言うが早い。マサキは立ち上がり、「お前は窓から出てけよ」扉に向かう。
「言われなくともそうしますとも! もうあの狭い空間できりきりするのは真っ平です!」
 チカは空中に飛び上がった。
 部屋をぐるりと一回りして、羽根を慣らす。思えば昨日の夕刻からまともに空を飛んでいない。早々鳥の本能を忘れてしまったりはしないだろうが、やはり気になるものだ。
 ――飛べない鳥はただの愛玩動物ですからねえ。
 使い魔として主人の手となり足となるのに必要な機能を失う訳にはいかない。チカにもそれなりの自尊心はある。そうやって幾度もの修羅場を乗り越えてきたのだ。
 特に問題ないことを確認し、チカは窓枠の縁に羽根を休めた。
 どうせマサキが玄関を抜けるのには一悶着起こるだろう。ここからは玄関が見下ろせる。姿を認めてから飛び立っても充分に余裕はあるだろう。
「ところでご主人様を見つけたらどうするおつもりで?」
 振り返るとマサキが今まさに扉の前に立ったところで、チカはついでと問い掛けた。
「そりゃお前、あいつがまたおかしなことをしてないか問い詰めるに決まってるだろ」
「あたくし自分の身がかわいいのですけど」
「その辺はこう、上手くやってやるよ」
「本当ですかあ?」
 理屈だけなら無理をも通すチカの主人相手に、この馬鹿正直な魔装機操者が気の利いた嘘を吐けるとは微塵も思えないのだが、「まああたくしは隠れて高みの見物と洒落込ませて頂きましょうかね」自分さえ姿を見せなければ何とでも言い逃れはできるだろうと、チカは不干渉を決め込むことにした。
「いざとなったら少しは助けろよ。誰の為に尽力してるのか忘れてないだろうな?」
「忘れてはいませんけど、ご主人様を探すと言ったのはマサキさんですからねえ。それでどうにか収拾が付くというならあたくし俄然やる気になりますけど、根本的な解決にはならない気が99対1ぐらいでしている訳でして」
「それをどうにかさせるんだよあいつに」マサキはドアノブに手を掛けた。「とにかく奴を見つけてからだ」
 無策を露呈する甚だ心許ない台詞と共に彼は扉を開く。
「うわあああああああああああんっ!」
「な、何だっ!?」
 突如として響き渡った声に狼狽えるマサキの足元を見るまでもなく事態が知れ、チカはがくりと頭を垂れた。そうであったらいいのにと、チカも望んでいたマサキの楽観的且つ希望的観測は、やはり叶わなかったのだ。
 聞き覚えのある稚い声音に、それでも一縷の望みをかけてチカはそろそろと面を上げる。「お兄ちゃん、どうしたの!?」階下から聞こえてくるプレシアの声に正気を取り戻したマサキが二歩三歩と先へ進む。「何でもない。ちょっと足を滑らせただけだ」
 咄嗟の嘘にしては上出来である。
「ワックスかけすぎちゃったかなあ」
「どうだろうな。俺が勢いに任せすぎたのかも知れねぇ――まあ、気にするな」
 どうにか誤魔化せたのか、それ以上二人の会話はないまま僅かな時間が過ぎる。プレシアがこちらに上がってくる気配もなく、チカは安堵の溜息を洩らす。予想通りの物体であったなら、関わる人間は少ない方が有難いのだ。
「……お前が言ってたのは『これ』か」
 開いた扉に吹き飛ばされたのだろうか。頭を抑えて泣き喚く物体をその荷物ごと掌に乗せてマサキが部屋に戻る。最後の望みを断たれたチカは言葉なく頷くしか出来ず、それを目にしたマサキは諦めた様子で扉を――閉ざした。

 時刻は少し前に遡る。
 何日目の朝を迎えたシュウはマサキの群れの中で目覚めた。
 一匹二匹ならいざ知らず、相手は五十匹である。払おうとも隙を見つけては側に寄ってくるのだから、寝苦しいだけでなく寝た気もしない。寝ては起きての繰り返しでもある切れ切れの睡眠明けは、一日二日でないだけ精神を消耗させる。
 それでも相手が生物だからと我慢を重ねてきたが、鋼の精神も擦り切れれば折れる。最後の手段と残しておいたそれに手を付ける決心をしたシュウを誰も責められまい。
 彼はそうして深い眠りに就いたままの五十匹のマサキを袋に詰め、五十キロは離れた草原地帯に放流したのだ。
 した――のだが。
 これで漸く本来の目的である情報収集を行なえるとシュウが安堵したのも束の間。
 放流した筈の五十匹のマサキは、シュウの帰還より先に家に戻っていた。

※ ※ ※

「……で、お前はどこから来たんだ」
 泣き止んだと思えば今度は引っ付いて離れない小人の居場所はマサキの肩の上。首に寄りかかるように身体を傾けて、ただ幸せとばかりに無邪気な微笑みを浮かべている。
 邪険にしないのは性格か。しかし無理に引き剥がしたりしない、その選択は正しいとチカは思う。元になっている顔が顔である。ギャップは甚だしく、こうしてその緩みきった表情を直視するのは正直耐え難い。
 なるべく視線を逸らそうと努力はしているのだが、日常に存在しない物体を無視しきるのは難しいのか、それとも怖いもの見たさなのか、ふと気が緩むとそちらに目が向いてしまう。
 チカの胸中など知りはしないだろう小人はといえば、マサキに声をかけられる度に更に相好を崩すものだから、情けないやら遣り切れないやら。
 ――どうしてこんなことになっちゃったんでしょうねえ。
 声にならない声を吐く。
「そこの鳥さんのおうちからです!」
 それは今にも瞳からハートを飛び出させそうな勢いで、小人が言う。
「いや、そうじゃなくてだな……その前だよ。そこの鳥のところに来る前はどこに居たんだ」
「ああ!」チカは羽根を打った。「それは聞いてませんでした!」
 思えばシュウ、或いはマサキがしでかしたものだと決め込んで、チカは碌に小人の話を聞いていなかった。質問をするにはしたが、それは『小人が何を目的としているか』に焦点を絞ったもので、『小人がそれまで何をしてきたか』に関しては一言たりとも聞いていない。
 『誰が関わっているのか』を知るには、それこそが重要な質問であったのに。
「マサキさんって案外賢いですね」しみじみ言う。
「案外は余計だ。で、お前は」
 僅かに顔を向けてはみたものの、小人の姿がマサキから見える筈がない。のみならず、その動きでバランスを崩しかけた小人が、「落ちるのですううううっ!」
 話一つを進めるのも騒動なしでは済まない。
「マサキさん、これで何度目ですか」実に何度目かの騒動にチカは呆れた。
「わかってるんだよ、わかってる。ただどう呼べばいいものかわからないからつい顔を向けちまうんだよくそあの野郎! 会ったら絶対〆てやる!」
「それは八つ当たり以外の何物でもないじゃないですか。いいですけど……えーと、それでそこな小人さんはあたくしのところに来る前はどちらにいらっしゃったんですか?」
「山の中です」小人はしっかとマサキの首にしがみ付いている。
「どこの山だよ」
「高い山です! 下りるのにすっごい時間がかかったのです!」
「とってもわかりやすい答えですね」
「地名が出るなんて都合のいい展開は期待しちゃいなかったけどな」
「でも、あたくしのところで突然出現したんじゃないってことはわかりましたよ」
 そうだ。それは大きな収穫だ。
 少なくともシュウがあのねぐらに残していった生成物の一つではないことがこれではっきりした。
 この調子で質問していけば、この物体の発生元を突き止められるかも知れない――俄然やる気が沸いてきて、チカは次の質問を口にする。
「その前にはどこにいたんですか?」
 僅かな間が空いた。
「……覚えてないです」
「空でも海でも川でもなんでもいいんですよ? その前にいた場所で覚えているものってあります?」
「ないです。真っ暗です」
「ってことはマサキさん!」チカはマサキを振り仰ぐ。「この物体は山で生まれたんですよ!」
 鼻息荒くなるチカに対して、マサキは勢いに押されたか、既に諦めの境地なのか、小人が転がり落ちないよう配慮しているのか――大した表情の変化もないままに、
「そりゃそうとしか考えられないけど、この物言いだと生まれたっつーより」
「発生した、ですよね!」
「だとすると、尚更、あいつの仕業にしか思えないじゃねぇかよ」
「いやいや結論はまだ早いですよ! あたくしは逆にご主人様のしでかした可能性が低くなっているのを感じているんです!」
 チカは更に勢いづく。
「山から下りるのにかかった時間わかります? まさかずっと起きっぱなしで始終山を下りていたんじゃないですよね」
「眠くなったら寝ましたです」
「何回寝ましたか? 大体の回数でいいんですよ。ゆっくり思い出して下さい」
 場所がわかれば次に突き止めるべき内容は、時間だ。
 高い山がどれだけの高さであるのか、そもそもの大きさが大きさである。比較の対象が異なる以上、『高い』を文字通りに受け取る訳にはいかない。丘であってもこの小人にとっては充分高い山になるのだ。そしてその対象となる場所は無数に存在している。
 だからこそ時間が重要になるのだ。
 もしシュウが生成した物体であるならば、それをその場所で成せる時間は限られてくる。
 チカの目の前に小人が現れた時点で、シュウが姿を消してから十日ほどが経過している。その間、シュウが何処を辿ったのかは不明だが、今現在この近郊にいるのは間違いなく、しかも昨日今日と遠くへ移動する気配は窺えない。目的地は現在地点周辺と断定してもいいだろう。
 小人をシュウが生成出来るのは、この期間。僅かに十日に満たない期間だけだ。
 それ以前は有り得ない。
 シュウがどれだけ怠惰な生活に身を任せていたのをチカは知っているのだ。
「これだけです」
 小人は記憶を辿っていたのだろう。指折り数えていたが、顔を上げるとその手を突き出して宣言する。
「六回ですか」
「少ないっちゃ少ないよな」
「途中で転がり落ちたりして大変だったのです」
「その冒険活劇は後々マサキさんにゆっくり語って頂くことにしまして、そこからあたくしのところに来るまで何日かかりました?」
「三回寝たのです。やっと見付けたおうちだったのです」
「こいつ一日にどれだけ移動出来るんだろうなあ」マサキが腕を組んで唸る。
「普通に一日をあたくしたちと同じスピードで過ごしていると考えますとですね、先ず間違いなくご主人様の仕業じゃないんですよ」
「本当かよ」
「本当ですとも!」チカは宙に舞い、マサキの鼻先に顔を付き合わせる。
「まあそれまでの半月あまりのご主人様のだらけっぷりときたら! あれは何かの反動なのですかねえ? やもすると一週間ぐらい不眠不休で研究に没頭したりする癖に、それと同じ勢いで何もしないという生活を送るんですよ! それこそ半月の間、一歩足りとも外に出ようともせず!」
 多分に厭世的な気質を持ち合わせるシュウは、そうして外界との接触を、思い立った風に断つのだ。
 元々が隠者のように内に篭る習い事を好む性質である上に、他人づきあいを好まない性質でもあるのだから、その傾向が強まるのを多少ならずともチカとて把握している。しかしチカは、鳥として自由に羽ばたく羽根を持ち、わけてもタブーを持ち得ない性格に生まれつき、各地を転々とする生活に身を置いてきた。
 不意に訪れた――否、以前から薄々勘付いてはいたものの、思った以上に訪れの早かった戦後の空白に慣れるのにはそれまでの激動の日々との落差が大き過ぎた。
 何かしていないと落ち着かない。
 それは主人に対する不満と化す。
「大体今更のんびり生活出来ると思ってるんですかね? どうやったっておたずね者なのは変わりゃしませんし、かといって正義を標榜するのもご主人様らしくない! だったらいっそダーティ路線を突き抜けろってんですよ! もっと大きな花を咲かせろって話です。そして散り際潔く! どうせ一度死んでるんですから二度死んでも一緒ですよね? 勝てば官軍。負けても歴史に名を残せれば充分勝ちですよ。それが悪名かどうかなんて後の歴史家が決めることなんですから」
 一気に捲し立て、「そうじゃありません?」とマサキに同意を求める。
「そうじゃありません? じゃないだろ。俺はそれは困るんだよ、立場的にも」
「そうは言っても、マサキさんだって刺激のない生活はお嫌でしょ?」
「今でも充分刺激的だ!」
 こいつだってそうだし――とマサキは肩の小人を指差し、「昔と何も変わってないどころか被害が増してるだろ」何かを思い出した風に拳を握り締めた。
「無意味に人の戦闘の邪魔をしてみたり」
「折角の機体がなまくら刀になったら困るじゃないですか」
「誤解を招くような場所に入り込んで騒ぎを引き起こしたり」
「まだまだヴォルちゃんへの報復諦めてないですからねえ」
「使い魔を全員人間にしてみたり」
「あれはいい経験でした」
「セニアやウェンディをけしかけて、魔装機に変な機能を加えさせてみたり」
「そりゃご主人様とて練金学士の端くれですもの」
「リューネの神経を逆撫でして余計な誤解を振り撒いてみたり」
「嫉妬に狂った女は怖いですよねえ」
「立体ホログラフを使って都市伝説を発生させてみたり」
「あれは精霊干渉波の解析でしたっけねえ」
 マサキの熱い問題提起とチカの冷めたコメントの応酬が続く。
 その最中に、どちらかが外の気配に耳を傾ければ、その惨事は避けられただろう。
 しかし我を忘れたマサキとそれを面白がって惚けるチカと、両者の遣り取りを目を丸くして眺め入る小人の組み合わせでは、誰一人としてそれに気付く余裕がなく。
「その精霊干渉波を自動的に発生させて俺を迷わせてみたり」
「普通はその程度で迷ったりしないんですけどね」
 そうしている合間にもひたひたと迫り来る惨事は、直前までに辿り着き、今まさにこの場に訪れようとしている。

 この瞬間に。

「どれもこれも迷惑千万極まりないんだよてめーの主人は!」
 扉が開く。
「随分な言い草ですね」
 その背後には困惑顔のプレシアが立っている。
「ご、ご主人様!?」
 チカは度肝を抜かれる。
「な、ななななんでてめーがここに!」
 マサキは狼狽している。
「そっくりさんです!」
 小人は目を白黒させている。

「その言葉はそっくりそのままあなたにお返ししますよ、マサキ」
 シュウは三者が集う机の前につかつかと歩み寄ると、小脇に抱えていた袋の中身をばら撒いた。
 転がり出る五十匹のミニチュアマサキに――阿鼻叫喚。
「さてじっくりと――あなた方に経緯を説明して頂きましょうか」
 ベットに腰を降ろしたシュウが悠然と足を組み、斜に構えて見遣る。

 波乱は未だ、終わりを告げるどころか益々以って遠くなるばかり。

※ ※ ※

「それで、途中経過の集計なんだけど」
 セニアとウェンディは差し向かいになって、卓上ディスプレイを眺めている。
 そのデータボックスに繋げられたディスケットには、これまでセニアが収集したデータが詰まったディスクが挿入されていた。
 ディスプレイには種々様々なグラフ。世代分布、地域分布、職業分布、と……ひとつ確認しては次の画面に切り替える。
「比率としては『妻、夫、兄弟姉妹等の近親者』が半数以上を占めるのですね」
「嫌いだの気に入らないだの憎いだの、負の感情っていうのは近い関係の人間になればなった分強まるのね」
「予想以上に『周辺諸国の特定人物』が少ないのは」
「概念的なものだからじゃない? 個人に対して向けるというより、シュテドニアスならシュテドニアスという国家、バゴニアならバゴニアという国家っていう」
「最も出易いだろうと思っていた兵士にしても『上官、同僚』が傑出してますものね」
 そうして一通りグラフを確認した後、レポートに目を通す。

 ――一週間前に現れた奇妙な小型の生物。妻に酷似。かいがいしく世話を焼きたがる性格は可愛らしいと思えるが、可愛らしいと思うからこそ妻本人に対する嫌悪が増す。(ギャバリー州/55歳/男性)
 ――登場は五日程前。当日には軍事演習を近郊で行っていた。上官似の小型生物は顔立ちからして憎らしい。追い払うも消えず。打ち据えたり叩き付けたりしてみるも死なない。ノイローゼ気味。(キナ州/27歳/男性)
 ――兄が自分に似た小動物を夜中に虐待しているのを目にする。ショックで塞ぎ込み、部屋から出てこなくなる。(ナブロ州/7歳/女性)
 ――複数の小型生物が発生。戦時に自分の足を撃った兵士の顔を持つ。逃げても逃げた先に沸いて出る。まるでこちらの行動を先読みしているようだ。気味が悪い。しかし生き物だと思うと安易に殺せない。(バランタイン州/36歳/女性)

「勿論、こんな否定的レポートばかりじゃないんだけど」
 セニアは苦々しい表情で、額に当てた手で前髪を掻き毟る。
「効果期間は残り一週間程ですけれど、解除してしまいましょう」
「読みが甘かったわよね」
「申し訳ありません……」
 ウェンディは悄然と肩を落とす。
 『平和推進プログラム』と名付けられたコードを設計、開発したのはウェンディだった。
 コンセプトは負の感情の軽減。諍いや対立の根源が相手に対するそれらの感情にあるのだとすれば、それを緩和することは争いの解消に繋がるのではないか――個人間の対立を国家間の対立に置き換えれば、戦争根絶も夢ではない。
 生物が本能的に庇護欲をそそられる形状である幼児期の姿を、憎み、嫌い、厭うそれらの対象でもって投影対象たる魔法生物に取らせたのは、だからだ。長期的に付き合ううちに転移が起こり、元の対象にも愛着が沸くようになると彼女は予測していた。
 ラングラン全土に影響を持つ調和の結界に実験用コードを仕込み、発動に漕ぎ着けたまでは良かったが、予測は必ずしもその通りの結果をもたらすとは限らない。
「GOサインを出したのはあたしよ」
 セニアは笑いながら言い切った。
「責任はあたしにあるの」
「予測が甘かったのは事実ですし、立案した以上、全ての責任は私にあります」
 決然と言い放つウェンディにセニアは肩を竦める。
 日頃おっとりとした性質の彼女は、こと練金学が絡むと別人とまごう強情さを発揮する。調和の結界にせよ、魔装機にせよ、最終的な決定権はいつだって政治機関にあるのだというのに。
「でも面白いデータだと思うのよね。この辺りとか」
 セニアが辿って見せたのは、キナ州の兵士とバランタイン州の女性のレポートだった。前者は出現のタイムラグを、後者は複数の出現を記している。
「不謹慎ではありますけど、それは認めます」
「現象が一定じゃないのが不思議よね」
「仮説ですけれども、被検体の精神に依存しているのではないでしょうか」
 例えば、と彼女は言葉を継いだ。

 感情全体のキャパシティにおける占有率が高ければ、一体に留まらず複数発生する。同率の存在が複数、或いはそういった対象が存在しなければ発生しない。
 彼らは魔法生物であるが、彼らそのものは魔力を有していないのであるから、被験者が高速で移動すれば出現に時間がかかるのもやむなし。いや、その移動力さえも被験者の精神に依存するのかも知れない……。

 等々、可能性を逐一上げてみせると何を思ったか、セニアが声を上げて笑う。
 怪訝そうに様子を窺うウェンディに、
「そういや昨日、マサキにそれとなく聞いてみたのよね。何かおかしなことが起こってないかって。でも何もないって言うのよ。思い返してみればマサキ、あの日はザボール州に出動してたのよね。一番いいサンプルになると思ってたのに残念だわ」
 益々笑いを強め、セニアは哄笑する。
「それにその仮説が正しいのだとしたら」
 高く、良く通る笑い声が響かせ、

「あの男なんて今頃大変な目に会ってるんじゃないかしら!」