Scene ∞.エピローグ
身の丈三倍はあろうかという巨大なキメラ型の猛獣との戦闘は、治安部隊が辿り着くより先に、呆気ないほどの容易さで決着が付いた。
マサキ単身でもそれなりの戦闘力になる上に、知力と武力と魔力に長けるシュウのバックアップがあるのだ。どれだけ奇怪な外見をしていようとも、所詮は飼育獣。野生の獣のしなやかで逞しい身のこなしと比べれば、ぎこちなさの残る動きは、常に戦列に立つマサキにからすればスローモーションの世界に等しかった。
シュウは治安部隊が辿り着いた際の混乱に乗じて姿を消したようだ。
観客やスタッフの証言を集めるに、ゼフォーラ姉妹は体調を崩していたようだ。マサキたちが見た午後一番のステージから次のステージの間に何が起こったのかは不明だが、ステージに出てきた時点でふらつくぐらいには姉妹の調子は悪かったようである。結果、彼女らは憑依術に失敗。檻が開いても獰猛さの収まらぬ獣に相次いで食い殺されたのだと、観客たちは口々に語った。
現場の調査にひと段落が付くのを待って、マサキはザッシュとともにザルダバの街を後にした。
姉妹の死体は辛うじて人であるとわかる程度にしか原形を留めていなかった。それをセニアは軍部経由で手を回して手に入れたようだ。現在、死因を含めた詳しい調査が行われている真っ最中であると訊くが、どういった目論見があって姉妹の死体の調査にセニアが乗り出したのかはわからない。きっとシュウに似た精神性を持つ従妹のすることだ。同じような考えを元に動いているのだろう。
ファングはひとりザルダバに残った。
ザッシュとの聞き込み調査で入手したゼフォーラ姉妹の人間関係の洗い出しを行うつもりでいるらしい。それだけ入手した情報に自信を持っているのだろう。自由に使える駒であったファングの暴走がまだ続くことに、セニアは多少困っているようだったが、どうせ近くにいれば酷使するだけだ。羽休みには丁度いい機会だとマサキは思っている。
マサキとともに王都に帰還したザッシュは、表面上はこれまでと変わらぬ日常を送り続けている。
道中であれだけマサキをおちょくってみせたザッシュは、律儀にもその最中にマサキがさせた約束を守る気でいるようだ。今のところ彼が新たな騒動の火種を撒き散らしたという話は聞かない。とはいえ、厄介さに磨きのかかる彼のことである。いつかマサキが忘れた頃にでも今回の件を持ち出してくるに違いない。
セニアにシュウから託された商人のデータを渡したマサキは、再び日常に戻った。とはいえ、立て続けに死人が出ている状況下。心置きなく日常を過ごすという気持ちにはどうしてもなれず、暫くの間はセニアから受け取った預言書のコピーと睨み合う日々が続いた。
※ ※ ※
不甲斐なさを歯噛みすること一週間。ようやく気持ちの整理を付けたマサキは、軽い任務でもあればと情報局を訪れた。見知った顔と挨拶を交わしながら執務室に向かう。重苦しい意匠の扉を開けば、山となった書類に埋もれるようにしてセニアがホログラフィックディスプレイを操っている。
「丁度良かったわ。連絡しようか迷っていたところだったのよ」
「お前が連絡を躊躇うなんて珍しい」
席を立ちあがったセニアが執務用のデスクの上に置いてあるコーヒーサーバーを手に取った。見るからに濃さが知れる黒さ。また不眠不休で働いているのだろうか。そのサーバーから注がれたコーヒーを差し出されたマサキは、眉を顰めながらもカップを受け取った。
「ようやく落ち着いたところで楽しくない話を聞かせるのもね。そのぐらいの良心はあるのよ、あたしにも」
「聞かせろよ。何か出たんだろ」マサキは手近な椅子を引き寄せて座る。
聞きたいことは幾つもある。食通アルバの館に出入りしていた商人の行方、ゼフォーラ姉妹の死体解剖の結果、そしてザルダバに残ったファングの調査の進捗。シュウが口にしていた潰された情報網のその後や、これから対策を講じなければならない次の預言に対する練金学士協会の解釈も気になるところだ。
「あなた実は仕事中毒なんじゃないの? 西部で結構な目に合ったんでしょ。暫くゆっくり身体を休めてればいいのに」
次から次へと訊きたいこと口にするマサキにさしものセニアも呆れ顔だ。
煩えよ。マサキは手にしたままだったカップの中身に口を付けた。味も風味もへったくれもない泥水のようなコーヒー。セニアはそれを大量に必要とするまでに多忙な日々を送っている。それもこれも解釈次第でどうとでも転ぶ預言の所為だ……ひと思いにコーヒーを飲み干したマサキはやりきれない気持ちを吐き出した。
「毎度々々人が死にやがるようになりやがった」
「分派とはいえ、邪神教団が絡んでいる以上はね。遅かれ早かれこうなるってわかってたでしょう」
「御託はいいんだよ。俺の疑問に答えろよ」
マサキの気が荒ぶっているのを感じ取っているのだろう。肩を竦めてみせたセニアは、けれどもそれ以上個人的な意見を口にすることはせず。コーヒーを注いだカップを手にすると、再びホログラフィックディスプレイの前に陣取った。
「先ず、アルバの許に出入りして商人については鋭意捜索中。ラングラン各州の商人組合には姿を現わしたら連絡を寄越すようにとは云ってあるんだけど、ラングランは兎に角広いから……」
「本物の商人じゃない可能性もあるしな」
「そういうことよ」ディスプレイを捲る手が止まる。「次はファングの調査だけど、進捗は芳しくないわね。早い段階から標的が街を出ている可能性も考慮して調査範囲を広げてはいたみたいだけど、ラングラン西部ってひと口に云っても他所の国に匹敵するぐらいの広さは余裕であるしね。だからファングは近く呼び戻すつもり」
「あいつにとっちゃあっちの方が性に合ってるんじゃないかね」
「軽口を叩けるぐらいの余裕はあるのね」
「お前があいつを扱き使ってるのを心配してんだよ、これでも」
「失礼ね。加減はしてるのよ」
加減をしているのであれば、個人的な超魔装機の開発にまで付き合わせはしないだろうに。マサキはそう思いはしたものの、柳に風の受け答えが板に付いているセニアが相手だ。それに話を悪戯に引き延ばすのも性分ではない。マサキはファングの話についてはこれきりにすることにして、次にゼフォーラ姉妹の死体解剖の結果を訊くこととした。
「まあ、いい。ゼフォーラ姉妹はどうなった?」
「薬物が出たわ」
至極あっさりと口にしてみせたセニアに、予想外だとマサキは椅子から腰を浮かせて彼女に迫った。
「薬物だって?」
「そう。強い睡眠作用のある薬物よ」
「だからステージに登場したした時点でふらついていたのか」
マサキは観客たちの証言を思い出した。午後の二回目のステージに立った時点で、彼女らは観客席からでもそれとわかるぐらいに調子を崩していたようだ。だからこそマサキは彼女らが体調不良の影響で憑依に失敗したと思っていた。それが睡眠作用のある薬物の所為だったとしたら、確かにある種の説明は付く。
――これこそが預言の成就。預言書に綴られた詩編の数々は、限りなく続くヴォルクルスへの祝福なのですよ。
猛獣を仕留めた後、治安部隊の到着を待つ間にシュウはマサキにそう云った。
立場を変えれば見方もまた変わる。それは言葉の意味さえも変えてしまうものである。そのあまりにも醜悪な真実にマサキは口唇を噛んだ。ヴォルクルスに捧げる祝福が死であるのであれば、ヴォルクルスに捧げる奇跡もまた死でなければならない。当たり前だ。サーヴァ=ヴォルクルスとは恐怖と混沌を好む神なのだ。
幼少時より憑依を繰り返してきた少女たちは、自らの能力に自信を持っていたことだろう。その過剰なまでの自信が砕かれた時、何が生まれるのか? マサキはその答えを知っている。かつてヴォルクルスに囚われたシュウを追っていたあの日々に嫌と云う程思い知った感情。絶望。
彼女らは猛獣を前にして憑依術を使えなくされた。その絶望やどれだけのものであっただろう?
「ザルダバの街の治安部隊には彼女らに薬物を与えた人間がいることを伝えてあるわ。どれだけ長く時間がかかろうとも、彼らは犯人を見つけ出すまで調査を続けてくれることでしょう、だってこれは立派な殺人事件だものね」
確かに――マサキは頷いた。まさかこれから危険なステージに立つとわかっている人間が、危険度を増すような薬物に手を出しはしない。だのに彼女らの体内からは睡眠作用のある薬物が検出された。そこには第三者の関与が認められる。一連の推理はひとつの光明となってマサキの思考の道筋を照らし出した。
恣意的な殺人。
そう、ゼフォーラ姉妹の死は食通アルバのように蓋然性に頼った犯罪ではない。犯人は明確な危害の意思を持って彼女らに薬物を飲ませている。何故? それは第四の預言の被害者が、彼女らでなければならなかったからだ。
「わかった、マサキ? 戦いは根気の勝負。時間が経てば彼らは尻尾を出すのよ」
「ああ、よくわかった。奴らがイカレた考えの持ち主だってことがな」
流石に鈍感なマサキであろうとも、ここまでくれば彼らの考えが知れる。
アルバは代わりの利く食通だった。だから彼らは蓋然性の殺人に賭けた。だが、奇跡の双子はそうはいかない。彼女らの能力は稀有なものだ。代わりを探すのには相当の手間と時間がかかるだろう。だから彼らは危険を冒してでもゼフォーラ姉妹の命を奪うことに固執した。奇跡の双子に本当の奇跡を起こさせる為に。
巫山戯ている。
腹の底から湧き上がってくる怒り。マサキはままならない感情を鎮めるべく息を深く吐いた。大丈夫? セニアの言葉に短く、ああ。と頷く。今は待つ時だ。いつかこの感情をぶつけられる日がくる――マサキは自らに言い聞かせた。
「ところで、マサキ。あたしがあなたに連絡しようかどうしようか悩んだ理由なんだけど」
どうやらセニアは、預言の件でマサキを呼び立てようとしていたのではなかったらしい。そう言葉を吐くとデスクの上に置いてあった一通の封書を取り上げてみせた。
「手紙?」マサキは渡された封書を受け取った。「俺にか?」
「ゼフォーラ姉妹のお母さんからよ。治安部隊経由で届いてね。中を見るかどうかはあなたに任せるわ」
既に中身を検めた後であるのだろう。封が切られた跡がある。
マサキは中に入っている便箋を取り出した。読むか読まないかをマサキの判断に委ねるということは、恐らくこの手紙は好ましい内容ではないのだろう。そもそもどれだけ扱いに困っていたせよ、腹を痛めて産み落とした娘たちである。その死に何も思わない母親などいない。
きっと、恨み言が綴られていることだろう。無力なマサキに自身の遣る瀬無い思いをぶつけるように。
けれども、それを受け止めてこその魔装機神の操者でもある。
綺麗事だけでは世界の秩序は保てないのだ。覇者がいれば敗者がいる。単純な世の理はマサキに数多くの命を奪わせた。それらの命の上に立っているマサキは、だからこそゼフォーラ姉妹の母親の感情を正面から受け止めようと思った。それが預言の成就を防げなかった自分への戒めでもあると考えたからこそ。
――魔装機神サイバスターの操者、マサキ=アンドー様
手紙の書き出しは彼女の苦悩が伝わってくるものだった。
――書くか書かないか悩みましたが、あなた様には伝えておくべきだと思い筆を執りました。
どういった言葉が続こうとも全てを受け入れよう。そう思いながらマサキは続く文章を目で追った。
――先日、ふたりの年頃の女性が家を訪れました。この街の人間ではない服装をしていた女性たちです。
まさか。マサキは便箋を握る手に力を込めた。
――察しのいいあなた様ならおわかりでしょう。彼女らは私の娘のシーシャとミーシャであると名乗りました。
双子の姉妹は身体を失った瞬間、外に飛び出してしまったのだという。そのまま誰にも気付かれることなく街を彷徨うこと二日。話し合いを重ねた姉妹は、丁度街を訪れたばかりの二人組の観光客に憑依することにしたのだという。
どうやら姉妹はそのまま彼女らの身体を乗っ取るつもりでいるようだ。
乗っ取ってどうやって生きてゆくのかという母親の問いに、ふたりはこう答えたのだという。当てがあるの。どうやらステージに立つ大道芸人を支援している人物のひとりであるらしい。その人物を頼ってこの街を出るつもりだと話した姉妹は、母親にこれが最後だと別れを告げて去って行ったそうだ。
――どうか私の娘を止めてくださいませ。
それは母親の勘であったのだろう。双子の姉妹の対処を頼む結びの文章に、マサキはゆっくりと面を上げた。
新たな身体を得た奇跡の双子がこれから何をするつもりであるのか。母親にわからないことをマサキに予測しろというのは無理だ。けれども青臭い正義を振り翳す彼女らのことだ。今後も悪戯に自らの正義を揮っては犠牲を重ねてゆくに違いない。
「……どうしろって云うんだ」
マサキは途方に暮れてセニアを見た。鋼の精神を誇る彼女も、流石に純粋な超常現象の扱いには困っているようだ。悩ましい表情を浮かべてみせると、マサキから目を逸らすようにして視線を宙に彷徨わせていった。