父がいて母がいる。当たり前で平穏な日常を壊した奴らの背後に真の敵がいるのであれば、マサキとしてはそれを斃さなければ気が済まなかった。
だからマサキはシュウの思惑に乗っかってみせた。新宿で彼が暴いてみせたゼゼーナンの企み。難解な用語も多く、マサキには全てが理解出来た気はしなかったが、彼が地上世界に混乱を引き起こしていたことだけは違えようのない事実だった。
――お前の所為でお前の所為でお前の所為で……
胸の内に渦巻く怨嗟の声。だのに自分を見失うことがない。怒りと無力感。拮抗するふたつの感情が、マサキを思ったよりも平静にさせていた。
遠い過去となった還らない日々の記憶は、今でも色鮮やかに思い出せた。けれども、幾らその思い出を抱き締めてみたところで、失われた命を取り戻せはしない。だからマサキは憎む気持ちを忘れる努力をした。そう、諦めるということを脳に覚え込ませるように。
それはたったひとつのシンプルな答えでもあった。どれだけ力を得ようとも、人の生き死にを定めることは出来ない。マサキに出来ることは命を奪うことだけだ。けれどもその力は無為に揮ってはならぬもの。それを悟ったマサキは自然と人の命の重みに鈍感になっていった。わけても、地上から地底世界へ召喚され、運命に追い立てられるがままに幾度も戦いに身を投じた月日は、マサキに命の儚さを教え込んでしまっていた。
数多の命が奪われるという現実は、命の重さに対する感覚を麻痺させたものだ。まるでゲームのステータスのように表される今日の戦死者という数値。名誉の死として名前が報じられる上等兵は幸せだ。
だからといって、名前も残らない命の全てに償える筈もない。マサキは心を殺した。自らが戦場とした土地で死した者たちであろうとも、遠いどこかの知らない土地で繰り広げられた戦いで死した者たちであろうとも、感情移入は決してしない。犠牲を防ぐ努力はするが、彼らとの関りはそこまでとする。そう心に決めた。
下手な感情移入は自らの命を危機に晒すだけだ。全ての人間が戦う力を持ち得ない中で、比類なき力を有しているからこその決意。長い戦いの日々でマサキは覚悟を決めた。自分の人生は平和という理想を叶える為にある。
だからこそ、マサキは道半ばにして倒れる訳にはいかなかった。
それはマサキの心から確実に人間らしさを奪っていった。いつしか今日の戦死者の数値に何かを思うことのなくなった自分。ある時、ふとその事実に気付いたマサキは、戦争とはかくも人の心を壊すものであるのだと――すっかり冷酷な殺戮マシーンと化した己に、自嘲めいた思いを抱いたものだった。
戦争の過酷な現実とは、そうした変化こそにある。
兵士が残した銃を玩具として遊ぶ戦地の子どもたち。ごっこ遊びはストレスを和らげる効果があるとは良く聞く話だが、それが許されるのは分別の付かない年齢まで。ひとりの戦士として死地に赴くのが日常となっているマサキには、そうした逃げ道はない。真正面から現実を受け止め、何もかもを割り切って、飲み込んで生きてゆく。そうした生き方を求められるのが、力なき者の盾として戦場に立つ戦士たちだ。知らず知らずにそうした在り方を体得していたマサキは、だからこそ目に見えぬ精神的苦痛に蝕まれていってしまったのだ。
――これが奴の最後か。俺たちが真の敵と目した奴の。
ロンドベルとともに、そして仇敵だった男とともに、ゼゼーナンを葬ったマサキは、その死の呆気なさに、それまで心の底に押し込めていた鬱屈の数々が爆発したのを感じていた。
背後で糸を引いていたにしては小者にも限度があるゼゼーナンの末路。それは小賢しい原理を用いて自らの手を汚すことを避けた悪党の最後には相応しい幕引きではあったが、絶望的な戦局を幾度も引っ繰り返してきたマサキにとっては納得のゆく終わり方ではなかった。
きっとロンドベルの他の面々も同じように、鬱屈とした感情を抱えていたのではなかろうか。彼らは真の敵に過大な期待を抱いてしまっていたのだ。これだけの被害を世界に及ぼした敵が、これだけ呆気なく命を終えるなど有り得ない……ややあって、誰ともなく口にした罪の清算を求める言葉。矛先が向いたのは、かつてふたつの世界に混乱を呼び込んだ――それも本人が与り知らぬところで傀儡とされた男だった。
彼らをマサキは止めなかった。
――お前の所為でお前の所為でお前の所為でお前の所為で父さんは死んだお前の所為で母さんは死んだお前の所為でゼオルートは死んだお前の所為でお前の所為でお前の所為でおまえのせいでオマエノセイデ……
遣る瀬無い感情をぶつける先を、ずっとマサキは探していたのだ。
だからマサキは道を見誤ってしまった。奪わなくていい命を、この手で奪ってしまった。
※ ※ ※
愚かな――と、最後の言葉を遺した男。シュウを再び宇宙に沈めたマサキの胸に訪れたものは、恐ろしいまでの虚しさだった。
宇宙に漂うかつてグランゾンだったパーツの残骸は、最早、何も語ることはない。
望むべき真の敵は斃れ、世界は平穏を取り戻した。だのに、自ら選択して掴み取った未来にいるのにも関わらず、してはならないことをしてしまった苦々しさが尽きない。
これで何が解決したというのだろう?
衝動的に、そして発作的に戦いに身を投じてしまった己に後悔が襲いかかった。だからといって時間が巻き戻せる筈もない。マサキは呆然と残骸が流れゆく宇宙の暗がりに目を遣った。宇宙空間にも風が流れるものなのだ。場違いにもそんなことを考えながら。
その先に光点が出現したのは、それから五秒後ほどのこと。あれは何だ? 起こってはならないことが起こっているのを感じ取った仲間の口から、その正体を問う言葉が洩れる。と、同時にマサキの二匹の使い魔もまた声を上げた。
「マサキ、あれ!」
「この感じ、あの方ニャんだニャ!」
それらの言葉は、微かにしかマサキの耳には入ってこなかった。
どうやら風の力が増したようだ。ごうごうと宇宙空間が鳴き声を上げている。びりびりと震えるサイバスターの外装。そんな馬鹿な。マサキは目の前で繰り広げられる光景を信じられないものとして見た。
光点は徐々に大きさを増しているようで、流れゆくグランゾンが引き寄せられてゆく。
次の瞬間、ひと際大きく風の音が響き渡ったかと思うと、その中心点より、巨大な白き一対の翼が出現した。昏い闇が続く宇宙空間に羽根を散らしながらゆっくりと広がる翼。それがふわりとグランゾンの残骸を包み込む。
――それではあなたも彼も報われない。
サイフィス様! 二匹の使い魔が同時に声を上げた。懐かしさを感じさせる空気に、マサキは目を瞠った。初めて耳にするサイバスターの守護精霊の声は、どこか寂し気で、そして冷ややかで、けれども憐れみを感じさせる。嗚呼、俺は間違ったのだ。マサキはそこでようやく、自らが犯してはならない過ちを犯したことに気が付いた。
――過ぎた力はその身を滅ぼす。それはあなたにも云えることですよ、マサキ。あなたは呑まれましたね。
マサキは何も云い返せなかった。
見えるものに騙されず、赦さなければならなかったのだ。マサキはここまでの長い戦いを振り返った。その殆どを共にしてきた大切なパートナー。魔装機神サイバスター。マサキの手足としてどんな時も忠実に動いてくれた巨大な機神との付き合いもこれまでになるのだろう。
諦めと詫びしさと虚しさが漂う胸の内。地球の平和を取り戻したという偉業を果たした直後にしては、悲観的な感情しか浮かんでこない。それならそれで仕方がない。前向きになれないマサキは、風の精霊サイフィスの判断に従う決心を付けた。
――今、あなた方をここで失う訳にはいかないのです。だから今一度、チャンスを与えましょう。あなた方の記憶を消し、時間を巻き戻します。
耳に直接響いてきた言葉にはっとなるも、その意味を咀嚼する暇はマサキにはなかった。耳をつんざく風の音。眩い光がサイバスターを、ロンドベルごと飲み込んでゆく。
――遣り直しなさい。正しい歴史の為に。
暖かい空気がマサキの身体を包み込む。次いで五感が失われ、マサキは無となった。
※ ※ ※
酷く頭が重かった。
こめかみに鈍い痛みを感じたマサキは辺りを見渡して、ここが艦内にある通路のひとつであることを確認した。
方向音痴なマサキは考え事をしている間に、見知らぬ場所に迷い込んでしまうことが良くあった。だからこそ付いたこまめに自分の居場所を確認する癖。先程までぼんやりと考え事をしながら歩いていたマサキは、だからこそ知った場所にいることに安堵しながらも、なかった筈の不調に途惑いを覚えた。
後味の悪い夢を見た直後のような気分の落ち着かなさ。これは何だ? マサキは倦んだ身体を引き摺るようにして医局へと向かうことにした。戦局はそろそろ終盤に差し掛かっている。艦医に頭痛薬を貰い、有事に備えなければ。そう思いながら通路の曲がり角を折れたところで、丁度通り過ぎようとしていたようだ。誰かはわからぬ相手に出会い頭にぶつかった。
「あ、悪い。人が通ると思ってなか……」
こめかみを押さえながら顔を上げると、いけ好かない澄まし顔がある。マサキは顔を顰めた。全く感情を悟らせぬ紫水晶の瞳。冷え冷えとした眼差しが真っ直ぐにマサキを射抜いている。
取り立てて何かを思うこともなくなりつつある相手は、だからといって積極的に馴れ合いたい相手でもなかった。
シュウ=シラカワ。サーヴァ=ヴォルクルスの、或いはテイニクェット=ゼゼーナンの駒として、地上と地底のふたつの世界に災厄を振り撒いた男。自意識を取り戻した彼は紆余曲折の末にロンドベルに与することとなったが、だからといってすぐさま馴染める筈もなし。彼にしても同様なのだろう。時に皮相的にマサキを批判してみせる彼は、マサキの態度が気に障りでもしたのだろうか。無言のまま、こめかみに置いているマサキの手を取り上げてくる。
「何だよ、謝っただろ」
「覚えていないのですか」
「何の話だよ」
「あなたが覚えていないのなら、変わるべきは私なのでしょう」
「だから、何の話だって」
独り言のように呟かれた台詞にマサキがその意味を尋ねるも、シュウはそれについて語るつもりはないようだ。
「残された時間はそうない。ならば」
愁眉を集めた顔。それまでとは打って変わったシュウの表情の変化に、マサキの脳裏を頼りない記憶の影が掠めた。
何か重大なことを忘れている気がする。
マサキは自らの記憶を浚った。地底から地上へ。シュウから聞いた戦いの真実。そしてロンドベルとの共闘。けれども綻びは見付からない。ならば先程のあれは……? マサキは自分を見詰めているシュウの両の目に焦点を合わせた。白き巨大な翼が開いた記憶。その光景をマサキは何処で見たのだろう?
沈黙は数秒だった。
上半身を屈めてきたシュウが、マサキの口唇に自らの口唇を重ねてくる。ゆるりと舐め取られた上口唇。予想だにしていなかった彼の行動に、さしものマサキも反射神経が追い付かない……いや、そもそも事態を認めるだけの思考力が働かなかった。
「な……んだよ、お前。いきなり……」
マサキが身体を離そうとした時には、彼の口唇は既にマサキの口唇から離れた後だった。
どう反応すればいいかわからず、マサキは言葉を詰まらせた。沈黙が続く。ややあって、伏せていた瞼をゆっくりと開いたシュウが、長い睫毛を微かに震わせながら、どこか寂し気に映る表情で静かに答えを口にした。
「私はあなたを決して嫌っている訳ではありませんよ」
「どういう……意味だよ」
「あなたが鈍感なのに感謝すべきですかね、マサキ。ですが、忘れられては困ります」
再び触れた口唇が、ゆっくりとマサキの口唇を吸った。覚えていて。吐息が触れ合うほどに近い距離で、囁きかけるように言葉を吐いた男は、そうしてマサキの手を離すと振り返ることなくその場を去って行った。
※ ※ ※
長き戦いの終結に、ロンドベルが歓喜の雄叫びを上げたのはこの三日後。意気揚々と地球へと引き上げた彼らが部隊の解散式を行う頃には、シュウの姿はもうそこにはなく。マサキがその口付けの意味を知るのは、これから更に先のこと。年単位で月日が過ぎた後だった。