小さな闖入者

 みぃ、みぃという鳴き声で、マサキは目を覚ました。
 二匹のファミリアの声では断じてない。細く頼りない声は子猫のもの。成猫である二匹の使い魔に出せるものではなかったし、何より彼らは喋ることを知っているからか。滅多なことでは泣き声を上げなかった。
 みぃ、みぃ。
 声がしてくる距離からして、この部屋の中にいるのは間違いないようだ。隣で寝ているシュウを乗り越えたマサキは、厚いカーテンが下がっている窓際に立った。みぃ、みぃ。声を辿って視線を動かす――と、カーテンの影に小さな茶色い物体が丸くなっている。
 風を通す為に開いておいた窓から入り込んだのだろう。
 首を掴んで持ち上げてみると、素直に手足を伸ばしている。警戒心の薄さと栄養状態の良さは、人間の世話を受けているようにも感じられる。マサキは片腕に子猫を抱え込んだ。おい、シュウ。ベッドの端に腰を下ろして、まだ眠りの中にいるシュウに声を掛ける。
「おい、シュウ。起きろって」
「何です。もう少しぐらい寝かせてくれても」
 云いながら寝返りを打って背中を向けたシュウに、マサキはその鼻を抓んだ。起きろ。耳元で声を上げると、さしもの朝に弱い男でも耐えられなかったようだ。何です――と、頭を掻きながら上半身を起こした。
 みゃあ。
 彼は直ぐにマサキが腕に抱いている物体が子猫であると気付いたらしかった。あなたの使い魔の子ですか。微かに瞠目して尋ねてきた彼に、馬鹿云え。マサキはその額を小突いた。
「もっとしっかり目を覚ませよ。あいつらから産まれてきていい毛色をしてねえだろ」
「わかっていますよ。ちょっとしたジョークです。で、どういった経緯で捕獲したのです」
「そこのカーテンの影にいた」
 太陽の光で薄く透けているカーテンの奥を指差す。と、あまり生き物は得意ではないようだ。額に手を当てたシュウが悩まし気に眉を潜ませる。
「寝る時に窓を開いておくのは良くなかったようですね」
「かといってクーラーを点けると寒すぎるしなあ」
 みゃあ。みゃあ。腹を空かせてでもいるのだろうか。腕の中で小さく鳴き声を上げ続けている子猫に、マサキはその頭を撫でてやった。
 みゃあ。気持ち良さそうに子猫が目を細める。お前、ホントに人懐っこいなあ。マサキの言葉に、けれども、警戒心を抱きでもしたのか。何とも表現し難い表情を浮かべたシュウが、険しい眼差しを子猫に注ぐ。
「まさか私に飼えなどとは云いませんよね」
 どうやら拾った猫の世話を自分がさせられると思ったようだ。冷え冷えとする声。全身で拒否の感情を伝えてくるシュウに、ねえよ。と、マサキは即座に首を振った。
「お前に生き物の世話が出来るとは思ってないから安心しろ。チカもいるしな。ただな、これだけ人懐っこいってことは、どこかの家のヤツが世話をしてるんじゃないか? だったらお前に聞いた方が早いだろ。俺は偶にしかここには来ねえし」
「この辺りで猫が産まれたという話は聞いたことがありませんね。見掛けるのも今日が初めてです」
「本当かよ」マサキは子猫を抱き上げた。「お前、何処から来たか云ってみろ」
「それで話が出来たら苦労しないでしょうに」
 溜息混じりにベッドから出てきたシュウがクローゼットを開く。予定を崩されるのが心外なのだろう。みゃあ。みゃあ。相変わらず鳴き声を上げ続けている子猫を見て、大物になりますよ。どういった思考で出てきたか不明な言葉を吐く。
「人間の言葉も話せないのに大物もへったくれもないだろ」
「助けを求めてのことか知りませんが、この家に侵入してみせただけで充分にその素質はあると思いますね」
 手早く服を着替えたシュウが、そうして寝室のドアに手を掛ける。
「とにかく、先ずは食事をさせましょう。近所の人たちに話を聞くのはその後です」

※ ※ ※

 近隣に住まう人々に話を聞いたところ、この辺りに猫を捨てに来る人は多いようだ。街外れで人の目に付き難いからか。そうっと猫を放して逃げてしまうらしい。
 それでもまだ逃がす分には良心的であるようだ。過去には段ボール箱に詰めて、ゴミ収集所に置いていった無法者もいたという。中には目の開かない子猫が六匹。彼らを引き取った家の住人は、責任が取れないなら飼うなと、マサキが胸に抱いている子猫を見ていきり立っていた。
「自然のものを自然に返せとでも云うつもりでしょうかね」
 自宅にいないことも多いシュウは、自身が知らなかった事実に気分を害した様子だ。憮然と言葉を吐くと、そこで初めて子猫に手を触れ、「いざとなったら私が面倒を見ますよ」と、彼にしては珍しくも有情ウエットな態度を取った。
「んなこと云っても、お前が不在がちなのは事実だろ。チカとは違うんだぞ。面倒見きれる訳がねえ」
「最終的に引き取り手が見付からなかったら、ですよ」
 話を聞くついでに貰い手も探したが、こういった場所柄なこともあって、既に引き取った猫の世話で手一杯な家が多かった。後は身体や仕事の都合で猫を飼えない家ばかり。街の中心に出るか。マサキはジャケットの襟元に収めていた子猫の頭を撫でた。みゃあ。大人しく収まっている子猫が鳴き声を上げる。
「きっと何処かの家で飼われていた猫なのでしょうね」
「こんなに可愛いのになあ。捨てちまうなんて酷いことをしやがる」
 シュウと連れ立って街の中心部へと出ると、大人しくジャケットの中に収まって顔を覗かせている子猫の姿が物珍しく映るのか。マサキを振り返る人も多くいる。これなら貰い手が見付かるのも早いかも知れない。そう思ったマサキは子猫に視線を向けてきた人々に片っ端から声を掛けて歩くことにした。
 ところがこれが中々上手く行かない。
 可愛いと思う気持ちと実際に飼える環境は別物であるのか。声を掛けても掛けても「うちでは無理」の返事ばかり。もしくは既に猫を飼っているか。そういった中で二十人ほどに声を掛けたマサキは、歩き疲れた脚を休めるべく噴水前のベンチに腰掛けた。
「猫の貰い手を探すって難しいんだな」
「そうですね。拘りがある人も多いようですし」
 そうなのだ。マサキは宙を仰いだ。
 どうせ飼うならポイントソックスがいいだの、トーティシェルがいいだの、グレーがいいだのと云いたい放題。この辺りではレッドタビーは人気がないのか。愛くるしさに目を向けてくる人が多い割には成果がまるでなかったここまでの時間に、マサキは遣り方を変えるべきかねえ。懐の中にいる子猫を覗き込んだ。
 向かいのベンチで餌を投げている老人の周りに鳩が群れている。それを目にした子猫がぴょこんとマサキのジャケットから顔を出した。腰を落として身構えている。止めろよ。マサキは今にも飛び出して行きそうな子猫の頭を押さえ込んだ。
「このままでは埒があきませんし、直談判と行きましょうか」
「直談判って、何処にだよ」
 瞬間、顔を伏せたシュウが、クック……と物騒な嗤い声を上げた。彼がこういった嗤い方をする時は碌なことを考えていない時だ。嫌な予感が背中を駆け抜ける。背筋を冷やしながら、マサキは邪悪に微笑むシュウの顔を見上げた。
「猫を捨てる輩が後を絶たないのは、政治に問題があるからですよ」
「いきなり大きく出るじゃねえか。それで?」
「その政治を司っているのが誰かという話ですよ。この辺りでしたら市長ですね」
「おい、まさか」
 早くもベンチから腰を上げているシュウに、マサキは慌てて後に続いた。迷うことのない足取り。街の大通りを曲がって自宅に向かう通りに入ったシュウを追い掛けながら、肩を並べてその横顔を見上げる。
 切れ長の瞳は、その険しさを増しているように映る。
 口元が笑っているだけに、凄絶だ。マサキは子猫をジャケットの上から撫でてやりながら、怒らせてはならない男の怒りをどうやれば鎮められるのかを考えつつ彼の自宅に入った。

※ ※ ※

 セニアを通じて即日のアポイントメントを取ったシュウはその足で市長を訪れ、捨て猫を対策を徹底させるよう迫ったらしかった。仲介者がセニアとあっては、さしもの市長も云うことを聞かざるを得なかったようだ。対策を徹底するとの確約を得たシュウはそのついでに猫の貰い手も決めてきたようだ。
 市長の知り合いに丁度、レッドタビーを欲しがっている人がいるのだとか。
 翌日、既に準備を終えて待っていた件の人物と顔を合わせたマサキは、念の為と見せてもらった猫用の部屋の気合いの入りように圧倒されながらも、これならば子猫も幸せになれるだろうと安堵しつつ帰途に就いた。
「猫を飼うのも面白そうではありましたがね」
 別れ際、そう云って微笑んだシュウに、無理だろ。と、再度マサキは口にした。
 不在がちなだけならまだしも、趣味に熱中すると周囲が見えなくなる男である。お前に飼われるんじゃ、どう考えても幸福な未来が見えないだろ。そう続けると、シュウは肩をそびやかして、
「そうすればあなたもここに来ざるを得ないでしょう」
 自力でペットの世話をする気はないようだ。マサキの労力を当てにしているシュウの台詞に、マサキは思い切り顔を顰めてみせた。
「俺に頼り切ろうとするなよ。ペットの世話は自分でやるもんだ」
「どうでしょうね。あなたの性格からして様子を見に来ないで済ませられるとは思いませんが」
「そう云われると、行きたくなくなるんだよな」
 その返事に、鈍感な人ですね。声を潜ませて嗤ったシュウが、顔をマサキの耳元に寄せてくる。

「プロポーズですよ」

 何だって? 目を剥いたマサキがシュウを振り仰ぐと、返事を聞くつもりはないらしい。既に自宅へと戻る道を歩き始めているシュウに、おい、待てよ。マサキは詳しい話を聞くべく、彼の後を折って駆け出した。

リクエスト「捨て猫(迷い猫)の里親探すシュウマサ」