(四)
チャンネル登録者数十万人突破記念の日本旅行にマサキがシュウを連れて行ったのは、あれよあれよという間に増えるチャンネル登録者数が二十万人を突破してからだった。
ショート動画三本。時間にしてたった三分の動画のトータルの再生数は一千万を超えた。
シュウ自身は目算あって始めたチャンネルであったようだが、マサキとしてはその通りにことが運んでいることが怖ろしくも感じられる。日本国民の百人に一人が見ている計算になるのだ。これが異常事態でなければ何が異常事態なのか。
「ホント、女って何考えてるかわからねえな。動画が三本しかないチャンネルを二十万人が登録してるって、普通におかしいだろ」
「そのお陰で京都旅行に行けるのですから、私としては願ったり叶ったりですが」
サイバスターにシュウを乗せて地上に出たマサキは、一路日本に向かった。そしてシュウの知り合いが勤めているという研究施設にサイバスターを置かせてもらい、陸路を使って京都に出た。一羽と二匹の使い魔は留守番だ。出がけに散々恨み言を云われたが、ホテルにペットの持ち込みが出来ない以上は仕方のないこと。三泊四日のことだから辛抱しろと云い聞かせてはきたが、動くものと見ると飛び付かずにいられない二匹をチカと一緒に留守番させるのはやり過ぎだった気がしなくもない。
「ここに泊まるのですか?」
アクションカメラを構えたシュウが、珍しくも驚いたような声を上げた。
マサキが選ぶにしてはきちんとし過ぎていると感じたのだろう。微かに見開かれた瞳。天に向かってそそり立つシックな外観の建物を見上げた彼は、ホテル名を呟くとマサキの顔に視線を戻してきた。
「泊まるに決まってるだろ。安心しろよ。ちゃんと予約してあるから」
京都駅に程近い位置にある高級ホテルは、シュウはさておき、散財癖のないマサキとしては人生で初めて宿泊するランクのものだった。何せシングルでも一泊三万円。これに緊張しないマサキではない。肩に下げたデイパックの紐を握り締めたマサキは、ホテルマンに恭しく頭を下げられながら、シュウを従えて入り口を潜った。
いつも彼に選択を任せているマサキとしては、ある意味新鮮な体験だ。
それに僅かな優越感と興奮を感じながら、マサキはロビーのカーペットの上を進んだ。最上階まで吹き抜けになっているホールに下がる巨大なシャンデリア。ここからは宿泊客の動きが良く見える。シュウをソファに待たせてチェックインカウンターに立ったマサキは、地上で活動する際に使用している身分証明書を提示しながら、自らの名前を告げた。
「お待ちしておりました、安藤様。只今、お部屋にご案内いたします」
果たしてマサキが取った部屋を見たシュウはどういった反応をするだろうか。ホテルマンに荷物を渡してエレベーターに乗ったマサキは、考え込む素振りをみせているシュウに、何だよ。静かじゃねえか。と話し掛けた。
「旅行の費用がどのくらいになったか考えているのですよ」
「全部俺が出すって云っただろ。気にするんじゃねえよ。お祝いじゃねえか」
「釣り合えばいいのですが」
「釣り合う?」
「いえ、こちらの話ですよ」
エレベーターが止まったのは最上階のひとつ下のフロアだった。ホテルマンに先導されながらホールに出たマサキは、間近に迫った吹き抜けのシャンデリアを横目に通路を行き、奥まった所にある部屋のドアの前に立った。
「こちらの部屋になります」
ホテルマンから荷物を受け取る。鍵はカードキー型だ。ドアノブの上部にあるスリットにカードキーを差し込んだマサキは、お前が先に入れよ――と、シュウを先に行かせた。恐らく地上に度々出ることの多いこの男のことだ。しかも贅沢を好む面もある。きっとこういった場にも慣れていることだろう。
「これは……」
アクションカメラを構えながら部屋に入っていったシュウが、驚きに言葉を詰まらせる。
ドアの向こう側に広がっているリビングスペースを、窓から差し込む光が明るく照らし出している。ふたり用の部屋とは思えぬ広さ。一般的な家のリビングが三つは入りそうなスペースの手前はダイニング、奥側がソファコーナーになっている。
中央に盆栽が置かれた木目調の楕円形ダイニングテーブルに、座り心地の良さそうなダークグレーのクッションチェアー。壁際に巨大な鏡を張り付けたドレッサーコーナーがある。奥には黒いガラステーブルを囲うようにライトグレーのコーナーソファが配置されている。正面には作り付けのAVボード。モダンな置物が飾られている中央に、42型の液晶テレビが収まっている。
洋間ではあるが、和を意識した配色。
流石はロイヤルスィート。一泊二十五万円するだけはある。高級感溢れる雰囲気は予約サイトで客室のグレードを予め確認していたマサキであっても、感嘆の溜息を洩らさずにいられない。
大枚を叩いた甲斐はあった。マサキは窓のシェードカーテンを上げた。その先には二十メートルほどの温水プールが広がっている。泳げるんだぜ。そう云って室内を撮影しながら眺め回っているシュウに笑いかけると、驚きましたよ。珍しくも素直に感情を表す言葉が返ってくる。
「あなたがこういった部屋を用意してくれるとは思ってもいませんでした」
「お前と泊まるんだったら、こういった部屋の方が喜んでくれんじゃないかと思ってさ」
「嬉しいですよ、マサキ」
ひと通りリビングを確認したシュウが、そう云ってテレビコーナーの脇にある扉に手を掛ける。
「こちらはベッドコーナーですか」
「ああ。こっちもかなり広いぜ。入ってみろよ」
アクションカメラ片手にドアを開いたシュウが、ゆっくり眠れそうですね。と、含み笑いを洩らす。部屋の中央にはクイーンサイズのベッドがふたつ並んでいた。
「ダブルだと部屋のランクが落ちるっていうからさ」
「構いませんよ。明日、明後日は寝に帰ってくるようなものですしね」
寝室だけあって窓は小さめだ。光を取り入れる部分を少なくすることで、ゆっくり眠れるようにと配慮しているのだろう。代わりに間接照明が多く置かれている。
「これなら気持ち良く寝られそうですよ」
「だろ。ベッドルームが独立してるのはいいよな」
マサキは今開いたドアの右手側にあるドアの前に立った。バスルームも凄いんだぜ。そう云いながらドアを開く。
最上級のロイヤルスイートともなれば、バスルームもかなりのものだ。白を基調とした清潔感溢れるジェットバスは、手足を伸ばしてゆったりと浸かれるだけの広さがある。その外にはウォークインクローゼットと続きになった洗面所。四人並んで身だしなみを整えてもお釣りが出る広さに、奮発した甲斐はあったよな。マサキは笑って、ウォークインクローゼットにデイバッグを置いてソファコーナーに戻った。
「今日はホテルでゆっくりとして、明日、明後日と観光三昧しようぜ……って、何だよそれ」
「登録者数二十万人突破記念のプレゼントです」
程良い硬さのソファに腰を下ろして、シュウが出てくるの待つ。と、姿を現わした彼の手には、高級そうな手提げ袋。
厚手の白い紙袋の中央には、箔押しでodor mellisと店名が刻み付けられている。マサキは首を傾げた。聞き覚えのない店の名に、中身は何だよ。と、尋ねてみるも、微笑むばかりで返事がない。
マサキは紙袋の中身を取り出した。
ペパーミントグリーンの小箱。中を開くと、手のひらサイズのプッシュ型の容器が収まっている。
「あなたに合うと思って買った香水です。この部屋と比べるとささやかではありますが、お風呂上がりにでもどうぞ」
「それで釣り合いが取れないって云ってたのか。気にするなよ、そんなこと」
笑いながら、マサキは試しに香水を手の甲に吹き付けてみた。ふわりと漂う香り。草原を吹き抜ける爽やかな風を感じさせる香りが鼻腔を擽った。
くどくはない。かといって直ぐに消えてしまうような頼りない匂いでもない。控えめながらも存在感を主張する静かな香りは、シュウがマサキにどういったイメージを抱いているかを如実に伝えてくる。
いい匂いだな。暫くその匂いを嗅いでいたマサキは、隣に腰を下ろしたシュウの肩に頭を預けて微笑んだ。
「これなら俺でも付けられそうだ」
「そう云ってもらえると、選んだ甲斐があったというものです」
カメラをテーブルの上に置いたシュウが、マサキの頭をそうっと引き寄せてくる。ゆっくりと近付いてくる彼の顔に、マサキは静かに目を閉じた。
※ ※ ※
十万人突破記念番外編の京都旅行の動画は、滅茶苦茶な伸び方をしたようだ。七百万再生を突破したとシュウに聞かされたマサキは、『次は絶対にダブルで』と熱望する視聴屋のコメントがこれでもかと続くコメント欄に、こいつらやっぱり何を考えてるかわからねえ。そう呆れ果てて宙を仰いだ。