薄闇が徐々に明るさを増してゆくかわたれ時。窓を閉ざすカーテンに透けて見える朝の訪れを、マサキはベッドの中で眺めていた。シュウの肩越しに映るいつもの景色。黒々としたシルエットが輪郭を明瞭にしてゆくさまは、何度目にしても清々しい。
室内が明るくなるのに呼応して、意識が醒めてゆく。ああ、朝だ。思考が働き始めたのを感じたマサキは、そろそろ起き時だとベッドの上で身体を起こした。
先に目が覚めた方が朝食の支度をするのがシュウとマサキの共同生活のルールだ。それを果たすべく、ベッドを出なければ。まだ頭の片隅に残る靄を振り払うように、マサキは頭を左右に振った。
日常生活に積極的に節制を取り入れるシュウとの生活は、どちらかというと生活習慣がルーズなマサキにある種の緊張感を齎した。栄養素的に過不足はないものの、腹八分目に収まる食事。朝食や昼食の時間には比較的幅があったが、夕食の時間はほぼほぼ固定だ。遅くとも寝る三時間前には食べるのを終えている生活。さりとて決して規則正しくとはいかないのが、シュウ=シラカワという人間の厄介な一面である。日頃はきちんと日常の些事を片付けてみせる彼は、こと研究が山場を迎えようものなら途端にずぼらさを露わにした。
寝食忘れて不眠不休は当たり前。食事の支度は勿論のこと、洗濯や掃除にも手を付けなくなる。そもそも、マサキが仮眠を取れと云っても研究施設から離れないのだ。自分の健康よりも研究成果――とは、総合科学技術者の名に与るシュウらしい順位付けだったが、生活を犠牲にするのはいただけない。マサキがシュウの世話を焼いてしまうのは、日頃の彼と研究に専念している際の彼のギャップがそれだけ大きいからでもあった。
その彼は、そろそろ研究の虫が騒ぎだしているようだ。
マサキは昨晩も遅くまで書庫に篭っていたシュウの寝顔に目を落として、その柔らかな髪に手を滑らせてからベッドを出ようとした。
と、手首に感じる温み。シュウが自らの手首を掴んでいる。振り返ったマサキは、視界に入り込んできた目を開けるのも辛そうなシュウの表情に、「寝てろよ」と、声をかけずにいられなかった。
昨晩のシュウが何時にベッドに入ったのかをマサキは知らなかったが、書庫に入ったが最後。目的を達するまで出てこないのは当たり前。どうかすると書庫内で食事や仮眠を取り始める。そのぐらいに自らの識りたいことに貪欲なシュウのことである。きっと夜明け近くまで蔵書を漁っていたに違いない。その表情からそう読み取ったマサキは、だからこそ彼の手を振り解こうとした。
だのに、離れない手。
寝起きでありながらどこにそれだけの力があったものか。しっかりとマサキの手首を掴んでいるシュウの手が、次の瞬間、マサキをベッドに引き込んでくる。おい――声を上げるも、聞いていないようだ。そのまま彼の腕に捉われることとなったマサキは、首を上げて、シュウの顔を覗き込んだ。口唇をきっちりと結んだ隙のない寝顔。呆気なく再びの眠りに落ちていったシュウに、そこはとない虚脱感を覚えずにいられない。はあ。と、マサキは深い溜息を洩らした。そして、そろそろ空腹感を訴えて始めている腹に、どうしたものかと途方に暮れた。
「抱き枕じゃねえんだよ、俺は」
そう愚痴てはみるものの、シュウからの返答はない。
「人のこと抱いてないと落ち着いて寝られないとか、子どもでもあるまいし……」
更に愚痴を吐いてみるも、すっかり意識が落ちてしまっているようだ。シュウの身体が動くことは、その口唇を含めてなかった。
「俺がここに来る前のお前はどう寝てたかって話だろ、これ」
眠りに落ちていても、端正なのが伝わってくる面差し。嫌になるくらいに目を奪う。だのに自らの腹の透き具合も気にかかる……マサキはついついシュウの寝顔に見惚れそうになる自分を抑えながら、これからの自分がどうすべきを考えた。
頃合いを見計らってシュウの腕から抜け出すべきだろうか? 空いた腹が、我慢の限界を訴えるのはそう遠くない。朝食の支度になるべく早く取り掛かるのは、自分の為にも必要だ。とはいえ、他人の気配に敏感なシュウのことだ。その瞬間、またもマサキをベッドに連れ戻さないとも限らない。
どうも彼は、家の中でマサキと離れている時間が長いと、不足を覚えてスキンシップを求めるようになるようだ。恐らくは、昨晩、長く書斎に篭ったからだろう。シュウの行動をそう結論付けたマサキは、仕方なしに彼に身体を寄せた。
こうなったら二度寝しかない。
そうすれば空腹も忘れられる。何より、シュウのスキンシップ不足も満たされるのだ。これ以上の解決策など、単純明快な理屈しか思い浮かばないマサキには考えられそうにない。仕方ねえから、一緒に寝てやる。そう呟いてシュウの胸に顔を埋めたマサキは、彼の静かで規則正しい寝息を子守歌代わりに、ゆるやかな眠りに落ちていった。
リクエスト
「起きようとするマサキをベッドに引き戻すシュウさん」