いつも通りにアポを取らずにシュウの許にやってきたマサキは、けれどもいつも通りの体調とはいかない様子だった。
しきりと倦怠感を訴えてはソファから動こうとしない。
トイレに行くのが関の山。食事も喉に引っ掛かる感触がして嫌だとごねるマサキに、そういった体調でありながら何故――と、シュウはマサキの来訪の理由を訝しがらずにいられなかったが、きっとそれは野暮で無粋な考えであるのだ。
「人恋しかったんだよ」
そう云う割にはソファで寝てばかりのマサキに、シュウは彼をどう扱うか悩ましく感じた。
時折、ごほごほと咳を吐いているマサキは、どう安く見積もっても風邪を引いている。さりとてベッドに行くように促しても、嫌だの一点張り。横になっているマサキが大半を占めてしまったソファにシュウが落ち着けるスペースは殆どないというのに、側にいろと煩い。仕方なしに窮屈なスペースに身体を滑り込ませれば、人恋しいというのは本当であるらしい。腿やら腰やらにしがみ付いてきては、まだ寝ないからな。と子どものように駄々を捏ねる。
「あー、だりぃ……」
「だるいなら寝なさい」
「嫌だって云ってるだろ。聞けよ人の話」
「聞きたくなくなるぐらいに体調が悪そうなのは、どこのどなたですか」
夜も更ける頃ともなれば、体調不良はますますその度合いを深め、息苦しそうに胸を上下させるまでになっていた。
赤味の増した頬にシュウが熱を測ってみれば、三十八度二分。身体を軽く濡れタオルで拭いてやり、寝室のベッドをマサキに占有させたシュウは、幾度か様子を窺いに行きつつ、リビングのソファで夜を明かした。
「鬼の攪乱ですかねえ」
「あなたは私が風邪を引いても同じ台詞を吐いていませんでしたか、チカ」
太陽が昇り切った頃に目を覚ましたシュウは、昼食と夕食を抜いているマサキの為に卵粥を用意して寝室へと向かった。
ついでの検温。三十八度五分。
丸くなってブランケットに包まっているマサキは、咳は落ち着いていたが、熱の高さも手伝ってか。あまり眠れていない様子だった。微かに落ち窪んで見える瞳。消耗が激しい。シュウは「とにかく食べなさい」と、その身体を起こさせた。
「あんまり食欲がねえ」
「だからといって、食べなければ体力が落ちるだけですよ」
息をするのも億劫そうなマサキの口に卵粥を押し込む。度々米食を恋しがる彼は、それで気分を持ち直したようだ。美味いな。そう云っては進んで口を開く彼に、まるで親鳥が雛鳥に餌を与えているようだと思いつつ、咀嚼を終えるのを待っては卵粥を与えてゆく。
「おかわりは要りますか」
「いや、いい。もう腹いっぱいだ」
そのままベッドに倒れ込もうとするマサキを支えながら、解熱剤を飲ませる。再びブランケットに包まって横になったマサキに、どうしたものか――シュウは頭を悩ませた。好きな米食ですらお椀一杯で済んでしまった。普段は食欲旺盛なマサキにしては、有り得ないぐらいの食の細さ。これでは劇的な回復は見込めない。
「何か食べたいものはありませんか」
「今食ったばっかだぞ。腹いっぱいだって云ってんのに、それでリクエストが出ると思ってるのか、お前は」
「しかし食欲が回復しないことには。今のままでは治るものも治らなくなりますよ」
それで少しは食べないと駄目だと覚ったようだ。そうは云っても、喉がなあ。などとぼやきながらも、考えてはいるようだ。程なくして、ブランケットの奥から「……冷たくて甘いもんが食いてえ」と声がしてくる。
「アイスクリームですかね」
「あるのかよ」
出来ればもっと栄養のあるものを望んで欲しかったが、四の五の云っている場合ではなかった。ブランケットの奥からけほけほと軽くなった咳が聞こえてくる。この状態だ。それに、それを切っ掛けに食欲の回復が見込めるかも知れない。
シュウは壁に掛かっている上着を取った。街まで買い物に行ってきますよ。そうマサキに返事をしながら、身を屈めてブランケットの中を覗き込む。
「行くなよ」
「御冗談を。あなたの為なのに」
「寂しいって云ったろ」
「初耳です」
「人恋しいんだよ。具合が悪くなると、特にさ」
むくれたような、拗ねたような表情。シュウがいなくなるのが耐えられないのだろう。藪睨みがちな瞳は、自分でもらしくないことを口にしている自覚があるからに違いない。
シュウはベッドに手を付いた。
こんな愛くるしい顔を見せられては、ただでは去れない。
「うつるぞ」
「あなたからもらえるものでしたら、何でも嬉しいですよ」
マサキの返事を待たずにそっと口唇を重ねる。嗚呼、熱っぽい。いつも以上に熱い彼の口唇を少しだけ味わったシュウは、そうして、「直ぐに戻りますよ」とマサキの髪を撫でて寝室を後にした。