三つの大罪

 シュウ=シラカワという人間は、状況に応じて嘘を吐く人間である。
 だからマサキは、捕虜として捕らえられていた房に彼が姿を現した瞬間に、強い警戒心を抱かずにいられなかった。
「お前、何でここに」
「あなたを救出しに来たのですよ」
 いつでも同じように笑ってみせる彼の表情は、大きく動くことがない。だから、かも知れない。マサキには彼の顔に張り付いたような微笑がいけ好かなく感じられて仕方なかった。
「何だ? 俺に貸しを作る気か。お前が自主的に俺を助けにくるなんて考えられないんだが」
「そういった話はここを出てからにしましょう。先ずは身の安全を確保しなければ」
 手足を拘束していた鎖を魔法で破壊してみせたシュウは、そう云ってマサキを促すと、一足先に薄暗く冷たい房を後にした。
 ――どういうつもりだ、こいつ。
 続いてマサキも通路に出る。少し先を往くシュウの白く大きな背中。それが頼もしくも感じられる半面、恐ろしくも感じられる。
 そもそもが厚意や善意といったポジティブな動機で動く人間ではないのだ。
 誰かの為に戦うといった動機付けを、戦場のロマンチシズムと切って捨てるような思考の持ち主。彼はどれだけの窮地に陥ろうとも、独立独歩で道を切り拓いていった。シュテドニアスとの宿業然り、邪神教団との因縁然り……。
 兎に角、情に流されない。
 時にシュウは気紛れにも組織に与してみせることがあったが、それも利害関係の一致をみたからこそ。彼は正確無比なコンピュータにも似た自身の頭脳で以て、冷静に戦時下の世界情勢を分析し続けている。だからこそ、利害が離れたとみるや否や、怖ろしいまでの無情ドライさで組織を離れていってしまう。
 シュウにとっての他者との関わりとは、利用価値のあるなしで定められるものであるのだ。
「何だ? 見張りがいねえ」
「そこはサフィーネたちに任せましたからね。今頃は離れた場所で戦闘の真っ最中なことでしょう」
 どうやらシュウは仲間を使った陽動作戦を展開し、兵士たちが離れた隙をみて、捕虜収容施設への侵入を図ったらしかった。
 組織に属することを厭う割には、数少ない仲間と行動をともにし続けている。それが利害の一致をみているからであるのか、それとも利用価値が高い駒であるからなのか――マサキにはわからない。だが、彼は彼らが自らの傍にいることを許しているらしい。それどころか、稀にはプライベートをともにもしているようだ。
 だったらあいつらに助けにこさせりゃいいものを。と、シュウとその愛機の暴力的な性能を知っているマサキとしては、非効率的な手段にそう思ったりもしたものだったが、恐らくは独立独歩な彼のこと。要の部分においては、他人に任せたくはなかったのかも知れない。
「でも何割かは残ってるんじゃねえか?」
「その可能性は高いですね。まあ、ここに来るまでの道中で何人かは潰しましたが」
「出張ってる奴らに戻って来られると厄介だな」
「そうでしょうかね。万が一、彼らが戻ってきたとしても、手足の自由を取り戻したあなたに敵う筈もなし。ああ、大丈夫ですよ。その際には私もきちんと戦いますので」
 抑揚のない声で、淡々と言葉を紡ぐシュウに不安は限りない。
 マサキは周囲に気を張り巡らせながら先を往くことにした。
 辺りにひたひたとふたつの靴音が響く。ぼんやりとした照明の光は数メートル程しか視界を確保してくれず、もしもの事態に対応するのに決して良い環境とは云えなかったが、幸いにして、シュウが対処した兵士でこの施設の番人は全てあったようだ。何事も起こることなく施設をシュウとともに出たマサキは、彼の愛機に乗り込まされ、急ぎ捕虜収容施設を後にした。
「サイバスターは」
「ここに運び込んだ直後に強制捕縛魔法ゲ・アスを掛けたようですね。今頃はサフィーネたちが戦闘ついでに回収を済ませているとは思いますが」
「そうか。世話を掛けちまったな」
 操縦席でグランゾンのコントロールを始めたシュウの背後に居場所を定める。
 正面モニターに展開されるラングランの雄大な自然溢れる景色。色鮮やかに過ぎ去ってゆく雲を見上げながらマサキは云った。
「お前のお陰で助かった。この借りは必ず返す」
 シュウの思惑がどこにあるかは不明だったが、捕虜収容施設から無傷で脱出出来たのは事実だった。その分の礼はしなければならないだろう。けれども、マサキの気持ちとは裏腹に、シュウはマサキからの礼を期待して訳ではなかったようだ。
「あなたに自覚はないのでしょうが、あなたは地底世界の切り札ですからね。簡単に失われてしまっては困るのですよ、マサキ」
「切り札?」
「十六体の正魔装機の頂点に君臨するサイバスターとその操者が切り札足り得なければ、この地底世界の秩序は維持されないでしょう。ですから安心してください。私は必ずあなたを守ってみせますよ」
「守る? 本気で云ってるのかよ、お前」
 反射的に飛び出した言葉だった。
 シュウ=シラカワという人間は、状況に応じて嘘を吐く。それをマサキは忘れていなかった。だから彼の言葉を疑った。
 地底世界の切り札とは、マサキが最終的にこの世界の秩序を守る立場に就いていることから出てきた言葉であるのだろう。しかし、その程度の理由でマサキを助けるなど、この利己的な男がしたものだろうか?
 彼は自身の利益にのみ忠実な人間であるというのに。
 それに――と、マサキは背中を向けたままのシュウを眺めながら、今しがた聞いたばかりの彼の声を思い返した。
 彼の嘘には特徴がある。微かな声のトーンの変化。彼自身の態度に変化はみられないのに、言葉が上滑りしているように聞こえる……自分にしか聞き分けられない彼の声の変化に確信を抱いたマサキは、返事をしないシュウに「嘘だな」と語りかけた。
「何故、そう思ったのです」
「お前がそんな人間じゃねえことは良く知ってるつもりだ。そんなちっぽけな理由で俺を助ける筈がない。ましてや守ってみせるだ? 笑わせんなよ。俺はお前に守られるほど弱っちい存在じゃねえ」
「私が助けに行くまで、捕虜収容施設から逃げ出せなかった人が良く云いますね」
「大分、調子が出てきたじゃねえか」マサキは笑った。
 振り向くことのないシュウの背中が微かな怒りを伝えてきている。彼がマサキの言葉に気分を害したのは明らかだ。
「そういった挑発には乗りませんよ」
 感情を乱したことにシュウ自身も気付いているようだ。静かな沈黙が降りる。
 さて――と、マサキはシュウの様子を窺った。正面モニターの景色は緩やかに動き続けている。いつでも冷静沈着な男はマサキとは異なり、愛機のコントロールに感情面を反映させることはないらしい。
「……私は救われたいのですよ、マサキ」
 絞り出すような声だった。
 まるで神に救いを求めているかの如き切迫さ。沈黙を破ったシュウに、予想だにしていなかった言葉をぶつけられたマサキは動揺した。
「救われたい――だと」
「そう。終わりのない戦いの日々。そこに決着を付けてくれる人を欲しているのですよ」
 どうやら自動操縦にシステムを切り替えたようだ。ゆっくりとシュウが操縦席から立ち上がる。
 マサキを振り返った彼の表情は、まるで三日三晩もの間、答えの出ない問いを考え続けた後の憔悴に似ていた。
「それが俺だって……云いたいのか」
「そうですよ」
 操縦席を回ってマサキの脇に立ったシュウが、マサキの肩を掴む。
 思いがけない接触に動揺は限りない。とはいえ、せせこましいコントロールルームに逃げ場はない。焦り、慄きながらも、マサキはシュウからの次のアクションを待つことしか出来ずにいた。
 白磁のように滑らかな手が、次の瞬間マサキの身体を掻き抱いた。
「あなたが大嫌いですよ、マサキ」
 どうしてだろう、その言葉は。
 嘘にしか聞こえなかった。

君のついた3つの嘘
シュウがついた3つの嘘。ひとつめは救われたいとつぶやいたこと。ふたつめは守ると笑ったこと。みっつめは君にすがって、大嫌いと言ったこと。