いつも難解そうな書物を片手に店を訪れては、一時間程。店の自慢の茶葉で淹れた紅茶を味わいながらゆっくりと読書を嗜でゆくその客が、今日に限っては、珍しくも小ぶりのブーケを片手にしているのを見て、店主はおろか、あなたも好奇心を擽られずにはいられなかった。
色恋沙汰には縁がなさそうな彼が、どうしたら花束などという繊細なアイテムを手にしたものか。決して魅力に乏しい訳ではない彼は、むしろ世間一般では美丈夫と呼ばれる類の人間であったけれども、いかんせん排他的な雰囲気が先に立つ。だからだろう。彼は大抵はひとりで店に来て、ひとりで帰っていったものだ。
決して店を訪れる日は決まっていなかったものの、用途はいつでも同じ。一杯の紅茶と一冊の書物。そんな定められたルーティンに沿って生きているようにも感じられる彼が、どうして変化を好むものだろう。春が過ぎ、夏が盛り、秋が散り、冬が降る。巡る四季の間、一杯の紅茶と一冊の書物を愉しみ続けた彼は、けれども今日に至ってついにその習慣を変えてみせた。あなたの好奇心に限りはない。ほんのささやかな彼の異変。果たして今、テーブルの上に置かれているブーケの用途は何であろうか。誰かへのプレゼントだろうか? それとも誰かからのプレゼントであろうか? それとも部屋に飾る為のものであろうか? 様々に想像を巡らせたあなたは、注文された一杯の紅茶を届けるついでに、思い切って自らの疑問を彼にぶつけてみることにした。
プレゼントですよ――と、口元に微かに笑みを湛えてみせた彼の表情は、いつも通りの静けさに満ちていたけれども、あなたはそんな彼の表情の中に、微かな喜びを見出さずにいられなかった。
カラン。カラン。店の入り口、扉にかけてあるベルが鳴る。新たな客の来訪とあっては、油を売っている場合ではない。あなたは彼の許を離れ、店の入り口へと向かった。
いつか見た覚えのある客だった。
一ヶ月ほど前のことだっただろうか? それとも二ヶ月ほど前のことだっただろうか? 時期もあやふやな一度限りのその客の顔をあなたが覚えていたのは、彼がこの店に連れてきたことがある唯一の同伴者だったからだ。
まだ年若い、少年と呼ぶに相応しい容姿。少年はあなたが席に案内をしようとするのを片手で遮ると、そこまで広くない店内を勝手知ったる顔で進んで行き、まるでそこが自らに定められた位置でもいうように、彼の真向かいに座った。
「何の用だよ。いきなり人を呼び付けて。今日は色々と細かい用事が溜まってるっていうのに」
「用事の中身は察しが付いていますよ。それに私もひと口乗らせていただこうと思いましてね」
「はあ。もしやお前、俺の誕生日を祝おうっていうつもりじゃないだろうな」
「そのまさかですよ」
彼はテーブルの上に置きっ放しになっているブーケを手に取った。そしてひと目でそれと知れる程に高価な花が詰め込まれた豪奢なブーケを、少年へと差し出した。
「誕生日、おめでとうございます、マサキ」
素っ気なくも映る表情が、祝いの言葉を吐くにしては平易な声を放つ。
その瞬間の少年の嫌気に満ちた表情! まるでよく出来た喜劇のような遣り取りに、あなたは思わず口を衝きそうになる笑いを堪える為に、カウンターの向こう側にいる店主を振り返った。
店主も彼らの遣り取りを滑稽なものと感じているようだ。互いに目を合わせてひっそりと。ひとしきり笑い合ったあなたは、渋々といった態でブーケを受け取った少年に注文を尋ねる為に、彼らが座っているテーブルへと向かって行った。