リューネ=ゾルダークとウエンディ=ラスム=イクナートの明るい憤然
「なーんか、怪しくない?」
多忙にも日々を研究に費やしているウエンディの許を訪れて、城下へと。彼女を連れ出したリューネは、途中でクレープ屋に立ち寄ってふたり分のクレープを購入すると、それをそれぞれ片手に、中央広場の噴水前のベンチに並んで腰掛けた。
フレッシュな苺がふんだんに使われた、バニラアイス入りの生クリームクレープ。アイスをスプーンで掬いながらひと口、またひと口と食べ進めながらリューネが云えば、何がなの? と、ウエンディは何のことかわからない様子で、淑女然とたおやかに微笑んでみせた。
年齢に見合わない若さを保っているウエンディは、全ての動作がしとやかだ。見目も気にせずクレープのアイスを口に頬張るリューネとは違う。儚げで、風が吹けば折れてしまいそうな雰囲気……自らとは対極に位置する彼女を、けれどもリューネはどうしようもなく気に入ってしまっている。
そんなウエンディはひと口クレープを口に含むと、ゆっくりと噛み進めていった。ラズベリーがたっぷり入った、クリームチーズベースのクレープ。酸味の効いたほろ甘いクレープは彼女の味覚を強烈に刺激したようだ。美味しい! 嬉しそうに声を上げたウエンディに、でっしょー? と言葉を返したリューネは、そのクレープを買った店がどれだけ城下で人気なのかを暫く語って聞かせた後に、何となく怪訝そうな表情をしているウエンディを目にして、はたと我に返った。
そういう話をする為に足を運んだのではなかった。
マサキなのだ、問題は。
いや、マサキ自身はいつも通りなのだ。風の向くまま、気の向くまま。誘えば気安く仲間に付き合ってくれる彼は、けれどもそういった用事がないとみるや否や、ひとりで風の魔装機神を駆って西へ東へ。かつては一匹狼然としていた彼は、沢山の仲間と死地を潜り抜けたことで、その日常に馴染むようになってはいたものの、それでも時には本質的な部分が疼くのだろう。当てのない放浪は、時には一週間以上にも及ぶことがあった。
それ自体はいいのだ。リューネは膝に肘を置いて、頬杖を付いた。
どれだけ放浪を繰り返したところで、最後にはマサキは仲間の元に戻って来てくれる。それは孤独を愛していたマサキが、自分の居場所を騒々しい仲間たちのところと認めた証であった。だからこそマサキに近しい間柄であるテュッティも、口煩く咎めることをしなくなった。
決して短くはない放浪の期間に何をしているのか。リューネは幾度もマサキ自身に尋ねてみたことがあった。その答えはいつも一緒だ。あちこち適当に――方向音痴のマサキのことだ。きっと、その最中には、目的地に辿り着けずに迷い続けていたこともあっただろう。
とはいえ、怪しい。
鈍感なマサキに期待した答えを吐けというのには無理がある。だからこそリューネは魔装機神の操者たちを頼った。上位ランクの魔装機を扱う仲間として、普通の仲間たちよりも一段上の付き合いを重ねている彼らは、普段はめいめい好き勝手に行動しているように見えても、いざとなれば自然に統率の取れた動きをしてみせたものだ。マサキも彼らには信頼を寄せているようで、ここぞという時に頼る様子を見せるのは、いつだって彼ら魔装機神の操者たちだった。
彼らならマサキの放浪先を知っているだろう。そう考えたリューネは、稀に彼らが集っているゼオルートの館に向かったのだが。
※ ※ ※
テュッティとミオのふたりが顔を揃えていたその席に、館の所有者であるマサキの義妹プレシアの姿はなかった。それだけなら珍しいことではない。生粋の地底人である彼女の付き合いは、魔装機操者たちよりも広範囲に渡る。きっと同年代の友人たちとでも会っているのだろう。けれどもマサキの姿もないとなれば話はまた違ってきたものだ。
何でも朝方いずこへと出掛けて行ったマサキは、戻って来て朝食を取ると、そのまま睡眠を取るべく自室に引き籠ってしまったのだという。そんなに朝も早くから何処に、とリューネが尋ねてみれば、さあとテュッティは惚けたことを云う。
「行き先ぐらい把握しておきなよ。放っておいたら、マサキはいつまでも行方不明になりかねないんだからさ」
非難めいたことを口にするつもりはなかったものの、この態度が続くようではリューネは自分の目的を果たせなくなってしまう。決して気が長くはないリューネが、つい焦って口にしてしまった自身の態度を咎める言葉に、けれどもテュッティは気分を害した風でもなく、ヤンロンと同じことを云うのねと微笑った。
「あの子ももう大人なのだし、自分の行動の責任ぐらい自分で取れるでしょう」
「呑気だなあ。何かあったらどうするんだか」
はあ、と溜息混じりに肩を竦めてみせる。とはいえ暖簾に腕押し。テュッティはどこ吹く風とばかりに、座ってお茶でも飲んでゆけば、と、席を立ってキッチンへとお茶の用意をしに行ってしまった。
16体の正魔装機を統率する風の魔装機神の操者が、頻繁にその居所を不在にしているのにこの態度。マサキを信頼しているにしても、物には限度というものがある。それとも彼女は、やはりリューネが予想している通り、マサキの行き先に心当たりがあるのだろうか……?
「まあ、テュッティは予想が付いてるんじゃないの?」
「何それ」
「マサキの行き先」
まるでリューネの邪な目的を見透かしているかのように、そう口にしたミオがにひひと笑う。
怪しい。とてつもなく怪しい。リューネは席に着きながら、横目でミオの様子を窺った。
本心を悟らせない笑顔。無邪気なようで腹に一物ありそうな表情は、彼女がマサキの放浪の理由やその行き先を知っていると思わせるに充分なものだ。
とはいえ、彼女はいつもこうだった。人をおちょくることに至上の歓びを感じるらしい彼女は、思わせぶりな態度をしてみせる割には、実は何も知らないということがままある。もしかすると今回もそうかも知れない。リューネは警戒しつつ、ミオの次の言葉を待った。
空気を読むのが上手い上に、勘もいい。当て推量で口にしたことが当たっているのも珍しくないミオからなら、マサキの真実に繋がるヒントを得られるやも知れない。だのに彼女は何が可笑しいのか、ただただ笑ってみせるばかり。
怪しい。ひたすらに怪しい。
何か知ってるの? リューネは単刀直入にミオに尋ねることにした。さあ? どうやら彼女はリューネが知りたいことについて口を割るつもりはないらしい。空惚けた様子でそう口にする。
「あんたたち、もう少しマサキに関心を持ちなよ」
「マサキにだって、秘密にしたいことのひとつやふたつあるでしょ」
「秘密ねえ。まあ、マサキは自分のことあんま話したがらないタイプだけどさ」
「あたしだってやだなあ。どこに行ってるとか、何をしてるとか、一々探られるの。それって束縛でしょ。後ろめたいことがなければ明かせるって云う人もいるけど、そもそも疑われてなければそんな風に詮索されないしね」
う、とリューネは言葉を詰まらせた。全く以てミオの云う通りだ。
リューネ自身は束縛されたい側の人間である。あるけれども、それでも云いたくないことや詮索されたくないことがあったりする。父親であるビアン=ゾルダークのことにしてもそうだ。巨大な組織の総帥の娘として育ったリューネは、普通の父親という存在に強い憧れがあったものだ。だから、ではなかったものの、父娘の間にはそれなりの確執もあった。
それをリューネは同情を誘うように語るつもりはない。例えマサキが相手であろうとも。恐らくは一生の秘密になるに違いないリューネ=ゾルダークの葛藤。秘密は秘密のまま墓場まで持って行こうと決心はしているものの、そこに無遠慮に触れられるのは明瞭り云って気分が悪い。
「あー、でも、やっぱり知りたい!」
「どうしたの、リューネ。突然、そんな大声を出して」
ティーセットを乗せたトレーを手にキッチンから姿を現わしたテュッティが、リューネとリューネの突然の絶叫に耳を塞いでいるミオを見遣ってぽかんとした表情を浮かべている。これだけ明け透けな態度を取っても、彼女にはリューネの目的がわからないらしい。
流石はマサキの姉代わりを自称しているだけはある。鈍感な所がどうしようもなく瓜二つだ。
「テュッティ、リューネはね、不在にしているマサキが何処に行っているのか知りたいんだって」
「あら……そんなの……」
そこまで口にしたテュッティが、はたと何かに気付いた様子で言葉を飲み込む。そして、今日はいい天気ね。と、リビングの窓の外に視線を向けながら、話題逸らしにもなっていない台詞を口にする。
「こんなにいい天気なんだもの。マサキだって何処かに行きたくもなるでしょう」
これには流石にミオも呆れずにいられないようだ。えー……? 眉を顰めながら、いや、まあ、それはそうだけどさー……とかなんとか、もぐもぐと口の中で呟いている。
気が削がれること他ない。毒気を一気に抜かれてしまったリューネは、ギブアップ。目的を果たすのを諦めることにした――……。
※ ※ ※
「それで私を呼んだの、リューネ」
クレープを食べながらリューネの話に耳を傾けていたウエンディは、いつの間にかその全てを食べ終えてしまっていたようだった。膝の上に乗せられた手。すらりと伸びた脚が、タイトなスカートの下から覗いている。
「だって、気になるでしょ」
「とはいえ、毎回、毎回、シュウと会っているとは思えないのだけど」
「会ってるんじゃないかとは思ってるワケね。その割には余裕じゃない、ウエンディ。まさかあたしに抜け駆けしてマサキと何かしてるなんてこと……」
「もう、あったらちゃんと云ってるわよ」
「どうだかなー。ウエンディはその辺、簡単にあたしを裏切りそうなんだよねえ」
「失礼ね。これでも私、約束したことはちゃんと守るわよ。抜け駆けはしない。約束よ、リューネ」
ストッキングを履いた脚の、思ったよりも色気を感じるライン。男ってこういうのに弱いんだよね。いつだったかマサキを揶揄うつもりだったのだろう。マサキと馴染み深い軍の兵士たちが、マサキを囲んで魔装機周りの女性陣を品評しているのを、リューネが壁の影で立ち聞きしてしまったことがある。
彼らのリューネへの評価は、「出るとこが出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいるのに、いかんせん私服のセンスがなさ過ぎる」というものだった。対してウエンディに対しては、「中身を見たくなる脚の持ち主」だったのだから、如何に彼らがウエンディ=ラスム=イクナートという練金学士に、性的な魅力を感じているかというのが知れるというもの。
それを黙って聞いていたマサキは、自分たちに果たして異性としての色気を感じているのかいないのか。結局、リューネはマサキの自分たちに対する評価を聞けぬまま、その場を立ち去るしかなくなってしまったのが――。
きっとマサキは忘れてしまったのだ。自分に可愛いと云ってくれたあの日のことを。
――やるせない。
いつまで経っても前に進むことのない関係。男の可愛い≠恋愛としての好きではないことは、リューネももう子供ではない。わかっているつもりだ。だからこそ待つと云った。云ったけれども、長い片想い。気短なリューネとしては、稀には焦れてしまうこともある。
きっと今のマサキはまだ恋愛には興味がないのだ。
仲間と騒がしくしている方が楽しいからこそ、その現状に満足してしまっているのだろう。そう自分を納得させてみせても、腑に落ちない思い。だったらシュウはマサキの何であるのか。人目を忍ぶように秘密の逢瀬を重ねているのだとしたら、それこそまさに恋人同士の情事ではないか!
「それにしても、リューネはどうしてそこまでシュウのことを毛嫌いするのかしら」
「別に毛嫌いしている訳じゃないよ。親父の所にいた頃は、そりゃあいけ好かない奴だとは思ってたけどさ」
「でも、人を好きになる気持ちを止められる筈もないもの」
「何でウエンディの中では、あのふたりがデキてるような感じなの?」
「そんなつもりじゃないのよ。ただ、そうだったとしても、私たちがとやかく云える話ではないでしょう。マサキが誰を選んだとしても、それがマサキの決めたことなら、きちんと祝福してあげないと……」
どうもウエンディ=ラスム=イクナートという人間は、リューネには言葉を濁してみせるものの、男同士の恋愛にある種の浪漫を感じる人間であるらしい。今回もそうだ。まるでマサキがシュウとくっついても構わないといった口を利くウエンディに、呆れたリューネは自分の分のクレープの残りを一気に口の中に押し込んだ。そして、あーあ。と、ひとつ大きく伸びをした。
テュッティやミオに限らず、ウエンディまでこの態度。どうもリューネの周りの人間は、思った以上にマサキとシュウの関係に危機感を感じていないらしい。何だかなあ。同じ境遇の女同士で愚痴を吐き合う展開を期待していたリューネとしては、肩透かしを食らった気分になる。
「あたしとウエンディだけでいいのになー」
「そうなったら素敵なことだとは思うけど、私、最近こう思ったりもするのよ。このままマサキがひとりでいるのなら、それはそれでいいかなって」
「えー、あたしはヤダ。ちゃんと誰かと結婚して欲しい」
「それがシュウでもいいの?」
「まだ云ってる! 嫌なものは嫌なの! それだけは絶っ対に嫌!」
そう叫んでウエンディを振り向けば、いつもと変わらぬ温かい微笑みがある。その艶やかさに、思わずつられたリューネの口元も緩む。そうして笑ってから、直ぐに自分の過ちに気付いたかのように、こう思ってしまうのだ。
――本当はこんな風に笑っている場合ではないというのに。
長い付き合いの恋敵。けれどもリューネにとっては一番の親友。だからこそ、リューネは彼女のこういったマイペースな所に助けられてきた。長いだけでは表現が足りないぐらいの長い片想い。それを投げ出さずに続けてこれたのは、ウエンディという同じ境遇の親友がいたからこそ。
気付けば鬱屈とした気分はどこにやら。何だかんだ云った所で、テュッティやミオも、深刻になり過ぎないことで、リューネの気持ちを軽くしてくれていたのやも知れない。リューネは頭上に広がる青空を見上げた。今日もラングランは快晴だ。
「ねえ、ウエンディ。次はパフェを食べに行かない? その後は服を見に行こうよ!」
「あら、もう次のデザート? だったらリューネ、先に服を見ましょうよ。お腹を空かせた所で、ランチついでにパフェにしない?」
「いいね、それ。賛成!」
折角、親友を誘い出したのだ。だったら今日はついでに女同士の気兼ねない時間を楽しむことにしよう。
――シュウのことについて考えるのはその後だ。
リューネはベンチから立ち上がると、ウエンディの手を引いて、今日も人出の多い城下へと。ふたり並んで繰り出して行った。