新しき年に幸いなる祝福を - 4/4

 百万都市の中心部の駅は、仕事じまいを終えた年の瀬にも関わらず、まるでラッシュアワーのような混雑だった。
 話がひと段落着いたところでファーストフードを後にし、そろそろ神社に移動を始めようとしたところで、どうしても年越し蕎麦を食べたいと言い始めたミオに引っ張られて、男ふたり、年末の飲食店を訪ね歩いてはみたものの、流石にどこの店も長蛇の列。それならば駅の立ち食い蕎麦ならどうだと、交通機関を使うついでにと足を運んでみたものの、こちらもこちらで手っ取り早く年越しの儀式を済ませたい人々で溢れ返っている。
「日本人ってイベント大好きだよねえ。ちゃんとした風習も総出で盛り上げてイベントにしちゃう」
「そういや、当たり前のように食ってたけど、なんで大晦日に年越し蕎麦を食うんだっけ? 健康祈願だったっけか。子供の頃、親に聞いた記憶はあるんだが」
「縁起物ですよ。細く長く伸ばして蕎麦を作るところから、長寿を意味する食べ物となったのだとか」
 それでも街中の飲食店よりは回転が早い。十五分ほど並んだところで店内に足を踏み入れたミオは、ファーストフードでセットメニューを平らげているだけでなく、振袖を着ていることもあり、数口でいいと、残りはシュウとマサキに押し付けるつもりらしかった。「あたしは数口でいいし、二杯でいいよね」と、かけ蕎麦の食券を二枚購入する。
「お前、だったらコンビニでカップ蕎麦でよかったじゃねぇかよ。その辺の公園だったら、この寒さだ。ベンチも空いてただろうよ」
「気分よ、気分。カップ蕎麦が悪いってワケじゃないけど、やっぱり形としてちゃんとしたお蕎麦を食べたいじゃない」
「私もそんなには食べられないのですがね」
 そう言いながらも、振袖姿のミオに気を配ってはいるらしい。シュウはその手元から食券を取り上げると、彼女には少し高い位置にある厨房のカウンターの上にそれを差し出す。「取り皿をひとつ頂きたいのですが」あっという間に出てきた二杯のかけ蕎麦と小皿。カウンター下に下ろしたそれに、ミオがネギやら天かすやらを乗せて行く。トレーに乗せて、店の隅。三人で陣取れそうなテーブルまでマサキが運ぶ。
 六人ほどが立って食べられるテーブル席。カップルらしき若者たちと、忘年会帰りらしき初老のサラリーマンと相席だ。「いいねえ、嬢ちゃん。いい男をふたりも引き連れて。両手に花で初詣かい?」サラリーマンは酔い醒ましを兼ねているのだろう。鼻やら頬やら額やらを赤くしながら、水の入ったコップを片手にそう言った。
「いいでしょー? おじさんはこれから家に帰るの?」
「青春だねぇ。おっちゃんは家に帰って寝るだけだよ。寝正月、寝正月」
「初詣は行かないの?」
「近所の神社に行けたら行こうとは思ってるんだけどねえ。毎年この日まで仕事なもんだから」
 マサキはシュウとともに二杯のかけ蕎麦から蕎麦を少量ずつ取り皿に取り分けて、ミオの前に割り箸とともに置いた。「伸びない内に食えよ」
 そして、初老のサラリーマンと話し込んでいるミオを尻目に蕎麦を黙々と食べた。けれども、まだ幾分か腹に余裕のあるマサキと違って、元々の食が細いらしいシュウは中々箸が進まない。「お前の食生活は貧相だよなあ」呟いて、かけ蕎麦を奪う。「先ほど食べたばかりですよ。そんなに直ぐに、こんなには入らない」それでも半分は食べたのだから、努力の甲斐が伺えようというものだ。
 マサキももう満腹感を感じてはいたが、まだまだ育ち盛りであるからか。このぐらいの量ならどうにか食べきれそうだ。だったら、腹が膨れ切らない内に胃に収めてしまうに限る。マサキは蕎麦を一気に掻き込むと、「もう暫く蕎麦はいいや」と、水でそれを流し込んだ。
「ねえねえ、おじさんからお年玉貰っちゃったんだけど」
「お前、何してるんだよ……」
 取り皿の蕎麦は半分ほどが減ったばかり。見ればもう初老のサラリーマンは店を後にしている。千鳥足で駅の改札に向かう姿が、店の外に映る。
「交通費の足しにしなって言うから」
 現金にもミオは貰った一万円札を見せて喜んでみせるが、整備費も自分たちで稼がなければならないとはいえ、自分たちの方がサラリーマンの平均年収より遥かに稼いでいることぐらい、定期的に地上の情報を入手しているマサキは知っている。慌てて店の外、走ってサラリーマンに追い付いて、簡単に礼を述べると、「いいんだよ。気にしない、気にしない。わざわざお礼を言ってくれてありがとな。よいお年を!」広くなりつつある額を叩きながら、彼は人混みの向こう。笑顔で改札の奥へと消えていった。
「別れた奥さんとの間に娘さんがひとりいるんだって」
 マサキが店に戻ろうとしたところで振り返ると、ついでと店を出たようだ。ミオとシュウが立っている。
「お前がそういうことを言うと嘘っぽいんだよ」
「本当よ! あたしよりもうちょっと、歳は上になるらしいけどね。中々会えないらしいから」
「中々会えない?」
「別れた奥さんがあることないこと吹き込んだらしいんだって。あまりいい印象を抱かれてないみたい」
「そっか。正月に会えるといいな」その機会はきっとないのだろうと思いながらマサキは言う。
 言って、改札の奥。電光掲示板の隣の時計を見る。頃合としては丁度いい。もう神社にも人が列が長く成している時間だろう。「そろそろ行くか」マサキは二人を促して、券売機に向かって歩き出す。
「地上で戦闘する機会なんて、あたしたちには滅多にないけれど」人混みを縫いながら前へ。ミオを気遣いながら先に進む。その最中。「ああいう人たちの生活を、あたしたち守っているんだよね」ミオは何かを噛み締めるようにそう呟くと、大事そうに胸に抱いていた一枚のお札をバッグの中に仕舞った。

※ ※ ※

 駅から駅へ。電車に乗って、目的の神社がある駅まで数駅。
 そのたった数駅を、のろのろと時間をかけて電車は進んだ。そこそこの混雑の中、乗客の話に耳を傾けると、毎年こうなのだと言う。年越しに向けて神社の最寄駅への人出は一気に増え、年を越すまでダイヤは乱れっぱなし。駅は人でごった返し、数メートル進むのも困難な有様なのだとか。
 なんだかんだで朝から動きっぱなしだったマサキは、そろそろ足に軽い疲れを覚え始めていた。対して、自分が望んだ通りの年越しを過ごしているミオは元気なもの。代わり映えのしない冷めた表情のシュウがどれだけ疲れを感じているのかはわからなかったが、そんなマサキとシュウに守られながら、ミオは進行方向とは逆側の扉の脇に立ち、ひとつ話を終えては次の話と話題にいとまがない。
 普段ならば十分もあれば着く道のりを、三十分ほどかけて進んだ電車から降りれば、うんざりするほどの人いきれがマサキたちを待ち構えていた。
 一歩先に進むのも難儀なほどに、ホームは人で溢れ返っている。
 それでも、それも改札までだろうと我慢して進めば、誰も彼も神社方面へ抜けるものだから、よくもここまで人が集まったものだと思うほど。微塵も人波が途切れる気配がない。
 駅から神社まではそう距離もないというのに、中々前に進まない人の列。その向こう側、夜の帳の奥から除夜の鐘。彼方より響き渡ってくるのが聴こえてくる。それを耳にして、「ついでだし、お寺にも寄る?」などとミオは気軽に言ってのける。
「つーか、お前。寺もいいけど、初日の出はどこで拝むつもりなんだよ」
「海まで出ようかと思ってるんだけど。ここから電車で二時間ぐらいで出られるみたいだし」
「海!? そらすげーや。どんだけ今日に賭けてるんだ」
 それだったらいっそ、魔装機に乗って空中から日の出を拝んだ方が早い。そんな風にマサキは考えたりもしたのだが、それを口にしてみたところで、浪曼がどうだこうだ、日本人としてどうだこうだ、とミオに反対されるのが関の山。
 白い吐息が絶え間なく宙を舞う。無駄口を叩けるほどの陽気でもなしと、マサキがうんざりした表情でシュウを見上げるだけに留めておくと、それをどう捉えたものか、「まあ、稀にはそんな日があってもいいのでしょうね」と、珍しくもシュウはミオの肩を持つように言葉を吐く。
「お前、この間からなんかおかしくないか」
「ああだこうだとひとりで物を考えていると、気詰まりすることがあるのですよ。何も考えずに身体を動かしていたいと思うことだってある。あなたは何か誤解をしているようですが、私とて気晴らしを求めずに、いつまでも鬱々と物事や理屈を考えているばかりではありませんよ」
「だったらあいつらと楽しめばいいじゃねぇかよ。ひとりで生きている訳でもなし」
「彼女らが日本文化に通じていればいいのですが、そもそものラ・ギアス文化に通じているかすら怪しい人間もいるもので」
 そう言って、何かを思い出した様子でかぶりを振った。恐らくは、ミオが他の魔装機操者を誘いたくなかった理由に通じるのだろう。マサキたち地上人ですら、それぞれの国に対する認識には大きな差があるのだ。ましてや生粋の地底人ともなれば、何を言わんや、でもある。
「ああ、あの淫蕩女……」シュウの言葉に思い当たったのだろう。ぎょっとするような例えを出したミオは、「あれは筋金入りのインモラル育ちっぽいもんねえ。真っ当な人生を歩んできていないっていうか、根っからの裏街道アンダーグラウンド人間っていうか」そうサフィーネを評すると、「でも、シュウでも日本が恋しくなることってあるの?」と、訊ねて寄越す。
「自らの出自ルーツという意味であれば、何がしかの感慨を抱くことはありますよ」
「あるんだ。なんだかそういうのとは無縁の世界で生きてるように見えるんだけど」
「郷愁が足を引っ張ることがないぐらいにですがね」シュウが笑って言えば、
「そんなことだろうと思った」ミオが安心したように笑う。
 そんな話をしながら人の流れに乗って数十分。北の参道に入る。警備員が列の整理をしている辺り、敷地内への立ち入りには制限が掛けられているようだ。「表参道と北参道と西参道だったかな。三ヶ所から境内に入れるのよ。その列を大鳥居の前で合流させるらしいの。だからどうしても混雑しちゃうみたいで」下調べだけは充分らしいミオの説明を聞きながら、牛の歩みの如く参道を進んでゆく。
「それだったらその大鳥居の前をいざってときの集合場所にしておけばいいかねぇ。この混雑が更に凄くなるんじゃ、誰かしらはぐれそうだ」
「そうだね。最初から集合場所決めておいた方がいいよね。背の高いシュウを目印にするって方法もあるけど、――あ、明けたんだ」
 列の方々から、ぱらぱらと「明けましておめでとう」の声が上がった。
 ようやくの年明け。混雑は果てしないけれども、半日ツアーの折り返しを迎えるところまで来た。地底世界と違ってそうそうあることではなかったけれども、トラブルが発生するのは地上世界とて同じ。特に何事もなくこの瞬間を迎えられたことに、マサキは少しばかり安堵する。
 安堵して、振袖姿も慎ましやかに、「明けましておめでとうございます」それぞれに頭を下げるミオに、「ああ、あけおめ」と言えば、シュウもまた「明けましておめでとうございます」と、会釈。
「今年も宜しく、でいいのかなあ。シュウとはあたし、あんまり宜しくしない方がいいと思うんだけど」
「顔を合わせる場合が場合ですからね。そういう意味では、あまり顔を合わせたい相手ではありませんね。まあ、この先はそうならないように願っていますよ」
「でも、サンプルの分析結果が出るまでは監視するからね」
「わかっていますよ」
 新年を迎えて列が大きく動き始める。人が増え、ざわめきが一層大きくなる。喧騒、また喧騒。そして人垣、また人垣。御社殿に向かって舞い飛ぶ小銭。行きては帰る人の波。老いも若いもが迎える厳かながらも騒々しい年の明けの風物詩、その活気溢れる光景が大鳥居の向こう側にて繰り広げられている。
「お前は何を祈願するんだ」
「あたし? あたしはいい出会いがありますようにって」
 その手ではぐれないようマサキのジャケットの裾を掴みながら、後を着いて歩いて来る。ミオはマサキに話しかけられて顔を上げると、満面の笑みでそれが当然と言ってのけた。
「見事なまでの我欲ですね」僅かに眉根を寄せてシュウが言う。
「嘘でもいいから、世界平和って言えよ……お前、魔装機操者の立場をなんだと思ってるんだよ……」
「だってあたしたち、地底世界じゃ神様に喧嘩売ってるのよ。しかも思念を実体化できちゃう神様。だから、神様にだって我欲はあるみたいだし、それだったら我欲をぶつけた方が叶えてくれそうだなー、なんて。
 それにあたしたちにとっての世界平和って、自分たちの力で実現させるものでしょ。それだったら、それより叶えるのが難しいお願いをした方が現実的じゃない?」
「逆転してるんだよ……世界平和が叶えられるんなら、出会いぐらい自分の力で叶えられるだろ……」
「だったらマサキ、いい男、紹介してよ」ぷくう、と、ミオは頬を膨らませる。「あたし自分より稼ぐ男なんて贅沢言わないから。お金と世界平和をあたしに任せてくれる、他のことで頑張ってる人。どこかにいない?」
 そんな男が身の回りに存在していたら、マサキとて自らの女性問題で苦労していない。「この際、あたしが知らない情報局の人たちでもいいし」だというのに、思いの他、真剣にミオが新たな出会いを望んでくるものだから、マサキはその視線を逸らさずにいられなく。
 逸らして、そうして、助けを求めてシュウを見上げる。
「……まあ、あまり口を挟みたいことではありませんが、マサキの周りにいる女性たちを見てから、それは言った方がいいかと思いますよ」
「それって見るの女運より男運じゃないの?」
「少なくともあのお転婆娘よりは、彼らは格段に真っ当に見えますがね。何か問題でも?」
「あの人たちの酒癖の悪さを知らないって幸せだよねえ。うわばみも真っ青な勢いで呑むのに」
 魔装機操者の男性陣の酒の嗜み方は、潰れるまで延々と強い酒を呑み続けるか、酔いに任せてさして面白くもない話題について滔々とうとうと論じてみせるかのいずれかだ。あまり陽気な酒ではない上に、脱いだりナイフを投げたりの女性陣を窘めることもしない。
 そんな毎度々々まいどの乱痴気騒ぎに、ミオはミオで思っていることがあるらしい。いつも酔い潰されてばかりいる彼女は、飲む・打つ・買うはご遠慮したいのよ――そう付け加えながら、迫り来る御社殿にバッグを開くと、中から小銭を取り出した。

※ ※ ※

 だから、少なくとも、御社殿の賽銭箱の前までは一緒だった筈なのだ。
 マサキがその事実に気付いたのは、参拝を済ませ、大鳥居に戻る列の脇。居並ぶ屋台を横目に先をゆくシュウを追い掛けながら歩くこと数分後。ふっと気付くと、ジャケットの裾を引っ張っていたミオの手の重みが消えている。
 慌てて周囲を見渡してみるも、人垣に頭が隠れてしまうミオを探し出すのは至難の技だ。「おい、シュウ!」呼べば、少し離れた先をゆく彼は足を止めて、マサキが追い付くのを待っている。「ミオ、そっちにいないか?」急いでその許に駆け寄るも、「ここからは見えませんね」
「あいつ、本当にはぐれやがった」
「話をしていた通り、大鳥居で待ち合わせればいいのでは?」
「振袖だしなあ。時間かかるんじゃねぇか」
「急ぐ用事があるわけでもないのですから、約束通り待って差し上げればいいでしょう」
 気を遣う相手もいないとなれば行動も早い。シュウは歩みを早めると、人垣の中、流れるように先を抜けてゆく。マサキは置いて行かれまいと慌ててその上着を掴む。元々の歩幅が異なるのだから、いつまで経っても差が縮まるはずもなく。掴んで追いかけ続けること十数歩。
「あなたには申し訳ないのですが、この上着を私は気に入っているのですよ」
 シュウは一旦、その歩みを止めると、上着を掴んでいるマサキの手そうっと外す。「だったらゆっくり歩けよ」当然の愚痴に、シュウの口元に悪戯めいた笑みが浮かんだ。次の瞬間、彼のマサキより一回り大きな手が、マサキの手を包み込む。
 冷えた温もりに、絡み取られる指先。行きますよ、と、手を引かれて歩き始める。
「子供じゃねぇんだけどな」
「歩くスピードに手加減が必要なのが子供なのですよ」
 絡んだ指が、時折、マサキの指先を弄ぶ。撫でるように、なぞるように。なんとも言えない気恥ずかしさに、マサキは俯きながらもその手を振り払うことができぬまま、
「お前、手、大分冷えてるな」
「あなたも」
 ゆったりと前をゆくシュウに、言葉少なに後を着いて歩く。
 何故だろう。彼は時々、こうやって人目に付き難い方法で、マサキとスキンシップを取りたがった。今だってそう。ひしめきあう人混み。肩より下は殆ど見えなければ、見られない。だからなのだろう。けれどもそれが終わってしまえばいつも通り。嫌になるほど理性的に、彼はマサキと向き合ってみせた。
 それがほんの少しだけ、マサキにとっては悔しく、そしてもどかしく感じられたものだった。なのに、何故? 常々感じている疑問を、シュウにそのままぶつけられるほど、マサキは素直にはなれない。なれないからこそ、彼のこうしたささやかなスキンシップの数々に、その都度、胸が騒ぎ続ける。
 絡め合った手が、互いの温もりで、徐々に温かみを増してゆく。
 たった数十メートルの大鳥居までの距離が、永遠にも感じられる。
 けれども時間は過ぎゆくもの。大鳥居に辿り着けば、彼はあっさりとマサキから手を離し、何事もなかったかのように振舞ってみせるのだ。
「お前はさ、何を願ったんだ」
「わざわざ言うまでもないことですよ。今年一年、静かに、穏やかに、つつがなく日々を過ごせるようにと。面倒事に巻き込まれずにね。あなたは何を願いましたか」
「まあ、お前と似たようなもんだ。平和が一番だしな」
 目の前を流れゆく人波。人熱ひといきれが冬の凍える寒さを和らげる。ふと空を仰げば、澄んだ宇宙そら。その果てには、もう初日の出が昇っている国もある。マサキは目を伏せた。
 足元には冷えたコンクリートの地面。この底に、天地の裏返った世界がある。戦乱絶えないマサキの第二の故郷、ラ・ギアス。きっと自分はその大地に骨を埋めることとなるのだ。それよりも先に――そうしてマサキは目を開け、隣で静かに佇んでいるシュウを横目で盗み見る。

 ――それよりも先に、てめぇに引導を渡すなんてことにならなきゃいいんだけどな。

 左手の小指に嵌めたままの指輪が、その瞬間、マサキにはやけに重く感じられた。

※ ※ ※

 遅れること十分ほど。「ごめんね、遅くなっちゃった」鳥居に姿を現したミオは、いい加減に疲れ果てているかと思いきや、水飴を片手に掲げて呑気なもの。マサキたちへの土産はないらしい。
 そうしてミオとの合流を果たしたマサキは、シュウと三人。連れ立って駅に向かう。改札口では折角だからと、貰った一万円札を交通費に充てがおうとするミオを片手で制して、どんな気まぐれやら、シュウは三人分の切符代を出してみせた。
「珍しいこともあるもんだ」
「そのお金を大事に扱って欲しいのですよ」
 混雑にも限度があるホームから、今日という日ばかりは一晩中運行している電車に乗り込み、百万都市を抜けて南へ。亀の歩みで進んでいた電車は県境を超える頃にはスピードを上げ、湾岸に出る頃には通常運行となった。
「やっぱり疲れてるんじゃねえかよ」
「着物というものは、見た目よりも体に負担がかかる衣装なのですよ。洋装に慣れた人間にとっては、しなれない所作をしなければならないのですから。ましてや腰周りを帯で締め付けているのですし」
 人気もまばらになった車内で、セットした髪の毛が乱れるのも気にせずミオは一眠り。マサキの肩にもたれて静かな寝息を立てていた。お陰でマサキは、金と時間をかけて整えた見目が崩れるのではないかと気になって仕方がない。
「お前はまた読書か」
「当然ですね。これだけ読書に適した時間と空間もない」
「なんだろうなあ。通勤時間に暇を潰すサラリーマンみたいなことを言いやがる」
「彼らだって仕事を円滑に進めるために通勤時間を有効に使っているのでしょう」
 そのまま黙って読書に耽溺するシュウをひとつ隣に、マサキは窓の外を眺め続けた。夜の闇の向こう側で、波を微かに煌めかせている海。水平線の彼方にせり出す岬。あの騒々しい使い魔たちがここにいれば、海だ山だとさぞ賑やかだったことだろう。
 外の景色とシュウやミオを交互に眺めながら、目的地へ。マサキとシュウは起き抜けにしてはテンションの高いミオに引っ張られるようにして、駅近くの24時間営業のファミレスに陣取らされ、そのまま数時間。他愛ない雑談混じりに預言書をもう一度目を通し、明け方近くに海岸へと出た。
「ああ、東の空が明るくなってきたな。やけに眩しく映りやがる」
「そうだね。もう直ぐ日の出だね。あたしもそろそろ目が痛くなってきちゃった」
「ほぼ徹夜ですからね」
 ミオはどうにかして貰った一万円を三人で使いたかったらしく、ファミレスでも支払いを自分がすると出しゃばったものだが、「大事に取っておきなさい」とまたもシュウはそれを許さなかった。
「その一万円は、いつかあなたを支える一万円となるでしょう」
 何か思うところがあったのだろう。代わり映えのしない無表情でそう言葉を吐くと、シュウはしっかりとミオの手のひらにその一万円札を握らせたものだった。
「気持ちはもう受け取ったからいいのに」
「あなたの願いが叶って、そのときに私たちが生きていたら、使ってもらっても構いませんよ」
「やだぁ。明日は大地震? センチなこと言ってくれるじゃない」
 ファミレス前の道路を渡り、海岸へと続く階段を降りる。砂に足を取られそうになるミオを男二人で交互にエスコートしながら、朝日が見える場所へと。
「ほら、見て! 光が差してきた!」
「徹夜明けには堪える眩しさだなあ」
「あなたは同じ文句ばかり言わず、少しは有り難がってみてはいかがですか」
 考えることは誰しも同じらしく、海岸の人出は結構なものだった。
 砂浜の黒山の人だかりの奥に白んだ空。ゆっくりと顔を覗かせる太陽に歓声が上がった。
 その遥か上空。夜の名残を残す澄み渡った大空に、主を追い掛けてここまで駆けて来たに違いない。小さな機影がふたつ。並んで南に浮かぶ小島を目指し通り過ぎてゆく。
 ミオを間に挟んで男二人。――いつかこの日を懐かしく感じる日が来るのだろう。マサキはそんなことを考えながら、そうして今年の始まりの眩い太陽の光に目を細めた。