春幽けき日にありったけのお返しを - 3/6

Scene 2.ザルダバの街にて

「久しぶりだな、マサキにザッシュ」
 ザルダバの街にほど近い軍の駐屯地。格納庫にサイバスターとガルガードを預けたマサキとザッシュが魔装機を降りると、どうやら先に着いていたようだ。ローリングタワーを下りきるより先に、ファングが格納庫内に姿を現わした。
「本当に久しぶりだな、ファング」
「ご無沙汰です、ファングさん」
 この辺りの土地は日射しが強いと聞く。すっかり日に焼けて黒く染まった肌を晒しているファングに、随分と名馴染んでいるみたいじゃねえか。タワーを下りきったマサキはファングの額を小突きながら言葉を続けた。
「王都の警備を放り出して何をしやがっていたのかと思えば、調査を続けてやがったとはな」
「成果は出したんだ、そう嫌味を云うな」
「スタンド・プレーは俺の専売特許だったんだがな」
「違いない」白い歯を零しながらファングが笑う。
 マサキの言葉に心当たることがあったのだろう。事実を口にしただけのマサキだったが、こうも愉し気にファングに応えられては、気まずさを感じずにいられない。あの頃は俺も若かったんだよ。思わず口を衝いて出た云い訳じみた台詞に、過去を振り返るほどの年齢としか。と、ファングは更に笑った。
 今となっては懐かしい過去だ。
 魔装機操者にはストイックなまでの自律が求められる。平時であろうと羽目を外すのは禁物。無断で姿を眩ますなど以ての外。有事がこちらの都合に合わせて訪れてくれない以上、求めに応じて出動出来る態勢を整えておくのも魔装機操者の務めだ。
 かつてのマサキは、魔装機神の操者としてどう振舞い、どう行動すればいいかわかっていなかった。自らの心のままに忌憚なく意見を述べ、自由闊達に振る舞うマサキに、王宮騎士団の一員として節度を求められる立場にあったファングは、相当な屈辱を感じていたようだ。強く当たられることはなかったものの、打ち解けられることもない。あの頃のお前が憎らしかった――そう述懐したこともあったファングは、今ではこうして軽口を叩くまでに、マサキに心を許してくれている。
「今でも十分若いだろう」
「そうなんだけどよ。精神的に成長したっつうか」
「そうしたことを口にしている間は、まだ子どもだと云うんだ」
 仕返しとばかりに額を小突いてくるファングに、マサキは頬を膨らませた。
「まあ、いい。それで例の双子についてだが、何か妙な能力でも持ってやがるのか? セニアにそこのところを確認するようにって云われてるんだが」
「今日の午後にも彼女らのステージがある。チケットは手配済みだ。先ずはその芸を見てもらおうか」
 余計な先入観を持たずに判断して欲しいというセニアの考えもあって、マサキたちは件の双子の能力を知らないままザルダバの街に向かうことになった。
 その思いはファングも同様なのか。それとも事前にセニアから云い含められているのか。先に双子のステージを見るよう勧めてくるファングに不安を感じながらも、マサキはそれがどういった芸であるのか様々に想像した。
 ジャグリング、火の輪くぐり、猛獣使い……マジック・ショーやサーカス芸も広義の大道芸だ。果たしてショーのステージで起こる『奇跡』とは何であるのだろう? 預言書にわざわざ奇跡と表記されたからには、ただの大道芸ではない筈だ。マサキは軍部への挨拶もそこそこに、今回の任務の目的地となる西の街ザルダバに向かうことにした。
 20kmほど離れたザルダバの街までの移動には、軍部が車を出してくれるという。
 王都の警備が上手くいかなかったことで、情報局との関係が悪化している軍部ではあったが、それまで歯牙にもかけていなかった『預言の実現』論を検討するぐらいには、潰された面子の回復に躍起になっているようだ。
 それも無理なきこと。鼠一匹通さない警備体制を魔装機操者と協力して敷いておきながらの失態は、国王や王宮が無事だったからこそ、さしたる処分もなく済んだのだ。次がないことは彼らも理解しているのだろう。ささやかながらも彼らがマサキたちに協力体制を敷いてくれているのも、そうした背景があってこそ――マサキは運転手を務める兵士に軽く挨拶をしてから迷彩車両に乗り込んだ。
「この辺りは日差しが強いとは聞いていたが、かなりのものだな」
「必要だったらボンネットでも被るんだな」
「冗談じゃねえ。あんな女子どもが被るモノ。そもそも日焼けを恐れてテロリストの相手が出来るかよ」
 焼けた大地を往く車の内部は揺れが激しい。
 マサキは目を細めて、窓の外を流れるラングラン西部の景色を眺めた。強い日差しが顔面に降り注ぐ。ファングに対して口では反発してみせたものの、日除けとなる何かは買い求めた方がよさそうだ。
 しかし地上とは異なる民族風習を持つラングランとあっては、日除け用の被り物といったところで、キャップや幅広のハットといった地上的なデザインは望めなかった。ファングが口にしたように後頭部から髪全体を覆うボンネット、或いは目を除いた頭全体を覆うバラクラバ……俺の格好であれを被るのはな――珍妙なことにしかならないだろう自らの姿を想像して、マサキは眉を大きく歪ませた。さりとてこのまま何もせずに済ますのも……などと日除け対策を考えていると、注意が逸れていたからだろう。唐突にザッシュの声が耳に飛び込んできた。
「東部の調査は芳しくなかったと聞きます。こちらで成果が出たのは幸いでした」
「何だ? 俺に対する嫌味か」マサキは反射的に言葉を吐いていた。
 セニアの命令通りに帰還を果たした結果、成果を出せずに終わった東部地方の調査。片や、セニアの命令を無視して調査に励んだ結果、思わぬ成果となりそうな西部地方の調査。そこを対比させるようなザッシュの言葉は、東部地方の調査に赴いた側であるマサキとしてはいたたまれなく感じられる。
「そんなことはありませんよ。ああいった断片的な文の連なりからなる詩編を解読するのは、僕たちにとっては畑違いの仕事ですからね。空振りに終わるのも已む無しです。ですから幸いなんですよ、マサキさん。預言書の第一篇第三節と第四節は対になっている預言のようですから」
 確かに。と、マサキはザッシュの言葉に深く頷いた。「こっちで預言の実現を食い止められれば、東側の預言の実現も食い止められる可能性が高い。大山鳴動して鼠一匹、空振りだった、なんてことはご免だぜ、ファング」
「その時にはまたこの辺りの地域を虱潰しに当たればいいさ」
 生真面目な性質であるファングは、預言書問題が防げる可能性のある惨事であるからこそ、そのまま放置してはおけないと考えているようだ。さらりと恐ろしいことを口にしてのけると、口の端を不敵に吊り上げた。それも尤もなこと。ファング=ザン=ビシアスというマサキの兄弟子は、マサキとは対極的に地道な努力を積み上げられる勤勉な男なのだ。
 そのファングがふと、マサキの手の甲に視線を落としてきた。
 恐らくは小指に嵌まっている指輪が気にかかったのだろう。何だよ、とマサキが左手を庇いつつファングに尋ねれば、お前が指輪をするとはな。既に何回となく他の面子から聞かされたた台詞を今また聞かされる。
「俺がファッションで指輪をするのがそんなに可笑しいことかね。どいつもこいつも意外そうなことばかり口にしやがる」
 とうに皮膚に馴染んだ指輪であるとはいえ、改まって誰かの目に留まると気恥ずかしさが先に立つ。しかもその内側には、大した文言ではないにせよシュウからのメッセージが、そのかつての名とともに彫り込まれているのだ。マサキはそっと左肘を窓枠に凭れかけさせた。そうしてファングの不躾な視線から指輪を逃す。
 その不自然な動作を目にして、道中であれだけマサキをおちょくってみせたザッシュが大人しく黙っている筈がない。彼は即座にファングの向こう側からマサキの方へと、顔を覗かせてくると痛烈なひと言を放った。
「え、でもその指輪ってプレゼントですよね?」
「プレゼント? 何だ、マサキ。お前も隅におけないな」
「でしょう、ファングさん。結構品のいいファッションリングですよね。薬指、なんてあからさまじゃないところがまた控えめで可愛らしい。知ってます? 小指の指輪はピンキーリングって云うんだそうですよ」
「俺が選んだ指輪なんだよ、ザッシュ! お前はさっきの俺との会話を忘れたのか!」
 本当に油断も隙もありはしない。放っておけば際限なく余計なことばかりを口にしそうなザッシュに、マサキは声を荒らげた。犬のように人懐っこい笑顔の下に邪悪な本性を隠し持っている彼は、自身とリューネとの仲を進展させる為なら、マサキの名誉が傷付くことも厭わない。ファングにマサキとシュウとの仲についての疑念を植え付けるぐらいは平気でするだろう。
「僕が云わないって云ったのは料理の件だけですよ。指輪の件は別件です」
「俺の名誉に関わる問題なのは一緒なんだよ! 黙れったら黙れ!」
「どうせファングさんの耳にも入ることですよ。偶々こちらで調査に勤しんでいたから知らないだけで、向こうに戻ったら直ぐだと思うんですけどねえ」
「そういう情報が筒抜けな状態が良くねえって云ってるんじゃねえかよ……俺にだって秘密にしたいことはあるんだよ……わかれよ、そのぐらい」
 憔悴して項垂れるマサキに、無骨で感情表現が苦手ながらも仲間思いな男であるファングは気掛かりを感じたようだ。秘密にしたいこと? と、マサキの顔を覗き込んでくる。
「その指輪に何か問題があるのか」
「いいんだよ、ファング。お前は知らなくていい」
「マサキさんがいずれお嫁に行くって話ですよ」
「本当にお前は余計な口を慎む気がないな! 実力行使で黙らせるぞ!」
 きょとんとした表情のファングを尻目に、マサキは彼の背中側から手を回すとザッシュの頭を掴んだ。それを笑っていなすザッシュ。お前らは騒々しいこと他ないな。彼からはマサキとザッシュが寄ると触るとじゃれ合っているように映っているのだろうか。満ち足りた表情で呟くファングに、誤解にも限度があるだろ――と、マサキは呟かずにいられなかった。
 その頃にもなると街も近くなっていた。
 砂煙を上げながら乾いた大地を走る軍の迷彩車両。その窓の奥に映る輝ける白壁が立ちはだかる。
 ザルダバの街を囲う城塞だ。
 ファングに尋ねたところ、領主制度が有効だった時代に造られたものであるらしい。調和の結界が機能している現在となっては過去の遺産でしかないが、城塞の各部には砲門も設置されているのだとか。弾は打ち出せないようになっているようだが、近くまで寄って大砲を触ることも出来るようだ。
「任務が無事に片付いたら寄ってみるのも一興だぞ。前史時代の戦いの歴史が知れる」
「まあ、今更大砲を触る機会もそうないしな。後で寄ってみるか……」
 ファング曰く、ザルダバの街はバゴニアの国境近くにあるということもあって、ラングランとバゴニアの文化様式を折衷したような景観であるらしい。異国情緒に満ちた街は、歩いて回るだけでも観光気分を味わえるのだとか。
 人口は三万人。大都市には遠く及ばないものの、集落としては規模が大きい部類に入る。
「しかし乗り心地良くとは行きませんね。そろそろ足がきつくなってきました」
 乾いた大地は決して走り心地良く――とはいかない。頻繁に襲いかかる大きな揺れにザッシュが声を上げた矢先、目の前に道路が迫った。どうやらザルダバの街に入る交通網にぶつかったようだ。
「ここまで来ればもう少しだ。辛抱するんだな」
 ファングの言葉にマサキが高くそそり立つ壁を見上げれば、そこから突き出ている時計塔が昼を告げていた。

※ ※ ※

「思ったより規模の大きい街ですね。人口三万人とは思えない」
「以前の領主がやり手だったようでな。周辺地域の交易拠点とすることで、発展を遂げていったのだそうだ」
 程なくして城門前に到着した車より、マサキたちは街へと降り立った。篭るような熱気。照り付ける日差しが頬を打つ。
 丁度いい頃合いだとファングが呟く。午後のステージに余裕を持って入れる時刻に到着したことで、昼食を取る時間があるらしい。先に飯を済ますか。ファングに問われたマサキとザッシュは、そろそろ空き始めている腹にそれぞれ頷いた。
 巨大な城門を潜り抜けてゆく車や馬車の群れ。交易の拠点だけあって、積み荷を搭載した乗り物が多い。それを避けるようにして城門へと身体を潜らせて行けば、白壁も目に鮮やかなザルダバの街並みが姿を現した。
「海近くの街にも似た景観ですね」
「通気性を高く保たないと、この暑さでは身体が持たないからだろう」
 そうしてマサキたちが街に一歩入った瞬間だった。
「何だ。あっちの通りが騒がしいようだが」
「治安部隊の姿が見えますね。何かあったのでしょうか」
 大通りの奥にある四つ辻に人だかりが出来ている。拡声器を手にした治安部隊が退くように声をかけているが、人混みは増えるばかりで減る気配がない。少し離れたマサキたちの許にまで野次馬たちのざわめく声が聞こえてくる。
「とにかく行って様子を見てみるか」
 異変を悟ったマサキは、ファングとザッシュを伴って、急ぎ四つ辻へと向かった。物々しい一団、武装した治安部隊が野次馬の群れの向こう側で、角にある四階建ての建物を囲んでいる。
 ――ファングさんに、マサキさん。
 肩を並べて様子を窺うマサキとファングの背後に控えていたザッシュが、程なくして小声で囁きかけてくる。周囲の野次馬の話に耳をそばだてていた彼は、早くも現在起こっている異変がどういった状況にあるかを把握したようだ。
「立て籠もり犯のようです。銃を武器にアパートの住人を人質にしているらしく、治安部隊としては迂闊に踏み込めない様子であるのだとか」
 ふむ、とファングがマサキに視線を送ってくる。成程、とマサキもまたファングに視線を送った。それでザッシュは全てを察したようだった。行きますか、とひと声上げると、率先して人いきれを縫って歩んでゆく。
 人の薄い所を右に左に。決して薄くはない人垣を、そうしてザッシュはひと足先に抜けたようだ。すみません。穏やかながらも有無を云わせない声が、野次馬を整理している治安部隊員にかけられる。
「魔装機ガルガードが操者、ザシュフォード=ザン=ヴァルファレビアです。立て籠もり事件が発生したと伺いました。助力を申し出ます。現在の状況はどうなっていますか?」
「これはザシュフォード様!」声をかけられた治安部隊員が直立不動で敬礼の姿勢を取る。
 彼は後ろに続くマサキとファングにも気付いたようだ。驚きに目を見開くと、どうぞこちらへ――と、マサキたちを、治安部隊が陣取っているアパートの入り口前へと先導していく。
 野次馬たちの視線がマサキたちに刺さるが、そんなことを気にしている場合ではない。治安部隊員たちが群れ成す中を抜け、現場の指揮権を持つ部隊長と顔を合わせる。目つきの険しい初老の体格の良い男は、慇懃にマサキたちを迎え入れると、事件の詳細について語り始めた。
 連続強盗傷害容疑で身柄を拘束される予定だった男は、ギャングの一員として以前より治安部隊にマークされていたようだ。ようやく尻尾を掴んだ矢先の逃走劇。朝方、住処を訪れた治安部隊に発砲して逃走を図った男は、数百メートル先にあるこの建物に逃げ込むと、騒ぎを聞きつけて顔を出した住人を人質に取って立て籠りを計り、自身の容疑の取り消しを要求したのだという。
 アパートの二階の西部屋。男が立て籠っているらしい部屋をマサキは見上げた。どうやら弾倉に込められた弾が全てはないらしく、定期的に発砲音が繰り返し響き渡ってくる。所持している弾の数は不明だが、人質の消耗具合を考えると、弾が尽きるのを待つといった消極的な解決策は望まない方がいいだろう。マサキはファングやザッシュとともに、男が立て籠もっている部屋への突入手順を話し合った。
「治安部隊が制圧してるのは階段までか。部屋の間取りはこれ、と。窓は一箇所。ベランダはなし。玄関ドアから窓まで一直線に部屋が伸びてるタイプの1K、となると」
「玄関ドアと窓から挟み込むのが効率的だな」
 マサキの説明を聞いたファングが、部屋の間取りに目を落とすことなく云ってのける。
「それなら、僕が通路を制圧しつつ、玄関ドア回りの戦闘領域の確保をしますよ。曲芸は得意ではありませんし」
 名乗りを上げたザッシュに、窓からねえ。呟きながらマサキは今一度、部屋の間取りを眺めた。玄関から窓まで居住スペースが一直線に伸びてはいるものの、キッチン脇にはトイレを併設したユニットバススペースがある。
「水回りに立て籠もられると厄介だが」
「そうなったら引き摺り出せ。そんなに広いスペースでもなかろう」
「軍隊式ですね」
「お前らのやり方は相変わらず荒っぽいな」
 マサキは苦笑しつつもふたりの提案を受け入れた。
 極限状態に置かれた人質のことを思うと、あるかないかもわからないリスクを案じて四の五の云っている暇はない。加えて今後のスケジュールとの兼ね合いもある。マサキたちがバカンスでこの街に来たのではない以上、ゼフォーラ姉妹のステージが始まる時刻までには事態の解決を図らなければならないのだ。そうである以上、どこかでは強硬策を取る必要に迫られることもある。
「インカムはあるのか? なきゃ時刻合わせで突入するが」
 ザッシュが治安部隊に尋ねてきてくれたところでは、どうやらレシーバーはあるものの、インカムまでは準備してきていないとのことだった。それならば――と、マサキは覚悟を決めて腕時計に目を遣った。多少のもたつきはあったものの、急いで男の身柄を確保すれば、余裕で開演時間には間に合う。
「腹も減ったし、さっさと済ませるぞ。五分で玄関ドアと窓を確保して、五分で人質の救出と犯人確保だ」
「お前が一番荒っぽい気がするがな」
「魔装機の操者たちの方がよっぽどですよね。それと比べれば軍隊式なんて可愛いものですよ」
 そうは口で云ってみせるふたりだが、そのやる気は充分なようだ。高揚感に支配された表情。さりとて好戦的というほどでもない。それは、すべきことをこなせる実力を有しているからこその余裕の表れだった。
「いいから時間を合わせろよ。五分後に突入だ。犯人確保はお前たちに任せるからな」
 不敵な笑みを浮かべているふたりに各々時計を合わせるように告げたマサキは、その終わりを待ってから、作戦開始の号令を発した。十二時二十五分イチフタフタゴー作戦開始! その言葉に頷き合ったザッシュとファングが勝手知ったる様子で動き始める。
 治安部隊が列を開く間を縫って階段を上がってゆくザッシュに、アパートの裏手に回り込むファング。ファングの後を追ってアパートの裏手に回ったマサキは、壁を背にして立っているファングと少しばかり距離を取った通り側に立つと、即座に彼に向かって助走を付けて迫った。
 腰を落としたファングが、腹前に突き出した腕の先で指を組む。マサキは僅かに開いている彼の手の平に足を引っ掛けた。次の瞬間、マサキの身体は腕を振り上げたファングによって、宙に放り上げられていた。
 足を縦にして立つのがやっと程度の一階のひさし部分。二階の窓柵を掴みながらそこに身体を収めたマサキは、下にいるファングに向けて手を伸ばした。流石は戦士の身体能力だ。ファングは壁を蹴り上げて宙に身体を浮かせると、マサキの手を掴んだ。そしてたった一本の腕の力を頼りに、マサキの隣へと身体を滑り込ませてくる。
「狭いな」
「そう思うなら更に上を目指せよ。窓ガラスを蹴破りながらの突入も絵になるもんだぜ」
「蜂の巣になる可能性も高いがな」
「よく云うぜ。トリッキーな動きを得意としていやがる癖に」
 声を潜めて会話をしながら、時計の時刻を確認する。残り二分弱。パン、パンと乾いた音が連続して響いてきているのは、階段から玄関ドアを目指しているザッシュに対する威嚇射撃であるのだろう。ならば少しぐらい室内の様子を探っても、犯人に悟られることはなさそうだ。マサキは開きっ放しになっている窓から内部を窺った。
 素通しになっている部屋の奥、細く開いた玄関ドアに密着して立っている男は、その小脇に確りと人質の女性を抱え込んでいた。残り一分弱。ファングと足並みを揃えて背後を取れば、人質の解放は容易であるように思われるが、追い詰められた人間はこちらの想定を上回る行動に出るものだ。マサキは窓柵を握り締める手に力を込めた。立て続けに鳴り響いていた発砲音が止む気配はない。残り十秒。
 行くぞ、とマサキはファングに囁きかけた。
 窓柵を掴んだ手を軸に宙へと身体を躍らせたマサキは、そのまま室内へと飛び込んだ。そして男が振り返るのと同時に床を蹴った。男の背後で玄関ドアが勢い良く開け放たれる。その奥より満面の笑みを浮かべたザッシュが姿を現す。瞬間、男はどちらに銃を放てばいいのか迷いを見せた。今しかない。いつしか肩を並べていたファングとともに男に迫ったマサキは、先ず男から人質を奪い取ると、後のことはふたりに任せるとばかりに窓辺へと。人質を庇いながら男との距離を開けた。
「覚悟を決めるんだな」
「余計なことをしなければ、刑期も短く済んだのに」
 ファングとザッシュのふたりに前後から首を挟み込むように剣を突き付けられた男は、ようやく自らが置かれている状況に理解が追い付いたようだ。諦めの表情を浮かべると、その手から銃を落とす。どうやら男はこのまま大人しく捕縛されるつもりであるらしい。
 マサキはザッシュに合図を送った。
 頷いた彼が通路に向けて合図を送ると、階段側から治安部隊が上がってくる靴音が響いてきた。行くぞ。とファングが男に動くように命じる。しおらしく頷いてみせた男からは、最早、抵抗の意思は微塵も感じられない。
 あれだけ無尽蔵に銃を撃ち続けた男の呆気ない最後。幾ら男がギャングの一員であろうとも、所詮は一般人。戦士三人を向こうに回して勝てる立ち回りが出来るほど、身体能力には恵まれていないのだ。
 だというのに。
 治安部隊にその身柄が引き渡されようとした瞬間だった。男は目を見開くと、な、何だ? と、途惑い気味に言葉を発した。次いで身体を極端にぶるぶると震わせ始めると、ああ、ああ! 聞くも悲痛な声を上げながら治安部隊の拘束を振り切って、マサキたちが伏せている方へと突進してきた。伏せろ! マサキは女性を庇うようにして床に伏せた。だが、男の目的は人質やマサキにあるのではないようだ。
「た、助けてくれえ……っ!」
 必死の形相で迫ってきた男は、マサキたちを無視して窓辺に乗り上がると、助けを求める悲鳴を上げながらも躊躇うことなく。宙へとその身体を躍らせていった。

※ ※ ※

 地面に身体を叩きつけて絶命した男の後始末に追われること三十分ほど。現場の片付けが無事に済み、周辺道路の通行規制が解除されたところで、マサキたちはセオドア姉妹がステージを務める娯楽施設へと向かうことにした。
「納得はいかんな」
 突如として窓に向かって突進し、宙へと身体を躍らせた男。それまでおとなしく司直の手にかかろうとしていただけに疑問が残るのだろう。治安部隊と別れて間もなくファングがぽつりと口にする。
「そうは云っても、何が出来るって云うんだ。あの男が俺たちの目の前で自ら窓を乗り越えたのは事実だぞ」
 治安部隊の責任者は、目の前で起きた悲劇に事件性を認めなかった。マサキもそれは仕方のないことだと思う。あの場にあった幾つもの目。ましてや往来には野次馬たちもいたのだ。そうした衆人環視の中で、自らビルから飛び降りた男。どうやればその死に様に事件性が認められたものか。
「助けてくれと云いながら自殺か? 俺には到底認められん」
 確かに男は見えない何かに抵抗するかのように、悲鳴を上げながら地面に落ちていった。地底世界の常識に従うのであれば、魔術、或いは催眠術といった遠隔操作が可能となる術が男を操ったのだとも考えられる。だからといってマサキたちに何が出来るだろうか? マサキたちはセニアの命を受けてこの街を訪れているのだ。本筋から逸れるような真似は慎まなければならない。
「全くその通りですね、ファングさん。でも、その謎はこの後に解けるかも知れませんよ」
 先程、笑いながら男に剣を突き付けてみせた幼顔の青年は、人懐っこい笑顔を浮かべながら、マサキたちが聞き逃せない台詞をさらりと吐いた。
「何だ、ザッシュ。お前はまた何か聞き込んできたのか」
「治安部隊員の何人かが、奇跡の双子の仕業だって云ってたんです。それでちょっと野次馬に話を聞いてみたら、ここ最近事件絡みで不審死が続いているとかで」
 流石は軍との調整役を期待されて派遣されただけはある。ザッシュの目端の利いた立ち回りに、成程。マサキはファングと顔を見合わせて頷き合った。
「この街の人間にとっては犯罪者のああいった死に方は、今日に始まったことではないってことか」
「そのようだな。しかもそれに例の双子は絡んでいると思われている。事実はさておき、な」
「ですから、双子の動きを追って行けば、あの男の死に関わる情報も入手出来るのではないかと」
「そう上手く話が進めばいいけどな」マサキは目の前に現れた身の丈二倍ほどの大きさの入場門を見上げた。
 掲げられた看板に書かれたワンダーランド・オブ・ザルダバの文字。丸みを帯びた凝ったデザインが心を躍らせる出来だ。どうやらここがマサキたちの目的地、ゼフォーラ姉妹がステージを務める娯楽施設であるようだ。
 マサキは入場門脇にある案内板に目を遣った。小規模な遊園地と動物園がセットになった家族向けの施設。街の人口の割には規模が大きく感じられるが、そこは近隣の町や村から流れ込んでくる人々の来場を当て込んでのことなのだろう。マサキは脇を通り抜けて園内に足を踏み入れていった家族連れを見遣った。街の人間とはまた違った民族性を感じさせる装いは他所の地域から訪れた観光客だからに違いない。
 ファングの説明では入場料は無料。園内の施設を利用する際にのみチケットが必要になるようだ。
 入場門の東側に動物園、西側に遊園地があり、敷地の中央に大道芸人たちがショーを繰り広げるステージがあるという。マサキはザッシュと肩を並べながら、先を往くファングに続いた。色取り取りの花が咲き乱れる花壇に、きちんと刈り込まれた植え込み。きっと、無料で入れる範囲を歩き回るだけでも楽しめる造りになっているのだろう。手入れの行き届いた通りには、休息日でないにも関わらずそれなりの人通りがある。
「あれがもしかして大道芸のステージですか?」
 その通りの先に小さく映る白い建造物。ザッシュが目聡く尋ねれば、そうだとファングが頷いた。
「300人ほど入れるステージらしいが、休息日には全ての席が埋まることも珍しくないのだそうだ」
「人口三万人の街でそれは凄いな」
「周辺地域にまで名を知られている姉妹だしな。物見遊山で訪れる観光客も多いのだろう」
 やがて真正面に近付く円柱形の建造物。その周りでは、人々が列を成して入場開始を待っている。
 遠目にはわからなかったが、この建造物には屋根がないようだ。恐らく、純粋な建物ではなく、ステージがあるホールを石壁でサークル状に囲っているだけなのだろう。そうすることでステージ上の出し物が、チケットを持たない人々に見えないようにしているのだ。チケット制のステージでは良くある処置に、雨の日はどうするんだろうな。マサキは呟きながらその最後尾に並び、先に並んでいる人々を何気なく眺めた。
 云われてみれば地元民らしきフラットな格好をしている人間は少ない。ファングの耳に入るまでに評判が広まっている姉妹のステージである。恐らく地元の人間は既に問題のステージを見尽くしているのではないだろうか? そう自分を納得させたマサキは視線をファングたちに戻そうとして、思いがけず目に入ってしまった人物に顔を顰めた。
 シュウ=シラカワ。
 彼から持ち込まれた預言の調査をしている以上、偶然に顔を合わせてしまうのも仕方のない話ではあったが、ラングラン王都から遠く離れたバゴニア領の近くで行き合わせてしまうとなると、わざわざマサキたちの動きに合わせて行動しているのではないかと勘繰りたくもなる。マサキは10人ほど挟んで前に立っているシュウの様子を窺った。ガイドブック片手の観光客に紛れて書物をつまびらいている彼は、マサキたちの存在には気付いていない様子だ。時折、列の動きを見る為に顔を上げてはみせるが、マサキたちのいる後方に視線を向けてくることはない。
 それにしても、どういったつもりでシュウはこの施設に姿を現してみせたものか。
 よもやマサキたちのように地道な調査をする為に赴いた訳ではあるまい。その程度の用であれば、サフィーネたちで用が足りるだろう。それをせずにシュウが単身この街に足を運んでみせたのだとしたら、それはサフィーネたちでは力不足となる事態が予想されるからに他ならない。
 若しくは、預言の成就を防ぐ手立てが整ったか。
 いずれにせよ、シュウは確信を持ってこの場にいる。
 シュウ=シラカワという男は、与えられた好機をみすみす逃すような男ではないのだ。預言の成就にゼフォーラ姉妹が関わっている以上、いずれこの街で何某かの騒動が起こるのは必至。それがマサキたちの権限で誤魔化せる範囲のものであればいいが、周囲の迷惑を省みない男のすることだ。被害の規模が思いがけず大きくなる可能性もある。
「目立つ真似をされると後始末が面倒なんだがな」
「何の話です?」
 マサキの呟きを耳聡く聞き付けたザッシュに顎でしゃくってシュウの存在を伝えてみせれば、午前中にさんざ指輪の件で騒いでくれただけはあった。気色ばった笑み。ザッシュは任務の最中でありながら、へえ……と、呟くと、意地悪くもマサキを見上げて、
「デートはする。指輪は貰う。そりゃ僕たちよりも先に気付く筈ですよね、マサキさん」
「お前はいい加減そこから離れろよ! そういう話がしたいんじゃねえよ!」
「わかってますよ。あの人がここに姿を現したってことは、僕たちの読みは正しいってことでしょう?」
 しらと云ってのけたザッシュにマサキは舌を鳴らした。
「まだ決まった訳じゃないがな。おい、ファング」
 マサキはファングにもシュウが列に並んでいることを伝えた。
 ファングは自らの調査が大きな手柄になるかも知れない状況に、胸を躍らせたようだ。ちらとだけシュウに視線を向けると、気を引き締めなければな。口ではそう云いつつも、どこか誇らしげに映る笑みを浮かべてみせた。