「もう少し愛想ってものを覚えればいいのよ」
それはある日の昼下がりのラングラン州の外れにある街の喫茶店での出来事だった。
他愛ない世間話の中身は、滅多に顔を合わせることのない仲間の噂話。それと少しばかりの近況報告。それがどう話が転んだものか。気付けば傍迷惑な男の些か常人離れした精神性に話が及んでいた。
マサキたちの行く先々に待ち構えていたかのように姿を現してみせては、事態を掻き回すだけ掻き回して去ってゆく男。シュウ=シラカワ。因縁深き相手に物を思うのは、能天気を絵に描いたような少女であっても同様なのだろう。彼女は目の前のグラスから抜き取ったストローを指揮棒宜しく掲げてみせると、その手に顔を預けながら言葉を続けた。
「そうすれば、あの他人に対する無味乾燥な態度だってご愛敬で済むと思うのよね。ほら、顔はいいんだし。顔は」
マサキとしてはあまり長く続けたい話題ではなかったものの、そうも頭ごなしに否定をするような言葉を吐かれては、どれだけ迷惑を被っていようとも思うところは出る。
「お前が思ってるほど、他人に興味がないヤツじゃねえよ」
だからこそ、ミオの言葉を即座に否定してみせれば、彼女はそのマサキの反応に大いに妄想を逞しくしたようだ。へえ……と呟くと、直後にはにっひっひっと嫌な笑い声を上げた。
「何だよ」
「そりゃあ、マサキには関心があるみたいだもんね。シュウって」
「お前、また直ぐそういう方向に話を」
「だって、シュウがあたしたちの前に姿を現わすのって、マサキがいるからでしょ? マサキがいるから足を止めるんだし、マサキがいるから話をしてるんだって、あたし思ってるんだけど」
そう云って、ちゅるちゅるとオレンジジュースを啜るミオに、マサキはどう反応をしたものか悩む。
自分だけではない筈だ。
他人の意識に浸食されることがあるウエンディには、どうも共感めいた感情を抱いているようだ。父であるビアンとともに活動をしていたからだろう。リューネにも気に掛けているような言葉を吐く。ヴォルクルスに操られてのことだったとはいえ、父であるゼオルートを手に掛けてしまったしまったことを悔やんでもいるのだろう。プレシアに対しては肩を持つような態度を取ってみせたりもする。
「あいつ、女嫌いとか嘘なんじゃねえの?」
「何よ。いきなり」
自らをクリストフと呼ぶテュッティに対してもそうだ。シュウは彼女らのこととなると、途端に人間らしくなった。そう、彼女らに対するマサキの態度を咎めることも多いシュウからは、彼がマサキひとりにだけ拘っているのではないことが伝わってくる。
「あいつが俺だけに拘ってないって話だよ」
マサキは目の前のアイスカフェオレに口を付けた。
シュウのことを低く扱われれば腹が立つ割に、彼が他人に寛大なのを許せない。何なんだよ、これは。マサキはもうずっと持て余し続けている感情を、アイスカフェオレとともに腹の底に飲み込もうとした。けれども、喉に溜まった感情は上手く落ちていってはくれない。
「なあに? 結局マサキは、シュウにとっての一番が自分じゃないと嫌だってこと?」
「そんなことは云ってねえよ。ただあいつ、俺に対して厳し過ぎだろ」
「なら、甘やかして差し上げましょうか」
突如として頭上から降ってきた声に、マサキは慌てて顔を上げた。
「な、何でお前がここにいるんだよ」
いつの間にここまで近付いたものか。涼やかな微笑を浮かべたシュウがテーブルの脇に立っている。
「喫茶店に身体を休めたり、お茶を飲んだりする以外の用事で立ち寄る人間がいるのだとしたら、それはそれで見てみたくもありますが」
「つまり、お茶ついでに読書をしようと思ったってこと」
小脇に抱えている分厚い書物に視線を滑らせたミオが、続けてマサキとシュウの顔を交互に見遣りながら口にする。
偶然の邂逅も、彼女にかかれば必然の出逢いに早変わりしてしまうようだ。あたしは退散しよーっと! 瞬発的に判断をくだしたらしいミオが席を立つ。待て待て待て待て。マサキは慌ててテーブル越しに彼女の手を掴んだ。
「俺を置いて行くなよ」
「何で? だってマサキはシュウの味方でしょ? 別にいいじゃないのよう。ふたりきりでお茶するぐらい」
「何をどう繋げた結果、そういう結論になったのかわかりゃしねえ。そもそもこいつは読書に来たんだろ。俺とお茶するなんてそんな余裕は」
「少しぐらいでしたら付き合いますよ」
云うなりマサキの隣に身体を滑り込ませてきたシュウに、嘘だろ。マサキは驚きの声を上げずにいられなかった。
シュウがどこまで話を聞いていたかは不明だが、少なくとも直前の会話を聞いていたのは間違いない。そうでなければ、どうしてマサキの隣に座るなどといった暴挙に出たものか――やけに距離が近い彼の肩に居心地の悪さを感じながら、マサキはこの場からどう逃げ出すかについて思考を巡らせた。
「ですからあなたもそこに座り直しては如何です、ミオ」
「いやー、あたしはこの光景が見られただけで満足かなあ」
ところが敵もさるもの。ミオをも巻き込んで歓談といくつもりであるらしい彼の台詞に、渡りに船。シュウとふたりきりの気まずい時間を避けたかったマサキは、ここぞとばかりに彼の言葉に追従した。
「いいから座れって云ってるんだよ! お前がそこに座らないと、こいつとの距離が不自然にしか見えなくなるだろ!」
「それが面白いのにー」
口ではそう云いながらも、マサキを見捨てはしないようだ。元居た場所に座り直したミオがにひひと笑う。
「てか、シュウ。どこから話を聞いてたの?」
「マサキが私の女性嫌いを嘘だと疑っていた辺りからですよ」
マサキの顔にちらと視線を投げて、白々しくも澄ました顔で云ってのけたシュウにマサキは舌を鳴らした。
「お前はホント、地獄耳っつーかよー……タイミングが良過ぎるっていうかよー……」
「運命とは賽子の目のようなものですからね」
「どういう意味だよ」
「確率で表せるということですよ」
「やだあ。ここに来たのって確信犯?」
「それはさておき」
まるでミオの問いが急所を突いているかのように、露骨に話を逸らしてみせたシュウが、その口元に意地の悪い笑みを浮かべる。次いで、吊り上り気味の瞳がゆったりと細められたかと思うと、マサキとミオの顔を交互に見遣ってきた。
ぞっとしかしねえ。マサキは背筋に冷や汗を伝わせながら、笑顔こそが凶面である男からゆっくりと目を逸らした。
「先ずは、どういった私の噂話をしていたのか。そこから聞かせていただきましょうか」
案の定。尋問官も裸足で逃げ出す冷ややかな声音でシュウが尋ねてくる。
マサキは、絶望した。