房中記

 地下にある独房に、捕虜となったマサキは放り込まれていた。
 床から伸びる一メートルほどの長さの鎖に両脚を繋がれ、両手を背中で固められた格好。歩き回ることは出来るが、脱出の為の行動を起こすのは難しい状態だ。
 腹減った。マサキは呻いた。
 独房に入れられてから早三日。小さな換気口がひとつと剥き出しの便器があるだけの無機質な房。身動きもままならない状況では、食べ物ぐらいしか楽しみがなかったが、流石に敵は充分な食料をマサキに与える危険性を理解しているようだ。一日に一度の差し入れ。しかも介助なしときては、床に這いつくばって食べるしかなく。
 これでは味もへったくれもない。
 捕虜の扱いについては国際人権委員会が条項を定めていたが、実際に守られるかは半々だった。国際人権委員会に強制力はない。破ったところで加盟国からの経済ペナルティぐらいだ。これでは非加盟国の捕虜の扱いが非人道的になるのも無理はない。
 国際条約に批准していない独裁政権の国では、自国民にさえ非道な扱いを躊躇わないらしい。反社会的と烙印を押した国民を収容しては、拷問を加えて死に至らしめる。それと比べれば、ある程度動き回れ、一食にせよ食事を与えられるマサキの待遇は、かなりマシな方であるのだろう。
「あー、まだかよ。腹減った。トイレに行きてぇ」
 両手を固められている状態でのトイレは非常に難儀だったが、尋問の際に介助を受けることが出来た。別室で行われる一日二、三時間ほどの尋問。身体に傷を残すような尋問を行うのは、後々国際社会で不利になることを理解しているからか。暴行や拷問を加えられることはなかった。
 当然のことながら、尋問の内容は多岐に渡った。
 敵はマサキが風の魔装機神サイバスターの操者であることをかなり重く見ているらしく、知りもしないサイバスターの機密やラングランの内情を問うてくる。答えようにも知らないものは答えられない。マサキは無言を貫いた。
 そもそも独立部隊であるアンティラス隊には、ラングランの内情に踏み込む必要性がない。サイバスターの機密にしてもそうだ。自転車の構造を知らなくとも運転が出来るのと一緒。マサキが知っているのはサイバスターの機能で、構造ではない。そう尋問官に伝えたが、その程度の理屈で説き伏せられては職務を遂行出来ないのだろう。時に諭すように、時に寄り添うようにマサキに言葉をかけてくる彼は相当に有能であるようだが、ないものを延々尋ねてくる辺り、真実を見抜く力は欠如しているようだ。
「あー、メシ……」
 床の上でマサキは寝返りを打った。両腕を固められている以上、仰向けでは寝られない。かといって、硬い床の上で同じ側をずうっと下にしていると、血行が阻害されるのだろう。手足が痺れ始める。
「なんとかしてこの鎖を解けないもんかね」
 床の上で芋虫のように蠢いてみるも、拘束具が緩む気配はなく。
 当たり前だ。尋問の度に、拘束具の点検があるのだ。緩んだ拘束具はその都度締め直され、マサキの両腕をきっちりと拘束した。
 はあ。マサキは大袈裟に溜息を吐いた。
 この二日間、マサキは大人しく房に繋がれ続けた。行動に大幅な制限がかかっているのは辛くもあったが、いずれ必ず仲間が助けに来てくれる筈だ。そう信じて耐えた。
 しかし三日を数えると、流石に疲労を感じるようになってきた。身体が弱り切るより先にここを出なければ。衰弱した身体でサイバスターの操縦は出来ない。早期に戦列に復帰する為にも、これ以上の衰弱は避けなければ。
 とはいえ、背中で拘束具によって固められている両手はぴくりとも動きはしない。参ったな。マサキは宙を見上げた。時計の独房に長くいる所為か、時間間隔も失せてきた。次の食事はいつなのか。尋問が行われるのはいつなのか。それが何時間後のことになるのかも、もうマサキにはわからなかった。だったら果報は寝て待てだと思っても、腹が空いてしまっているからか。少し寝ては目が覚めるを繰り返してしまう。
「くそっ」マサキは身体を起こした。
 どうにかしてここを出なければ。そうして離れて収容されている二匹の使い魔と合流して、サイバスターを奪還しなければ。焦る気持ちがままに立ち上がり、鎖が繋がれている壁を蹴る。絶対に、受けた恩は倍にして返してやる。そう自らの気持ちを奮い立たせた矢先だった。
 目の前を小さな影が横切った。
 ついに幻覚まで見るようになったか。虫一匹入り込めない独房の造りに、マサキは自らの精神の異常を疑った。その瞬間だった。こっちですよ。房の隅から小さく、聞き慣れた声が響いてくる。
「こっち、こっち。マサキさんここまで来られます?」
 口喧しいローシェンが房の隅に身を寄せている。
 どうやら換気口から入り込んだようだ。マサキは鎖を引き摺ってチカの許に向かった。幸い位置的に、鎖がぎりぎり届く場所であるようだ。お前、何で。マサキは腰を屈めてチカを見た。
「そりゃ目的なんてひとつに決まってるじゃないですか」
 そう云ってチカが羽根をくちばしに当てて笑った直後、ドゴォンという轟音とともに、房の入り口を塞いでいた鉄扉が吹き飛んだ。

※ ※ ※

 敵は用心深い性質であったようで、マサキが単独で逃げ出した際に備えて、サイバスターを別の土地に移していたようだ。あなたの仲間にはそちらに向かってもらっています。捕虜収容所の番兵たちをひとり残らず魔法で薙ぎ倒した男は、マサキと二匹の使い魔をグランゾンに同乗させるとそう云って、何が可笑しいのやら。クックと嗤った。
「今頃、あちらの番兵たちも結構な目に合っていることでしょうね」
 その様子を想像したということなのだろうか? タオルに包りながら、マサキは一風変わった感性を持つ男の不穏な笑みの理由についてあれこれ想像を巡らせた。思いがけず人道派な彼のことである。単純にマサキの扱いが耐え兼ねたのか……それとも、自分に匹敵する能力を有するマサキが簡単に敵の手に落ちたことが耐え難かったのか……しかし、どれもしっくりとこない。単身、捕虜収容所に乗り込んできたぐらいである。シュウがマサキが捕虜となった事実に怒りを感じているのは間違いないようだが、それにしても怒りの度合いが強過ぎる。
「彼らと合流する前に、あなたの衣装を調達しに行きましょうか」
 歩き回れはしたものの、行動に制限が多かったマサキの服――特に下着――は湿ってしまっていて、潔癖なこの男をいたく不愉快にするのではないかと、マサキ自身はびくついていたのだが、事情が事情であるからか。シュウはあまり気にしてはいないようである。
「洗って乾かせば着れるだろ」
「捕虜になっていた時に着ていた服を着続けるのも、気分のいいものではないでしょう」
「そこまで酷い扱いをされた訳じゃねえしな……」
「そうでしょうかね」
 独房に姿を現わしたシュウがマサキを目にした瞬間の表情を、マサキは忘れられそうにない。
 数を増した眉間の皺。険しい顔つきでマサキに歩み寄った彼は、即座にマサキの拘束具を外してその自由を確保してみせると、辺りを窺って、臭気が漂う独房の劣悪な環境に怒りを露わにした。
 ――こんなものは壊してしまいましょう。
 捕虜収容所を出たシュウはマサキが止めるのも聞かず、グランゾンの砲撃で番兵ごとその建物を吹き飛ばしてしまった。
「トイレにひとりで行くことも叶わず、食事も碌に与えられずで、ましてや連日の尋問とあっては、重篤な人権侵害が行われたと見做すより他ないのですが」
「戦場に立てば死ぬ人間が出る。それと比べりゃ命があるだけマシだろ」
「甘過ぎますね、あなたは」
 進路を近い街に取ったシュウが、どこか蔑むような眼差しをマサキに向けてくる。
「自らの人間としての尊厳を奪われて、それでも尚そうと口に出来るのであれば、あなたは相当に頭がお目出度く出来ている」
「生きてりゃどうにかなるんもんだ」
「あなたはそうでも私はそうは思いませんよ」
 彼の目の際に姿を捉えられたマサキは、ぞっとするような寒気を背筋に感じた。怒りに限りがないような彼の物云いは、このまま最後までマサキたちの戦いに付き合ってみせるのではないかと思うぐらいの勢いに満ちている。
 当の本人たるマサキを差し置いてこの態度では、マサキの怒りも収まろうというもの。
 何より、捕虜収容所はもうないのだ。ないものに怒りの矛先は向けられない。だからマサキはシュウに尋ねることにした。シュウが抱いている激しい怒りの理由を。
「まあ、いい。怒るなら勝手に怒れ。けど、お前、何でそんなに怒ってるんだ?」
 瞬間、えー……と、彼の肩で羽根を休めているチカが驚くような声を上げた。
「何だよ。お前は理由がわかるってのかよ」
「いやー……その……マサキさんが他人の感情に鈍感だっていうのはわかってましたけど、この期に及んでそんなことを云い出すとは思いもしませんでしたよ」
 チカの言葉にマサキは首を傾げた。
 何を云いたいのかがさっぱりわからない。確かにマサキは人の心の機微に疎かったが、それとシュウの怒りに何の関係があるというのか。
「わからないのであれば、それで結構ですよ」
 呆気に取られているチカの言葉を引き継ぐように、シュウが言葉を吐く。
「あら、寛大ですこと」
「わかって欲しいとも思っていませんしね」
 そう云って意味ありげにマサキを見たシュウは、マサキの返事を期待していないようである。
「何だよ……気になるじゃねえか……」
 けれどもその呟きに返事はない。
 目的地たる街に着いたのだろう。グランゾンを停めたシュウが、少し待っていなさい。そうマサキに告げて、チカとともに地上に降りてゆく。会話の途中で放り出される形となったマサキは、何なんだ、あいつ。そう云いながら、彼が戻ってくるまでの時間潰しと、訳知り顔でいる二匹の使い魔に向き直った。

リクエスト「捕虜として敵地で捕まっているマサキが見たいです。」