嘘から出た実

 生意気な男だ。
 顔を合わせる度に猛然と自身に突っかかってくる男の甘えた考えは、時にシュウを酷く苛立たせた。
 彼が一般民衆であれば、その甘さも仕方がないと飲み込めるところであったが、仮にも救国の英雄と謳われる風の魔装機神が操者である。巨大な人型破壊兵器を扱い戦場に赴く以上、そしてあらゆる戦いにおける裁量権をラングランより与えられている以上、判断を誤らないだけの精神性は必要不可欠だろう。
 だというのに。
 わざとシュウの神経を逆撫でしているのではないかと思うような稚拙な論理展開。主観的な彼の主張は、稀に世論の流れを大きく無視することがある。しかも頑固を通り越して頑迷ときたものだ。一度決めたことを容易に翻すということをしない彼に、どれだけシュウは手を焼かされてきたことか。
 プレシアの件についてもそうだ。
 男女同権が認められて久しいラ・ギアス世界において、女性の活躍が阻まれる場所はない。政治家だろうが戦士だろうがなるのは自由。勿論、彼女はまだ庇護されるべき年齢の稚い少女ではあったが、ディアブロが彼女を望み、彼女自身もそれに応えることを望んでいるのだ。彼らのパートナーシップを無下にする権利は、例え義兄であるマサキであろうとありはしない。
 かといって、彼にシュウの意見を押し付けるのはまた違う。
 マサキは社会経験に乏しいだけなのだ。
 その彼に自身の意見を吹き込むことは、傀儡を作るのと同義である。だからシュウは、仲間や自分たちとの付き合いの中から、新たな考えを掴み取らせるしかないと考えていた。
 戦場に立つ時間の長いマサキは、当たり前の社会経験をする時間が圧倒的に少ない。そうである以上、彼の自然な成長には、周囲の人間の助けが不可欠だ。幸い、彼の周りには社会経験が豊富な仲間が揃っている。彼らとシュウが導いていけば、いずれは立場に見合うだけの精神性が育つだろう。
 それでも偶には、その道のりの長さに疲れてしまうことがある。
 元が敵同士だった以上仕方のないことだが、マサキのシュウに対する反発心は相当だ。知識が先んじているシュウに対するコンプレックスもあるだろう。直感と理論のぶつかり合いは平行線で、終わりのない口論になることも珍しくない。
 だからシュウは自身の口を慎めなくなってしまうのだ。
 素直さや純粋さ、ひたむきさと、彼自身の長所に惹かれる半面、直感的で頑迷といった彼の短所が耐え難く感じられてしまう。それは嫌味で皮肉を発する程度では抑えられない衝動だ。
 かといって武力といった力をぶつけるのは筋が違う。
 彼の肉体や自尊心を傷つけることなく、この憂さを晴らす方法はないものか……そう、彼の弱点を突けるような何か……ヒントを求めてこれまでのマサキとの付き合いを振り返ったシュウは、そこで不意に思い付いてしまった妙案に口元を緩ませずにいられなかった。

※ ※ ※

 思い付いた企みを実行に移すのには、暫しの時間が必要だった。
 用意が必要だった訳ではない。ただ、マサキは元よりシュウも多忙な日常を送っている。中々機会に巡り合えないまま数週間。流石に彼に対する苛立ちも落ち着きをみせていたが、生来の人の悪さが災いした。
 その瞬間のマサキの顔が見たくて仕方がない。
 きっと彼は盛大に嫌気に満ちた顔をしてみせることだろう――身体が空いたシュウは夜を待ってマサキの許に向かった。
 エーテル通信機を使い、マサキを外に呼び出す。彼はシュウの急な呼び出しの理由に思い当たる節がないからか。かなり怪訝そうな様子であったが、滅多なことでは顔を合わせない――しかも顔を合わせる際には、何某かの問題が生じていることが多い相手の登場とあっては断る訳にはいかないと思ったようだ。しぶしぶながらも今から行くと応じてきたマサキに、シュウは笑い声を堪えるのが精一杯だった。
「ところであたくし何も聞いていないんですけど、ここに何しに来たんです、ご主人様?」
 ラングランの平原にグランゾンを停めて待つシュウの肩で、不思議そうにチカが首を傾げている。
「マサキに会いにですよ」
「それはわかってますよ。さっき連絡取ってたじゃないですか。でも、今マサキさんに会う必要なんてありませんよね」
「偶には何事もない状態で会ってみたいと思ったのですよ」
「こんな夜更けに? 寝てましたよ、あの人。声が不機嫌でしたもん」 
 ふあーあ。くちばしを大きく開いてチカが欠伸を洩らす。
 シュウはチカへの返事を控えた。マサキにこの企みを覚られてしまっては意味がない。シュウはマサキの素の反応が見たいのだ。その為にも、先にチカにネタ晴らしをされるのだけは避けなければならなかった。
「これは陰謀の予感!」
 けれどもシュウの秘密主義な態度は、チカの妄想を逞しくさせてしまったようだ。突如としてけたたましく声を上げたチカが、落ち着かない様子でグランゾンのコクピット内を飛び回る。
「ご主人様! あたくしとご主人様の仲じゃないですか! 教えてくださいよう! 何をするつもりなんですか!」
「それは見ていればわかりますよ」
 シュウはクックと声を潜めて嗤った。
 マサキの反応をシュウは幾つか予想していた。ムキになって云い返してくるか、それとも呆気に取られて言葉を失うか。もしかすると素っ気なく済まされるかも知れない。それでも内心は動揺するに決まっている。シュウは見栄っ張りなマサキの性格を、自分が的確に見抜いていると自信を持っていた。
「あー、待ちきれない! この笑いは絶対面白いことを考えてる! 早くこいこいマサキさん! あたしとご主人様を楽しませてください!」
 焦れに焦れたチカが暴れ回る中、ごう……と、微かに地面が震えた。
 どうやらサイバスターが到着したようだ。シュウはレーダーを確認した。離れた位置に出現した光点が、シュウのいる位置に向かって迫ってくる。ややあって、正面に姿を現わしたサイバスターに、待ちかねましたよ。シュウは通信回路を開いた。
「何の用だよ、人をこんな時間に呼び出して」
 通信モニターの向こう側に欠伸を洩らすマサキの姿が映っている。
 夜更けの空に輝く月が明々と辺りを照らし出していた。シュウの企みなど知らぬ様子で佇む白亜の機神が白光に包まれているようにみえる。見惚れるほどに美しい。シュウは溜息を洩らしたくなるのを堪えながら、先ずは軽く先制攻撃と挨拶代わりの言葉を放った。
「月の綺麗な夜ですね、マサキ」
「別にいつもの月と変わらねえだろ。てかお前、ホント気障ったらしいよな」
 どうやらマサキが気付いた様子はなさそうだ。
 だが、流石はシュウの使い魔だけはある。チカは主人が何を企んでいるかに気付いたようで、肩に戻ってくると、本気ですか。と尋ねてくる。
 それと知れぬ愛の言葉を、マサキに告げた主人に驚いたようだ。だが、それこそがシュウの企みでもある。シュウはチカにだけ聞こえるように小声で呟いた。
「まあ、見ていなさい。あなたが満足出来る展開にしてみせますよ」
「ふーむ。ってことは、悪趣味な方ですね。ご主人様も人が悪い」
 それでもその瞬間が楽しみであるようだ。目を爛々と輝かせながら、夜更けの逢瀬の行く末を見守るべく、肩に腰を落ち着けたチカを横目で確認したシュウは、ふふ……と嗤ってマサキに向き直った。
「何を話してるんだよ、お前ら」
「ちょっとした打ち合わせですよ」
「打ち合せ……? お前、碌でもないことを考えてやしないだろうな」
「さあ、どうでしょう」
 白目が筋を引く三白眼。警戒心を隠しもせず自分を睨んでくるマサキに、大丈夫ですよ。シュウは口の端を緩めた。
「本当かよ。こんな夜更けに呼び出しやがっておいて、碌な用事じゃなかったら張っ倒すぞ」
「考えようによってはとても大事な用事ではありますね」
 あまり警戒され過ぎては、出来る話も出来なくなる。その反応を最大限に引き出す為にも、マサキには適度に力を抜いてもらわねば――シュウはマサキを驚かせる為に、出来るだけ穏やかに言葉を紡いだ。
「勿体ぶらずにさっさと云えよ」
「覚悟を決める時間が欲しいのですよ」
 シュウはいよいよ近付いてきたその瞬間を思って、胸の内でほくそ笑んだ。流石に幾ら勘が良くとも、ここからの展開は予想出来まい。そう思いながら表情を引き締め、努めて真面目に言葉を吐く。
「あなたとも随分と長い付き合いになりましたね、マサキ」
「何だよ、急に。まあ、こんな長い付き合いになるとは思ってもなかったけどよ……」
「あなたには色々と世話になりました」
「ホントだよ。お前の所為で俺がどれだけ迷惑被ったか……てか、まさかそれを伝えたくて呼び出したとかいうオチじゃねえよな」
「まさか。もっと大事なことを伝えようと思ってですよ」
 シュウの賢明な演技にチカが笑いを必死になって堪えているのが伝わってくる。シュウもまた笑いたくなるのを堪えながら、モニターに映るマサキの顔を真っ直ぐに見つめ続けた。何を云われるのかと、身構えているのがわかる。シュウは軽く息を吸い、一拍置いてから今日の目的である台詞を吐き出した。

「あなたが好きですよ、マサキ」

 はぁ? と間を開けて、マサキが言葉を返してくる。わかりませんか? シュウは再度、モニター画面のマサキに真摯な視線を注いだ。
「つまんねえことに感化されてんじゃねえよ。お前、あいつらが絆々云う所為で頭がバグったんじゃねえか?」
 予想通りの反応。だが、これだけでは面白くない。
 シュウはもっと強い反応を見たいのだ。それが意外性に満ちていれば尚面白い。シュウは当初の目的などすっかり忘れ切って、どうすればマサキを口説き落とせるかについて脳内で考えを巡らせた。
「私の言葉は信用ならないですか」
「いや……その……」
 真面目に続ければ、気圧されたようだ。マサキが怯む様子をみせる。
「なら、云い換えましょう。愛していますよ、マサキ」
「あ、えと……」
 そこに付け込むべく畳みかければ、思いがけずマサキの頬が赤く染まる。
 あまりにも意外な反応に、シュウもまた言葉に詰まる。
 シュウはマサキが慌てふためく姿が見たかったのだ。それが頂点に達したところで種明かしといくつもりでいた。その手段に愛の告白を使うのは悪趣味だと思いもしたが、どうせマサキはシュウのことを面倒な相手としか感じていない。そう思っていたからこそ、冗談で済むと軽く考えていた。
 それがこの有様である。
 よもやこの雰囲気で嘘だの冗談だのとは云い出せまい。さて、どうしたものか――シュウは宙を睨んだ。もう少し軽くマサキが反応すると思っていたシュウからすれば、全く予想外の状況。どう事態に収拾を付ければいいかがわからない。
 と、流石に我慢が限界を迎えたようだ。ひゃーひゃっひゃっひゃ。と、チカがけたたましい笑い声を上げた。
「無理! 無理です! もう無理ですって!」
 肩の上で腹を抱えて笑い転げるチカに、マサキも自分が担がれたことに気付いたようだ。途端に表情を険しくすると、「……はぁ?」とシュウを睨み付けてくる。
「ざーんねんでした、マサキさん! 信じました?」
「お前、この……っ」
「ご主人様がマサキさんのことを本気で好きになる筈ないじゃないですか!」
「ああ、くそ。何かおかしいとは思ったんだよ!」
 シュウを無視してチカと会話を進めるマサキは、けれどもどこかカラ元気なようにも映る。
「いやあ、いい見世物でした! めっちゃ面白かったですよ、マサキさんの反応!」
「お前、次に会った時は覚えておけよな。絶対に焼き鳥にしてやる」
 シュウはどのタイミングで彼らの会話に混ざればいいか迷った。何だか酷く胸が痛む。嘘だと明かさない方が、彼との未来が開けたのではなかろうか。決して満更でもなかったマサキの態度に、今更ながら後悔が過ぎる。
「ホント、驚かせるんじゃねえよ。全く……」
 そう云いながら去ってゆくサイバスターの姿が、やけに頼りない。
 シュウは御機嫌な様子のチカを肩に、ひっそりと小さな溜息を洩らすしかなかった。

リクエスト「マサキへの嫌がらせのために口説き文句を口にするシュウが見たいです」