トゥルーエンドにはまだ遠い

 ラングランの自然を思わせる深い緑の瞳が、モニター越しにシュウを睨んでいる。忘れたとは云わせねえ。そう全身で訴えているマサキ=アンドーという男。そう、風の魔装機神サイバスターの操者である彼に確かにシュウは覚えがあった。
 けれども、それを表に出すことは出来なかった。
 ルオゾールの手で蘇生させられた直後こそ殆どが失われていたものの、日が経つに連れ、ジグソーパズルを組み立てるように取り戻されていった記憶。今では自分のこれまでの人生における大事なエピソードが殆ど揃っていると云えるまでに、シュウの脳は修復されていた。
 ただ、目的を果たす為には『記憶のないシュウ=シラカワ』であった方が都合が良かった。それだけだった。
 緋のカーテンの向こう側。王室という権力に群がる人々の権謀術数の標的でもあったシュウは、自分の真意を他人に覚らせないことが最大の自衛術であることを知っていた。自らを偽ることに慣れられなければ生き抜けない――マサキを目の前にして表情ひとつ変えずにいられる自分に、シュウとしては思うことが多々あったが、それがシュウ=シラカワ、或いはクリストフ=マクソードという人間が生きてきた籠の中の狭き世界だ。今更他の生き方など学べない。
 ――そこから私は飛び出したのだ。自分の力で生き抜く為に。
 だからシュウは、相変わらずな態度のマサキを目の前にしても冷静だった。むしろ、そうむしろ、彼や彼らがそういった態度でいててくれればいてくれただけ、自らの目的が果たし易くなる。そう思ってさえもいた。
 そもそも、何も知らぬマサキにシュウが抱えている事情を覚れなどというのは愚の骨頂。ただの思い上がりだ。
 自分と他人。どちらの利を追求するべきであるかと問われれば、シュウにとってそれは紛れもなく自分だった。シュウは自らの振る舞いが誤解を招いていることに自覚があったが、矢をもってして盾を払おうなどとは考えられない。シュウにとって自らの武器は自分自身であったし、わけてもその知力には絶大なる自信を誇っているのだから。
 最小の労力で最大の効果を。シュウの金科玉条はいつだってそこにある。戦場で血反吐を吐きながら往く手を阻むものを全て殲滅させるなど、頼るべきものが自分自身でしかないシュウには無理がある。あの強大で邪悪で忌々しい破壊神をこの手で葬り去る為には、彼――或いは彼らの誤解などには構っていられない。
 生き延びさえすれば、いつかはその誤解も解ける日が来る。けれども死なばそれまでだ。生き延びる為に再び自分を偽る決心を付けたシュウは、だから後ろ髪を引かれる思いに捉われながらも、それを顔に出すことなくその場を立ち去った。

 ――サーヴァ=ヴォルクルス。我が神。

 シュウの精神を緩やかに浸食していったサーヴァ=ヴォルクルスの思念は、シュウから情熱と呼べるものを徐々に奪って行った。全てはヴォルクルス様の為に。利己的であることを自覚しているシュウにとって、それはあるまじき事態だった。だの目を覚ませずにいた自分。シュウは己の目が曇らされていたことに強い怒りを感じていた。
 でなければ、どうしてあの男を目の前にして腹芸に徹しられたものか。
 神聖帝国ラングランというラ・ギアス最大国家を背負い立つ王族の一員としての誇り。より栄えある国家に。そして最大国家というアドバンテージを活かして、世に安寧なる平定を導くのだ。子どもの頃に抱いた大志や夢はどこに潰えてしまったのだろう? 自分の中からいつしか失われてしまっていた熱意に、シュウが気付いた時には遅かった。
 人生であろうと、運命であろうと、予定調和という束縛からは逃れられない。サーヴァ=ヴォルクルスという支配に藻掻き、足掻き、のたうち回った。けれども事態は何ひとつ好転しなかった。シュウは絶望感がよりあの忌まわしき神の支配を強めることを知らなかった。囚われ続けた精神は、いつしか疲弊していることも忘却し、晴れた日の大海のようにただ凪ぐだけとなった。

 ――全てはヴォルクルス様の為に。

 淡々と暗躍を続けたシュウの心には、諳んじられるまでとなった邪神教団の教義しかなく。
 そこに楔を打ち込んだのが、あの男だった。

※ ※ ※

 もしかすると、彼は誰かしらから事情を訊いたのではなかろうか。再会を果たした邪神の神殿で、精神世界の深い淵に沈んだシュウは、自分を呼ぶマサキの力強い声を聞きながら、ふと――そう思った。
 あれだけ執念深くシュウを追い続け、それが宿願とばかりにシュウの命を奪ってみせた男なのだ。ラングランを脅威から守る為の戦いに追い立てられていたとはいえ、シュウの長い沈黙を額面通りに受け取りはしないだろう。それが激情家の彼をしてシュウを赦させた……。

 ――サア、我ガ手に再ビ戻ルノダ……

 藻のように全身に絡み付くサーヴァ=ヴォルクルスの思念に、被さる彼の声。おい、シュウ! 自分自身の運命を他人に委ねてしまっている現実に、シュウは腹立たしさを覚えるも、何故だろう。マサキを憎いとは思えなかった。
 それは恐らく、彼だけが、シュウ=シラカワという人間の運命とと向き合い続けてくれているからだ。
 シュウは静かに目を開いた。
 深い緑。グランゾンのモニター画面を通じて目に飛び込んでくる鮮やかな彼の姿に、何故か安堵する。けれどもそれを素直には表現出来ない。シュウは自分でも嫌な性格をしていると思いながら、マサキを一瞥して、ヴォルクルスに今一度引導を渡すべく、グランゾンのコントロールを再開した。