ゾナノイサョシ

 それまでマサキと共にソファでいつもと変わらぬ時間を過ごしていた。
 彼は本を読む自分の隣で深くソファに腰掛け、腕を組んだまま、出窓から差し込む午後の柔らかく温かい陽射しに誘われてか、午睡に入ろうと瞳を閉じている。呼吸は浅いが眠っているかは定かではない。口調や態度の図太さからは想像付かぬ神経質さが彼にはあり、僅かな刺激でも目を覚ましてしまう。見目に反比例するその性質は長い戦いで培われたものなのだろう。
 戦場では呑気に寝ている暇などない。敵機発見と共に鳴り響くサイレンや奇襲で打撃を受ける戦艦の激しい振動等、落ち着いて寝ていられる環境でないのも確かだが、それらの騒音に少しでも反応が遅れればそれだけ自陣の不利を招くのがパイロットという立場だ。もしその中でも呑気に寝ていようものなら、他のパイロットから豪胆と言われるどころか格下に見られる。のみならず、下手をすればパイロット不適格の烙印を押されるのであるから、地底世界において魔装機――それも高位の精霊を宿し、最高性能を誇る機体を扱っている自負のある彼が、その自尊心にかけて一時足りとも気の抜けない生活を送って来たのは容易に想像が付く。自分とて似たような生活を送ってきたのだ。
 機体の性能が高かろうが、それを扱うパイロットが怠惰であれば、折角の機体も張り子の虎。エースパイロットとして一線で活躍し続けるには、戦場を耐え抜く図太さと、事態に臨機応変に対応出来る機転、そして些細な変化にも気付けるだけの過敏さが必須となる。態度が尊大であろうと、エースパイロット達が思わぬ繊細さを抱えているのはそういった資質が必要不可欠であるからなのだ。
 なるべくソファに振動を与えぬように立ち上がる。
 本を読み進める内に、今開発しているシステムの仕様と設計図の改良すべき点が見えてきた。自分には必要のないものであるが、ウエンディを通じてアカデミーから依頼されたものである。日々の生活を送る資金に不自由はしていないが、研究者としての生活が長かったからだろう。隠遁に近い生活を送り、それに安らぎを覚えながらも依頼があれば心が騒ぐ。要は性分として研究者の職が合っているのだ。
 かと云って、今更アカデミーにも戻れず、地上で技術者として生きるのも中途半端だ。如何に地上人との間に産み落とされた身であれど、育ちは地底。長い戦いと葛藤を乗り越えた今だからこそ、自らの居場所は地底世界であると受け入れられるに至ったのだ。
 それに――地上には、こうしてソファにもたれて眠るマサキの姿はない。
 それでは意味がないのだ。彼がいない世界で生きていくには、自分には足りない物が多過ぎる。子供が他人との関わりであらゆる事を学んでゆくように、マサキは自分に欠けている何かを補う存在だ。それなくしてどうして生きれよう。依存であろうと甘えであろうとそれなくして自分は存在していられない。と、そこまで占めるに至った存在であると云うのに。
 その眠る姿を一度振り返り、リビングを後にする。一人で居る間は気にならない静寂は、彼が訪れただけで様相を変える。自分の足音だけが響く廊下の詫しさ、扉を開ける音すらやけに大きく聞こえる。日常の何気ない音全てが、彼が居る間、その傍らに姿がないだけでやけに耳に障り、胸を騒がせる。子供が親の不在を心細く思うが如く。
 書斎から仕様書と設計図、そしてパース台等一式を持ち出してからリビングに戻るとマサキはまだ眠っている。
 眠りが深くなったのか、体は傾きソファの端の肘置きに肩を乗せ、口が開き加減になってきている。昼過ぎの一番温かい時刻とは云え、このままでは体に障る。かと云ってベットに追いやるのは自分が嫌なのだ。
 視界の端には常に、彼の姿があって欲しい。彼がどう思っているかは他人である以上解りようがないけれども、自らにすれば比翼の鳥に等しい。せめてと作業を始める前に上着を掛け、ノーリッシュ作のダイニングテーブルに着く。
 マサキが眠るソファと向き合う形で。
 彼は何故書斎を使わないのかとよく尋ねる。折角目的に合った部屋があるのに、何故わざわざリビングを使うのかと。もっともな疑問であったし、彼が思った以上に自分の行動を注視しているのだと嬉しくもあった。
 ノーリッシュのダイニングテーブルは使い勝手がいい。それは事実。誰彼が居なければ自分は書斎を使う。わざわざリビングに様々な書類や資料を持ち込む時間や手間と比べてみればいい。その方が余程効率的ではないか。
 彼に対して言葉を飾り立てて真実を濁す理由は単純だ。自らの中にある依存と甘えを悟られたくない。常に傍らに在って欲しい、自分の不足をそうして埋めて欲しい――それはエゴでしかない。一歩間違えば相手の意思を無視して雁字絡めに拘束する危険な思想だ。
 それに彼は耐えられまい。自由を好み、他者との過大な付き合いを厭う彼には。
 だから彼は逃げるようにここに留まる。自らの居場所での干渉に感じる煩わしさから解放されたいからこそ。
 自立した付き合いを望む彼に本心を明かせば、それそのものが重みとなるのは間違いない。対人関係に於いて縛られるのが堪らないと、ここに来る都度彼は口にする。過干渉とも取れる仲間の態度が耐えられないのだと。それは当然だ。彼はもうこの世界に召還された当時の右も左も解らぬ子供ではなく、幾多の戦場を経てその無常さや不条理を知り尽した一人の男性であるのだ。誰に導かれずとも、自ら道を選び取れる経験を積み重ねた年齢になった人間に、拘束に近い干渉は酷だ。
 理解出来るからこそ本心を口に出来ない。いつの間にか立場が逆転してしまったかの如き錯覚を覚えるこの依存と甘え。彼を失えない、失いたくないと望むからこそ尚更に本心を明かせなくなり、その気まぐれとも云える彼の甘えを受け入れる立場に自分を置かざるを得なくなる。無論、こちらから触れ、側に寄る事はあれどそれは始終とは往かないものだ。追い過ぎれば逃げる。人はそう云う生き物だろう。現に自分がそうであったように。
 適度な距離を保つ努力をしているのだ。それが彼にとって、その甘えを発露出来る最善の環境であると信じている。培った年月で学習し、また見抜いたそれが彼の性質なのだ。
 愛情とは何だろう。
 未だ自分には掴みかねる感情だ。こうして共に時間を過ごし、こうして必要な存在と感じ、時に肌を重ねてもそれが果たして愛情であるのか自信は持てぬままだ。それは即ち理想との差、今の自分はまるで失った家族の温もりを彼に求めているだけのように思える。もっと穏やかに、こうして姿を見ずとも気配を、或いは離れていようとも存在を想うだけで満たされる、そう、依存を越えた自立――互いを一人の人間として認め、その性格も性質も生活も尊重出来るものこそが、否、それさえ意識しなくなる程に相手を感じる事こそが愛情の最上級であると思っているからこその不安と違和感。空気と等しく、側にあろうがなかろうが存在を認められる位になれれば、自分はそれを愛情であると認められるだろう。
 いつかその日は来るのだろうか。彼の訪れに構わず、書斎で過ごせる日は。書斎に限らず、大半をリビングで過ごす彼から離れて書庫で本を読み耽る事等、一人で家に居る時には当たり前にしている諸々の習慣が成せるようになる日が。
 小さな唸り声が聞こえる。身をよじる彼はそろそろ午睡から目を覚ます。そして起き上がって幾度目の問いを放つだろう。
 何故書斎を使わないのか、と。
 そして自分は本心を明かせないまま、偽りを重ねるのだ。側に居たい。その存在を常に身近に感じていたい。そのどうにもならない欲求を、希求に近い感情を口に出来ずに物の価値に逃げる。
 好きと口にするのは容易い。
 だが愛していると口にするのは憚られる。
 この躊躇いと蟠りこそがが愛情であるのなら、それが正しいと教えて欲しい。それを知らずに育った自分に教えて欲しい。だがそれを、その不足を埋め、その真実に気付かせ教えてくれるのは、結局の所彼しかいないのだ。
 のそり、と体を起こし目を擦る姿が目の前にある。それは次に何事か呟きながら近付いて来るだろう。そして隣なり背後に立つのがいつもの彼の習慣だ。
 そうしたら自分は――それまでの会話すら交わせなかった欠けた時間を埋める為に抱き寄せて、この膝の上に乗せ、口付ける。

 彼が書斎への疑問を口にするより先に。