デライト・スライト・ライト・キス

「駄目だ、今の一撃で機体損壊率が保持ラインを超えた! 戦域を離脱する!」
 右に左にダッチロールを繰り返す機体。コントロールパネルを叩き続けながら、マサキは声を上げた。真っ直ぐに進むことすら難しくなったサイバスターを、戦場で鍛え上げた操舵能力でコントロールしながら、苛烈な戦闘が繰り広げられている戦域からの離脱をはかる。
 シロ、クロ、行くぞ! コントロール補助を担当している二匹の使い魔に声をかけて、マサキは動力炉のタービンを開いた。一気に流れ出すエネルギーを推進力に充てて、一気に戦域を抜ける――つもりだった。
 マサキ! と誰かが叫んだ声が、通信機能の同時通話チャンネルから響いてくる。それと同時に期待に衝撃が走った。コントロールルームが赤く染まる。それはサイバスターの胴部に潜り込むように撃ち込まれた敵の砲弾。高圧縮のエネルギーが着弾と同時にその威力を解放する。
 明滅を繰り返すパネル。とうに限界を迎えていたシステムが、更なる限界を訴えている。甲高く鳴り響く警報音アラートは止むことを知らずに、マサキの耳をつんざいた。
 バッククラッシュが生じる。とてつもない加重がかかる操縦席で、その衝撃を耐えながら、必死にサイバスターのバランスを保とうとコントロールを続けていたマサキだったが、そうでなくともバランスに問題が生じてしまった機体だ。コントロールが追い付かなくなるのも時間の問題――マサキは二匹の使い魔に檄を飛ばした。
「もう少しだ、耐えろ! 耐えきれば後は何とかなる!」
 パネルを叩き続けて消耗した指先はとうに痺れ、徐々にその感覚を心細いものとしていた。それでもマサキはコントロールパネルを叩き続けた。既に機体損壊率はサイバスターの稼働が出来なくなるレベルにまで進行してしまっている。だからといって諦める訳にはいかない。ここは命の遣り取りをする場所、戦場だ。だからこそマサキは、バッククラッシュで負った身体へのダメージを押して、サイバスターのコントロールに挑んだ。
 ふとその腕の力が緩んだ。
 次の瞬間、メインパネルに映し出されていた戦場の景色が大きく傾いだ。ああ、くそっ! マサキは腕に力を込めるも、何故かぴくりとも動かない。もしやと右肩に目を遣る。これまでコントロールに集中するがあまり気にしていなかったが、ずっと感じていた焼けた痛み。果たしてマサキの右肩にはガラスの破片がざっくりと切り込んでいた。
 どうやらそこから流れ落ちる血液が腕の力を奪ってしまったようだ。
 ドォンッ……さして間髪を入れず襲い掛かる再びの着弾。マサキのコントロールを失ったサイバスターは、今度は耐えられないようだ。途切れることなく続く衝撃に、メインパネルを景色が回転しながら流れ過ぎてゆく。それを見届けることなく、マサキの身体は操縦席から放り出された。
 床に転がった身体は、起き上がることさえもままならない。奪われた血液は、腕から全身へとその支配を広げている。それは目にも表れていた。いつの間にか奪われつつある視界は、まるで暗がりの中にいるようだ。
 そうして、敵の攻撃に吹き飛ばされたサイバスターは、暫く宙を舞った後に地面に転がったようだ。いっそう強い衝撃がコントロールルームを揺るがす。直後、宙に放り出されたのだろう。シロとクロの悲鳴が聞こえたが、自身もまた床を滑っているマサキにはどうしてやることも出来ずに。
 壁に打ち付けられた身体が、酷く痛む。
 視界がブラック・アウトする――マサキは気を失った。

※ ※ ※

 意識を取り戻したマサキが目を開くと、先ず視界に入ったのは白い天井だった。
 鼻に付く消毒液の臭い。どうやら医療機関――、それも恐らくは戦艦内の施設であるようだ。見慣れた景色に安堵しつつ、マサキは顔を捩じらせた。全身に感じるどうしようもない倦怠感と、端々で疼いている鈍い痛み。マサキとしては今直ぐにでも起き上がりたくあったが、とても身体を動かせる状況ではなかった。
「何だよ……お前……」
「ご挨拶ですね」
 枕元に椅子を置いて、そこに腰掛けている男が膝の上の書物から顔を上げた。シュウ=シラカワ。友軍の一員である彼は、どういった事情か不明だがマサキの様子を窺っていたらしい。具合は? と問い掛けられたマサキは、最悪だ。と返す。そうして続けて、こう尋ねた。
「何でお前がここにいるんだよ。ドクターはどうした」
「あなたが戦列から離れるくらいの強敵ですよ。甚大な被害は操縦者の肉体にも及んでいます。ドクターはその処置に忙しい。尤も、一番怪我が深刻だったのがあなたで済んだのですから、不幸中の幸いだったのでしょう。紙一重の攻防だったとはいえ、敵も殲滅出来ましたしね」
「そうか。それは幸いだった……」
 マサキは宙を仰いだ。
 シュウの云う通り、回避力に優れたサイバスターが墜とされる程だ。敵の砲弾の射出スピードは余程の機体でもなければ、避けきるのは難しいことだっただろう。加えてあの威力だ。一撃で機体損壊率の保持ラインを超えてくる攻撃は、装甲値の低いサイバスターでなくともそれなりのダメージになったに違いない。
 精神的にも肉体的にも剛健タフであることが取り柄である操縦者たちに被害が及んでいるのも、敵の攻撃の激しさの表れだ。きっと、かなりの機体が装甲に酷いダメージを負っていることだろう。そうでなければそんなにも多数の負傷者が出もしまい。
 マサキはひとつ息を大きく吐き出すと、自身を見下ろしている男の顔に再び視線を向けた。
「でも、それとお前がここにいることに何の関係が」
「私には少なからず医療の知識がありますからね。万が一の事態に備えてこうして控えていたのですよ。どうですか、マサキ。麻酔もそろそろ切れる頃ですが、腕は動かせそうですか」
 マサキは軽く腕を持ち上げてみた。ベッドから僅かに浮いたものの、それ以上持ち上げるのは今のマサキの身体の状態では難しそうだ。とにかく全身が重く感じられて仕方がない。そうシュウに伝えると、失礼、と彼は一拍置いてから、マサキの手首を掴み上げ、もう片方の手でその指先を順繰りに抓んでみせた。
「感覚はありますか。欠けていると感じる指は?」
「いや……特にないな」
 なら、ここは。と次いで手のひらを満遍なく押される。どこもにも触覚がある。この調子なら神経には問題がなさそうだ。シュウの言葉にマサキは深く頷いた。
 少なくない戦場での負傷で、マサキ自身にも多少なりは怪我の処置についての知識がある。腕や肩の神経の損傷は指や手のひらに出易い。そこに異常がなかった以上、肩の傷は神経に及ぶものではないと判断していいだろう。
「痺れはありますか。これは腕や手に限らず、ですが」
「ないな。肩の傷と打ち付けた腰が痛むぐらいだ」
「腰は後程、念の為にスキャンを撮ることにしましょう。肩の傷に関しては、ドクターから『深くはあるものの、神経を傷付けるものではなかった』との所見を得ています。縫合も済んでいますので、麻酔が切れたらベッドを出ても構わないとのことでした。化膿止めは飲んでいただきますがね」
「思ったよりも軽く済んだな。もう駄目かと思ったが」
「暫くは日常動作ぐらいしか出来ませんが、あなたの治癒能力は高い。そう遠くない日に戦列に復帰できることでしょう」
 とは云え――、と、シュウはベッドに横たわったまま、首以外を動かせずにいるマサキを見下ろした。まだ身体は動かせそうにないですか。その言葉にマサキは負傷した右肩とは逆の肩を動かしてみることにした。
 力を込めて左腕を上げてみる。
 右腕よりは持ち上がるものの、満足行く動きには程遠い。とにかく身体のパーツが重く感じられて仕方がないのだ。こんなにも手足は重いものだっただろうか? それまで考えずとも出来ていたことが出来なくなったマサキは、混乱せずにいられなかった。
 もし、このまま動くことが叶わなくなったら……満身創痍のサイバスターを思い返す。その姿が今の自分の姿に重なった。自己回復能力サバイバビリティが追い付かなくなるまでにダメージを負った機体は、動くことさえままならなくなって戦場に沈んで行った。そう、まるでベッドに縛り付けられているマサキのように。
 軍の被害はさておき、マサキ自身の被害は甚大だ。
 マサキは小さくかぶりを振った。大丈夫ですよ、とシュウの手がマサキの手を取る。しなやかに、そして柔らかくマサキの手を包み込んでくる冷えた温もり。人目がないとはいえ気安く触れてくる男の手を、けれどもマサキは払い除ける力を持てずに。
「かなりの失血量でしたからね。今はまだ身体が追い付かないのも無理はありません。一日ほどはきちんと休んだ方がいいとドクターも云っていましたし、暫くは休暇と思って身体を休めた方がいいでしょう」
「サイバスターはどうなったんだ」
自己回復能力サバイバビリティが機能していますが、完全な修復を迎えるにはかなりの時間がかかりそうです。幾つかのパーツや部品は大破してしまったようですし。そこは流石に補修メンテナンスが必要になるでしょうから……そうですね。軽く見積もっても、修復に三日はかかるでしょう」
「なら、それまでには身体を治さねえとな」
「その調子ですよ」
 不意にマサキに指に絡むシュウの指。深く手を合わせた彼は、口元に薄く笑みを湛えた表情を崩すことはない。何のてらいもなく、こうした行動に出てくる男は、本心では何を考えているのか。予想も付けられないままのまマサキに、シュウはこう言葉を継いだ。
「脳というものはね、マサキ。思い込みの力が全てなのですよ。脳が死んだと判断した瞬間に、人間の身体は生命維持活動を止めてしまいます。面白いでしょう。意識が死を呼び込むのですよ。だからこそ、あなたのその意気は、今のあなたの身体には必要となることでしょう」
 そうして、次の瞬間には、彼はふっと顔を下ろしてくると、マサキの口唇にその口唇を重ねてきた。それは瞬きの間程度の時間の出来事だった。互いの温もりを分け合うように触れた口唇……けれどもシュウは、それ以上を求めることなく、あっさりと口唇を剥がしてしまう。
「きちんと直してみせますよ。あなたが気兼ねなく戦列に復帰出来るように、あなたの大事な機体を」
「お前が、やるのか」
 今更その行為の意味を尋ねるまでに、マサキは浅はかでも愚かでもなかった。
 きっと、この男は――それに自分がどう答えればいいのか、自身の感情に疎いマサキにはわからなかった。ただ、男が時に仕掛けてくる触れるだけの口付けには、そろそろ物足りなさを感じてしまいつつあった。
 それは欲望の発露に紛れなく。
 執着心と好意の境界線はどこにあるのだろう。マサキは暫くシュウを見上げていた。ラ・ギアスから地上世界へと出てこの男を追い求めた日々に胸に宿っていたあの激しい熱情。今のマサキにはない強い感情こそが、恋や愛といったものではないだろうか。
「勿論ですよ。私以外に誰があなたの機体を補修出来たものか」
「自信しかねえな、お前」
 だからこそ、マサキは後ろめたい衝動を押し隠すように言葉を重ねた。己が胸に抱えてしまっている疚しさを、恐らくは自身に好意を抱いている目の前の男に悟られぬように。
 当然でしょう。強気にもそう言葉を吐いたシュウの手が、そこでようやくマサキの手から離される。
 行くのか。ええ。最後の応答は限りなく短く。そうして白い衣装の裾を閃かせながら、彼はマサキの機体を直しきる為に、溢れんばかりの白さに囲われた部屋を後にして行った。