(五)
「どうです? バカンスを過ごしてすっきりした気分で挑む撮影は!」
シュウの肩にとまっているチカが声を上げた。
メイクルームに響き渡ったノック音。どうせ関係者だろうと思ってスタッフに任せておけば、出現したのは他でもないシュウだった。お邪魔しますよ。そう云って、それが当然の権利とばかりにメイクルームに入り込んできた彼は、肩で姦しくお喋りを繰り広げている自身の使い魔もそのままに、部屋の隅に陣取ると、マサキたちの準備が進むのを見守り始めた。
「お前……何で、ここにいるんだよ……」
マサキは力なく項垂れた。
一週間ほど古き街でバカンスを過ごしたマサキは、そこでシュウと別れ王都に戻った。そうして、何か大事が起こっていなければいいが――と、訪れた情報局。いつもならば、行き先を告げずに行方を眩まそうものなら怒るセニアだったが、何故か今回はそういったこともなく。今は暇だしね。そう云ってあっさりとマサキを解放したセニアに、マサキは首を捻りながらもこれ幸いと、撮影までの日々をのんびり自宅で過ごした。
もしかすると、血の繋がりのあるシュウとセニアのこと。裏で何らかの遣り取りがあったのかも知れない。
だとすれば、シュウには礼をしなければ。そう思っていたマサキだったが、まさか広告撮影の為のメイクルームで顔を合わせることになろうとは。最早、礼どころの騒ぎではない。ありとあらゆる人脈を駆使してこの場に入り込んだに違いないシュウを、マサキはどうにかして追い出す必要性にかられていた。
「私がいることに何か不都合でも?」
「大ありだ」
白色のワントーンコーデ。身体にぴたりと張り付くタートルネックのシャツにカラージーンズ、そしてモンクストラップ付きのショートブーツ。それが今のマサキの格好だった。
アクセサリーの装着とメイクがまだなのは不幸中の幸いだったが、だからこそ、この先どう変身してゆくのかをシュウには見せたくはない。
どうせ、実際に広告展開が始まれば嫌でも見られることになるのだ。それだったら舞台裏を知らぬまま見られる方がまだマシだ。マサキとしてはシュウの前で恥を掻く回数は最小限に済ませたかった。
「まあ、話の流れ的に、今回は乗り込んでくるんじゃないかと思ってたけどねー」
先にメイク台に向かっているミオが、メイクアップアーティストの手で顔にパウダーをはたかれながら口にする。
マサキと色違いのコーデ。彼女のカラーは黄色だ。メイクはまだ途中であったが、ポイントメイクはオレンジ系で纏められる筈である。
「そういった予想をしないのがマサキらしいわね」
既にメイクを終えたテュッティはメイク台の前に座ったまま、ファッション雑誌を読んでいる。
アイメイクはターコイズブルー、チークはホライゾンブルー。マドンナブルーのリップとポイントメイクを青系で纏め上げられた彼女は、こちらもマサキと色違いの青いワントーンコーデに身を包んでいる。
シンプルな衣装でも美しさが際立つのは流石の北欧美女。紙面から顔を上げることなく言葉を口にしている辺り、こちらもシュウの登場をある程度予測していたようだ。
「お前からすれば、こんな面白い見世物も他にないだろうしな。シュウ」
ミオの隣のメイク台に陣取っているヤンロンが、ベースメイクを施されながら云った。
マサキ自身、盛大に抵抗するのではないかと思っていたヤンロンだったが、思ったよりはすんなりと広告モデルになることを受け入れた。僕ひとりでないのであれば、仕方あるまい。セニアから話をもらった際の彼の台詞から察するに、どうやら魔装機神操者揃い踏みという規模の大きさに諦観の念にかられたようだ。
着ている衣装は勿論、赤色のワントーンコーデ。この先、彼が暴れでもしない限りは赤系のポイントメイクが施される予定だ。
今回の広告は、魔装機神操者が四人揃うということもあってか、それぞれの機体のカラーをそのまま衣装とメイクに反映させることになっている。恐ろしい――マサキはポイントメイクを白系で纏め上げられる自分のメイク後の顔を想像して首を振った。
「勿論ですよ。あなた方が四人揃って広告モデルを務めるだけでも興味深いのに、その上このコンセプトですからね」
前回のイメージキャラクター時のメイクの方がまだましだと思えるエキセントリックな発想を、今回の依頼主に持ちかけたのが誰かは最早疑いようがない。お前さあ。マサキは額に手を当てながら面を上げた。そして、日頃面白くない表情をしてばかりの男にしては、驚異的な愛想の良さをみせているシュウの顔を再び睨んだ。
「どうして普通の格好をさせねえんだよ……」
「それでは広告モデルの意味がないからですよ、マサキ」
「お前、俺のこんな格好を見て、本当に楽しいか?」
マサキはメイク台の上に置かれている今日の企画書を取り上げて、シュウへと突き付けた。
それぞれ異なるジュエリーを身に付けたマサキたちは、金糸で刺繍が施されたベールを被って撮影に臨む予定だ。女性であるテュッティとミオはともかく、男性であるマサキとヤンロンはギャグにしかならないだろう。当事者たるマサキとしてはそう思う。
一体、何を食べたらこういった発想になるのか――シュウ=シラカワという唯美主義者は美を追求し過ぎるがあまり、何が正解なのかわからなくなってしまったのではなかろうか。企画書を手に取ったシュウが莞爾として中身を改めるのを見て、この状況に彼が満足しきっているのを悟ったマサキは、自分がいつの間にか一種の悟りの境地に至っていることに気付かされた。
「楽しくなければさせようとは思いませんね」
「絶対に次はやるなよ」
「それは勿論」クックと嗤い声を上げたシュウが、マサキの耳元に口唇を寄せてくる。「約束していただきましたしね」
「あーつい!」
鏡越しにマサキとシュウの遣り取りの様子を窺っていたようだ。アイメイクに入ったミオが片目を閉じながら茶化してくる。
「ところで、本当に本当に様子を見に来ただけ?」
どうやら読み終えたようだ。ファッション雑誌を畳んだテュッティが、疑うような眼差しをシュウに向ける。
「それも目的のひとつではありますね」
「やだ。すっごい嫌な予感」
ちゃんとして、ミオちゃん。顔を顰めかけたミオをメイクアップアーティストが諫める。はーい、と声を上げて真顔に戻った彼女の隣で、何かが思い当たったようだ。ふむ、とヤンロンが頷いた。
「よもやとは思うが、お前もモデルをやるとは云わんだろうな、シュウ」
嗚呼――マサキはその瞬間、雷に打たれたような感覚を味わった。
これを最後にマサキの広告モデル業への介入を止めると誓ったシュウにしては、確かに今回のコンセプトは手緩くもある。いや、魔装機神操者四人をそれぞれの機体カラーで染めるという発想は充分に奇特ではあるのだが、美を至上のものとする唯美主義の申し子である彼ならば、マサキたち常人が思い付かないような――それこそ真理と美の一体化などといったマサキには微塵も理解出来ないようなテーマを持ち出して、宇宙規模的な格好をさせていてもおかしくはない。
そう、彼はまだ、マサキに隠している奥の手があるのだ。ヤンロンの言葉でその可能性に思い至ったマサキは、その刹那、シュウの顔が悪魔的な微笑に彩られてゆくのを目の当たりにした。
「あっらあ、バレちゃいましたよ。ご主人様ぁ!」
シュウの肩でそれまで大人しくしていたチカが、途端に心底愉快で堪らないといった声を上げる。
そんな馬鹿な。マサキは呆然自失の態でいた。ラングランを窮地に陥れた重罪人として、人々の記憶に深く刻み込まれている男である。如何にセニアがそのバックに就いているとはいえ、流石に衆目の下に姿を晒せば一波乱が起きるのは必至。
だのにシュウはマサキの手を取ると、これ以上の嗤い顔はないといった表情で云ってのけるのだ。
「と、いうことで、撮影には私も参加しますよ、マサキ」