ホワン=ヤンロンの清廉なる邪推
全く女という生き物は。
普段であったらそう済ませている話が、物を咀嚼しきれないような落ち着かなさをヤンロンの心に残してしまっているのは、彼女らには秘密にしていることがひとつあったからだった。
先刻のことだ。
偶には魔装機神の操者たちで一緒に朝食を取るのも悪くなかろうと、ミオとともにゼオルートの館に向かってみれば、館の主人となって久しいマサキの姿はなく。すっかり彼に代わって家を取り仕切っているテュッティに尋ねてみれば、朝も早くからサイバスターを駆って出掛けていったのだという。
目的は? と聞けば、よくあることだものとの返事。マサキが出掛けて行った先には興味を持っていないようなテュッティの様子に、無理もない。ヤンロンは同情の念を禁じ得なかった。
魔装機という自由になる足を得てしまっている操者たちは、暇さえあれば西へ東へ。思い立ったがいざ吉日とばかりに旅立っていく。それは時として数日に渡る不在にもなったものだ。だからといって何をしていたかなど、敢えて尋ねもしない。ひところにじっとしていられないのが魔装機操者たちの気質。それを魔装機の操者たちは、自身のことでもあるからこそ、誰よりもよく理解していた。
戦禍迫る日常にあるならばいざ知らず、波立たぬ海原の只中にあるような日々は、ようやく天が永続的な安らぎをヤンロンたちに与えてくれたのだと錯覚してしまうまでに平穏だった。集って戦場に立つ必要のない生活に、いちいち操者たちの私的な行動に目くじらを立てても仕方がないとわかっている。とはいえ、それが嵐の前の静けさでないとどうして云えたものだろう。
戦いの始まりはいつだって突然だったのに。
だからこそ、16体の正魔装機の頂点に君臨する風の魔装機神の操者であるマサキの居所を、ヤンロンが把握しておきたくなるのは、当然の成り行きであった。何せ、魔装機の操者たちは彼の許に集い、彼の指揮で戦場を駆けるのだ。その指揮者が不在では、揃う足並みも揃わなくなる。ヤンロンの杞憂は尤もであるだろう。
しかし生活をマサキとともにしているテュッティにとって、その不在は日常茶飯事的なものである。既に気にかけることを諦めてしまっている様子のテュッティに、ヤンロンが同情の念を禁じ得なかったのは、そこまでに至る彼女らの遣り取りを想像してしまったからであった。けれども、だからといって諦めきっていい話でもない。
「もう少しマサキのことを気にかけてやったらどうだ。お前のそういう態度もマサキの行動を不安定にさせる要因のひとつだろう、テュッティ」
「そうは云っても今更でしょう。子供だった頃ならいざ知らず、あの子だってもう大人なのよ。羽根を伸ばしたい時もあるでしょう」
トーストに目玉焼き、焼いたウィンナーソーセージが二本、穀物と豆を煮たスープ。そしてサラダに果物入りのヨーグルトと、朝食にしては豪勢な食卓を、プレシアとともに。鼻歌混じりに用意していたテュッティは、ヤンロンの不満混じりの言葉をさらりと受け流すと、自身もまた席に着いて、それに――と口を開いた。
「私たちに云えないような用事かも知れないじゃない?」
あー、とミオが何かを納得したような声を上げた。ホント、そうだよねえ。続く言葉に、どうやら彼女たちの間では心当たることがあるようだとヤンロンは悟ったものの、その見当はまるでつかず。
でしょう。とテュッティが云えば、うんうんとミオが頷く。含むところが過分にある彼女らの態度に、何だ、お前たち。らしくなく他人の動向を気にかけた言葉を吐いてしまったヤンロンに、ふたりが口を揃えて云うには、どうやらマサキとシュウは普通ではない関係を構築してしまっているらしい。
「こないだシュウに会った時に、シュウに云われたの。秘密の話をマサキとするって」
「私たちに云えない秘密の話って何かしらね」
「その話の為に館を抜け出してくるマサキも怪しくない?」
「愛でも囁き合ってるんじゃないかしら」
やや潔癖のきらいがあるテュッティにしては明け透けな台詞に、自らもまたふたりの仲を疑うような台詞を吐いておきながら、ミオが盛大に咽せる。
「ちょ、ちょっとテュッティ……いくらあたしでもそこまで云ってないのに」
「あらだって、あの子首筋に……」
そこでテュッティはプレシアの前であることに気付いたようだった。これ以上は云わないでおくわ。そう続けたテュッティに興味津々といった様子で、ミオがテーブルに手を付きながら身を乗り出す。
「え? ホントに? テュッティの見間違えじゃなく?」
「失礼ね。これでも私、視力は抜群にいいわよ」
なんだ、じゃあ……ミオが頬杖を付きながら、何かを考え込み始める。お前らはまたそうやって……と、ヤンロンはふたりの邪推を咎めはしたものの、既にふたりの間では、マサキとシュウの間に友情以上の関係があるのは確定事項となってしまっているようだ。これはもう一度ちゃんとマサキに確認しないと、などと意気込み出すミオに、義妹であるプレシアは、盛大に不安露わな表情をしていたものだった――……。
あくまで自身の考えを述べることなく朝食の席を辞したヤンロンは、ミオを置いてひとりグランヴェールを駆って山に登った。山の谷間。渓谷の奥には巨大な滝。季節柄、山肌は赤く染まっている。ヤンロンが考え事をするのによく利用しているスポットからは、その雄大な自然が一望出来る。
コントロールルームを出て、グランヴェールの肩に。ランシャオとともに腰を落ち着けたヤンロンは、こんなことがあった――といつぞや目にしたある光景のことを、誰よりも信頼出来る使い魔に話して聞かせた。
それはヤンロンが情報局に赴いた時のことだった。折角足を踏み入れた王都。ついでに城下を散策しようと思い立って、街の外れにある森林公園に向かった。
木々の合間から差し込む柔らかな光を浴びながら、都会にありながらの清廉な空気を胸いっぱいに吸い込む。たったそれだけの行為に安らぎを感じるのは、ヤンロンだけに限らないようだ。まばらながらも遊歩道で擦れ違う市民たち。彼らと会釈を交わしながら、ゆったりと。かけがえのない時間を過ごしていたヤンロンは、そこそこの距離を歩んだ頃。耳に馴染む声を聞いたような気がして、その場に足を止めた。
遠く、ようやくそれと判別が付くような位置にあるベンチに、マサキが腰を掛けている。珍しいところで顔を合わせた相手に、声をかけるべきかとヤンロンは足を踏み出しかけて、その奥にもうひとり、誰かがいるらしいことに気付いた。見間違えようのない長躯。丁度、話に区切りが付いたところだったのだろう。立ち上がったマサキの手を、掴んで立ち上がったシュウは、次の瞬間。身を屈めると、マサキの首筋へと顔を寄せていった。
それをヤンロンは、決して胸に秘めてはおかなかったのだ。
それから数日後、マサキとふたりきりになる機会を得たヤンロンは、率直にその行為の意味するところを尋ねることにした。隠している関係を暴きたくはなかった。ただ、人目も憚らずああいった行為に及ぶことに対しては、まだ年若い青年。ひとこと注意をしておくべきだろうと、謹厳なヤンロンとしては思わずにいられなかっただけだった。
ところが、だ。ヤンロンに物申されたマサキは、その事実を何ら恥じる様子もなく、むしろ何に問題があるのかわからない様子で首を傾げているではないか。そこでよくよく話を聞いてみると、どうも首筋に口付ける行為は、王族の間では親愛の情を表す意味を持つ挨拶的な動作に当たるらしい。
非常に眉唾物である。
けれども、シュウに聞かされたその話を信じているマサキに、それは違うと吹き込んで、わざわざふたりの間に波風を立てるのも忍びない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて何とやら、だ。鈍感なマサキは気付いていないからこそ、シュウのその行為を何ら疑うことなく受け入れているのだろうが、ふたりの関係の変遷を傍で見てきたヤンロンにはわかってしまっていることがあった。
それが好意か愛情なのかはさておき、シュウ=シラカワという人間は、マサキ=アンドーという人間に並々ならぬ執着心を抱いている。
怜悧な刃物のような切れ味を誇る頭脳を持ちながら、彼はマサキを目の前にすると、心を乱されることがままあるのだろう。性格上、声を荒らげることこそなかったものの、冷笑や哄笑で以てマサキを下に置こうとする態度が増えたものだ。それはマサキが年若い少年の頃から今に至るまで変わらることのない、彼の虚勢の表れでもあった。そう、マサキ=アンドーという人間は、存在しているだけでシュウの心を揺り動かす人間であるのだ。
「しかしご主人様、私の知識にはそのような王族の慣習に対するデータは存在しておりませんが」
「それは僕もセニアに確認してある」ヤンロンは笑った。
騙し騙されるような関係だ。健全と評せないことぐらいヤンロンとてわかっている。とはいえ、マサキが彼と出会ってから、どれだけの歳月が過ぎたことだろう。恋愛は駆け引きの繰り返しであっても、暖簾に腕押しなマサキが相手。むしろ良く今の今まで、マサキを手懐けようとし続けたものだ。
そんな男が吐いた他愛ない嘘。見逃してやってもいいのではないだろうか……ヤンロンは思いがけず、シュウに対して寛容になっている自分に驚くとともに、過ぎた年月の重みを思い知らずにいられなかった。
シュウに対する憎しみをヤンロンが捨て去ったように、マサキもまたシュウに対する憎しみを捨て去ったのだ。
もしかすると、シュウが苦難に満ちた道を諦めることなく邁進し続けているのは、マサキを獲得したいからなのかも知れない。ヤンロンがそう語って聞かせると、子供のように純粋な方ですからと、ランシャオはまるでシュウの性格を見透かしているかのような台詞を吐いて、少しだけ口元を歪めてみせた。