「みていること」
「はい」
研究室からリビングに連れて来られたシュウは、そう云ってローテーブルの前に陣取ったマサキの隣に座った。
どうやら何かを思い付いてしまったらしい。テーブルの上に伏せて置かれている三つのプラスチック製のコップに目を落としたシュウは、これはもしやあれではなかろうかと思いながら、黙ってマサキの行動を見守った。
ちなみにチカは彼氏であるルイとデートだ。
マサキをひとりで部屋に置いておくのは不安ではあったが、ひとりで出来るとテレビの前に陣取ったので、研究を続けたかったシュウは偶に様子を窺う程度に留めていたのだが――。
「これを」
マサキがポケットからプラスチック製の親指大のジュエリーを取り出す。
先日、街に出た際に欲しいと云って譲らなかったものだ。何に使うつもりでいるのか、その時のシュウは予想が付かなかったが、持っているだけで満足であるらしい。毎日ポケットに突っ込んでは、偶に眺めてニコニコしている。
「ここにいれる」
「はい」
シュウが触ろうものなら大慌てで取り戻しに来るジュエリー。きらきらと輝くそれを右端のコップの中に収めたマサキは、ふんすと鼻を鳴らすとシュウを見上げた。
「ちゃんとみてる」
「はい」
「すたーと」
しゃこ、しゃこ、しゃこ……と、音を立てながら動き回るコップ。クリームパンのような手で器用にコップの位置を入れ替えているマサキに、思ったよりは器用だとシュウは感心しながらも、そのスピードの遅さにやはり三歳児だと思わずにいられなかった。
恐らくジュエリーの入っているカップがどれかを当てさせるつもりであるのだろうが、これでは外す方が難しい。さて、どうしたものかとジュエリーの入ったコップを目で追いながら、シュウは解答をどうすべきか考え込んだ。
当ててしまえば、マサキは躍起になって同じこと繰り返すだろう。
かといって、マサキの思惑が不明な以上、外してやればいいという話でもない。外した結果、更なる混乱が待ち受けている可能性もある。シュウはややあって手を止めたマサキが、口を開くのを待った。
「あてる」
「さっきのジュエリーがどこに入っているか、ですか」
「そういうこと」
案の定な展開にシュウは悩ましさを覚えたが、どちらを選ぶのが正解なのかはわかりっこない。予測不明な行動をするのが今のマサキだ。だからこそシュウは、どうかこれ以上面倒な事態にはならないように――と、祈りながらジュエリーの入ったコップを指差す。
「では、これで」
表情を引き締めてこくりと頷いたマサキが、厳かにコップを持ち上げる。随分と仰々しい。それを訝しく感じながら、シュウはテーブルに視線を注いだ。当然のことながら、コップが除けられた場所には、先程マサキが入れ込んだジュエリーがある。
「あれ?」
釈然としない表情でカップを戻したマサキが、再びシュウを見上げて「もっかい」と口にする。
「一寸待ってください、マサキ。あなたは何をしようとしているのです?」
「もっかい」
「いや、ですから何をしようとしているのかをですね」
「もっかい!」
「はい」
シュウは仕方なしに居ずまいを正した。ここで迂闊にマサキを問い詰めようものなら、そのドラスティックな攻撃の餌食となるだけだ。特に並んで座している今、真っ先にマサキが狙いを付けるだろう場所は容易に想像が付く。
それ即ち、股間だ。
正々堂々と急所攻撃をやってのけるマサキ。心身ともに疲弊するような事態は御免だ。短くない彼との生活で彼の機嫌を損ねることの危険性を充分に学んだシュウは、だからこそ、即座にマサキの気が済むまで付き合うべきだと判断した。
しゃこ、しゃこ、しゃこ。
しかし、見ていた筈のテレビはどうしてしまったのだろう。コップが移動する音だけが響くリビングに、シュウは不安になりながらコップを目で追い続けた。飽きてテレビを消してしまったのならまだいい。だが、そこに映っていたものに良からぬ影響を受けていたとしたら――。
「あてる」
今度こそとでも云いたげな自信たっぷりの表情。大福餅の頬に団栗眼。元がマサキなだけに愛くるしさは充分だ。
だのに、そこはかとなく恐ろしい。
シュウはどう答えるか、頭を悩ませた。
答えを外してみせた方が、シュウが解放される可能性は高くなる。しかし、そうなると、マサキが何を考えてこういった行動に出たのかはわからなくなるだろう。
何と云っても三歩歩けば全てを忘れる鳥頭。というより、直ぐに他のことに気を取られては夢中になってしまう。特に機嫌を良くしたマサキは、元々の目的を忘れてしまうことも多い。
ふむ――と唸ったシュウは、素直に当てに走ることにした。
シュウの自衛の為にも必要な情報であるのは勿論のこと、マサキが何を考えているのかを知りたいという好奇心。抗うことの難しい欲求にシュウは従う。
「では、これを」
再び表情を引き締めてコップに向き直ったマサキが、ゆっくりとシュウの指差したコップを持ち上げる。やはり同じく姿を現わすジュエリー。まさかの再放送に、マサキがチカもびっくりな勢いで首を曲げる。
「なんで?」
あどけない瞳。純粋にも限度がある表情は、日頃の暴君ぶりを忘れさせるぐらいだ。
「それは私が聞きたいのですが」
「これを、こう」
「はい」
マサキがジュエリーにコップを被せた。そして、いち、に、さん。と、カウントしてからまたコップを持ち上げる。
「きえない」
「それで消えたら、あなたは超能力者ですよ……」
呆れて言葉が続かなくなったシュウの袖を引いて、くい、とテレビを指差したマサキが「できてた」と続ける。
どうやらマジックショーを見ていたようだ。すごかった。と興奮気味に言葉を吐いたマサキに、けれどもシュウはただただ脱力するしかなく。
「そういうのにはタネがあるのですよ、マサキ」
「つぎ」
「次があるんですか?」
都合の悪いことは聞こえない耳らしい。シュウの言葉をまるっと無視してテーブルの下からロープを取り出してきたマサキに、嫌な予感しかしない――と、シュウは盛大に眉を顰めた。
※ ※ ※
ふんす。と、鼻を鳴らしたマサキがロープを差し出してくる。
きっと倉庫から見付け出したのだろう。
この館の前の持ち主は特殊な嗜好の持ち主だったようで、倉庫の中には口にするのが憚られるような品が眠っていたりもする。例えば月間SM通信。膨大なバックナンバーの中身を理解しているのか。時々シュウにあげると持ってくるマサキに、シュウは何度言葉を失わされてきたことか。
その悪趣味な蒐集品のひとつであるようだ。細めの赤いロープは、決して山登りや荷造りに使うような頑丈な造りをしていなかった。
「むすぶ」
「……何を何処に結べばいいのですか」
きっと肌を傷付けない為であるのだ。しなやかで手触りのいいロープの本来の用途に予想が付いてしまったシュウは、そういった来歴のロープを、知ってか知らずか持ち出してきたマサキに途惑った。
「まず、もつ」
「はい」
シュウは微妙な心持ちになりながら、マサキからロープを受け取った。むすぶ。と、再び口にしながら、マサキが短い腕を差し出してくる。どうやら手首を結べと云っているらしい。
どう考えても、アレしかない。
シュウは力加減に気を付けながらマサキの手首を縛った。何せシュウの見立てが正しければ、人を縛ることに特化したロープである。幾ら肌に傷を付けないように作られているとはいえ、力を入れ過ぎればその限りではない。不注意からマサキを幼児化させてしまったシュウとしては、これ以上マサキを傷付けるような事態になるのは御免被りたいところだ。
「かける」
まだ身体が柔らかく出来ている年頃だからだろう。すとんとしゃがんだマサキが、テーブルの下から今度はシーツと思しき布生地を取り出してきた。
シュウは絶望的な思いに囚われながら、マサキにシーツを掛けた。
直前まで見ていたテレビがマジックショーである以上、マサキがしようとしているのは、マジシャンが披露した手品の数々である筈だ。つまりは縄抜け。見ずして結果に想像が付いたシュウは、果たしてその瞬間に、自分がどういった反応をしてみせるのが正解かを再び考えた。
「とる」
「取っていいのですか?」
答えが見付からないまま、マサキから発される指示。まさか、成功してしまったのだろうか。マサキが根を上げるに違いないと思っていたシュウは、驚きに目を見開きながらシーツを取った。
ところが――。
「あれ?」
シーツの下から姿を現したマサキは、先程までと同様に、手首を赤いロープで縛られた姿でいる。
どういうことだ。訳がわからなくなったシュウは、こんな結果になる筈ではなかったとばかりに首を傾げているマサキを、たっぷり十秒ほど見詰めた。
「なんで?」
「何でと私に聞かれましても……」
マサキの目算では、シーツを取られると同時に手首の戒めが解けている予定であったようだ。そんな馬鹿な。シュウはマサキの不可解な思考回路に宙を仰いだ。両手を掲げて手首に巻かれたロープを不思議そうに眺めている様子からして、どう安く見積もっても、今回のマサキも手品のタネを知らずに挑んでいるのだろう。
「もっかい」
「ちょっと待ってください、マサキ。その手品のタネはどこに」
「もっかい!」
「はい」
仕方なしにシュウはまたマサキにシーツを掛けた。とはいえ、流石にマサキも何もせずにはロープが解けないことを覚ったようだ。シーツの中でもぞもぞと動き回る小さな影。うーん、うーんと唸る声が聞こえてくる。
「できない……」
ややあって、シーツの中から姿を現したマサキの姿は悲惨なことになっていた。
余ったロープが身体のそこかしこに絡み付いている。
これが元のマサキであれば、嗜虐嗜好を持つシュウとしては、盛大に心が動かされることもあっただろうが、何せ今のマサキはまごうことなき幼児である。色気や嗜好以前に、悪戯が失敗した子どもとしか見れない。つい口を吐いて出そうになる溜息を飲み込みながら、シュウは眉を逆八の字に曲げているマサキから、絡み付いたロープを丁寧に取り除いてやった。
「わかりましたか、マサキ。手品にはタネが必要不可欠なのですよ。やりたい、だけで真似て出来るものでは」
「つぎ」
「まだ挫けないのですか……」
終わりなき、マサキ謹製のタネなきマジックショー。呆れ果てたシュウがついに溜息を吐いた刹那だった。もそもそとテーブルの下に潜り込んでいったマサキが、ずるり――と、取り出してきたのはなんと両刃のノコギリ。
その大きさは、今のマサキの身の丈よりも僅かに小さい程度。
これもまた倉庫で見付けてきたものに違いない。とはいえ、いきなりデンジャラスな様相を呈した事態に、シュウは慌てるより他なく。
「待ってください、マサキ。あなた、とんでもないことをしようとしていませんか」
「そこにねる」
すちゃ。と、ノコギリを構えたマサキが、シュウにテーブルの上に横になるように指示を出してくる。どうやら無謀にも胴体切断マジックに挑戦するつもりであるようだ。
「無理ですよ、マサキ」
「だいじょうぶ」
「大丈夫ではありません。身体が真っ二つになったら人は死にます」
「いける」
「その、根拠のない自信はどこからくるのです……」
幾らシュウが涅槃から蘇ったことがある人間だとはいえ、命自体はひとつしかない。その大事な命を捧げるには、このマジックショーは理不尽に過ぎた。マサキ――シュウは仁王立ちになっているマサキの手から、さっとノコギリを奪い取った。
「かえす」
「その前に聞きましょう。あなたはこの手品のタネを知っているのですか」
そうマサキに聞けば、むすりと口唇を結んでシュウを睨んでくる。
もうどう考えても知らないに決まっている。
ノコギリをテーブルの上に置いたシュウはマサキを膝に抱え込んだ。いいですか。と、そこから滾々と今回の無謀なチャレンジについての説教を始める。むすっとした顔でそれを聞いているマサキは、やりたいことが上手くいかないことに拗ねているようだ。視線が次第にシュウの股間に集中し出す。
仕方ない。シュウはマサキが癇癪を起こす前にと、タネを知っている手品を教えることにした。
※ ※ ※
人差し指と中指に嵌めた輪ゴムを、薬指と小指に移動させるだけの簡単な手品は、それでもマサキの心を鷲掴みにしたようだ。何より自分でも出来るところが気に入ったらしい。ルイとのデートから戻ったチカを相手に、上機嫌で輪ゴムマジックを披露し続けるマサキに、今度簡単な手品の本を買い与えてやろうとシュウは心に決めたのだとか。