(1)小人さんは頑張りやさん
「仕事を下さい、です」
その声に、長く主が不在の家にて、惰眠を貪っていたチカは目を開いた。
興味の範疇以外にはとんとずぼらになる主人が相手では、滅多に身を休められない床の上。気を抜けばすぐに埃だらけになる毛足の長い絨毯が綺麗な時に、その柔らかな感触に包まれて眠るのがチカのささやかな贅沢だった。
見慣れた景色が続く殺風景な梁の上で眠るより、稀にだからこそ心地いい。しかも窓から差し込むうららかな陽射しを、直接浴びることができる。柔らかく降り注ぐその光は、チカに眠りに最適な温もりを与えてくれる。それは至福の時。まどろみが延々と続く安らかな時間……。
その安穏としたひとときを唐突に遮ったのがその声だった。
「仕事を下さいです」
聞き覚えのあるようなないような声は、やけに肩肘張ったような堅苦しさを感じさせる調子で、チカの傍近くから聴こえてきたのだ。
「あー……えーと……」
そしてその声の主は、紛れもなくチカの目の前に今「いる」わけで。
「なんですかこの、小さいご主人さまみたいな生物は」
それは、小型鳥類であるローシェンを模したチカよりも、半分以上は小さかった。わかりやすく例えるのであれば、背中に乗せて空を飛べるぐらいには小さかった。
しかしそれだけだったなら、チカは困惑しなかっただろう。日頃、王立軍相手に単機で戦闘を挑む自分の主人や主人の連れ合いたちを、口先三寸でからかってみせる強心臓の持ち主だ。今更小人の出現程度で驚きはしない。練金学が発達した地底世界ラ・ギアスでは、どんな事象でも起こり得るものなのだ。
チカを困惑させたのは、その顔立ちだった。
吊り上がった目はまんまると顔半分を占める大きさなれど、またその頭身が頭1、体2であろうとも、赤い上下と揃いのとんがり帽子を頭に被っていようとも、ふんわりとカーブを描いた髪や小生意気そうな面構えは、チカの主人たるシュウによく――似ている。
尻尾程度の大きさだろうか。ミニチュア版シュウ、と言うには仕草だの言葉遣いだのが丁寧過ぎるものの、そうとしか呼びようのない見目をした物体は、ちょこちょこと近付いてくると、チカの嘴を両手で挟むようにして顔を寄せ、
「仕事を下さい、です!」もう一度、力強く言った。
「何か面妖な実験でもして、それをそのまま放置したのでしょうかねぇ? あたくしのご主人様も奇特な方ですし、大体今までの実験とやらもまともなものより珍妙なものが多かったわけで」
「仕事を下さ」
「というかあたくしを置いてどこぞへ行かれるぐらいなら、こういうのはきちんと管理して頂かないと! って、あたくしのご主人さま本当にどちらに行かれてしまったのでしょう? かれこれ十日はこちらを空けていらっしゃるのですよねえ。先日、サフィーネさんが掃除をしに来られなかったら、ここも蜘蛛の巣だらけになるところでしたよ。全く、他のねぐらに行かれたのでしたら、でしたで連絡ぐらいお寄越しになられてもよろしいものを」
「仕事を」
「お体がご無事なのはわかりますけどね、それ以外のことは、使い魔たるあたくしにはわかりようがないのですから。そもそもあたくしを置いてグランゾンの操縦とか本当にもう使い魔の存在意義ってなんなのでしょう。ありえないでしょう! こんなの!」
ひとしきり自分の存在意義について愚痴を口にするチカは、目の前の物体の存在を忘れ去ってしまったか。これが口煩い使い魔の日常だと知る由もない小人は、その態度が面白くなかったのだろう。彼はやおら、その頭によじ登り羽根を掻き分け、その耳に直接口を押し付けると、
「仕事を下さい、ですううううううううっ!」
「あひゃっはひゃっひゃっひゃっひゃあああああっ!?」
ものの見事に、チカは引っくり返った。
※ ※ ※
「えーと」
そしてチカがどうにか意識を取り戻すと、目の前には「まだ」小人がいた。どうやらこの物体は、律儀にもチカの目覚めを待っていたらしい。
背筋を伸ばして正座をしている小人の姿に、――あーでもご主人様はこんなに行儀良くありませんですよねえ、などとチカは思いつつ、その処遇を考えあぐね、
「仕事と申しましても、ここにはあたくししかおりませんで、お願いするようなものは特にな……いと申しますかね」
説得を試みてみるのだが、言った途端、それはしおらしいまでに失望の色を露わにするものだから、僅かばかりの良心が痛まなくもなく。見た目が主人に似ているのが、使い魔の習性たる服従心をくすぐるのだろう。何故か邪険に扱えない自らの性に困惑しつつ、チカは宙を仰いで妙案を求めてみるものの、浮かんでくるのは箸にも棒にも引っ掛からないような考えばかり。
「こんな話ありましたっけね。グリム童話でしたっけ、あれ。夜中に小人さんが、こっそり仕事を片付けてくれるっていう話。でもあれ、こんな風に家主の元にまでは押しかけてきませんよね、確か」
子供に読み聞かせる類の本に載っていた物語では、複数の小人が終わらなかった仕事を夜中のうちに片付けていた筈だ。それも当事者には知れぬよう、こっそりと。いや最初は一人の小人だっただろうか? それが徐々に数を増やしていったのだとしたら、これは大事である。ここでチカが迂闊に仕事を頼もうものなら、明日には二人になって現れるかも知れない。三日目には三人、四日目には四人、一年が経てばなんと三百六十五人の小人が、このこじんまりとした家にひしめき合う事態になる。
「そんな馬鹿な」
ないない――。チカは自分の妄想を打ち消した。いくら自分の主人が非常識に輪をかけた性格だったとしても、そこまで常軌を逸したものを、ひとつならず複数も創造したりはしないだろう。そもそもこんな厄介な生物が間違って野に放たれでもしたら、一目で誰の仕業か知れてしまう。何せこの生物はシュウのものと思しき顔を持っているのだ。
もし、間違って創造したのだとしたら、自分の作業を手伝わせるのに呪術か何かで創り出したに違いない。違いないのだ。違いないったらない。いや、違いないと――思いたいだけなのだが。
ただ……別の何かを創ろうとしていて、そのはずみで出来てしまう可能性までは否定出来ない。何せシュウには、過去にも幾度かそうして理解不能なモノを創り出した実績がある。
「その”まさか”だったらどうしましょうかね」
途方に暮れたチカの向かいで小人が顔を上げる。上げるなり、彼は言った。「仕事、ないですか?」
「まだ諦めてなかったんですか!」
「仕事しないと帰れない、です」
口を開けば仕事、仕事と、判で押したような言葉を繰り返す小人に、「ないものはないんですよ」溜息交じりに言いかけて、チカはそれに気付く。
「待って下さい。何故、仕事をしないと帰れないんです?」
これは重要な情報だ。
チカの脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、召喚魔法を用いてこの小人を呼び出し、「仕事をしないと帰れない」という契約を結んだという推測だ。しかしその場合、使役者であるところのシュウの不在が不可解になる。十日も不在にしていた主人が、隠れてこの家に戻って来れるものなのだろうか。と考えてみたところで、四部屋もないこのこじんまりとしたあばら屋で、居間に居座るチカに気付かれずに小人を召喚した上で、またも姿を隠すことに何の意味があるのだろう。ましてや、以前に召喚したものの、させる仕事がなくなったが為に放置するなど――。チカは首を捻る。シュウ本人だったらこう切り捨てるだろう。愚かしいにも限度がある、と。
これが実験の合間に偶然に出来た産物であったなら、「面白そうだから」という理由で手元に残すこともあるだろう。あるだろう、どころか大いに在り得る。シュウは時折、その合理主義的な性格からは想像も付かない寛容さを見せるのだ。
その場合、「仕事をしないと帰れない」というこの小人の言葉の意味は、ない。ないったらない。そういう風に創られてしまったのだろうから、考えるだけ無駄である。
かといって――結局ここに話は戻ってきてしまうのだが――、ではこの小人の存在が召喚魔法によるものだとして、絶えず使用出来るものを、しかもこの程度の生物の召喚ならば手間もさしたるものではないものを、シュウが戻しもせずあえて放置する理由は何だろう? そもそもそういった理由は存在し得るのだろうか?
――ない、と言い切れないのが嫌なんですよ、うちのご主人さまは。
時に発露する気紛れな行動の数々を思い返して、チカは暗澹たる気分になる。
――気紛れだけならいいんですけどねぇ。何かの利用方法を思いついたりしちゃったりしてたら、あたくし迂闊に手を出せないじゃないですか。後が怖いったらありゃしない。
そうしてジレンマに陥ったチカは、目の前の物体の答えを耳にした。
「仕事しないと、お金が貰えないです」
「お金えええええええええっ!? お金取るんですか! いやそりゃ仕事ですからね、お金が欲しいのはわかりますけれども、人の昼寝を邪魔してまで仕事を寄越せって、どんな親切に見せかけた商売ですかっ!? こんな押し売りあたくし生まれて初めて見ましたよ!」
「お金は大事です!」ぐっ、と膝の上に載せた手を握り締めて、それは力強く言う。
「その意見には大いに賛同しますけどね! あたくしに仕事を求めたところでお金貰えると思いますっ!? どう見ても鳥ですよ、鳥! 鳥類! 右から見ても左から見ても前から後ろから見てもあたくし立派なローシェンでしょう!?」
「持ってないですか? お金」それは困惑の表情で目を瞬かせる小人に、
「いや持ってるとか持ってないとかの問題ではなくもういいです。実はあたくしの知らない世界の通貨だったりしたら話がややこしくなる一方ですし」
「1クレジットでリンゴが一個買えますです!」
「共通通貨じゃないですか!」
どうやら小人の言うお金とは、チカが認識しているこの世界の金銭と同じものであるらしい。小人世界の専用通貨でなかったのは幸いだが、貰ったところでこの大きさである。通貨より僅かばかり大きい身の丈で、まともに買い物ができるとは思えない――のだが、
「お金を貰ってどうするんですか?」
「乗り物に乗りますです!」
「……えー?」
チカは激しく首を捩らせる。言っている意味はわかるのだが、この身の丈で乗れる乗り物は、チカの知っている範囲では無かった筈で。
「乗り物ってあれですか? ここらだと乗り合い馬車とか、都市部だとエアバスとか」
「そうです」
「小人専用なんてあったかしら?」
「小人専用なんてあるですか?」
「ないですよねー?」耳聡い小人である。
しかしこうなると、この小人が乗ろうとしているのは、人間が日常使用している乗り物に他ならない訳で、その事実はチカを大いに困惑させた。
「お金払わなくても気付かれないと思うんですけどねぇ」
「そんなことはしてはいけないのです!」
「うわあご主人さまに爪の垢を煎じて飲ませたいこの発言!」
似ていないのは言葉遣いだけではないらしい。
シュウは何かれに付け理屈を捏ね回し、常識に平手打ちを喰らわせる勢いでそれを破ってみせる。この小人と同じ立場に置かれようものなら、彼は躊躇わずに無賃乗車をするだろう。そもそも子供料金なたぬ小人料金を設定している乗合馬車や、エアバスなど聞いたことはない。金銭を持つのですら難しい、小人化してしまった以上、最早料金など無駄に等しい――そう考えそうだ。
「まあヴォルちゃんの所為もありますですけど、良心があってもなくても変わらない気がするのは気の所為じゃあないと思いますですよ。元からご主人さまには倫理観ってものが欠如してたんじゃあないでしょうかねぇ。自分を正当化するのには長けているというか、性根が小狡いっていうか、こすっからいっていうか、なんであんな小悪党に育っちゃったんでしょう?」
自分のことは棚に上げてチカはごちる。
小金に対するがめつさではチカの方が遥かに勝っているのであるが、それが無意識の具現化たる使い魔故の奔放さであるのか――チカはそれをシュウに問い質してみる勇気を持ち得ない。練金術で生み出された生命にも、己の存在を惜しむ気持ちはあるものだ。
「何の話ですか?」小人はそれを、きょとんとした様子で見上げている。
「いえいえあたくしの独り言ですよ。で、乗り物に乗ってどちらに」
「乗って王都に行くです」
「王都、ですか。恩返しにでも行くおつもりで?」
王都――チカは城下の繁栄ぶりを思い浮かべて、これはいよいよ件の物語の靴屋の小人かと身構える。よもや王都に一旗揚げにいくという一寸法師並みの巫山戯た話ではないだろう。夢物語にも限度がある。
しかしこの小人は、どこまでもチカの想像の斜め上をゆくのだ。
「マサキのところに帰る、です!」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!? じゃあ何!? これってご主人様の仕業じゃなくてマサキさんの仕業ッ!?」
びっくり仰天のチカの傍らで、当社比二倍の声量に耳を塞ぐ小人の姿が――ぽつねんと。