地震

「きゃっ」最初に声を上げたのはミオだった。
 朝食の席。テーブルの上に食事が並び、全員が今まさにそれに手を付けようとしていた瞬間、かたかたと小さな音が聞こえたかと思うと、体が横に大きく振られた。
「お兄ちゃん!」
 プレシアがマサキにしがみ付く。
「地震ね……珍しい」
 吹き抜けの天井を見上げてテュッティが言う。
「だな」
 プレシアの細い方を抱き寄せながらマサキが言う。
「ちょ、ちょっと待って! なんで2人ともそんなに冷静なの?」
 テーブルにしがみ付いたミオは、顔を上げマサキとテュッティの顔を交互に見比べた。揺れはかなり激しく、天井と照明を繋ぐ鎖が頼りなく感じるほどに左右に振れている。だというのに、マサキとテュッティは冷静だった。
 揺れはまだ続いている。
 皿の中のスープは縁から零れてしまいそうだ。コップが左右に跳ね、フォークとスプーンが床に落ちる。テーブルの上は見る間に悲惨な有様になった。
「ああああんっ! 大きい、大きいって!」
 座る者のいない椅子が床の上を滑る。ミオは床に座り込んで絶叫した。
 窓が軋んでいる。硝子が小刻みに震えている。差し込む光が忙しなくぶれる窓を見詰めて、マサキが一言、
「別に。大した事じゃねぇだろ」
「大した事あるよっ! 地面が揺れてるんだよ!」
 地鳴りが収まると同時に揺れは徐々に小さくなり、ミオの言葉が終わる頃には――止まった。やっとといった感じで脱力し、安堵の溜息を洩らすミオに、今度はテュッティが一言、
「……ねえ、ミオ。あなた変な事言ってない?」
「な、何が?」
 テュッティはダスターを手に立ち上がる。テーブルの上も床の上もスープと水で濡れていて、このままでははい食事といかない有様だ。とはいえ、被害はそれだけで済んだのだから揺れの割に大きい地震ではなかったようだ。
「あ、あたしがやるよ、テュッティお姉ちゃん」
 マサキの膝に顔を伏せ、地震が収まるのを待っていたプレシアは恐る恐るであったが体を起こすと、テュッティからダスターを受け取った。かいがいしく動き回るプレシアに、出番を奪われたテュッティは大人しく席に着く。
 その傍らで、マサキはといえば、何事もなかった風にバケットから取り出したパンを齧っていた。
「あら、また」
「い、嫌ああああああっ!」
 それは比べるまでもない、小さな――本当に小さな揺れ。プレシアが気付かず、片付けを続けられるほどの。「だ、だから何でみんなそんなに冷静なのよ!」
 一人、冷静さを欠いたままのミオは、テーブルの角を掴んだ手もそのまま、雨に濡れた小動物のように奮え続けた。手も顔も白い。血の気の引いたミオの顔を、テュッティはしげしげと、奇異なものを眺めるように見詰めて、
「変よね、マサキ?」
 マサキを見る。「何が変だって?」どうでもよさそうな様子で、黙々とパンを食べていたマサキはふいとミオの顔を見ると、
「――確かに変だな。おい、お前本気で言ってるのかよ」
「な、何よ! あたしにだって怖いものはあるの!」
 日頃マサキの前で巫山戯た真似ばかりしているからだろう。不意の災害で見せる事になった弱さは余程おかしなものに映ったらしい――そう思ったミオの頬が気恥ずかしさで朱に染まる。だが、二人の言いたいことはそういった類のものではないらしい。
 複雑怪奇に顔を歪ませるマサキとテュッティは、訝しげに顔を見合わせた。
「いや、そうじゃなくてよ――」
 困惑した風に、マサキが言う。

「お前、自分の機体の守護精霊、何かわかってるのか」

「いやちょっと待って!? あたしの守護精霊は大地だけど、それと地震って関係なくない? っていうか、テュッティだって泳げないじゃない!」
「あら、そういえばそうね」
 今更に惚けてみせるテュッティに、マサキが顔を大きく顰めてみせる。
「何だよ、ミオもテュッティも駄目なんじゃねえか」
「そういうマサキはどうなのよ? 王都の時計塔の展望台から下見れる?」
「比較対象が違うだろ! 俺の守護精霊は風だ、風!」
「似たようなもんじゃない」ミオはようやく立ち上がると、椅子に座った。
 テーブルの上は大分元に戻っている。スープの量が減ってしまったのは仕方がないが、サラダやチキンに被害がなかったのは幸いだ。
 プレシアがモップをかけ終えれば、少し遅くなった朝食を再開出来る……そんな中、ミオはにひひと意地悪く笑うと、空腹が最高潮に達しているのか、不貞腐れた様子でちびちびとパンを齧りつづけるマサキを覗き込んで、
「あー、実はマサキ、高いところ怖いんでしょ」
「そしたらサイバスターの操縦できるかよ。馬鹿か、お前」
「またまた、そうやって強がっちゃって。あんまり高いところになると却って平気になるって人もいるし、案外マサキもその口なんじゃないの? 二階の窓から下を見るのは嫌とか」
「……そんなことはねえ」
 微かに開いた間は疑惑満載の沈黙だ。「あ、そうかあ。マサキは高いところが苦手なんだ」
「うるせえな、違うって言ってるだろ。大体お前は――」言いかけて、マサキは口を閉ざした。
「何よ、どうしたの? 図星だった?」
「いや……そういえば、昔不思議で仕方なかったんだよな」マサキは何かを得心した風に頷くと、「飛行機が何で空を飛べるのか」
「はい?」
 目を丸くするミオに、そのやりとりを微笑ましく見守っていたテュッティが、ついに堪えきれず吹き出した。「それは確かに永遠の謎ね」
「何言ってるのよ、テュッティ」
「だってそうじゃない? ジェットエンジンがあるからって言われても、あんな巨大な鉄の塊がどうして浮くのかの説明にはなってないわよ」
「だろ、だろ? そうだよな? 垂直尾翼がどーたらこーたらとか浮力がどーたらこーたらとか言われたってわかんねえって。鉄の塊だぜ、鉄の。しかも何百人って人間乗せて、何百キロって飛べるのどういう理屈だよ。空気抵抗を受けにくいように機体があの形なのは納得できるけどな、だったらヘリコプターはどうなんだ。あんな無骨な形で、しかもプロペラで宙に浮くんだぜ。竹とんぼだってあんなに簡単に飛ぶもんか」
 味方を得て調子付いたのか、一気に捲し立てるマサキは、先程までの不機嫌さはどこにやら。どこから何を指摘すればいいのかすらわからなくさせる妙な論述に、今度はミオが顔を大いに歪める番となった。
「だってそれ言っちゃったら、魔装機なんてどうすんの。何でこんな鉄の塊が武器発射したり空飛んだりするのよって思わない?」
「それはそれ。練金学の賜物だろ。オカルトを理解しようとしちゃいけねえ」
「意味わかんない。てかマサキ、今も飛行機が飛ぶ理屈わかってないんじゃない?」
「さあ」にやりと笑う。「どうだろうな」
 そこに片付けを終えたプレシアが戻ってきてしまい、腹をすかせていたマサキは他人の話は二の次と、全くミオの言葉を聞かなくなってしまい、この話は終わらざるをえなくなってしまったのだが――守護精霊が大地なのだから、地震も平気でなければならないなどといった理不尽な理由でおかしいと言われたのを、ミオが根に持たない筈がない。
 後日、ミオによって王都の時計塔に無理矢理連れてこられたマサキは、彼女に懇々と飛行機が飛ぶメカニズムを理解しているか問い詰められただけでなく、展望台から地上を見下ろしてみるように命令されたが、前者はのらりくらりと交わし、後者は頑なに拒んで、どちらの疑惑もはっきりさせなかったとか。

※ ※ ※

「その話と僕を呼び出したことに何の関係があるんだ」
 呼び出されて館を訪れたヤンロンは、プレシアに出されたお茶を啜りながら、それまでの経緯に耳を傾け終わるなり、眉一つ動かさない仏頂面で呟いた。
「だって、ねえ――」勿体ぶった物言いでミオは一同を見回す。
「あたしは地震苦手でしょ? テュッテイは泳げないでしょ? マサキはどうあっても王都の時計塔の上から地面を見たくないみたいだし、だとしたらヤンロンもね?」
「……僕が料理を作れることは知っているだろうに、お前は何を言っているのだ」
 顔を端近に寄せてまで喜色満面の表情で尋ねられたヤンロンは、押しのけるでもなく、ただ呆れ果ていた様子で、「中華料理は火力が命だ」
「男子厨房に入らずとか言ってたりしない?そこの馬鹿と同じで」
「……馬鹿で悪かったな」
 その二人のやり取りを呆れ果てた様子で眺めているのはマサキとテュッテイだった。王都での一件を未だ根に持っているらしいミオは、日を空けずに是おルートの館を訪れ、ついでとばかりにプラーナ交信機を遣ってヤンロンを呼び出した。
「案外、マサキって味オンチでもあるわよね。料理あまり上手じゃないし」
 砂糖壺が空になるほど紅茶に砂糖を継ぎ足し続けているテュッテイだけには言われたくないとばかりに、マサキは渋面を作る。「テュッテイにだけは言われたくねえ」
「何故食べられるものが出来上がるのかが不思議だ」ヤンロンも同じ気持ちと見えて、深々と頷きながら、「砂糖のおかわりは出さなくていいぞ」キッチンに向かおうとしていたプレシアに向けて言い放った。
「あのね、日本にはね男性の度胸を試すお祭りがあってね」
 ミオはまだ諦めていないらしい。「火のついた藁で殴り合うってお祭りなんだけど」
「毎年、火傷する参加者続出のアレだろ……」マサキは項垂れた。
 半被に褌姿という軽装で真冬に炎を振り回しては、松明を打ち合う祭りは、毎年かなりの怪我人が出ると聞く。勿論マサキは現物をこの目でみたことはない。
「お前な、いくらヤンロンでもあんなのは無理」
「流石ジャポン!ファンスタティックね」
 言いかけたマサキの言葉を遮って、テュッテイが感心しだしたものだから堪らない。「ドメスティックっつーんだよ……ああいうのは……」
「しかしだな、マサキ」
 小さい声で反意を伝えれば、ヤンロンには何か一言があると見える。お茶の残りを一気に啜ると、「心頭滅却すれば火もまた涼しと言うだろう。実は僕はアレが出来る」
「アレ?」嫌な予感しかしない。
「アレ?アレ出来ちゃうの、ヤンロン?」
「ジャパニーズファンスタティック!東洋の神秘ね!」
 喜び勇む女性二人は何か思い当たる節があるらしい。扉を開けて庭に出るヤンロンの後を追って、出て行ってしまった。「お前はどうするんだ、プレシア」
「あたしはいいよ、見たことあるし」
「あるのかよ……」

※ ※ ※

 そして仕方なくマサキが庭に出ると、地面に敷き詰めた藁に火を付けた上を、今まさに裸足のヤンロンが歩き出そうとしているところだった。勿論、彼は数メートルにも渡る火の地面を渡り切り、女性陣から賞賛されたのみならず、炎の魔装機操者としての面目を果たせたとか、果たせなかったとか。