夜を越えて

 ――私に少し足りないものがあるのならば、それは他者への共感能力だ。

 自らの在り方を存分に気に入っているシュウにとって、突然に湧き上がってきた内観の衝動は途惑いを齎すのに充分なものであった。
 目の前に屹立している白亜の鳳。勇猛さと優美さを兼ね備えたその姿を眺めながら、今日もその風格は健在だと感心していたのも束の間。その操者にしては些か品格に欠けるきらいがある少年は、苦々しい表情でシュウの愛機の通信機能モニターに顔を映していた。
「何でてめえはいつもそうかな。顔を合わせるなり説教じみたことを口にしやがって……」
 今更に風の魔装機神の操者の立場を求めるほどシュウは愚か者ではなかったものの、果たして何故風の精霊が未熟さを抱えた少年を選んだのかという自身の問いには、納得出来る答えを出せずにいた。きっとそういった気持ちが態度に出てしまっているのだ。ラングランの北端で偶然にも顔を合わせてしまった少年に、恐らくは迷うか流離うかしていたのだろうと、その迂闊な姿勢を咎めるような台詞を吐いてしまった。
 馬鹿々々しい。
 少年は既にラングランの戦神として相応しいまでの功名を上げていた。世界の各地で戦果を上げ、比類なき力を内外に誇示している。ラ・ギアスに召喚されたばかりの右も左もわからないからこその無謀さもなりを潜めた。彼はもう、あの頃の鼻っ柱が強いだけの少年ではなくなったのだ。
「これは失礼。あなたに操者としての姿勢を問うなど愚かなことでしたね」
「それが嫌味だって云ってんだよ。お前さ、もう少しでいいから、物の云い方ってものを考えろよな。それだからそこかしこで誤解を受けるんじゃねえか」
「私は他人に理解を求めている訳ではないのでね」
 そう、シュウは他人に自身を理解してもらおうなどとは思っていない。膨大な知識を処理出来るだけの知能を生まれ持ったシュウは、それがどれだけ不可能に近いことであるのかを、その人生で存分に思い知ってしまっているのだ。
 何故、人という生き物は、感情で結論を捻じ曲げてしまうのだろう。
 常に理性が感情を上回るシュウにとって、世界とは掌の上の玉のようなものだ。そこで起こる様々な事象の本質――もしかするとそれは、世の摂理と呼ばれるものであるかも知れなかった――が、見たくなくとも見えてしまう。そう、希望よりも絶望を数多く感じて生きてきたシュウにとって、世界とは予定調和に支配されているものでしかなかったのだ。
 あの日、までは。
 自身が一度の死を迎えたその瞬間、限りない解放感に満たされながら、シュウはこの世の全てが予定調和に従って動いているのではないことを知った。不測の事態を起こす存在が、この世には確かに存在している。その事実はどれだけシュウの心を慰めてくれたことだろう。
「理解を求めているんじゃないって云ってもな、相手に伝わるように話す努力は必要だろうよ」
「それは確かに」
「努力を惜しむんじゃねえよ。お前はそういうところ、諦めてるのか何だかわからねえ態度を取りやがる」
 絶望に足を止めることはあっても、諦めることを知らない少年。シュウの過ちを正してくれた少年は、時にこうして、まるでシュウの心を見透かしているかのような言葉を吐く。
 ――そうですよ、マサキ。私は、色々なことを諦めてしまっている。
 他人に理解を求めること、他人に伝わるように言葉を選ぶこと、他人に自分の立場を共感してもらうこと……数え上げたら際限がないくらいにシュウは自身に関わる様々な欲を諦めて、そうしてようやく今の自由に辿り着いた。それを時として平然と指摘してくるこの目の前の少年。何故、彼はこうも世の中と関わることを諦めずにいられるのだろう。戦場で幾度も絶望に晒されただろう少年の強かで逞しい精神は、シュウの心をそうっと慰めてくれることがある。だからこそシュウは自身でも余計なことをと思いながらも、手を差し伸べずにはいられないのだ。
「そうですね、マサキ。努力を惜しむのは善くないこと。私ももう少し、自分を省みることにしますよ」
「何だよ、素直じゃねえか……まあいいか。俺は行くぜ。今日は用があって出てきてるんだ。時間に間に合わないと色々とな」
「今度は迷わないように、気を付けて」
「こっちだろ。わかってるよ……」
 当て推量で迷ったのだろうと云ってみれば、当たっていたらしい。そう云って、マサキはサイバスターを駆り、東へと向かって行った。行き先も教えずに向かう方向が正しいとシュウに判断しろと云っているのか。最後に残した台詞に、思わずシュウは笑みを零してしまう。
 きっと彼は、簡単には目的地に辿り着けないに違いない。
 さて、自分はどうするか……シュウは考えて、舵を西に切った。わざわざ追いかけて、目的地を確認して道を教えてやるほど自分は優しくはない。それに、そうして迷いながらも、最終的には目的地にたどり着く方が、如何にも彼らしいではないか。
 マサキ=アンドー。彼はあの日からずっとそうだ。シュウにとっては行き先を照らし出してくれる道標。きっと彼は、道の果てにある栄光をいつの日か必ず掴み取るだろう。シュウは嗤った。その日の訪れを自分が見ることはあるだろうか?
 どちらでもいい。
 闇に差し込む、ひときわ強い救済の光。それさえあれば、自分はどんな夜も生きていけるのだから。

あなたに書いて欲しい物語
yuriさんには「私に少し足りないものは」で始まり、「どんな夜も生きていける」で終わる物語を書いて欲しいです。