寝入りばな

 キャビンに続く扉が開き放しになっているのを見て、マサキは誰の部屋かもわからぬまま、その向こうに顔を覗かせて、失敗したと思った。せせこましいキャビンには据置型の簡易テーブルと、僅かな荷物が置ける程度の棚と、手足を伸ばしきるには不充分なベットしかなかった。そのベットの上に、本を開いて座っているシュウ=シラカワの姿があったからだ。
 顔を伏せて本に向かっているその表情は伺い知れなかった。自分と僅かにしか年齢が違わないのにも関わらずの博識な彼の性格は、穏やかではあったけれども、皮肉屋で、皮相的で、彼に言わせるのなら”素直で直情的”な自分とは相容れない面ばかりが目に付いた。部屋を覗いているのに気付かれようものなら、何を言われるかわからない――マサキが、その場から早々に退散しようとしたのも無理はない。
 だが、去ろうとしかけて、マサキはあることに気が付いた。そのこうべが、微かながら上下に揺れているのを。宇宙を航行する艦の静かな揺れに同調シンクロしているだけなのだろうか……それにしては、神経質な性格の彼にしては、些か、自分に気付くのが遅いように感じられた。
 恐らく、眠っているのだ。それなら、今、このまま彼を放置して去ったところで、誰にも咎められたりはしないだろう。キャビンの扉を閉め忘れたのは彼自身の所為。どのみち、貴重品といってもたかが知れている。そう思いかけて、それは良くないと、マサキは首を振った。
 正義の旗印を掲げていても、どんな不埒な輩が潜んでいるかはわからないものだ。彼がどういった貴重品を持ち込んでいるか、マサキにはわかりようもなかったけれど、このままにしておくのは、何かあった際に気まずい。そう考えてキャビンに足を踏み入れる。
 シュウ――とその名を呼ぶ。彼は相当に疲れているらしかった。膝の上の本は、半分以上読み進められていたけれども、付箋や書き込みの多さからして、普通に読みすすめているだけでないのは明らかだ。起こすべきか、寝かすべきか。マサキは逡巡して、寝かすことに決めた。いつ戦闘が起こってもおかしくない宙域を航行していたからこそ。
 肩に手を添えて、そっと。
 ベットに寝かせようとすると、彼の顔が思いがけず自分の方を向いた。思った以上に端正な顔立ちに、伏せた睫毛まつげの長さに、切れ長の目尻まなじり……何を思った訳ではなかったけれども、鼓動が跳ね上がった。何を考えている――マサキは動揺しながらも、緩みかけた手に再び力を込める。
「眠たくなったら、ちゃんと横になって眠るもんなんだよ。全く、本にばっかりかじりつきやがって……」
 誰にともなく呟いて、その身体をベットに横たえる。見た目以上に軽い身体は、軽く膝を曲げなければベットに収まらない。自分とは頭ひとつ分は違う彼のこと。さぞや窮屈な思いをしながらベットで身を休めているに違いない。
 足元にて几帳面に折り畳まれているブランケットを、そうっと。
 その瞬間だった。
 軽く身を起こした彼の口唇くちびるが、マサキの口唇に重なった。そうして、その湿った感触を確かめる間もないままに、離される。
「……礼のひとつぐらいはしなければならないでしょう」
「……寝惚けてるんじゃないだろうな」
 目を閉じてブランケットに包まる、彼の口元にうっすらと笑みが浮かんでいたのをマサキは見逃さなかった。
「寝惚けていたら、この程度では済まないでしょう」
 そして、頬を紅潮させたマサキには目もくれず、――キャビンのロックをお願いします。と彼は呟くと、そのまま眠りに就いてしまったのだった。