(三)
王都から南に伸びる街道沿いにその街はあった。魔装機で三十分ほど。大抵の用事を王都で済ませてしまうマサキたちが訪れることは滅多にない街だが、地方から王都への中継地点として発達してきた街だけあって、地元民から旅人まで、老若男女種々様々な民族を目にすることができる。
多様な民族が集まる街に相応しいカラフルな外壁の家々に、狭い軒先に旅商から仕入れた商品を雑多に並べる商店の数々……サフィーネの案内に従いながら、右に左にそれを眺めながら歩けば、石畳の通りを心地よい風が吹き抜ける。
不意に建物の列が途切れ、開ける視界。周囲を植え込みに囲まれたこじんまりとした広場の中央にある時計塔の針は午後のティータイムを告げていた。その側にあるベンチに腰掛けて、マサキたちはシュウの訪れを待つ。
「本当にシュウは来るんだろうな、サフィーネ」
「大丈夫よ。何だったらボーヤに訊いてみれば?」
炎の魔装機神に乗るぐらいなら、風の魔装機神に乗ると言って聞かなかったサフィーネを、お望み通りにサイバスターに放り込んで、王都からここまで。彼女にサイバスターを希望した理由を訊ねたところ、「ボーヤだったら通信機の周波数がいくつでも黙っていてくれるでしょ」とのこと。
そんなことをいけしゃあしゃあと言ってのけるぐらいなのだ。ヤンロンたちに知られたくない後暗い事情があるのだろうと思ったら、案の定。サイバスターに乗り込んだサフィーネは、マサキの目の前で、慣れた手つきで軍部が使用する帯域に通信機の周波数を合わせると、これまたそれがさも当然とばかりに通信機の呼び出しに応じたシュウに、城下町での失態を侘びつつその約束を取り付けてみせたのだ。
要は無線のただ乗りである。マサキとしては、彼らの豪胆ぶりにただただ苦笑するしかない。
「来るかどうかはわからねえが、連絡が取れたのは確かだぜ」
繊細な扱いが要求される実験を正確にこなしてみせたり、自ら定めた物の置き場や生活のリズムを頑なに守り続けたり、仲間と認めた者のために時間や手間を惜しまなかったりと、愚直にも几帳面な面ばかりが強調されるシュウが、時折、気まぐれに盛大にずぼらになってみせることをマサキは知っている。
面倒だと感じたことに嘘を吐くことを彼は躊躇わないのだ。
だからこそ、シュウが来るか来ないかは五分五分。マサキはそう思った。
独立独歩の烏合の衆が長く行動をともにし続けるためには、お互いの相手に対する信頼が必要不可欠である。シュウは面倒に巻き込まれたサフィーネを見捨てるぐらいは平気でやってのける。けれども、それは彼がサフィーネを駒のひとつとして見ているからだけではない。彼女にはひとりでもその窮状を切り抜けられるだけの力があると信じているからでもあるのだ。
その信頼はとても重い――マサキは左手の小指の指輪をそっと撫でた。
「来なければヤンロンの出番よね。サフィーネが色々吐くまで頑張ってもらいましょう」
「他力本願だな。まあ、いい。丁度、試したい別の書も持っていたところだ。十分待ってもシュウが来なかったら、今度はこれを試してみることにしよう」
「あんたたち、魔装機操者の良心はどこにいったのよ! 大体、ここで落ち合うことにしたからって、この近くにあたしたちが住んでるとは限らないのよ! 急にシュウ様を呼び出したんだから、ちゃんと来るまで待ちなさいよ!」
「だったら、ただ待つのも暇だし、どうだ? 僕と手合わせしないか、サフィーネ」
「あっらあ、肉弾戦のお誘い? ベッドの上での肉弾戦だったら喜んでお相手するけど」
「その根性は見上げたものだが、叩き直す必要があるな」
軽い調子でこちらの話に応じているからと言って、油断ができないのがサフィーネ=グレイスだ。この次の瞬間には思いがけない方法でこの場から逃走することぐらい、彼女は普通にしてみせる。そんな彼女に煮え湯を飲まされ続けているのはマサキだけに限らない。
傍目には軽口を叩きあっているように見えても、当事者たちはわかっている。
油断したら相手の思う壺だと。
けれども、そんな関係も少しは変わりつつあるのだろう。マサキは指輪に目を落とした。ここの街に来るまでの間、サイバスターの機内でふたりだけになった際に、マサキはサフィーネにこの指輪を預けていた。それは、その内側に何がしかの刻印がされていることを知っていたサフィーネが、それを少しでいいから見せて欲しいとねだったからだった。
――……成程ね、この指輪は大事にした方がいいわよ。
どうやらシュウから話だけは聞いていたらしい。らしくなく真剣な面持ちで古代語を読み進めたサフィーネは、その表情を崩すことなく、指輪をそっとマサキの手のひらに握らせると言った。
「お前、古代語読めるのかよ」
「子供の頃からの筋金入りの信徒だったしねえ、あたし。だから古代語の読みはね、嗜みよ」
物憂げな表情でサフィーネは言い、「何の役にも立たない知識だと思ってたけど、役に立つ時もあるもんだわ」と、続けた。
破壊神信仰に傾倒していた当時のサフィーネの身に何があったのか、マサキは知らない。稀に少しだけ彼女の口からその当時を思い起こさせる台詞が吐き出されることがあったものの、それはいつも核心に触れられぬままに終わった。
恐らくは、彼女の享楽的な精神をもってしても、口にするのを憚る記憶だったのだろう。しかし、そうした弱味にしかならない部分を僅かでも曝け出してくれる程度には、彼女らも自分たちに気を許すようになったのだ。
――ボーン……ボーン……ボーン……
時の区切りを告げる鐘が鳴った。広場に到着してから、まだ二十分ほどしか経っていないのに、一時間以上が経過したような気分でいることにマサキは驚く。待つ時間はが時の短さに比例して長く感じるものだとはいえ、まだそれしか経っていないのかと。。
目の前を風船を手にした子供たちがわあわあと声を上げながら駆け抜けてゆく。通り過ぎざまに聞こえた会話の内容では、サーカスの公演が始まるようだ。彼らが手にしているのは、その呼び込みのために配られた風船なのだろう。
「火の輪くぐりがすごいんだぜ!」
「あたしは空中ブランコが好き!」
そんな会話を聞きながら暫く。マサキの隣に座っているテュッティが、あ。と声を上げた。走るのがあまり上手くないらしい最後尾にいた子供が、石畳に足を取られて転んだからだ。
手にしていた風船が宙に舞う。風に煽られて広場の先へと。幸いにも植え込みの奥の樹木の合間に挟まってその動きを止めたものの、しかし子供には高い位置。先を行った子供たちは、彼が遅れていることには気付いていないようだ。
「マサキ、取ってあげたら?」
物押しそうに風船を見上げている子供は、どうするべきか悩んでいるのだろう。二の足を踏んでいる。恐らく、木登りも苦手なのだ。「……そうだな」マサキはベンチから腰を浮かせた。
その視線の先に見慣れた白い長駆。歩を進めるたびに、長い衣装の裾がひらめく。人を待たせている割にはゆったりとこちらに歩いてきた彼は、広場の入口で子供の姿を認めると、何を欲しているのか直ぐに気付いたようだ。植え込みの中に分け入ると、恵まれた長駆を生かして風船を取る。
「おにいちゃん、ありがとう!」
子供の言葉に、少しだけ、その表情が和らぐ。身を屈めて、しっかりと子供にその風船を掴ませたシュウは、何度も振り返ってはお辞儀を繰り返す後ろ姿を見送ってから、マサキたちの元に歩いてきた。
※ ※ ※
「はい、マサキのミルクティ。こっちはシュウのコーヒー。サフィーネはフルーツジュースだったらなんでも、だったわよね。美容に良さそうだったから、ライチを買ってきたわ。で、ヤンロンの緑茶はなかったから、コーヒーにしたのだけど、これでよかったかしら?」
通りを挟んで広場の向かい側に停まっているキッチンカーから五人分の飲み物を持ち帰ってきたテュッティから、それぞれ飲み物を受け取ってベンチに陣取る。「これはお釣りね。でもよかったのかしら、あなたにご馳走になって」糖分が枯渇していたらしいテュッティは、買い出しに出た者の特権とばかりにストロベリーミルクセーキとアイスが山と盛られたカップアイスを手にしていたが、甘味のブラックホールという二つ名を欲しいがままにする彼女に対して何かを言うのは今更でもある。誰もそこに言及しないのは、彼女の人徳だ。
ただひとり、サフィーネだけが何かを言いたそうにカップアイスとテュッティの顔に交互に目をやっていたが、諦めたのだろう。小さな溜め息を吐き出すと、「この女、どうやって体型維持してやがんのよ……」ライチジュースに口を付けた。
「お待たせしてしまったようですしね、このぐらいは」
お釣りを受け取ったシュウはにこりとするでもなく、それを上着のポケットに無造作に収め、ひと口ばかしコーヒーを啜る。あまり好みの味ではなかったようだ。代わり映えのしない表情が少しだけ歪む。
しかしそれも僅かの間のこと。シュウは直ぐに気を取り直すと口火を切った。
「今回の件で軍部の情報セキュリティレベルが上がったようですね。流石にこの事態では、彼らも警戒度を上げるべきだと考えたのか、それともセニアが突き上げたのかはわかりかねますが、そちらからの情報があまり入らなくなってきましたよ」
「そりゃあ目出度い話だな。なんでもかんでも筒抜けの状態は良くねえ」
「メディアにも情報規制が敷かれているようですね。最初の報道も事件のセンセーショナルさに比べて扱いが小さかったですが、続報が一切報じられない辺り、事件ではなく事故で済ますつもりなのでしょうね。なので聞きますが、武器庫に火を点けたふたりの兵士はその後どうなりましたか?」
マサキの皮肉にシュウは苦笑してみせただけで、それについては何も答えない。貴族社会や軍部といったラングランの情報網に独自のルートを持っているシュウでも、彼らの本気の情報統制には叶わないようだ。
何せ王宮警護官による武器庫の爆破事件である。王都の警備に最大限の警戒を払った軍部としては、プライドを傷付けられたどころの事態では済まされない。こと上層部の怒りは凄まじく、情報局という八つ当たり先がなければ、無関係の中間管理職の兵士の首が多数飛んでいたところだった。
それを事件の全容が明確になるまでは、というセニアの執り成しで処分保留となったのだ。これで軍部の情報セキュリティレベルが上がらなければどうかしている。
「観客の勘違いもあるし、城下の民たちに無駄な不安を感じさせない為にも、件の爆破事件は表向きファーガートン炎舞劇団公演の演出にしておきたい」という国王の意向を反映した情報局による情報統制も進み、この件に関しては、今後メディアで報道されることは一切ないだろう。
小さな瑕がやがて大きな不信となることを、セニアも軍部もよく知っているのだ。
「セニアやザッシュの話だと、相変わらず芳しくないらしいな」
「まともに爆発を食らったのだもの。生きているだけ奇跡みたいなものだって医局の知り合いから聞いたわ。気管にも火傷を負っているとかで、言葉を発せるようなるかどうかは、彼らの気力次第だそうよ」
両手サイズのカップに山と盛られたアイスクリームの半分を胃に収めたテュッティが、話をしている内容の割には満足そうにマサキの話を引き継ぐ。「まだまだ彼らから証言を得るのは難しいでしょうね」
「彼らの証言が是非とも欲しいところではあるのですが、そういった状態が続いているのであれば仕方がないですね。使える情報入手先が限られてしまっては、安楽椅子探偵とは行かないようです」
「なんだ? お前も膠着状態なのか、シュウ。セニアがお前と情報交換をしたいと言っていたから、僕らはここまで足を運んだのだが」
ヤンロンにとってのシュウは、表裏といった内容を問わず情報に精通している立場であるのだ。そもそもサフィーネの動きからして、彼らの日頃の活動は諜報部隊のそれなのだ。持っている情報が自分たちより膨大であると思い込むのも無理はない。
そんな彼が手詰まり感を感じているらしい現状に驚いたようだ。ヤンロンにしては、珍しくも呆気に取られた表情を晒す。
「まあ、お前に情報局に足を運べというのも酷な話だが、今となってはセニアとて気軽に表を歩けない身分だ。飛躍論理演算機や練金学士協会の意見もある。お前にとって悪い話ばかりでもあるまい。このまま情報局まで付き合ってくれると有難いのだがな。膠着状態が解消されるかも知れんぞ」
「そうしたいのは山々ではあるのですがね、あなた方と雁首揃えて情報局に居直るのはどうかと思いますよ。指名手配犯を堂々と局内に手引きしているとあっては、さしものセニアもその批判に耐え切れないと思いますしね。とはいえ、情報が欲しいのは私も一緒です。あなた方と共に、という訳には行きませんが、その内、頃合を見てセニアには会いに行きましょう」
自らが置かれている立場は自覚しているのだ。シュウはきっぱりと言い切ると、王都から動くのが難しいセニアからの要請に、その元に赴くことを断言した。例の男についても、彼が得ようとしている情報で、重要そうなものはセニアに伝えると言う。
「まだ予言がふたつばかり成就したらしい今の段階で、彼の身柄を拘束するのは早計に過ぎるかと思うのですよ」
「しかし、甚大な被害が出ている今の状況で、その男とやらを泳がせ続けるのも問題だと僕は思うがな。お前はいつになったらその身柄を確保しても問題ないと考えるんだ、シュウ」
「先回りしてその成就を防げるようになってからでも遅くは」
「待てよ。先回りするって言っても、それは例の男たちが予言の成就をどう考えているかって問題だろ。その内容を予測したり推測したりしたところで、奴らが解釈を変えてしまったら意味がなくないか」
マサキはずっと思っていた疑問を、話の流れのついでにシュウにぶつけてみることにした。先回りするには予言の解釈が不可避なのだ。にも関わらず、その解釈はその予言の成就を企んでいる連中に委ねられている。これではその成就を防ぐのは不可能に等しい。
ならば、本体に辿り着くこと。それもまた先回りのひとつの形だ。
例の男はそのきっかけになるかも知れないのだ。だったらその拘束に躊躇う必要がどこにあるだろう。
「白鱗病にしても武器庫の爆破事件にしても、思い付きで一両日中に準備ができるものではないでしょう。どちらも相当に準備期間が必要だ。そこから私は彼らが用意周到に今回の予言の成就を計画していた可能性が高いと考えています。そうである以上、計画の全ては完成していると考えるのが妥当でしょう。
それに、私はかつて彼らと行動を共にしていたことがあるからこそ、彼らが一枚岩ではないことを知っているのですよ、マサキ。彼らは教義の解釈の違いなどで、いくつもの分派に分かれています。その中には、こういった回りくどい方法を好む人たちがいるのです。ただ、ルオゾールがあまり彼らとは親しくしていなかったことや、その警戒心の強さもあって、彼らがどこを本拠地として、どこにどういったルートを構築しているのかはわかりかねますがね。
できれば、彼らのそういった情報を掴んでから次の手を打ちたくはあるのですが」
「その情報を渡してもらった方が早いんじゃないかしら」
「勿論、セニアには渡しますよ。情報局の情報網は優秀ですから」
あっという間にカップを空にしたテュッティは、名残惜しそうにそのカップを傾けて、底に残っているクリームをすくった。「あら、私たち信用ないのね。その方が時間も短縮できると思ったのだけれど」
「私たちには私たちの情報網がある。それを有効に活用するためには、情報漏洩の可能性は最小限に留めておく必要があるでしょう。それがどの社会でも信用を得る第一条件なのですよ」
そしてシュウは、ヤンロンとマサキに挟まれて、借りてきたペルシャ猫のように慎ましやかに身を落ち着けているサフィーネに目を遣ると、「それと、もうひとつ。サフィーネ、これはあなたから」
「はい、シュウ様」サフィーネは言葉を継ぐ。「例の男周りから入ってきた情報で裏取りはまだなのだけど、今回のテロ計画を実行している実働部隊には、本隊といくつかの分隊があるそうよ。分隊の数については三、ないし四ってところかしら。ちょっと小耳に挟んだ程度の話だけれど、どうやらそれぞれ自分たちが担当する計画の部分しか伝えられていないみたいでね、予言をどういった形で成就するつもりなのかはさっぱりだわ。つまり、計画の全容を知りたかったら、テロ組織の上層部に辿り着かなきゃ駄目、ってこと」
「セニアも似たようなことを予想してやがったな。まあ、奴らの常套手段だ。いつものことだが、ひとつの部隊で計画を遂行することのリスクをちゃんとわかっていやがる」
「そういうことです。その金科玉条を守れる相手との戦いは長期戦になることを、あなた方は誰よりもよく知っていることでしょう。私からはこのぐらいですかね。さて、あなた方から他に何もなければ、少し付き合って欲しいところがあるのですが」
他にも何も、こちらの要件は既に済んでいる。マサキは口を噤んだ。あとのことはセニアとシュウの間の問題だ。
それに、訊ねたいことは山ほどあれど、今回の件に関与していないシュウやサフィーネに訊ねても、決して確たる答えは得られないのだ。それをヤンロンもテュッティもわかっているのだろう。彼らからも言葉はない。シュウ自身もこれ以上のことを話すつもりはないのだろう。少しだけ間を置くと、ベンチから立ち上がった。