気付いたら姿がなくなっていたマサキを探して、シュウは街を歩いていた。
一匹狼的な気質を持つ彼は興味や関心が他に逸れ易い。きっと他のものに気を取られている内に自分の姿を見失ってしまったのだろう。そう思いながら来た道を戻ること暫く。さっぱり姿の見当たらないマサキに探索範囲を広げる必要性を感じたシュウは、しかし闇雲に方々を捜し歩いても――と、店先に椅子を出してくつろいでいる老婆に話を聞いてみることにした。
幸いにして、老婆はマサキの姿を見かけていたようだ。ああ、あの二匹の使い魔を連れた戦士様。と合点のいった表情で通りの一本を指差すと、街の外れへと向かって行ったよ。と、シュウにその行き先を教えてくれた。
どうやら大人しく待つということを知らないマサキは、方向音痴という生来の能力を見事に発揮してしまっているようだ。この街の外れには、その日暮らしの労働者が吹き溜まるエリアがある。そこに足を踏み入れていなければいいがと思いながら、老婆に感謝の意を伝えたシュウは早速老婆が指差した方角へ足を向けることにした。
それから十分ほど。変わらず姿が見付けられないマサキにそろそろ他の目撃情報を探すべきかと、シュウが足を止めた瞬間だった。情報を得られそうな相手を求めて、周囲を行き交う群衆に目を遣っていると、不意にそれが牙を剥いた。
猛烈な孤独感。
久しく捉われることのなかった感情に、シュウは目を細めた。
即座に脚から失われてゆく血の気。先を往く為に一歩を踏み出すのも難しい。竦んでいるのだ――シュウは視界を埋め尽くす人の群れから意識を離そうと試みるも、上手く意識と身体が連動しない。脳が宙に浮いてしまっているような感覚は、シュウに自身の身体を外側から眺めさせている。
――この広い地底世界に、自分と同じ境遇の人間はひとりもいない。
それはシュウが物心ついた時から度々襲われてきた感情だった。
地上人と地底人の合いの子。それだけであったならば、数は少ないにせよ例が存在していた。召喚技術が発達していなかった時代にはそれこそ珍しくもなかった事例。地上に還れなかった地上人たちは、思想も習慣も異なる世界に骨を埋める決心をせざるを得なかったのだ。
彼らの血は今も連綿とラ・ギアス世界に受け継がれ続けている。
そういった意味では、シュウは孤独ではなかった。
けれども王家に生まれつき、高い知能を誇るとまでなると他に例はない。いや、もしかすると建国五千年を誇るラングランのことだ。過去にはそうした例があったのかも知れない。けれども記録に残らぬ過去はなかったものとして扱う他ない。少なくともシュウにはそうした例は見付けられなかったし、噂として耳に入ってくることもなかった。
それを証明しているのかはわからない。けれどもこんなことがあった。幼き日、どうやら新たな王家の一員は他の嫡子たちとは能力が異なるようだと噂になるようになった頃、シュウの目の前に現れた家庭教師はシュウに向かってこう言葉を放ってみせた。
――よろしいですか、クリストフ様。私はあなたに知識を授けることは出来ます。けれどもあなたに勉強を教えて差し上げることは出来ません。このことを良く心に刻んでおかれますよう。
シュウは自らの知能が規格外であることを自覚せずには生きてこられなかったのだ。
建国五千年の積み重ねの歴史の中に、そうした例が存在していたのであれば、自らに勉強を教える方法が確立されていることだろう。シュウは家庭教師の言葉の意味をそう受け取った。だからこそ、ひとりで勉強に臨んだ。与えられた知識を再構成して、自らの中に体系付ける……現在のシュウを支えている新たな発見の数々は、そうした孤独な作業の果てに生み出されたものである。
そこまで思い出したシュウは息を深く吐いた。
持って生まれてしまった能力を厭っても仕方がなかったが、その能力の所為で普通に生きられなかったことには思うところがある。けれどもそれを誰に語ってみせたところで共感は得られない。シュウは次いでひっそりと長く息を吸った。
新鮮な空気が肺に入ったからか。にすうっと脳が身体に戻ってゆく感覚がある。続いて血の気が失われた脚に猛然と血液が流れ込んでくる。大丈夫だ。シュウはそう自身に云い聞かせて、身体が自由になるのを待った。
シュウにとって永遠にも感じられる時間は、他人にとっては刹那のこと。淀みなく膨大な思考が流れ続けるシュウが体感する時間と、一般の人間が体感する時間は進むスピードが違う。彼らが十分を生きている間に、シュウは三時間を生きている。そう、だから大丈夫だ。シュウは一歩を踏み出した。変わることのない人の群れにそうして足を進めてゆく。
その、瞬間だった。
人波の奥から聴こえてくる賑やかな声。聞き間違える筈がないとシュウが目を凝らしていけば、少しもしない内に二匹の使い魔とマサキの姿が捉えられた。マサキ。シュウはその名を呼んだ。ぴくりと揺れた肩は、盛大にはぐれてしまったことに対する後ろめたさからくるものであるのだろう。
「いや、あの、ごめんな……」
シュウの目の前で足を止めたマサキが、視線を伏せながら気まずそうに呟く。
「無事だったのでしたら結構。何か面白いものは見れましたか?」
それにマサキが答えるより先に、鬱憤が溜まっていたらしい。二匹の使い魔が猛然と言葉を継ぐ。
「凄かったのよ! マサキったら街を出るまで自信満々に歩いてて!」
「おいらたちが迷ってるって云っても聞かニャかったんだニャ!」
「いつものことですね」シュウは溜息とともにマサキを振り返った。「方向音痴の自覚があるのに、どうしてそこまで自信満々に道を間違えられるのかが不思議ですよ、マサキ」
「まあ、その……お前と一緒だったし、迷っても探してくれるだろうな、って」
「流石に私でも街を出て行かれは探しきれませんよ」
ここまで他力本願だと笑うしかない。シュウは声を潜めて笑った。病的な方向音痴に悩まされながらも楽観的な態度を崩すことのないマサキの在り方は、シュウの不安に溺れた心を慰めて余りある。
行きますよ。群衆の中、シュウはそうっとマサキの手を掴んだ。何だよ、お前また……。子ども扱いされているようで嫌だったのだろう。マサキが声を上げるも、振り払う程の嫌気を感じている訳ではないようだ。手を引けば素直に後を付いて来るマサキを連れて、シュウは次の目的地へと足を進めていった。