続・140字SSにチャレンジした記録 - 8/10

 ――いざ立ち上がれ、ラングランの民よ。自らの権利を放棄することなかれ!
 そう演説を締めた男に拍手が湧き上がる。熱狂と興奮。けれどもそれはそう長くは続かなかった。
 深々と礼をして壇上を下りた男に、次第に引いてゆく人の波。やがて薄くなった人垣の向こう側に見知った長躯があるのを認めたマサキは、苦々しい思いを抱きながらもそこから目を離せずにいた。
 程なくして、どうやら彼もまたマサキの存在に気付いたようだ。かち合う視線。目が合ったその瞬間に、互いの思惑が交差した――ような気がした。
 だが、だからといって迂闊に近付いてくるような男ではない。次の瞬間には、彼は静かに人垣の奥へと歩み出してゆく。そう、それはまるでマサキが自らの後を付いてくるのを確信しているかのような足取り。選挙間近のラングラン城下町をゆったりと歩んでゆく彼に、仕方ない――と、マサキは付かず離れずの距離を保ちながら付いて行くことにした。
 いつもこうだ。
 時に堂々とマサキの前に姿を現してみせる彼は、こうして偶然に顔を合わせたその時には、まるでふたりの関係が秘めたるものであるかのように振舞ってみせた。来いとも云わない彼の用事がさしたるものでないのは、マサキとて承知している。それでも付いてゆかずにいられないのは、彼の”用事“にマサキが期待をしてしまっているからなのだろう。
 少し離れた遊歩道に身を滑り込ませた彼に、ほらな。そうは思いつつも、足を止めようとは思わない。マサキは彼を追って遊歩道を渡り、街路樹の奥にうっそうと茂っている木々の合間を抜けていった。程なくして、木陰に身を潜めている彼に追い付く。何の用だよ。マサキが尋ねれば、わかっているくせに。彼は陰気にも愚かなマサキの振る舞いを嘲るように微笑わらってみせた。
 ――選挙絡みの用かと思ったんだよ。
 一歩、二歩とマサキは彼に向けて歩んでゆく。変わることのない彼の獲物を招き入れるような振る舞い。この間もそうだった。その前も、そのまた前も。それが憎々しく感じられれば、こうした関係がまだ続くことに対して安堵してしまっている自分もいる。いずれにせよ、マサキは自分が思っているほどに、彼のこうした振る舞いを嫌がってはいなかった。
 ――今回の選挙は、特に番狂わせもなく、順当に議席を分け合うことでしょうね。
 大樹を回り込んで彼の前に立ったマサキにそうとだけ告げると、彼は早速とばかりに腕を開いてみせた。
 マサキはその動作を待つことなく、彼の胸へと身体を寄せていった。
 そこに合図などといったものは存在しない。ただ、阿吽の呼吸があるだけだ。
 長く続いた関係が生み出した信頼。もう、彼が敵に回ることはない。面白味がねえな。マサキはぽつりと呟いた。この身が小さく感じられるまでに長い彼の腕が、余裕を持って背中に回されてゆく。その温もりを感じながら、マサキはそれが当然の行いであるとばかりに面を上げた。
 重なり合う顔の合間で、口唇が触れ合う。さしたる情報もなく自分の前に姿を現してみせた男の目的が何であるのか、マサキは考えを及ぼしてみるも、彼との行為に次第に掻き消されてゆく。
 何にせよ、まだ続くのだ。
 何かを告げることもない曖昧な関係。いつかそれは決定的な破綻を迎えるのだろう。だったら今だけは、この関係を味わい尽くそう。マサキは深く合わせた口唇の中で、絡み合った舌を緩く動かしていった。

漢字で創作ったー
kyoへの今日の漢字テーマ【合図[あいず]/あらかじめ決めた方法で相手に意思や事柄を知らせること。また、その方法や信号】