ひんやりとした肌

 不快なまでに蒸した空気が満ちる外の陽気とは裏腹に、空調で適度な温度に保たれた室内。読書に余念がない家主に凭れるようにしてソファに身体を投げ出していたマサキは、その姿勢のまま、かれこれ一時間ほどテレビを眺めて過ごしていた。
「そんニャにべったりくっついていて、暑くニャいんのかニャ」
「本当にニャのよ。しかもずっと同じ格好ニャんて疲れニャいの?」
 フローリングの床の上に伸びていた二匹の使い魔が、口々に言葉を発しながら顔を上げてくる。どちらも呆れ果てた表情だ。マサキは肩を竦めてみせた。確かに適度な温度に保たれているとはいえ、窓からの陽射しは相当に強く、空調からの冷えた風がなければ直ぐに空気が温まってしまうことだろう。彼らの疑問は尤もだった。
「ところがこれが暑くないんだな」
 マサキは布越しに伝わってくるシュウの温もりに意識を向けた。冷えた肌。血行が悪いのか、それとも平熱が低いだけなのか定かではなかったが、彼の肌はマサキよりも明らかに冷たかった。
 冬場ともなれば肌を合わせるのに躊躇いが産まれたものだったが、今は夏。自分よりも体温の低い男の冷ややかな肌の温もりはたまらなく心地いい。なあ、シュウ。マサキは読書が終盤に差し掛かっている男を見上げた。端正な面差し。真剣な眼差しを膝の上の書物に注いでいる男は、きちんとマサキたちの遣り取りにも耳を傾けていたようだ。
「あなたは暑くないかも知れませんが、私にとってあなたの体温は高く感じられるのですよ、マサキ」
「やっぱりニャのね」
「マサキはお子サマ体温だからニャ」
 残り少なくなった頁。シュウの読書の終わりを待って、街に出ようと誘いかけるつもりでいたマサキは、一聴して不快さが感じ取れる声の調子に焦りを感じずにいられなかった。確かに彼にくっついているマサキが彼の温もりを冷たく感じているということは、彼にとってマサキの温もりはその逆であるということだ。それで彼が快く読書に励める筈がない。
「あー……それはすまなかった」
 慌てて身体を離そうとしたマサキの腰にシュウの手が回される。読書に専念しているからといって、周囲の動きに対する注意を怠ってはいないのがシュウ=シラカワという男だ。マルチタスクを易々とこなしてみせる彼は、まるで十人の話を聞き分けたという伝説を持つ聖徳太子のようでもある。彼は片手で書物の頁を捲りながら、もう片方の手でマサキの身体をその場に留めてみせると、至極当然といった態で言葉を継ぐ。
「本当に不愉快だと感じていたら、とうにあなたを離していますよ」
「その割には声の調子が穏便じゃないじゃないか」
「窓から差し込む陽射しが強過ぎて、インクの色が浮いて見えるのですよ。目に痛くて堪らない。我ながら良くこの状態で読書を続けようと思えるものですが、興味深いデータが多いものですから、つい」
「だったらブラインドを下げろよ。何を我慢してるんだよ、お前は」
 立ち上がって窓辺に向かい、ブラインドを下げる。陽射しが遮られたことで、室内が少し薄暗くなりはしたものの、読書を続けるのに差し障りが出るほどの遮光性でもない。これでいいだろ。シュウを振り返ったマサキは、腰を上げたついでに飲み物を取りに行こうと決めて、彼に何が飲みたいかを尋ねた。
 アイスティーと答えた彼の分と自分の分の飲み物を用意して、ソファに戻る。渡したグラスに口を付けたシュウが、ようやくひと心地付いたといった様子で、読み終えた書物の扉を閉じた。そして彼は続けてテーブルの上にグラスを置くと、
「先程のあなたの疑問に対する答えですが」おもむろに言葉を吐いた。
「何だよ。我慢比べの理由がどうしたって?」
 シュウに再び凭れかかったマサキの頭上から降ってくる声。穏やかに言葉を紡ぐ彼にマサキがその表情を窺えば、うっすらと笑みを湛えた顔がマサキに向き合っている。
「――ブラインドを下げるのに、あなたから離れなければならないのが耐え難かったからですよ」
 再び腰に回された手が、やんわりとマサキの身体を引き寄せてくる。導かれるようにしてシュウの膝に乗り上がったマサキは、彼の胸に頭を預けながら、もう少ししたら街に出ようぜ。ずっと口の中に留めていた誘いの言葉を、ようやく吐き出した。