入梅

 しまった。と、マサキは思った。
 サイバスターの転移機能を使用して上がった地上世界。景色が切り替わるなり、メインモニターに映し出された叩き付けるような雨に、マサキは今が六月であることを思い出した。そう、梅雨だ。温暖な気候が常のラングランで過ごす内に、すっかり忘却してしまった豊かな日本の季節。もうそんなに地底世界ラ・ギアスで生きたのか――マサキは自らの格好をうっすらと映し出している計器類を覗き込んだ。緑を基調とした上下一揃いのコストゥーミに半身にかかる白いマント。ラングラン製の衣装に身を包んだマサキの髪は、昔と比べて大分襟足が長くなっていた。
 好んで着用していたジャケットとジーンズをマサキが身に付けなくなってからもう五年は経つ。
 きっかけはミオの些細なひと言だった。何だか未練だよね。女子高生のような格好を好んでしていたミオは、二十歳を迎えたその年に、ラングランの城下町を歩いている自分の格好が、周囲と比べると浮いて見えることにようやく気付いたのだという。
 ――もう、女子高生って歳でもないし、そろそろファッションを変えようと思ってたの。
 その直後の出来事だったのだという。
 ミオの言葉はマサキの心を揺らがせた。未練がなかったからこそ、ラングランに召喚されたマサキはその頼みに従って戦いに身を投じる決心をした。したけれども、一生をラングラン――ひいてはラ・ギアスで生きてゆくことになるなどとは思っていなかった。
 いつかは地上世界に帰らされるのではないか。地底世界ラ・ギアス。マサキたちの故郷である地球の裏側に存在する次元の異なる世界は、いつかはマサキたち地上人の力を借りずとも、世界の秩序を保てるようになるだろう。マサキはそう考えていたからこそ、自らのファッションを地底世界準拠にするのを避けていた。
 あまり地底世界に馴染み過ぎてしまっては、帰らなければならなくなったその日が辛くなる。
 けれどもミオは違った。未練だよね。そのひと言は、彼女が最早地上世界に帰る気がないことを示していた。
 マサキはメインモニターに映る灰色の世界を見上げた。高くそびえるビルの群れ。厚く雲に覆われて鈍色に染まった空。そこに降りしきる梅雨の雨……傘を持たずに地上に来てしまったマサキは、そこで今更に、故郷である筈のこの世界が自分の帰る場所ではないことを悟った。
「この格好でコンビニ行ったら目立つよな」
 文化の異なるふたつの世界。五年前のマサキであれば、地上世界をひとりで闊歩しても何ら問題がなかった。
 けれども、今は……マサキは躊躇った。この格好でコンクリートジャングルを歩き回れはしまい。ましてや、人の出入りが激しいコンビニなど。
 そもそも、ほんの十数分で済む用事の為に、わざわざ押し入れの奥に仕舞い込んだかつての日常着を引っ張り出すのは面倒臭い。サイバスターにマサキが着替えを積まなかったのはそれだけの理由だった。
 けれども、それは本当にそれだけであるのだろうか?
 マサキは自らの衣装に、ラングランで積み重ねてきた歳月の長さを感じ取った。久しぶりとはいえ、マサキにとっては故郷である。そこを訪れるにあたって、人目を引く自らの格好に無頓着になっていた自分。着慣れたラングラン製の衣装を脱がなくなったマサキは、恐らくはもう地上人というカテゴリで括られる存在ではなくなったのだろう。
「いいんじゃニャいの? ちょっとのことニャのよ」
「ニャにかのコスプレだと思われるだけニャんだニャ」
 計器類の上に乗っかっているシロとクロが、マサキの言葉に口々に応えてくる。
「お前ら、俺を不審者にしたいのか」
 自らの二匹の使い魔の楽天的な台詞にマサキは眉を顰めた。マサキが地底世界に召喚されてからかなりの歳月が経ったが、未だに地上世界は地底世界ラ・ギアスを認識していない。そうである以上、人目を集めるのは避けなければ。マサキは今一度、メインモニターを見上げた。
 梅雨の時期だけはある。雨は簡単には止みそうにない。
「仕方ねえな」
 マサキはコントロールパネルを操作してサイバスターのハッチを開いた。目的地は直ぐ目の前の建物だ。急いで庇の下に潜り込めば少し濡れる程度で済むだろう。
「行ってくるぜ」
 マサキは二匹の使い魔を振り返った。
「気を付けてニャのニャ」
「いってらっしゃいニャのね」
 そうして、シロとクロ、二匹の使い魔に見送られたマサキは目的の建物へと。
 降りしきる雨の中、駆けてゆく。