広場の時計柱の下で待ち合わせにしようと云ったのはマサキだった。
自分で云った以上は時間を守るつもりだった。だから間違って迷子になってもいいように、一時間前に家を出た。そのぐらいの遅れならサイバスターの足の早さもある。直ぐに取り返せると思っていた。
それから四時間。
よもや街に向かう途中の道で盛大に迷おうとは。
行けども行けども代わり映えのない景色に、おかしいと思った時には遅かった。焦りに焦りながらもどうにか軌道修正を果たして街に辿り着いたものの、三時間もの大遅刻である。流石に彼ももう諦めて帰っていることだろう。そう思うも、やはり吹っ切れない。マサキは吸い寄せられるようにふらふらと広場に向かっていた。
そろそろ太陽が赤く染まり始める時刻。じきに夕食時を迎えるとあって、広場には人もまばらだ。足先を見詰めながらここまで歩いてきたマサキは、覚悟を決めて面を上げた。
――いない。
当然のことながら、時計柱の下に彼の姿はなかった。そりゃそうだよな。マサキはそう自身を納得させながらも、心のどこかでは淡い期待を捨てきれずにいた。どうしようもなく自分に執着している男。マサキを奪い切ってみせたあの男が、たった三時間程度の遅刻で先に帰ったものか。
「流石に迷い過ぎニャのよ」
「ニャんの為に早く家を出たんだニャ」
二匹の使い魔が脚に纏わり付きながら帰宅をせっついてくる。
「お前らが川だ森だって騒がなきゃ、こんなに時間はかからなかったんだよ」
八つ当たりとわかっていながら言葉を継げば、いつものことだからだろう。二匹の使い魔は澄ましたもの。
「取り敢えず、ご飯でも食べてから帰るニャ?」
「この間、シュウと行ったお店ニャんていいんじゃニャいの? マサキ、あそこのジャンボハンバーグ気に入ってたじゃニャい?」
全く相手にされず、それどころか機嫌を直せとばかりにいなされるものだから、主人としては立つ瀬がない。
そうだな。マサキは頭上で色を濃くし始めている太陽を見上げた。夕食には少し時間が早くもあるが、帰路にかかる時間を考えれば丁度いい頃合いだ。シュウには後で謝罪の連絡を入れることにしよう。そう思いながら広場を出ようとしたその時だった。
こつん、と、背後から何か硬いものを頭に当てられたような感触があった。
まさか――と、思いながらも、逸る鼓動。よもやここで期待を裏切るような余計な出会いもあるまい。ここは王都からは大分離れた位置にある街なのだ。
マサキはゆっくりと背後を振り返った。その目に、予想した通りの光景が飛び込んでくる。分厚い書物を手にしたシュウの顔は、何を考えているのかわからない無表情に彩られていて、マサキは咄嗟に、ごめん。と頭を下げずにいられなかった。
「よく辿り着けましたね。心配しましたよ」
病的な方向音痴を誇るマサキの周りの人間は、彼を含めてこうした事態には慣れっこなようだ。ふわりと表情を和らげたシュウが、「読書に夢中になっていたものですから」続けてマサキに声を掛けるのが遅くなった理由を口にする。
「悪い……俺が、待ち合わせの場所や時間を決めたのに……」
「いつものことですからね。あまり気にしていませんよ」
それは少しは気にしているということである。それもそうだ。三時間の大遅刻。しかも連絡もなしに、である。これで機嫌で損ねない方がどうかしている。マサキは焦って言葉を継いだ。
「本当に、ごめん。次からは気を付けるようにするから……」
「本当にそう思っていますか?」
いたたまれなさに深く頭を下げたマサキに、シュウが意地の悪い視線を投げてくる。
「そりゃあ思うだろ。こんなにお前を待たせちまったんだぞ」
足元では二匹の使い魔が、一時間早く出たのよ。だの、マサキにしては頑張った方ニャんだニャ。などと、主人を庇う台詞を吐いている。それで気を削がれたようだ。と、いうより、最初から彼は怒ってなどいなかったのだろう。
ただ、少しばかり、マサキを揶揄いたかっただけ――彼の稚いものを愛でるような眼差しにそれを感じ取ったマサキは、ほっと胸を撫で下ろした。シュウ=シラカワという男は執念深い。些細な出来事さえも長く覚え続けては、事あるごとに持ち出してくるぐらいに。
だからマサキは油断してしまったのだ。彼に許されと思ったその瞬間に。
直後、ふと身を屈めてきた彼の口唇がマサキの口唇を吸う。
全く予想も警戒もしていなかった事態に、マサキの思考は停止した。一度、二度、三度……ゆっくりとマサキの口唇を啄んでくる彼の口唇の温もりに、じわじわと感覚が取り戻される。かあっと熱くなった頬。ややあって離れた口唇に、マサキは自らの口唇を片手で覆って顔を伏せた。
「これでおあいこですよ、マサキ」
見えはしないが、きっとしてやったという表情をしているに違いない。そう云ってクックと嗤いながら、さあ、食事にしましょう。と、先を歩き始めたシュウに、マサキは急ぎ顔を上げて手を伸ばした。
白くひらめく彼の衣装の袖を掴み、斜め後ろに立つ。
「置いて行くなよ。また迷っちまったら、お前と出会える気がしねえ」
「何処にいても必ず探し出してみせますよ。だから安心なさい」
全てを見透かしきったような、涼やかな笑みが憎らしくて仕方がない。けれども、やり返そうにも、身長差8センチ。マサキからシュウに口付けるとというのは、彼がきちんとその意を汲んでくれなければ難しい。
酷く、面白くない。
口唇を尖らせたマサキに気付いたようだ。「続きは私の家でね」そう囁き掛けてくるシュウに、本当に面白くない――マサキは盛大に頬を膨らませた。