命の天秤

「あ、シュウだ」
 指を差して出くわした男の名を口にすれば、「これはザムジードの操者、ミオ=サスガ」と、意趣返しのように言葉を返してくる。
「そうよ。正義の味方、ラブリー☆ミオちゃんよッ!」
 ミオはシュウの目の前で胸を張った。
 気障ったらしい薄い笑み。胸の内を覚らせない彼なりのポーカーフェイスは、人によっては好印象を与えることもあったようだが、仮にも魔装機神の操者である。ミオの目は誤魔化せない。王都のど真ん中で自らの存在を指摘されたことを面白く感じていないのだろう。口元に浮かべた笑みとは裏腹に、彼の視線は冷ややかだった。
「全くその通りですよ、ミオ。正義の味方。そんなあなたが私と一緒にいるところを見られていいとは思えませんが」
 眉ひとつ動かさずに云ってのけたシュウに、「その格好で?」ミオは小首を傾げた。
 いざとなれば術で姿をカモフラージュ出来る彼は、何を思ったか。素のままの姿で王都を歩き回っていた。紺色のスラックスに、若紫色のハイネック。見慣れた白いコートの裾がラングランの風にひらめく。
 とはいえ、多少は姿を隠すべきであると思ったのではないだろうか。珍しくも眼鏡を掛けている彼は、撫で付けられた髪から零れた後れ毛を掻き上げた。
「これでも変装をしているつもりなのですがね」
 まるでやる気のない彼のぞんざいな変装に、ミオは苦笑するしかなかった。
 確かに、額を出した彼の髪型は、その印象を変えるのに役には立っていた。
 ぱっと見、貴族と云われても通る。けれども、その怜悧な面差しが劇的に変化する訳でもない。しかも、彼特有のプラーナ。鮮やかに色が混じり合った強い輝きは、離れていてもその存在を教えてくれる。
「どの道、あたしたち相手じゃ無駄でしょ。そんな変わったプラーナの持ち主、他にいないもん」
「確かに」ミオの指摘を尤もだと感じたようだ。頷いたシュウが、「衛兵の目を誤魔化す程度でいいと思ったのが間違いでしたね」と反省の言葉を口にする。
「ねえ、ところで」
 ここで顔を合わせたのも何かの縁。ミオはシュウに尋ねたいと思っていたことを口にすることした。
「シュウ、マサキに『命に序列がある』って云ったんだって?」
「ご不満ですか」
 一瞬、ミオの目には、その眦が険しさを増したように映った。
 シュウ自身はミオに足止めされることを快くは感じていなさそうだが、どうせ広域指名手配犯といったところで、彼にはセニアという強力な後ろ盾があるのだ。司法を飛び越えた強権を発動できる彼女は、シュウが衛兵に捕らえられようものなら即座にその力を発揮してみせることだろう。だからミオはシュウの態度に気圧されることなく言葉を紡いだ。
「人は生きるも死ぬもひとりってね」
「成程。人間にとって『生を与えられた』という事実と、『いずれ死ぬ』という事実は平等ですね」
「そうよ。生まれる時もひとり、死ぬ時もひとり。誰かと同じ時間にその体験をしても、魂は独立した存在だもの。苦しみを分かち合える相手なんていないでしょ。特に『死』は、誰にとっても平等。老いも若きもお構いなし。富める者や貧する者だってそうよね。誰にでもいつかは訪れる現実よ」
 その『死』が、どういった形でいつ訪れるのかはさておき、誰にとっても逃れられない運命であるのは紛れもない事実。だからミオは命に序列があるなどとは思ってなかった。人生に貧富の差はあれど、魂の扱いに於いては等しく平等である――そう、思っている。
「あなたは時々、酷く面白いことを口にしますね」
 シュウはミオの言葉の真意を覚ったようだ。クックと声を潜ませて嗤うと、来なさい。と、ミオの脇を擦り抜けて中央通りへと向かって行く。
 ミオは暫くその場を動けずにいた。
 白いコートに身を包んだ彼の背中が、眩く気高いものに映る。生まれる時も死ぬ時もひとり。孤高に生きる目の前の男は、それを自らの人生として経験してきたのだと訴えているようでもある。
 シュウの背中が人いきれに飲み込まれそうになって、ようやくミオは彼を追って歩き始めた。迷うことなく道を進んでゆく彼の歩は早い。少し目を離しただけでも姿を見失いそうになる。急ぎ、小走りに彼の後ろに駆け寄れば、はたとシュウが足を止めた。
「見て御覧なさい」
 面を上げた彼が視線を注ぐ先には、固く門を閉ざした王宮がある。
 豪華絢爛に輝く外観。王都の象徴して中心部に広く敷地を取る王宮は、選ばれた者しか立ち入ることを許されない世界だった。
「命の限りは誰が決めるのでしょうね」
「それこそ運命なんじゃないの? 天命って云うでしょ。生まれた時点で死ぬ時までの人生は定まっているんだわ」
「命に限りを与えるのは、他人ですよ」
 どこか懐かしむような、それでいて蔑むような眼差し。彼がどういった生活を、この奥に広がる世界で送っていたのか――ミオには定かではなかったが、決して好ましい記憶ばかりではなさそうだ。そう思わせるだけの静かな迫力が、その横顔にはあった。
「富める者、貧する者。病に伏したその時に、彼らは何に縋りますか。効果のほどが定かではない呪いに頼ったのは遠い昔のこと。今を生きる人々は先ず医療を頼ることでしょう」
 穏当ではない視線を王宮に注ぎながらシュウが云う。
「受けられる医療の質は、彼らが身を置いている階級によって異なります。医療とは無償の奉仕ではありませんからね」
「お医者さんにも生活があるしね。せちがらいけど、お金は大事よね」
 その通り。と、頷いたシュウが高くそびえ立つ大門を見上げた。
「どれだけの資金を投じても、生き延びてもらわなければならない人々が住まう場所。この大門の向こう側に広がっているのはそういった世界です。神聖ラングラン帝国には、変わることのない国王の務めがありますからね。国民の生活を支える大事な役目。それが調和の結界の担い手、魔力供給源としての役割です。これだけは誰にでも務められるものではありません。ないものを創り出すことは出来ないのですから。だから彼らは、その魔力が続く限り生かされる・・・・・のですよ、ミオ」
 それは――その意味は。ミオは即時にシュウの言葉の意味を理解した。
 例え本人が死を望もうとも、彼らは死なせてはもらえないのだ。
 それこそが国王であることの意味であったし、比類なき権力を彼らが与えられた意味でもあった。そして、共和制に移行した現在のラングランで、今尚、王族が一定の権力を有している理由でもある。
 調和の結界という治安維持装置。ラングランが得た巨大なシステムは、それを維持出来る人間に生涯に渡る拘束を与えるものである。シュウの真意を覚ったミオは、でも、と、言葉を継いだ。
「前の王様は死んじゃったんでしょ。それはあなたが」
「だからですよ。下手に身体が残ろうものなら、調和の結界が維持されてしまう。私は――いえ、教団は、だからこそ、叔父の肉体を生命維持が困難なまでに砕いたのですよ」
 どこか苦し気な声だった。
 けれども、直後に、ミオ、と振り返ったシュウの表情は、憎らしいまでにいつも通り。完璧なまでに理性で感情に蓋をしてみせるシュウに、ミオは疑問を抱いた。その類まれなき強靭な精神力が綻びることはあるのだろうか?
 それを目にすることが出来るのは、マサキだけなのかも知れない。ミオは輝ける仲間を思った。迷うことなく未来に突き進んでゆくミオの大事な仲間は、時々、シュウに対して妙に寛大になる。それは、ミオが知らないシュウの顔をマサキが知っているからではないだろうか。阿吽の呼吸で動いてみせることもあるふたり。そういう彼らを知っているからこそ、ミオにはそう思えてならなかった。
「王宮の書庫には、王室の歴史を刻んだ書がラングランの歴史の年代分揃っています。それは非常に興味深い知見を私たちに与えてくれます。命の重みは本人が定めるものではなく、周囲の人間によって定められるものであると。それ即ち序列です」
「でも、でも……」
 命には序列があるんだ。と、ようやく外に出てきたマサキはそう口にした。
 ――俺はそれを背負って生きていかなきゃな……
 マサキを庇って命を落とした少女。とても可愛がっていたのだと、ミオは後になってから街の人たちから聞いた。そんなことはあってはならないのに。ミオは娘の死を名誉だと吹聴する少女の良心を、どう諫めればいいのかわかりかねている。
 プレシアがこっそり打ち明けてきたところによると、シュウが訪れた直後に、マサキはそれまでずっと篭りきりだった部屋から出てきたのだとか。命の序列。その言葉をマサキに与えたのは、だからきっとシュウであるのだ。
「あなたらしくないですね、ミオ」
 吹き抜けるラングランのように涼やかな顔が、ミオに真っ直ぐ向けられている。
「これはありきたりな世界にも蔓延る常識ですよ。金があれば生きられる。あなた好みに云えば、地獄の沙汰も金次第といったところでしょうかね。そこに序列がないと云えますか?」
「でも、あたしは気に入らないのッ!」
「気に入らなければ世の中を変えるしかありませんね」
 さらりと云ってのけたシュウの髪が風に揺れている。何故、この人は――ミオは口唇を噛み締めた。
 ――いつも理想を叶わないもののように扱うのだろう。
 見たくない現実を非情に突き付けてくるシュウに、口惜しさが込み上げてくる。わかっている。ミオは胸の内で声を上げた。
 彼の言葉にそう感じてしまった時点で、図星を突かれてしまっているも同義。けれどもそれを認めてしまっては、ミオの戦う意味がなくなってしまう。ミオは彼ら、善良な一般人を守りたいのだ。多数の命と自分の命。対価で考えれば、これほど効果の高い命の使い方もない。
 だからミオはシュウを睨み続けた。負けたくない。意地と誇りを懸けて睨み続けた。
 だが、その程度の浅はかな考えなどシュウには筒抜けであったのだろう。費用対効果の話をしましょう。そう口にした彼の口に浮かぶ残虐な笑み。全てを見抜いているかの如き理知的な瞳が、ミオに視線を注ぐ。
「彼らが剣を持ったとして、あなた方に匹敵する力を発揮出来ると思いますか」
「だからあたしたちが守らないといけないんじゃないの」
「そう、その通りですよ、ミオ。けれどもあなた方が守っているものは、彼らの命に限りません。彼らからすれば、あなた方は自分たちの日常生活を守ってくれる存在なのですよ。彼らの命が失われても世界は変わりませんが、あなた方の命が失われれば世界は変わる。それを彼らはあなた方よりも良くわかっているのでしょう。だから彼らもまた、あなた方が彼らを守るようにあなた方を守るのです。命と引き換えにね」
 泣いてしまいたいのに、涙が出ない。
 どうしようもない現実を、マサキはクソ食らえと全てを吹き飛ばすのではなく、背負う決心をした。その事実がミオを動揺させた。
 正魔装機の頂点に立つ風の魔装機神、その操者。
 彼はミオたちの手の届かないところへ、歩み始めている。
「強くなりなさい、ミオ。世界というひとつの命を丸ごと背負えるぐらいに」
 瞬間、ミオとシュウの間をひときわ強い風が吹き抜けた。サイドに結わえた髪が視界を塞ぐ。ふわり。流れ出たシュウの衣装に焚き染められた香の薫りが、風が引くと同時に薄らいだ。
 はっとなって周囲を探す。
 白い衣装は、人いきれの中に姿を消していた。