センシティブマーケティング - 4/6

(四)

 開ききった窓から吹き込む風が心地いい。一面に広がる海からの風。潮を含んだその風を受けながら、マサキは自分のコテージでテーブルを挟んでシュウと向かい合っていた。
 テーブルの上に置かれているソルティティーが注がれたカップをシュウが取り上げる。塩入りの紅茶を飲みたがる彼の嗜好は理解出来ないが、海辺にあるこの街は、確かに塩分が無性に欲しくなるぐらいに暑い。
「もう、目的は果たしたんじゃねえの? そろそろてめえのコテージに戻れよ」
「まだすべき話を何もしていないように思いますが」
 ソルティティーを啜ったシュウが、切れ長の瞳にマサキを捉える。
「もう充分聞いたぞ、お前の話は」
 マサキの隣のコテージを借り上げたシュウが何故この場に顔を揃えているのかというと、そうしろと彼が様々な理由を付けてごねてきたからである。
 曰く、今後のスケジュールの調整。
 曰く、マサキのコテージで伸びているチカの確保。
 曰く、自分へのマサキの誤解を解く。
 どこに今更解くべき誤解があるのかマサキにはさっぱりわからなかったが、口の達者さではマサキに勝る男。仕方なしに、『午後のティータイムの間だけ』という条件を付けて、マサキは自分のコテージにシュウを上げた。 
「いやー、何だかんだと云っても、長いお付き合い! マサキさん、ご主人様がいないと寂しいんでしょ!」
 いつの間にか床に放り出されたダメージから回復したようだ。シュウの肩の上で呑気に言葉を吐くチカにマサキは眉を顰めた。
「好きでこのコテージに入れた訳じゃねえ」
「またまた、そんなことを云って! こんなに情が深いのご主人様ぐらいですよ。昨日の今日でちゃんと探しに来てくれたんですから。大体、マサキさんの仲間なんて、マサキさんが行方不明になるのすっかり慣れちゃってるじゃないですか。三日ぐらいなら誤差ぐらいの感覚でいる! 方向音痴の人を相手にどうしてあそこまで頭がおめでたくいられるのやら」
「チカ、少し静かになさい」
「はーいはい。じゃあちょっとあたくしは、いつもの場所に失礼しますかね」
 主人に咎められたことで黙り時と感じたようだ。チカが率先してシュウの上着のポケットに潜り込んでゆく。それを目にしたことで、自分たちも席を外すべきなのではないか? と、思ったようだ。マサキの使い魔たちが足元で声を上げる。
「あたしたちも席を外した方がいいのかしら?」
「おいら、面倒ニャことに巻き込まれるのは御免ニャんだニャ」
「好きにしろよ。どうせ、お前らがいてもいなくとも事態は変わらねえ」
 マサキは投げやりに言葉を吐いた。
 サイバスターの操縦では優秀なサポーターとなる彼らは、日常生活ではとんと役に立たない場面の方が多かった。街に出ればマサキと一緒になって迷う。家にいればマサキと一緒になって惰眠を貪る。とことん主人に似た使い魔――と、なれば、シュウとの対決においても何ら役に立たないことが目に見えている。
「じゃ、あたしたちはベッドで寝るのね」
「おいら、街を駆け回って疲れたんだニャ」
 主人に期待されていないことで安心したのだろう。早速とベッドルームに姿を消した二匹の使い魔に、あいつらホント役に立たねえな。呟いたマサキは、で? と、話があるのかないのか不明な男を見遣った。
 先に口にしている通り、彼との話はもう充分に大衆食堂でした。
 魔装機神操者四人にアクセサリーのモデルをさせるという奇特な発想――マサキを絶望させたそれに、とはいえ、今となってはマサキはそこまで悲嘆していなかった。目の前の男の働きかけがあったとはいえ、議会で決まってしまったプログラムに関わる『任務』である。こうなれば毒を食らわば皿までだ。マサキはとうに腹を括っていた。
 それに、少しばかり楽しみなこともあった。
 そう、前回マサキの格好を目の当たりにして、酸欠を起こすほど爆笑してみせたホワン=ヤンロン。あの難攻不落の堅物がどういった格好をさせられるのか。想像するだけで口元が緩む。
「いつまでこの街にいるつもりですか、マサキ」
 だのにシュウはまだ、マサキは広告モデルをやることに抵抗していると思っているようだ。このままマサキが王都に戻らないではないかとでも思っているかのような口振りで尋ねてくる。
「つまんねえこと聞くんじゃねえよ。気が休まったら帰る」
「なら、暫くはここに滞在するつもりでいるのですね」
「じゃなきゃコテージなんて借りるかよ。海で遊んで観光して、神殿に拝礼に行って……ってすりゃ、この高ぶった気分も落ち着くだろうと思ってこっちは来てるんだよ。それをお前は直ぐに追いかけてきやがって」
「撮影当日にあなたの姿がないなどということは避けたいので」
 涼しい表情でソルティティーを啜っているシュウに、いい加減にしろよ。マサキは強欲な目の前の男を睨んだ。
「元はと云えばお前のその態度の所為だろ。俺と広告モデル、どっちが大事なんだよ。人を見世物にしやがって」
 瞬間、どうしてこうも自分が機嫌を損ねているのか――マサキ自身にもわからなかったそれが形を取って胸の内に浮かび上がってきた。
 マサキはシュウが何を大事にしているのかわからなくなってしまったのだ。
 自身が投資をしている会社の利益であるのか、それともモデルをしているマサキ=アンドーであるのか、それとも素のままの安藤正樹であるのか……そうでなくともシュウはマサキを理想化するきらいがある。サーヴァ=ヴォルクルスの件にしてもそうだった。
 長年に渡ってシュウを支配していた邪悪なる神。知らなかったとはいえ、マサキはシュウを斃すことで、彼をその神から解放してしまった。それは魔装機神サイバスターの操者であるマサキからすれば、当たり前のことをこなしただけのことだった。だのにそんなマサキを、シュウはまるで救世主かのように扱うことがある。
 そういった彼の態度にマサキはどれだけ辟易させられてきたことか。
 だから彼が広告モデルという実務を通じて、自分の理想を投影したマサキ=アンドーを作り上げようとしていたとしても、マサキ自身は驚かない。大体が唯美主義でもある彼のことである。自分が美しと感じたものに囲まれて暮らしている彼からすれば、がさつで大雑把、口の悪いマサキなどという現実は出来るだけ正したいことだろう。
 けれども、その場合、素のままの安藤正樹はどこに行ってしまうのか。
 マサキは怖いのだ。シュウの妙な執着心が、安藤正樹という年齢相応の等身大の自分を消してしまうのではないかと。
「あなたが私の希望を叶えてくれれば済む話なのですがね」
 だのに彼は、それをわかっていないような台詞を吐く。
「お前、今のままの俺に何か不満があるのかよ」
「ありませんよ」
 しらと云ってのけるシュウは、どうやら本当にマサキの不満がどこにあるのかをわかっていないようだ。
 高い知能指数を誇る知性の塊である彼は、他人の心の機微に長けていた。誰がどういった思いで、何を考えているのか……まるで見てきたかのように分析いきってみせるシュウは、短慮なマサキでは思いもよらない視点を提供してみせることも珍しくはない。
 なのに彼はマサキ相手だと途端にそのセンサーを鈍らせた。
 シュウは肝心のマサキがどういった思いで何を考えているのかには考えを及ばそうとしないのだ。
 もしかすると気付いていて口を閉ざしている可能性もあるにはあったが、いずれにせよ彼が『マサキであれば自分の云うことを聞いてくれる』と思っているのは事実である。そうしたシュウの自分への接し方に、どうしてマサキが不満を抱かないなどということがあるだろうか。
「ならどうして議会に裏から手を回してまで、俺に似合わない格好をさせようとしやがるんだ」
 だからマサキは言葉を重ねた。シュウに自分の考えをわかってもらうには今しかないと思ったからこそ。
「似合わないと思っているのはあなただけですよ、マサキ。でなければ、前回の香水があれだけのロングランヒットを記録する筈がないでしょう」
「あれは面白がってるだけだろ。血も涙もない魔装機神の操者がイメージモデルなんて血迷ったことに手を付けたって」
「その程度で商品が売れる世界ではありませんよ、マサキ。大体、例の香水のあの類似品の数を見なさい。あなたにとっては奇特だと感じられるあの格好は、世代を飛び越えた波及効果を齎したのですよ」
 だのにシュウはまるで理解をしようとしない。
「そもそも、数字が全てを表す世界ですよ。メーカー別国外輸出量第十位の数字を記録した香水が、いつから売り上げがあがったのか。あなたがイメージモデルを務めた広告が世に出回ってからのことでしょうに」
 ああ云えばこう返してくる男に、瞬間的に頭に血が上ったマサキは「あーもう!」と声を荒らげていた。
「そういう話じゃねえよ! 俺の気持ちはどこに行くんだって話だろ! 大体、お前ひとりで楽しむならまだしも、どうして見世物にするような真似をするんだよ!」
「なら、今後は私の望みを叶えてくれますか、マサキ」
 う。――と、マサキは言葉を詰まらせた。
 どう足掻いても自分には似合わないと思うような服装を勧めてくることがままあるシュウ。彼の審美眼こそが歪んでいるのではないかと思ったマサキはそれらの要求をずっと跳ね除けてきていた。フォーマルな装いではないものの、気取ったように感じられる装いの数々。時には大真面目にアクセサリーを用意してみせたこともあった。それをどうして泥臭い戦士という職業に就いているマサキが身に付けられようか!
 けれども、そう。そうなのだ。その結果が前回のイメージモデルという結果に繋がっていることを、彼と話していく内にマサキは思い出してしまっていた。
 さあ、どうする。マサキは悩んだ。膠着した状況は、シュウの要求を聞かずに彼に自分の要求を呑ませるのは不可能だと訴えている。
「す、少しぐらいならな……」
 仕方なしにマサキはそう言葉を吐いた。
「本当に?」
「お前しか見ないってなら、やってやる。けど、その格好で外を出歩くなんてのはナシだからな」
 瞬間、長い付き合いで見慣れている筈でありながら、見惚れてしまうぐらいに麗しい笑顔が彼の顔に浮かぶ。
 嗚呼、こうして自分はまたこの男の為に自尊心をひとつ捨ててしまうのだ。
 テーブルの向こう側から伸ばされたシュウの手が、マサキの手をやんわりと握る。艶やかな眼差しに、くらり――と眩暈がした。次の瞬間、そうっと取り上げられた手に、恭しくシュウが口唇を落としてくる。何だと云いいつつ、結局自分はこの男が好きなのだ。次いでマサキの頬に手を掛けてきたシュウに、マサキは静かに目を伏せた。