他愛ない会話を繰り返す関係となった。
それは探り合うように近況を尋ね合ったり、些細な愚痴を吐き出し合ったり、過去の出来事を振り返り合ったり、逆に未来について問い合ったりの、本当にささやかなものだったけれども、それを切っ掛けとして続く話は、果てしない広がりに満ちていた。
繰り広げられる言葉の応酬。限りなく連なっていく会話の数々。共に命を削り合い、共に死線を潜り抜けた仲だからこその絶妙な距離感がそこにはあった。だからこそ、そこから生み出される得も云われぬ空気感を、シュウは心地良いものと捉えていた。しかしそう感じながらもシュウは、同時に物足りなさや一抹の寂しさを感じてしまうことがあった。
もっと近く、もっと側に。
浅ましい望みだと頭では理解していた。赤の他人から敵同士へと、そして時に共闘する間柄となり、今となっては普通に会話を重ねる仲となった。これ以上など望むべくもない。それでも欲しくて堪らなくなる瞬間がある。
激しく生命を燃やしては、終わりなど存在しないのだとばかりに、全身全霊で今を生き抜いてゆく魂。彼はどれだけ世の理や社会の不条理を知っても、初心を忘るることがない。だからこそ、それはどうしようもなく純粋で、どうしようもなく眩いものとしてシュウの目に映った。
手に入れたい。まるで子どもが目新しい玩具を目にした時の衝動のように、瞬間的にそう希ってしまう存在。断続的な衝動は、いつしか連続的な執着心と化した。マサキ=アンドー、或いは安藤正樹。彼は決して高潔な精神の持ち主ではなかった。どちらかと云えば、世俗から一歩退いた場所で世界を眺めているような斜に構えた言動が目立ったものだったし、他人の力を当てにしない一匹狼的な気質が顔を覗かせることもままあった。けれども、すべき時にすべきことをこなすことにかけては一流の戦士であった。
時に的確に世の中の真理を突いてみせる彼は、信念の人間でもある。魔装機神の操者としての誇りと矜持を失うことなく、一度こうと決めたことは、どういった障害に阻まれようとも必ず成し遂げてみせる……万難を排してからことに臨もうとするシュウとは対極に位置する彼。シュウは当初、だからこそ彼の鼻に付くまでに幼い思想に反発を覚えたものだったし、だからこそ彼の障害たることでその鼻をへし折ってやりたいと思ったものだった。
けれども時は過ぎ、月日は巡る。
それはシュウが歳を重ねたからだけではなかった。挫折を覚えようとも前に進み続けるマサキの姿は、シュウに一種の感銘を与えた。心を揺り動かす回顧の念。失ったと思っていた心の炎が、彼と触れる度に蘇ってゆく。シュウはマサキに対する評価を変えた。揺るぎない信念で自らの心を蘇らせた少年を、シュウは積極的且つ好意的に評価するようになった。
いつしか彼を頼りにすることも増えたシュウは、けれどもそうやって彼を評価する度に、胸を疼かせることが増えて行った。
ふとした瞬間に、彼ならどうするだろうと考えずにいられない。その自らの有り様をシュウは様々に名付けようとした。劣等感だろうか? それとも傾倒だろうか? それとも依存だろうか? それとも……自問自答を繰り返した後にはたと至った答えは、シンプルながらも希望と絶望に彩られた感情――好意を逸脱した占有欲だった。
よもや自らが今更子供じみた感情の虜になろうとは。シュウはそう思いながらも、自らの心から他人に対する情熱が失われていなかったことに、甘やかな高揚感を覚えずにいられなかった。とうに無くしてしまったと思っていた他人に対する執着心。失いたくなかったものを失ってしまった日から、シュウは他人に期待することを止めてしまっていた。
来る者は拒まず、去る者は追わず。そういった生き方で良かった。また、そうだからこそシュウは生きていけた。
過剰に密接した距離感をシュウは厭った。他人は自分の思い通りにはならない。当たり前のことが、けれども酷く堪えることがあった。シュウが心を寄せれば寄せただけ、相手はシュウの気持ちなどお構いなしに、先んじて潰えていってしまう……それは彼らがシュウの感情では、現世に繋ぎ留められない存在であることを意味していた。
シュウは当たり前のことを当たり前と納得出来る人間だ。人の心は十人十色。何を優先し、何を置き捨てるのかはその人間の価値観でしかない。それをシュウは、わかり過ぎるほどにわかっていた。だからこその悲劇。シュウは他人に期待することを止めた。信ずるべきは己自身のみ。そうすることでしか自らの心を守れなかったシュウは、そうした自らの臆病さに気付くことがないままに、自己の中で世界を完結させてゆくようになっていった。
元々厭世的な面のあるシュウにとって、世界とは積極的に係わるものではなかった。ただ過ぎゆくがままに過ごし、ただ過ぎゆくがままに生きる。けれども脅かされる平穏を、シュウは盾で防ぐのではなく、矢でもって打ち払うことを選んだ。
似ているようで似ていない在り方に、共鳴しなかったと云えば嘘になる。恋は盲目とも云ったものだったし、痘痕も靨とも云ったものだ。きっと己の目は彼が放つ光によって曇らされているのだ。シュウは幾度もそう自らの疚しさを払拭しようとしたが、それで自らの感情に蓋をしてしまえれば、この世に蔓延る人類の全てから悩みは消え去っていたに違いない。
「そうは云っても、私はあなたを好ましく感じていますよ」
自らの心のままに吐いてしまった言葉は、そういったシュウの悩ましさの発露でもあった。
何度目の邂逅。どういった話の経路を辿ってのことだったかはもう思い出せない。そのぐらいに会話を重ねた後に、マサキがふと口にした魔装機周りの女性陣への愚痴が切っ掛けだった。女ってのは何でああかね――。続いた言葉は彼がようやく他人の感情に機微を発揮するようになったのだと感じさせるに充分だった。
――好きだの嫌いだの愛だの恋だの、そういった話にばっか飛び付きやがる。
きっとそうした話に自分が入っていけないからこそ拗ねているのだ。マサキ=アンドーという人間は、激高し易い性格の割には情熱に欠けるきらいがある。例えば戦闘時であってもそうだ。感情を高揚させているように見えて、周囲の動きに目を配ることを欠かさない。指揮官としても一流であるマサキは、やはりはどこか冷めた目で世界を捉えているのだ。そうした性質もあってだろうか。他人の感情に愚鈍なマサキは、リューネがどれだけ直接的な言葉を吐こうとも、一向に本気と受け止める気配がない。
軽くいなしてはなかったことにしてしまう……彼に好ましい感情を抱いている女性としては堪ったものではない。けれどもそこは流石はビアン=ゾルダークの娘である。挫けることのないリューネの不毛なマサキへのアタックは、今も続いていると聞く。
「お前……また、そうやって他人の誤解を受けそうなことを……」
シュウはマサキに期待してしまっていた。そういった性格の彼であるからこそ、自分が本心を打ち明けたとしても、鈍感にも軽く流してくれるに違いないと。だのに彼はいつもそうだ。何故かシュウの言葉には過敏に反応してみせる。
魔装機の女性陣に揶揄われ過ぎているからにせよ、あまりにも意識が強い。そんなに自分を毛嫌いせずともいいものを……シュウはマサキに好かれているとは思っていない。人付き合いに消極的なマサキにとって、他人と過ごす時間は負担になっていることだろう。無理をさせてしまっているという負い目がシュウにはあった。だからこそ、思わず吐いて出てしまった溜息。それを悟られないように言葉を被せていく。
「誤解をしたい人間にはさせておけばいいでしょうに。それともあなたは私に嫌われていたいとでも?」
「そういうことは云ってねえよ」
困惑したような表情。自分の感情をどう言葉にすればわからずにいる。気持ちを言葉にすることが上手くないマサキは、ほんの少しでもシュウが理屈めいたことを口にしただけで、言葉に詰まってしまう。それは彼が直感を優先する感覚的な人間であるからなのだろう。
しかし曖昧な返答もあったものだ。まるでシュウの気持ちはどちらでもいいとでも感じているような受け答えをするマサキに、心に亀裂が走った。好意のあるなしに頓着しないのが実に彼らしいとはいえ、こうしてふたりきりで会話を重ねるようになって随分経つ。
少しはそういった話題から離れて、自身の感情を口にしてくれてもいいものを。
けれどもシュウは、そうした自身の感情の揺れを、例えマサキが相手であろうとも悟られたくない人間であるのだ。
「なら、このぐらいはいいでしょう。そもそも、あなたを好ましく感じていなければ、こうして話をしたりもしませんよ。わかっていたことを口にしたところで、何か問題があるとは思えませんが」
「それはそうなんだけどよ……」
無理に言葉を重ねても、欲しいリアクションが得られるとは限らない。ましてや鈍感が服を着ているようなマサキが相手であるのだ。それでも微かな期待をしてしまっていたからこそ、シュウはマサキのあやふやな返答に口を閉ざした。
心の亀裂が疼く。
わからせたい。そうして彼が自分の好意を知って、どう感じるのかを知りたい。
湧き上がる欲望をシュウは抑えきれなかった。途方に暮れた様子のマサキの瞳は、やけに薄らぼんやりと世界を捉えているように映る。目の前の景色を眺めているようで、眺めていないような……今なら聞き逃してもらえるやも知れない。シュウはそうっと言葉を風に乗せた。好きですよ。その瞬間、マサキははっと目を見開くと、弾かれるようにシュウの顔を仰ぎ見た。
「この話の流れで、そういうことを云うんじゃねえよ。冗談なんだか本気なんだかわかりゃしねえ」
シュウは微笑った。
マサキにとってシュウ=シラカワという人間は、不謹慎にも常に人を煙に巻く存在として映っているらしい。
決してわかり難く言葉を吐いているつもりのないシュウからすれば、どうしてそういった受け止め方になるのか、不思議で仕方がなかったものだったが、よもやこれだけストレートに吐いた言葉すらもまともに受け止められないとは。
悲劇なのか喜劇なのか。シュウには今自身が置かれている状況が、他人の目にどう映ったものか悩む。けれども、自身にとってそれは悲劇と表現するに足る出来事であった。
思い切って口にした言葉さえも、マサキには通じることがない。人間性の欠落――感情表現の豊かな彼は、けれども好意を告げられたその瞬間に、全ての感情を切り離してしまうのだろう。でなければどうして、ここまで鈍感でいられたものか!
「本気で云っているのですがね」
風の吹き抜ける胸。物悲しさに打ちひしがれながら、滑稽だ。シュウは自らを嘲笑わずにいられなかった。
自身より年若い、まだ少年と呼んでも差し支えない年頃の青年。そんなマサキの言葉や態度ひとつに振り回されずにいられない。シュウは瞼を伏せた。空っぽの心は、けれども涙に変わることはない。
――こんな感情、知りたくなかった。
だからこそシュウはそう言葉を吐いた。
決してマサキに届くことのない愛の言葉を。そうして再会の約束を口にすることなく、マサキに背中を向けると、人が溢れる世界へと自身の姿を紛れ込ませて行った。
『I love you』を○○風に訳すと
『I love you』をシュウ風に訳すと「こんな感情知りたくなかった」になりました。