「マサキ、はい。ココア」
サイバスターの足元で火に当たっていたマサキは、目の前に差し出されたスチール製のカップにグローブを外した。並々と注がれて湯気立つココアの入ったカップ。それをミオから受け取りながら、遠く平原に布陣を展開しているラングラン正規軍の魔装機を見遣る。
「ビスケットとクッキー、どっちがいい?」
「ビスケット。浸して食う」
戦時用の携帯用非常食で食事を済ませ続けること三日。パックに小分けになった携帯用非常食は、あくまで戦時用の非常食という位置付けだけあって、種類も少なければ味も微妙なものが多い。
いつ戦闘になるかわからない状況下。時間のかかる炊き出しは難しい。作りたての食事にありつけることそが最高の贅沢。そう揶揄されるほどに悲惨な食糧事情を抱えた戦場で、食に関する唯一の楽しみらしい楽しみといえばティータイム。
市販の菓子類は日持ちするものも多い。種類も豊富だ。しかも携帯用非常食の微妙な味に慣れた舌にとっては、どんな安物の菓子でも一流シェフの味に感じられるのだから、これで食後のティータイムが楽しみにならない筈がない。
「あたしもそうしようかな。かさ増しになるし。なんか物足りないのよね」
「携帯用非常食で物足りるほど、俺もお前も歳を取っちゃいねえしな」
太陽が中天に在り続けるが故に温暖な気候が常のラングランとはいえ、稀に冷え込む日が出る。
年の瀬、迫る今日もそうだ。防寒仕様のジャケットにグローブ、ブーツを身に付けていても、ひんやりとした外気が身体の中に忍んでくるような寒さ。熱が伝わって暖かくなったカップの持ち手の温もりが心地いい。マサキはゆっくりとビスケットを味わう。今日のような日はカップの中に浸して、甘さを増したビスケットがより美味しく感じられるというものだ。
「パーティもチキンもケーキもないクリスマスか。最悪の一日になったな、今年は」
「軍部が意地を張らなきゃ、あたしたち、今頃、家でぬくぬくしてられたのにね。人質を取られてるとはいえ、ここでもう三日も睨み合い。軍の特殊部隊とやらは何をやってるんだか」
ミオと二人、マサキはカップを手に火の前に並ぶ。
軍で行われた大規模な演習の際に、そのまま行方不明となった魔装機と兵士たち。彼らは数日後、シュテドニアスとの国境付近に姿を現し、ラングランの国境警備隊と衝突。その制圧に成功した。
国境警備隊の兵士たちを盾に彼らが希望したのは、シュテドニアスへの亡命だった。セニアの命を受けたマサキたち正魔装機の操者たちは、自らの愛機を駆って即座に現場に赴いたものの、軍部としては自分たちの面子がかかった事態。既に布陣を終えていた彼らは、そう易々と正魔装機の介入を許してはくれなかった。
未だ反ラングラン派も多いシュテドニアスでは、その受け入れを巡って上層部が紛糾しているとも聞く。シュテドニアス側の国境警備隊は、彼らの受け入れはしないけれども、ラングラン正規軍の援護もしないといった態度であるらしい。
だからといって、軍部に任せきりにしていい事態ではないのは明らかだ。特殊部隊を投入して人質の奪還に動いているらしい軍部との交渉に入ったセニアに現場待機を命じられたマサキたちは、かくて出動から三日もの間、こうして動きのないラングラン正規軍と亡命を希望している師団との睨み合いを眺め続ける羽目に陥った。
「ラングランにクリスマスはないとはいえ、少しはこっちの事情も考慮して欲しいもんだ。この上、ニューイヤーパーティまでお流れなんてことになったら、あの酒好きの連中が何をしだすかわかったもんじゃねえ」
「ベッキーの鬱憤なんか相当よ。さっき暴れ出しそうになって、デメクサたちに宥められてたわよ」
「そりゃそうだろうよ。毎年恒例のパーティだ。ひと月も前から楽しみにしてたんだぜ、あいつら」
クリスマスにかこつけてのパーティは、日頃、好き勝手に過ごしている正魔装機の操者たちが一堂に会するビッグイベントだ。そこから館の大掃除を済ませてのニューイヤーパーティ。一年の締め括りと新しい年の幕開けに相応しいイベントも、このままの情勢では、どちらも流れてしまうに違いない。
「参ったな。セニアが頑張ってもこれだってことは、連中、相当ごねていやがるんだな。軍部の上層部は杓子定規的な対応しかしねえ石頭ばかりが揃っていやがるとは思ってたが、ここまでとはな。人質になった国境警備隊の連中の体力や精神状態が心配だ。早くどうにかしてやりたいもんだが……」
「演習がきっかけじゃねえ。自分たちの手に負える事態じゃないってわかってても、責任問題を考えるとね。引くに引けなくなっちゃってるんでしょ。それにしても、身内の命よりも面子に拘るなんてねえ。その内、クーデターが起きるんじゃないの?」
「どうだろな。あいつら、自分たちの力を過信してるところがあるからな。本気で自分たちの力だけでなんとか出来ると思っていやがるかも知れねえぜ」
「腐敗が進んだ軍部を立て直すのって大変よね」
ミオは溜息を吐きながら、空を仰いだ。その口元から白い息が宙に浮かんで掻き消えてゆく。
マサキもそれに倣って息を吐いてみる。雪のように白い。「冷えるのが早いわ。流石、今年一番の冷え込み」まだカップにココアを残しているミオが、それを一口飲んでから云う。通りで手が悴む筈だ。飲み終わったカップを地面に置いて、マサキはグローブを嵌め直した。
「せめてその特殊部隊とやらの指揮権だけももらえればね。人質の奪回さえ出来れば、ラングラン正規軍だけでどうにか出来そうだけど、それすらままならいんだもの」
「だからってここでただ眺めてるだけでも、事態は進展しねえしな。セニアには早いとこ話を纏めて欲しいもんだが……」
「あー、やだやだ。もしかしてあの人たち、あたしたちが待つの苦手って知っててやってるんじゃないの? ベッキーがあんだけ鬱憤溜め込むのもなんかわかるなあ。ねえ、マサキ。何か景気のいい話はないの? ぱーっと気分が晴れるような話」
「そんな話があったらとっくにしてやってるだろうよ。まあ、ニューイヤーパーティまでには解決することを祈るんだな」
今日も入れて一週間の内に解決すれば、ニューイヤーパーティには何とか間に合う。そのパーティまでもが潰れようものなら、乱痴気騒ぎの大好きな魔装機操者たちのこと。なんやかやと口実をもうけては、自分たちの気が済むまでゼオルートの館に居座り続けるに違いない。
酒だ酒だと煩い彼らとの付き合いから解放される為にも、ニューイヤーパーティは必要なのだ。その為にも、膠着してしまっているこの状態をどうにか打開しなければならない……マサキはそこまで考えて、ふと思い至って、遠く彼の元にまで続いているだろう空を見上げた。一週間ほど前に訪ねてみたときには留守にしているようだった。お陰で、もうひと月近くも顔を合わせていない。
今頃、彼は何をしているのだろうか? 例年だったら、ニューイヤーパーティの後に、煩わしい魔装機操者同士の付き合いから解放されたマサキが様子を窺いに行く彼は。
※ ※ ※
オオオオオ……と、地を這う断末魔の呻き声が神殿の内部に轟く。十日に渡る追跡劇の果てに辿り着いた邪神の神殿で、教団の司祭のひとりが召喚したサーヴァ=ヴォルクルスの本体を、自らの愛機グランゾンで沈めたシュウは、まだ蠢き続けている残骸の始末をテリウスとサフィーネに任せて、一足先に地上へと出た。
「お飲み物をどうぞ、シュウ様」
先ずは外の空気が吸いたい。思いがけずの長丁場になってしまった戦闘を終えたシュウは、テリウスとサフィーネの戻りをグランゾンの外で待つことにした。
狭い操縦席から、久しぶりの外へ。手近な岩に腰掛けて、暗く、広く、地底へと口を広げている洞窟の入口を、モニカに渡されたスチール製のカップに注がれている紅茶を口へと運びながら眺める。市販のティーパックを煮出した紅茶は酸味が先走る味わいだったけれども、長時間の戦闘で乾いた喉を潤すには丁度いい量だ。ましてや十日に渡る追跡劇から解放されたばかり。今ならどんな飲み物でも高級ワインより美味しく飲めようというものだ……シュウは何口かに分けて、その紅茶を飲み干した。
踏んだ場数の少ないテリウスにとって、ヴォルクルスの残骸の後始末ほど経験を深めてくれる修練もない。
僅かな細胞片からでも再生してみせるヴォルクルスの本体を殲滅するには、細かい注意力が必要不可欠だ。ただ闇雲に敵を倒すだけが戦いではないことを教えてくれるサーヴァ=ヴォルクルス。サフィーネにはなるべく手を出さずに見守るようにと伝えてある。今のテリウスの腕だったら、ひとりでも、二、三時間ぐらいあれば終わるだろう。「おかわりはいかがしましょうか、シュウ様?」モニカの言葉に、「もう一杯だけ頂けますか」そう返してシュウは肩にとまっているチカに声を掛けた。
「ニューイヤーまでにはどうにか片付きましたね、チカ」
「ホント、ちょこまかと逃げ回るものですから、あたくしどうなることやらとずっと心配でしたよ! 年越しラジオの特番があたくしの一年の最大の楽しみだと知っててやっていやがるんじゃないかと思うくらいのしぶとさでしたね、ご主人様!」
「本当に。十日も私たちの手を煩わせてくれるとは、往生際の悪い連中でしたよ。しかし、今日は冷えるようですね。息が随分、白い」
「今朝のラジオの天気予報では、今年一番の冷え込みになるとか。いやいや、しかしこれから帰って大掃除かと思うと気が重いってもんですね、ご主人様。例年でしたら、この時期に残すは窓磨きってぐらい片付けが進んでいたでしょうに」
取り立ててイベントがある訳ではなかったものの、機会がなければ蔵書を溜め込むばかりとなってしまうシュウは、この機会とばかりに蔵書の整理も兼ねた大掃除をすることにしていた。これがまた、辟易するほどに物が出てくる。蔵書にしてもそうだし、衣類にしてもそう。研究用の材料、資材、資料とて、一年も溜め込めば馬鹿にならない量となる。
日頃から小まめに物を整理して捨てるという習慣を付ければいいだけの話ではあるのだが、そこはやはり性質であるのだろう。日々やらなければならないことに追い立てられているシュウは、自らの生活を整えることをどうしても後回しにしてしまいがちだ。一年の締め括りに丸々半月を掛けて行う大掃除は、そういった意味でシュウの生活を正すのに必要な儀式でもあった。
新年ぐらいはこざっぱりと片付いた我が家で過ごしたくもあったが、今年の残りの日数的にその望みを叶えるのは難しいだろう。さりとて、私的な品々の始末を兼ねた大掃除。サフィーネたちの手を借りるのは、どうにも耐え難い。
年明け過ぎても続くに違いない我が家の片付けを思うと、シュウの気分は少しばかり憂鬱なものとなる。せめてチカがもう少し使い勝手のいい使い魔であったなら、こうした悩みとは無縁でいられようものを。神という生き物は、どうやら、シュウの人生を弄ぶのが楽しくて仕方がないらしい。
「あなたは何もしないと思うのですけど、チカ」
「あらあらご冗談を、モニカ様。あたくしにだって天井の梁のホコリを落とすという大仕事が待っているんですよ。そもそも、ご主人様があたくしをそのまま放っておかれる筈がございませんでしょう。そうでなくとも動くものなら鳥の羽根だって借りたいこの時期。タダ飯食らいに用はないとまで言われてしまってはね! あたくし消されるのは御免ですよ!」
「それでしたら、私たちがお手伝いをしてもいいんですのよ」
「馬鹿仰らないでくださいよ! ご自分の溜め込んだ物を整理するという一大イベントですよ! そんな私的な側面の強い大掃除の現場に、ご主人様が他人を立ち入らせる筈がないでしょうに!」
「気持ちだけ有り難く受け取りますよ、モニカ。蔵書の整理などもあるものですから、他人にはどうしても任せ難い」
追跡劇の合間に、シュウを自由にしてくれない人脈から齎された情報によると、毎年、年明け早々にシュウの様子を律儀に窺いに訪れる闖入者は、シュテドニアスとの国境付近で何らかの任務に付かされているらしかった。しかも足踏みを余儀なくされているという。そういった意味では小煩く片付けをせっついてくる相手がいないだけ、今年のニューイヤーは気楽に過ごせるものになるだろう。
それが嬉しく感じられる半面、寂しくも感じられる。
もうひと月近く顔を合わせていない人物は、今頃何を思って任務の現場にいるのだろう? 情勢も情勢のようだ。きっとシュウのことなど思い出す余裕すらないに違いない。
独りよがりの感情だとわかっていても、そろそろその顔が見たい。小煩い声や言葉も恋しい。例年通りのスケジュールでシュウの独り家を訪れようものなら、きっと愚痴々々言い出すに違いない。そんな闖入者の顔を思い浮かべながら、シュウはひとり静かに声を潜めて笑った。
※ ※ ※
「やっとよ、やっと。軍部と共同に任務に当たることにはなるけれども、指揮権は取ったそうよ」
二杯目のココアが飲み終わる頃合になって、マサキたちの元に姿を現したテュッティは、ヤンロンとふたり。疲れ切った表情でありながらも、それでも一安心といった様子で笑った。
「先ずは人質の奪回が先だな、マサキ。メンバーをどうする?」
「軍の特殊部隊の連中がどこまで情報を把握しているかによるな。どこに人質が集められているのかもわかっちゃいねえ。それ次第だな。とは云っても、うちの連中に人質救出なんていうナイーブな任務を得意とする奴はそんなにいねえけどな」
「セニアが軍部から入手した情報によると、人質たちは不法入国者を収監する施設に集められているらしい。あそこは見渡しのいい平原の中の施設だからな。近付くのが先ず難しいようだ。それで軍の特殊部隊も苦労をしたのだとか」
「それだったら、あたし立候補したいなあ。室内戦闘はお任せよ。魔装機を脱いだ戦闘だったら、あたしとヤンロンは決まったようなもんじゃない?」
「まあ、そうなるだろうな。僕としても、自分は適任者だと思っているしな。仕方あるまい。後はザッシュとシモーヌか。それと、お前かファングのどちらかには来て欲しいものだな。火力がある人間がひとりは絶対に欲しい」
「ニューイヤーパーティがかかってるんだぜ。俺が出るに決まってんだろ。さっさとケリを付けて帰ろうぜ」
三日も現場で足踏みさせられたのだ。人質の為にも早期決着を目指すのが先だ。ファングの腕を信用していない訳ではなかったが、任せきりにして待つのはマサキの性に合わない。その点、ファングは堪えるということを知っている。
魔装機戦だってある。残してゆくメンバーを統率する人間も必要だ。布陣を張り、指揮を執る。肉弾戦の苦手なテュッティは、恐らく残ることを選択するだろう。そのフォロー役にファングほど相応しい人間もいまい。
それに、年に一度の楽しみを全て奪われてしまっては、マサキはさておき、他の魔装機操者たちが余りにも哀れである。クリスマスもニューイヤーも、その日でなければ意味のないイベント。そのひとつであるクリスマスパーティが失われてしまった以上、ニューイヤーパーティぐらいは自分たちの手で勝ち取りたいではないか!
「あら、マサキやる気ね。珍しい。あなたがパーティの為に頑張るなんて」
「ベッキーがやばいらしいじゃねえかよ。これ以上長引かせようものなら何をしでかすかわかったもんじゃねえ。パーティは奴らのストレス発散の場なんだぜ。それがどっちも無くなっちまうなんて話にはしたくねえんだよ」
「あなたにしては優しい事を云うわね」テュッティはくすくすと忍び笑う。「それだったら私は魔装機戦の指揮を執るために残るわ。見た限り、ラングラン正規軍の魔装機でも充分に対抗出来そうではあるけれども、念の為にね」
「そうと決まれば話は早い。マサキ、僕としては早急に軍の特殊部隊と話し合いをしたいところだ。人質たちの為にも、今夜中に計画を立てて、明日の早朝には実行に漕ぎ着けたい」
「奇遇だな。俺も同じ意見だ。よし、全員集めて指示を出すとするか」
足元の火を消す。待機を余儀なくされている魔装機操者たちに指示を出す為に、サイバスターに乗り込みながら、マサキはニューイヤーパーティのその後に思いを馳せた。毎年のことだ。幾ら何でも年明けぐらいは彼も家に居てくれることだろう。
恐らく、一週間前に不在だったところからして、例年のイベントである大掃除は進んでいないか、進んでいても遅い歩みに違いない。
物が溢れるあの家を、まさかこのまま今年の大掃除もせずに放置するとはマサキは思わなかったけれども、思わぬところで不精になってみせる彼のこと。万が一もある。誰かが口煩く云ってやらなければ、価値あるものばかりだとは云え、あのこじんまりとした独り家がゴミ屋敷になる日もそう遠くない。
居なければ探しに出るまでだ。
操縦席に身体を収めて、通信回線を開く。モニターに並ぶ魔装機操者の顔ぶれを眺めたマサキは口元に笑みを浮かべた。どうせこのままクリスマスパーティだからだと顔を揃えた十六人の魔装機操者たち。リューネも入れれば十七人の仲間が戦場に全員揃う機会など滅多にない。これ以上に心強い味方がどこにいるものか。
一日で決着を付けてゼオルートの館に戻るのだ。そして例年通りに大掃除とニューイヤーパーティを済ませて、彼に会いに行こう。マサキはひと月以上ぶりに見る彼の顔と声が、今から愉しみで仕方がない。何を話そう。どう過ごそう。頭の中に先のことばかりが浮かんでくる……はやり浮かれ騒ぐ心を抑えながら、マサキは気持ちを引き締め、モニターに向き合った。
「待たせたな。ようやくの出番だぜ。軍との合同任務になっちまったが、代わりにセニアが現場の指揮権を取ってくれた。クリスマスパーティが流れちまった分、絶対にニューイヤーパーティまでには終わらせようぜ――……」
風の魔装機神の操者の顔で言葉を吐くマサキに、頷き返す操者たち。これからが本番だ。マサキは彼らを引き連れて、布陣を展開しているラングラン正規軍との合流を果たす為に移動する。
※ ※ ※
十日ぶりに自宅のベッドで眠ったシュウが目を覚ますと、時刻はとうに昼を過ぎていた。チカはとうに起きているのか、嘴で啄いて点けたらしいラジオの音が遠く響いてくる。
十日にも渡った追走劇。シュウの身体から疲れが取れるのにはまだ時間がかかりそうだったが、だからといって、いつまでもだらだらとベッドの中に居てどうにかなる話でもない。ベッドを後にしたシュウは服を着替えて寝室を出る。
情報収集期間を含めてひと月あまりかかった事案も、年を越さずにどうにか片が付いた……問題は物が溢れるこの家の片付けだ。床を侵食し始めている書物の山を避けながらリビングへ向かい、音量調節の出来ないチカに変わってラジオのボリュームを下げてやる。
「おはようございます、ご主人様。起きて早速で申し訳ないんですが、あたくしお腹が空いておりまして」
「少し待ちなさい、チカ。今用意しますから」
肩に乗ってくるチカのとめどないお喋りに付き合いながらキッチンへ。食料庫から餌を取り出して餌入れに入れてやる。そしてシュウは自分の食事をどうしたものかと考えて、その前に食料の買い出しをしなければならないことに気が付いた。
念の為に食料庫を覗いてみるも、十日の不在はその中身を悲惨なものに変えていた。駄目になった食材を片っ端からゴミ箱に放り込んで、冷蔵庫の中を覗く。空に近くはあるものの、まだ食べられるものが残っている……少し考えて、シュウは買い物ついでに街で食事を取ることに決めた。
そうと決まれば話は早い。身支度を済ませて出掛けることにしよう。チカに留守を任せて出掛ける決心を付けたシュウは、洗面所に向かうべくキッチンを出ようとしたところで、その報せを聞いた。
「そういやお昼のニュースなんですがね、ご主人様。シュテドニアスとの国境付近でテロリストたちだかに捕らえられていた人質が全員無事に救出されたと。もしかしてマサキさんたちですかね? でもあれ軍の連中がどうたらって話だった筈なんですが」
「後の事を内々で済ませる為に、表向きはテロリストの仕業ということにしたのでしょうね」
「情報統制ですか。はぁ。相変わらずやり方が汚いこって」
どうやらあちらも年内に片が付きそうだ。となると、早急にこの家の惨状をどうにかしない限り、新年早々、口煩い闖入者の説教とも愚痴ともつかない話に付き合わされることになる。洗面所に続く廊下の惨状をキッチンの出入り口から見渡したシュウは、そう考えてふふ……と笑った。
きっと愚痴々々云いながら、彼はこの家の大掃除に手を付けるに違いない。
「テロリストたちの確保はまだ?」
「そうですね。ニュースではそこまでは云ってなかったので、まだなんじゃないでしょうか。でも人質確保の報が出たってことは、報道規制が解除されたってことですよね。続報も出ると思いますけど」
「なら、時間の問題でしょうね」シュウは廊下に足を踏み出した。「ラジオは任せましたよ、チカ。私は街に買い物に出掛けます」
「大掃除はいかがなさるおつもりで?」
「やりますよ、当然。口煩い誰かさんに煩く言われない為にもね」
チカを振り返って云ったシュウは、そして廊下の奥へと姿を消した。