けだし穏やかな日

 いつもより早く目が覚めた朝だった。
 ベッドの上で伸びをしたマサキは、足元で丸くなって寝ている二匹の使い魔を起こした。主人の健康的な目覚めに驚きながらも、この時間に起きるのは吝かではないようだ。二匹の使い魔を追ってベッドを降りたマサキはクローゼットを開いた。似たような服ばかりが並んでいるハンガーから今日着る服を選び出す。
 着替えを終えて部屋を出たマサキは、そのまま洗面所に向かい洗顔と歯磨きを終えた。
 キッチンではプレシアが朝食の準備をしている。食欲をそそる匂いが流れ出ているキッチンに顔を出し、彼女に朝の挨拶を済ませると、規則正しい生活を常としている義妹は、朝遅くまで寝ているのが当たり前な義兄の姿を目の当たりにして少なからず驚いたようだった。どうしたの、お兄ちゃん。目を見開いて尋ねてくる。
「情報局? それとも駐屯地? それとも詰所?」
 どうやらマサキでなければこなせない重要な用事があると思ったようだ。
 普段、呼び出されては方々に出向いて行く義兄が、彼らに都合よく使われているように感じられているのだろう。偶にはゆっくりさせてくれてもいいじゃない――と、続けて愚痴めいた言葉を吐いたプレシアに、そうじゃねえよ。マサキは冷蔵庫を開いた。
「何となく目が覚めたんだよ」
 云いながら牛乳を取り出しコップに注ぐ。寝覚めの一杯。喉を通り抜けてゆく冷えた感触が心地いい。
「最近、ゆっくり休める日が続いてたもんね。良かった」
 プレシアの言葉に、確かにそうだな。と、マサキは過密的になりがちな自らのスケジュールを振り返った。
 とかく用事を押し付けてくるセニアに、剣の稽古を求めてくる騎士団。正魔装機が姿を見せるだけでも、ならず者に対する抑止力にはなるようだ。地域の治安維持の為に顔だけでもいいから出してくれないかと頼み込んでくる軍の駐屯部隊。身体が幾つあっても足りないなどと云っていた一週間前が嘘のように、ここ数日のマサキの生活は穏やかだった。
 きっと他の魔装機の操者たちも、穏やかな生活を謳歌しているのだろう。
 誰の訪れもなく過ぎていった昨日。どうやらそれでマサキの疲労は劇的な回復をみせたようだ――……一気に牛乳を飲み干したマサキは、物欲しそうにしているシロとクロにも牛乳を与え、朝食の支度の手伝いをしようとプレシアの手元を覗き込んだ。けれども流石に手際がいい。殆ど完成している朝食のプレートに自分の出番がないことを悟ったマサキは、一足先にダイニングに向かい、テーブルに着いた。
 朝食の席での話題は、マサキの今日のスケジュールについてだった。
 庭の草むしり、屋根の修繕、壁の補修……ここ数日で家の用事を殆ど済ませてしまったマサキに、偶にはひとりで出かけたらとプレシアが勧めてくる。そうだな。頷いたマサキは今日をどう過ごすか考えた。
 日頃、流されるように生きているからだろう。マサキは自分の自由になる時間を持て余しがちだった。
 主体的にしたいことが思い浮かばない。結果、サイバスターを駆って風の向くまま気の向くがまま。マサキとしては、決してその時間が嫌いな訳ではなかったが、毎度々々同じパターンを繰り返していては、流石に自分に対して思うところが出る。
「昔、お父さんに連れて行ってもらったんだけど、風の住処って場所があってね」
 そういった義兄の傾向を察しているらしい。ラングランの観光名所を口にしたプレシアに、覚えがある――と、マサキは目を細めた。
 ――あれは、そう。確か去年の……
 ラングランを吹き抜ける風が気持ち良かった日のことだった。澄み渡る空に、珍しくも出掛ける気力が湧いたようだ。日長、マサキを傍に読書に耽ってみせる不摂生且つ朴念仁な男は、いい所があるのですよ。と、マサキを外出に誘ってきた。
 彼の愛機に同乗して向かった先。山に囲われた盆地は、きっと様々な条件が揃った場所だったのだろう。常に空気が螺旋を描いて空に昇っている状態だった――……。
 決めた。食事を終えたマサキは食器を片付けにキッチンに向かった。何処に行くの? 放浪癖のある義兄を今更心配することもなくなったプレシアだったが、話の流れもあってか。今日は何処にマサキが向かうのかが気になったようだ。
 マサキはプレシアを振り返って笑った。内緒だ。そう云い放つと、まるで子どもがした悪戯を叱るに叱れない母親のような表情になる。
「なるべく早く帰ってきてね」
 云っても聞かぬ義兄だと理解しているからだろう。そうとだけ口にして玄関まで見送りに出てきたプレシアに、
「明日には帰る。それまでよろしくな」
 弾む心。二匹の使い魔を引き連れたマサキは、これから行く先にいるだろう男が自分を見てどういった表情をするのかを思い浮かべながら、彼の許に向かうべく自らの愛機に乗り込んだ。