いつも気紛れに訪れるその家は、何故かいつも鍵が開いていた。
不用心だとマサキが云えば、家主たる男は自分が家に居る時だけだと笑った。あなたが縮こまって誰かの家の玄関を潜るところが想像出来ないのですよ。と、その理由を述べた男に、おかしなヤツだと苦笑ながらも、マサキは確かに自分がこの男の出迎えを受けるのは不自然だと思わずにいられなかった。
シュウ=シラカワ。元王族である彼は、慇懃無礼が服を着て歩いているような人間だ。先ず、素直に誰かに頭を下げるということをしない。負けん気が相当に強いのだろう。自信家である彼は、人にものを頼むのでさえ避けたがる傾向がある。
そういった男が、自ら来客を出迎える姿をだからこそ見たくない。
少しでも意に沿わない言葉を耳にすれば、即座に嫌味や皮肉で迎え撃つ。マサキに対して特にその傾向が顕著なシュウは、けれども来客としてのマサキには妙に優しかった。自然と弾む会話。お茶にお菓子だと甲斐甲斐しく立ち回る彼に、最初の頃のマサキは大いに途惑いを覚えたものだ。
その上、玄関にまで出迎えに出られては――。
人には天から授けられた役回りというものがあるのだ。彼は誰かを従えている方が似合っている。マサキはだからこそ、彼に恭しく持ち上げられるこの家での時間にある種のいたたまれなさを感じていた。
「それニャのに、何でここに足を運んでいるのかしら?」
「マサキも大概、天邪鬼ニャんだニャ」
その理由は、マサキ自身も良くはわかっていなかった。彼に優しくされることにいたたまれなさを感じているのに、同時にその時間に心地良さを覚えてしまってもいる。でなければ、どうしてこうも彼の家に足を運んでしまったものか。
「まあ、あいつが出してくる菓子は美味いしな……」
「ニャあに、それ。結局食べ物?」
「花より団子ニャんだニャ」
雑然とした街を走る道を縫うように進むこと、暫く。二匹の使い魔の言葉をBGMに、シュウの家の前に立ったマサキは、ダイニングの窓が開いていることを確認してから玄関扉に手を掛けた。
今日もその扉には鍵が掛かっていないようだ。
さも当然のように開くドア。おい、シュウ。入るぞ。今となっては出迎えに出てくることもなくなった家主に呼びかけながら、マサキはずかずかと彼が居るリビングへと上がって行った。
「あら、マサキさん。ようこそ」
テーブル上でテレビと向き合っていたチカがくるりと首を回してくる。
「どうぞ、ごゆっくり」
それだけ云ってテレビに視線を戻した彼に、気味が悪いな。マサキは呟いた。
口達者なチカは、喋っていなければ死ぬぐらいの勢いで言葉を紡ぐ。それがこの静けさ。テレビの音だけが流れているリビングに、マサキはテレビの反対側にあるソファに視線を向けた。
そしてチカが静かな理由を悟った。
そこを定位置にしているこの家の家主たるシュウは、腕と足を組んで午睡の真っ最中だった。
「何だ、寝てるのか」
寝ている姿でさえも尊大な男に、溜息のひとつも洩れる。マサキは二匹の使い魔とともに彼の隣に陣取った。
おい、シュウ。声を掛けながら、隙のない顔に手を伸ばして鼻を抓む。微かに肩が震えたかと思うと、次いで開かれる瞼。ああ、マサキ。額に手を当てて頭を幾度か振った男に、寝不足かよ。マサキは尋ねた。
「王立大学から届いた研究紀要を読んでいたら、明け方近くになってしまったのですよ」
「良くわからねえが、お前が趣味で寝不足なのはわかった」
マサキのぞんざいな態度や口調にもすっかり慣れたようだ。まあまあ当たりです。そう云って口元を緩ませた彼がソファから腰を浮かせつつ、何か飲みますか。と、マサキに尋ねてくる。
「いい。自分でやる。座ってろ」
寝不足な男を自分の都合で立ち回らせることに、申し訳なさを感じるぐらいの良心はマサキにもある。お前は何を飲む。そう云ってソファから立ち上がった瞬間、ジーンズの後ろポケットから顔を覗かせていたキーケースが床に転がった。
「大事なものでしょうに」
足元に転がり落ちたキーケースをシュウが拾い上げる。そしてその口から顔を覗かせているディスクシリンダー錠に目を留めたようだ。首を傾げながら、「ラングランではこのタイプの鍵はもう使われていない筈ですが」
「実家の鍵だよ。こっちに召喚された時にポケットに入っててな。何となく捨てるのも違う気がして、持ち続けちまってるんだ」
「そろそろ錆が目立ち始めていますね。そういう由来の品であれば、大事にした方がいいでしょう。磨きましょうか」
「いや、いいんだ。このまま錆び付いて、俺が気付かない内になくなる方がいいだろ。今となっちゃどこの扉も開けられない鍵なんだし」
「あなたは時々、酷く退廃的になる」
手を差し出してきたシュウからキーケースを受け取ったマサキは、頭を覗かせているディスクシリンダー錠をその中に押し込んだ。
何処かで自分の知らない内になくなればいいと思っているのに、自ら手放すことの出来ない実家の鍵。キーホルダーのフックに掛けることも出来ぬ鍵を、マサキは自分が大事にしているのか、持て余しているのかわからなくなってしまっている。
「とうに人の手に渡っちまった家だ。むしろ今まで持ってる方が気持ち悪いと思うぜ」
「思い出の品にいいも悪いもありませんよ」
「思い出ねえ」マサキは乾いた笑い声を上げた。「むしろ要らぬ執着心って云うんじゃないかね」
「そう云われると納得がいきますね」
何がだよ。マサキはソファから腰を上げたシュウを見上げた。
「執着心だから捨てたいのでしょう。その気持ちはわかりますよ。特にもうないものが対象とあっては」
呟くように口にしたシュウがダイニングを折れて奥へと姿を消す。
あいつはまた観念的なことを。そう思いながらダイニングの奥のキッチンに立ったマサキは、結局何を飲むつもりなのか聞けなかったシュウの為に紅茶を淹れ、そして自分の分と、粉を溶いてアイスコーヒーを作った。
リビングに戻り、一羽と二匹の使い魔とテレビを見ながら話すこと暫し。片手を握ったシュウが再びリビングに姿を現わした。
「遅えよ。もう冷めちまったぜ。お前の紅茶」
「何処に仕舞ったか忘れてしまっていたものですから」
マサキの隣に腰を下ろしたシュウが、その手首を掴む。
「何だよ」
「手を開いて、マサキ」
その言葉に、マサキは手のひらを開いた。続いて掴まされる金属製の物体。重ねられたシュウの手が離される。マサキは微かに目を見開いた。真新しく映る家の鍵は、きっとずっと仕舞い込まれていたからだろう。まるで鏡のように輝いている。
「お守りです」
「何処の鍵だよ」
答えなど聞かずとも知れるものを、それでも確認せずにはいられなかった。
「この家の合鍵に決まってるでしょう」
至極当然と答えを口にしてのけたシュウに、何故か胸騒ぎを覚えながら――マサキはその鍵を付き返せもせず。自らのキーケースのフックに吊り下げた。