合羽を被った上から傘を差し、入り江を見ていた。
たきつけるような雨が目の前にカーテンを作っている。風もそこそこ強い。傘の中に吹き込んでくる雨で濡れ切った合羽。裾から滴る水滴が、足元に広がった水溜りに波紋を描いている。
マサキは絶望的な気分で、波が高く浜に打ち寄せる海を眺めていた。
「時化てますね」
「見事にな……」
ここはミル・ベールの入り江。ガイドブックに『全ての青が集まる海』と書かれていた観光スポットだ。
勿論この雨風では、美しい入り江は見る影もない。
けれども、マサキ同様の重装備で隣に立っているシュウは、呆然と立ち尽くすマサキの様子に堪えきれなくなったようだった。不意に顔を伏せると、声を潜ませてクククと笑い出す。
「笑うんじゃねえよ……俺、これでもかなりダメージを受けてるんだぞ」
「これは失敬。しかしマサキ。神は余程、あなたに観光をさせたくないとみえますね」
「何でこんなに運が悪いんだろうな、俺」
マサキは深く溜息を吐いた。
イニアスの泉でカップルに泣かされたマサキは、シュウをともに意気揚々と観光地巡りの旅に出た。流石にあんな気まずい思いはもうしまい。頼りになる援軍を得たマサキは旅への期待値を上げていた。
だというのに。
ひとつ前に訪れたモランツァ渓谷でもそうだった。
――吹き込む涼やかな風が気持ちのいい場所ですよ。
行ったことがあるらしいシュウの言葉に胸を弾ませながら、サイバスターをひた走らせた道中。ガイドブックで目にしたモランツァ渓谷の景色はまさに風光明媚だった。色取り取りの葉が繁る谷間には底が見えるほどに清い川が流れ、天上より差し込む光に水面を煌めかせる……ここで釣りや散策したらさぞ気持ちのいいことだろう……マサキは頭の中で様々に、どう過ごすかの予定を立てながらモランツァ渓谷に向かった。
酷い、風だったのだ。
その所為で谷間に土埃が入り込み、ちょっと先に進むのでさえも危うい有様。合羽にゴーグルをつけてはみたものの、けぶった視界はあの美しい景色を微塵もマサキの瞳に映してくれず。
管理人の話では、稀にはあることとはいえ、ここまで土煙が吹き荒れるているのを目にするのは初めてだとのこと。イニアスの泉に続く苦難に、それでもその時のマサキは「このぐらいのことはままあることだ」ぐらいに思っていた。
しかしこの入り江でもこの事態となると。
「――帰れって云ってるのかね」
マサキはどうかすると風に吹き飛ばされそうになる傘の柄をしっかと握り締めて云った。
「誰がです」
「サイフィスがさ」
まさか。と、シュウが眉目を歪ませる。
傘はあまり役に立っていないようだ。吹き付ける雨ですっかり顔が濡れてしまっている。まだ微かに前髪が風に流れているが、それが額に張り付くのも時間の問題だろう。
けれどもシュウは気にならないのか。マサキを静かに視線を向けてくると口を開いた。
「ようやく得た休暇ですよ。幾らサイフィスとて、そこまでの意地悪をあなたに仕掛けたりはしないでしょう」
「だといいんだがな」
「それに明日は晴れの予報ですよ、マサキ。ですから今日はこの辺りに宿を取って、明日仕切り直しをしては如何です。急ぎの旅ではないのでしょう」
確かに、そうだ。マサキは目を見開いた。
どこか落ち着きを欠いた旅。サイバスターを飛ばして一気にここまで来てしまったが、今のマサキはいつ終わるとも知れぬ休暇の最中にある。これまでのように、急いで王都に戻らなければならない用事などなかった。
「そっか……そうだよな。早く王都に帰らなきゃって気でいたけど、そんな急ぐ必要なんかない旅だったな」
「その通りです。セニアとて、あなた方にそんな風に戦いに縛られて欲しくないからこそ、長い休暇を与えることにしたのでしょう。ならば、気の往くまで。ゆっくりと観光地巡りをすればいいのですよ」
シュウの言葉にマサキは頷いた。
雨風で濁ってしまった海が、天気を取り戻した明日に元に戻っているかはわからないが、それならばそれで見たかったものが見られるまでここに逗留すればいいだけだ――そう思い切ったからか。心がふわりと軽くなった。
マサキは傘を上げてシュウを見た。
ありがとな。口の端に言葉を乗せる。
どういたしまして。傘を軽く持ち上げたシュウの顔は、何故か初めて見るような気安さに満ちていた。