冬の雨

 それは降りしきる雨が冷たく肌を打つ、或る日のことだった。
 温暖な気候のラングランにも、凍えるような寒さが襲いかかることはある。サイバスターのコントロールルームで防寒具を着込んだマサキ、さしたる距離を往く訳ではなかったからこそ、雨具をどちらにするか考え込んでしまった。
 傘と合羽。視界がけぶる程度には振り続けている雨。傘から滴る水滴で肩だの腕だのを濡らすのは嫌だった。さりとて合羽を羽織るにも、脱いだ後の始末が億劫に感じられる。だったらシャワーを借りればいいじゃニャいの。マサキの悩みの理由を聞いたクロは呆れ返った様子で、そう云い放った。
 それもそうだ。マサキは傘を掴んだ。これから行く先はただの民家である。山や森を歩くともなれば、もっと悩んだことだっただろうが、濡れたところでどうとでもなる他人の家。気心知れた場所に向かうのに、今更遠慮も要らないだろう。マサキはサイバスターを降りると、傘を差し、足元に纏わり付く二匹の使い魔とともに、目的地に向かって歩き始めた。
「……何だよ、出掛けるのか」
 その道のりの途中で、今まさに向かおうとしていた家の主人たるシュウと鉢合わせした。ええ、と頷いた彼の手には書類などを仕舞い込むのに丁度良さそうな革製の手提げ鞄。おまけに大きなファイルホルダーを小脇に抱えているとなれば、普段の気ままな外出とは異なる用件であるらしいのは明白だった。
「家で待っていてくださっても結構ですよ。数時間で戻ります」
「その荷物で? 数時間で戻れる用件を片付けに行くような感じの荷物には見えねえけどな」
 待つのは吝かではなかったが、シュウが手にしている荷物が荷物だ。どうにも厄介な用事を抱えているようにしか思えない。待ちぼうけをくらった挙句にひとりでベッドで休むのも嫌だとマサキがそう口にしてみれば、
「青色申告なのですよ」
「あおいろしんこく」
 思いがけない単語に、思わず気の抜けた声が出る。
「特許を幾つか持っている関係で、この時期になると税理士と話をしないとならないのですよ。とはいえ、申告そのものは税理士がしてくれるので、私は必要な領収書や口座の証明書などを出すだけでいいのですが」
 はあ。とマサキはわかったようなわからないような声を上げた。どうもこの男はマサキたちに隠れて、地上で様々な活動に関わっているようだった。研究活動然り、機体開発然り。特許はその副産物であるらしいのだが、それが生み出す富の処理を、当たり前だがきちんと行っている――今更に知った事実に、マサキはどう反応していいかわからない。
「まあ、いいや。待ってりゃいいんだろ」
「誰もいない家に帰るよりは、面倒な用事を済ませる励みになりますね」
「だったらついでに土産を買って来てくれよ」
 思いがけないマサキの要望に、少しばかりシュウは驚いたようだった。土産、とその言葉を噛み締めるように口の中で繰り返した。地上と地底をいつでも行き来できてしまうマサキは、自らの力で欲しい物を手に入れることを知っている。そんなマサキがわざわざ自分に要望を出してきたことが意外だったのだろう。何がいいですか。ややあってそう尋ねてきたシュウに、マサキは少しばかり考え込んだ。
「魚が食いてえんだよな。鯖の塩焼きとか鮎の塩焼きとか、子持ちししゃももいいな。ああ、刺身も食いてえ。マグロにイカ、イクラ……」
「全部買ってくることは可能ですが、食べきれますか?」
 だよな。云ってマサキは笑った。
 傘から滴り落ちる雫が腕を濡らし始めている。早く決めなければシュウも濡れてしまうことだろう。
「鮎の塩焼きが食いてえけど、今の季節は手に入らないだろうから、刺身でいい。スーパーで売ってる盛り合わせでいいから買って来てくれよ」
「それならちゃんとしたものを買ってきますよ」
「それでお前の帰りが遅くなるんじゃ本末転倒だろ」
 マサキ、とシュウがその名を呼んだ。身を屈めてマサキが差す傘の中に入ってきた彼は、そうして柔らかくマサキの口唇に口唇を重ねてくると、なるべく早く帰りますよ。そう微笑んで、自らの傘に戻ると、雨にけぶる景色の中へと姿を消して行った。

創作小説のお題キーワード3つ
@kyoさんは下記のお題で、1時間以内で小説を1本書いてください。
お題1:鮎の塩焼き / お題2:青色申告 / お題3:雨具