時の過ぎゆくままに

「愛とか恋とか、よくわかんねえよ……」
 呻くように言葉を吐き出したマサキがかぶりを振る。
 街の片隅。建物で死角となる路にマサキを誘い込んだシュウは、何度目かの口付けの後に、何で――と、ようやくその意味を尋ねてきたマサキにこう答えた。好きですよと。
 それに対する返しだった。
 わかってはいたことだったが、自らの感情を言葉にするのが苦手な少年は、その分だけ、自らの感情の正体に疎いようだった。勿論、シュウはマサキが自らに抱いている感情が、好ましいものだと限らないことぐらいは承知している。さりとて、不思議なことに、どうやらそれは嫌気を感じさせるものでもないようだ。
 人の感情はその時々で左右に振れるものだ。
 或る時は愛おしく感じていたものが、或る時は憎たらしく感じられることもある。目指すべき道標みちしるべとなることもあれば、ただ羨ましく感じられることもあるだろうし、或いは妬ましく感じられることもあるだろう。だからこそシュウは、自らが仕掛けた口付けを黙って受け続けるマサキに、それ以上その感情を尋ねることを控えた。
 長く周囲の女性たちに想いを向けられながらも、その気持ちに応えることをしてこなかった少年は、きっと思春期の感情の迷路に迷い込んでしまっているのだ。訳もなく暴れ出したくなり、訳もなく悲しくなり、訳もなく感傷に浸る。豊かな感情表現はそうしたままならなさの発露でもある。シュウはマサキの幼さを、そういったものであると捉えていた。
 自分という存在が未分化な状態にある少年に、確かな答えを求めることほど愚かなこともない。それだったら、せめて極上の愛の言葉を捧げようではないか。シュウは俯き加減なマサキの両頬に手を置き、その顔を仰がせた。
 途惑いがちな瞳が、今一度、口付けを期待した様子で伏せられる。
 わからないことはわかるまで待てばいい。但し、わからせる努力を欠いてはならない。
 シュウはマサキの耳元に口唇を寄せた。その熱が感じられるまでに近く、舌先が触れてしまいそうな距離で、そうして密やかに囁きかける。
 ――そういったあなたも含めて、全てが愛おしい。
 ぴくりと震えた身体が、ややあって、顔を剝がしたシュウに向き直る。嘘ばかり吐きやがる。けれども微かに口元に浮かんでいる笑み。不敵に笑ってみせるマサキは、手練手管を使いこなすシュウよりも遥かに上手うわてだ。
 もしかしたら、誰かに想われることに慣れきった少年は、シュウの想いさえも有象無象のひとつとして受け流してゆくのやも知れない。そう、それは、まるで駆け引きを知り尽くした恋の覇者のように……マサキの笑みはそう感じさせるに充分なまでに、大人びたものとしてシュウの目には映った。
「でも、嫌じゃねえよ……」
 それはシュウが想いを告げる言葉に対してであるのだろうか? それとも、口唇を重ね合わせる行為に対してであるのだろうか? シュウには考えが及ばないままだったけれども、いずれにせよ、マサキはシュウが考えているほどに、シュウ=シラカワという人間を嫌っている訳ではなさそうだ。
 あなたには敵わない。シュウは声を殺して嗤った。
 愛や恋をわからないと一蹴した人間が口にするには、無防備に過ぎる。マサキの無邪気さは、だからこそ、シュウの心を掴んで離さないのだ。そしてだからこそ、その手を掴まずにいられない。ゆっくりと、口唇を落としたシュウの温もりを受け止めたマサキの口唇が、薄く開く。誘いかけるような彼の仕草は、きっと、人の温もりに飢えているからなのだ。そう自分を納得させようとしても、消せない期待。
 愛欲が絡み合う人間相関図の中を、水を得た魚のように動き回るマサキの姿がどうして想像出来ようか。
 ――他人の心を弄ぶことなく、恋愛に不慣れで不器用なままでいて欲しい。
 シュウの願いを知ることのないマサキは、けれどもシュウの感情を飲み込むように、口の中。次の瞬間には、刺し入れられるシュウの舌を深く受け入れていく――……。

君に恋したあの日から。
シュウとマサキへのお題【「せめて極上の愛の言葉を」/君にだけは敵わないよ。/「恋とか愛とか、よく分からないんです」】