温暖な気候が常なラングランは、夏も穏やかな陽気が続くのが常だった。
それでも稀には夏らしい陽気に見舞われることもある。
うだるような熱気。平原の果てには蜃気楼が揺らめき、天上からは照り付けるような陽射しが降り注いでいる。雲一つない青空。ニュースを伝えるラジオでは、涼を求める人々が海や川、湖に殺到しているとのことだった。
さしもの着たきり雀のマサキもジャケットを脱ぐ陽気。サイバスターの計器を覗いてみると、気温は35℃を突破している。昨日の気温、33℃を上回る暑さ。こうも暑いと家に篭る気も失せる。
「そりゃあ暑い筈だってな……」
市井の人々同様に水辺に涼みに行きたくもあったが、残念なことにマサキには用事があった。シュウに会う。とはいえ、約束を交わした訳ではない。ただ、身体が空いた以上は会いに行かねばならなかった。
――月に何度かは顔を見せに来なさい。
マサキのスケジュールをマサキ以上に把握している男は、マサキがどのぐらいの割合で自分と会っているのかを計っているようだった。彼の家のカレンダーに付けられた印はその証左。とはいえ人付き合いに淡白な男だ。日数や回数が少ないからといって機嫌を損ねたりはしない。それでも顔を合わせる度に何日ぶりだのと聞かせてこられては、如何に神経の図太いマサキであっても気を遣わねばと思ってしまう。
「おい、シュウ。いるか?」
すべきことに追われて気付けば三週間。顔を合わせずに過ぎた日々が、マサキの心に幾許かの影を落としていたのも事実だった。会わない日々に恋しさが募る。だからマサキはシュウが不在なその家に、勝手知ったる他人の家とばかりに上がり込んだ。
どうせ少しもすれば返ってくるだろう。そう思いながら、汗に濡れた身体を冷やすべく空調を点け、冷えた飲み物を求めて冷蔵庫を開く。
封の切られていないオレンジジュース。シュウの好みではない飲み物は、恐らくはマサキの来訪を当て込んでのことだ。賞味期限を確認したマサキは、それをグラスに開けた。どうせなら氷も入れよう。そう思いながら冷凍庫を開ける。
――と、小ぶりの容器がふたつ目に付いた。
蓋に印刷されている写真からして、中身はアイスクリームであるようだ。丁度いい。火照った身体を早く冷やしたかったマサキはオレンジジュースと一緒に口に入れようと、アイスクリームの容器を取り上げた。
これがとにかく美味い。
匂い立つ上品なバニラの香りは勿論のこと、アイスクリームの旨味を凝縮したような甘さと濃さ。滑らかな舌触りは生クリームを食べているようだ。
「やばいな、これ。滅茶苦茶美味いぞ」
呆気なくひとつめのアイスクリームを完食してしまったマサキは、空になった容器を片付けるついでに冷凍庫の扉を開いた。最早、一刻も我慢が利かない。欲望の赴くがまま、さして物のない冷凍庫内に鎮座しているもうひとつのアイスクリームに手を伸ばす。
「ちょっとマサキ。大丈夫ニャの、それ食べちゃって」
「ふたつってことは、一緒に食べる気だったんじゃ」
そう二匹の使い魔が止めに入ってくるも、熱波に煽られてここまで来たマサキは自分を止められなかった。
甘いものが苦手なあの男は、きっと半分も食べずにマサキにアイスクリームを渡してくる。だったら全部食べてしまっても一緒ではないか。マサキはふたつめのアイスクリームの容器の蓋を開けた。
そしてスプーンで掬ったアイスクリームを口に頬張る。
その瞬間だった。
マサキ、いるのですか。という呼び声とともに玄関ドアが開く音がした。しーらニャい! と声を上げて二匹の使い魔がソファの下に潜り込む。マサキは二口目のアイスクリームを口に運んだ。
やめられないとまらないとはまさにこの事。地上時代に馴染みのあったコマーシャルを脳裏に思い浮かべながら、マサキは豊かな味わいのアイスクリームを口に頬張った。
「いるのなら返事ぐらいは」
リビングに姿を現わしたシュウが動きを止めた。まさか、あなた――と、手元に注がれる視線。もう残り一口もないアイスクリームを掬って、食うか? と、マサキは顔を上げた。
そこにあったのは、一切の感情を排した表情だった。色を失った双眸。ガラス玉のように硬質的な瞳がマサキを見下ろしている。
「――一日十個の限定生産品なのですがね」
吹き荒ぶ吹雪のように冷ややかな声がそのレアリティを告げる。どうやら届いたようだ。だから云ったんだニャ! ソファの奥からふたつの叫び声が上がった。同時に、すい――と、迫ってくる長躯。マサキはソファの端ににじり下がった。
「いや、だってお前、あんま甘いもの好きじゃないだろ」
「好きじゃない? もしやふたつめとは云いませんよね」
「あ、うん。えーと……」
ゆるりと伸びてきた節ばった白い手がスプーンを握っているマサキの手を掴み上げる。
「……三週間ぶりの再会にも関わらずのこの無礼。あなたとはゆっくり話し合う必要がありそうですね、マサキ」
「いや、待てよ。そんな怒るなよ」
「そろそろあなたが来ると思って用意していたものを、先に食べられれば怒りもするでしょう。安心なさい。少し話し合うだけですよ、マサキ」
「それが怖いんじゃねえかよ! 話し合いって何を話すんだよ!」
「あなたの卑しさをどう躾けるかについてですよ」
云って、隣に腰を下ろしてきたシュウに、ソファの端に追い詰められた形となったマサキは、端正ながらも凄味のある表情を正面に、ひたすらに絶望するしかなかった。
リクエスト「アイスクリームの争奪戦はどうでしょう?」