最後のひとかけら

「腹が減った……」
 マサキは正面モニターに映る外の景色を眺めた。
 右を見ても、左を見ても、白く染まった山肌が続く。レーダーがまともな反応を返さなくなって大分経つ。最早、何処の地域に居るのかさえも不明だったが、山岳地帯に迷い込んだのだけは間違いなかった。
 行けども行けども途絶えることのない山々。ちらつく雪がより堅牢な壁となってマサキの往く手を阻んでいるようだ。もう、丸一日以上ここで迷っている。絶望的な状況にマサキは溜息を吐くことも忘れて、ただ本能が赴くがまま、食べ物を求めて、ジャケットのポケットの中へと手を彷徨わせていった。
「食べられるものがあるといいんだニャ」
「マサキもう一日以上ニャにも食べてニャいのよ」
 不安げにマサキの顔を覗き込んでくる二匹の使い魔に、けれどもマサキは気を配る余裕もない。無言のままポケットの奥へと、更に指を滑り込ませてゆく。
「何かあるな。ゴミか?」
 指先に何かが当たった。感覚からしてどうやらアルミホイルのようだ。マサキは気色ばんだ。もしかしたら食べ物かも知れない――と、急いでアルミホイルの塊を取り出してみる。だが、出てきたのは、アルミホイルに包まれた食べ終わりも間近な板チョコの欠片だけだった。
「チョコレートニャのね!」
「ないよりはマシニャんだニャ!」
 二匹の使い魔はそうポジティブな言葉を発してみせるも、マサキの絶望は増すだけだ。
 量にすればひと口。
 これを果たして今、安易に口に入れてしまっていいものか。マサキは悩んだ。
 普段は優秀な二匹の使い魔は、こと道案内となるとマサキ同等の能力を発揮してみせた。西だと云われて進んでみれば北に出たし、南だと云われて進んでみれば北東に出る。とにかく当てにならない。彼らに任せて目的地に素直に辿り着けた試しなどなかったマサキは、だったら自分の力で迷った方がまだマシだと、今回も自力で王都を目指していた。
 それがこの結果を招いてしまった。
 何をどうしても出られる気がしない山岳地帯。州境を越えてしまっているのは間違いない。それどころか国境を越えてしまっている可能性すらある。他国の巡回機に見付かろうものなら厄介な事になるのは必死だ。その前にどうにかしてここから抜け出さなければと思うものの、腹が空き過ぎたからか。サイバスターを操縦をするだけの力が出てこない。
 参った。マサキは宙を仰いだ。
 非常用に積んでいた食料は底を尽いている。つまり、マサキが食べられるのは、今見付かったばかりのこのチョコレートの欠片しかない。この程度で力が出たものか。マサキは操縦席に身体を埋めた。ハンバーグ、唐揚げ、焼き魚。食べ物の映像ばかりが次々と浮かび上がってくる脳内に、苛立ちが募る。
 腹が減った。マサキは再び言葉を吐いた。
 小さく迷うのは日常茶飯事だったが、ここまで盛大に迷うのは数ヶ月に一度ぐらいだ。それがよもやこのタイミングで起こってしまうとは。マサキはそもそもの目的を思い返した。おとといのサイバスターの点検作業で気付いた非常用食料の不足。その補充の為の買い出しをするのに家を出た筈だった。
 それがこの有様。
 つくづく運が付いていない。
 いや、逆に考えれば運命に愛されていると云うべきか。マサキは自らの身に降りかかった奇禍の数々を振り返った。アンラッキーな出来事ばかりだが、他人の身にはそうそう起こり得ない経験ばかりしている。
「もしかすると、俺って滅茶苦茶運が悪いのか……?」
 これで運がついている筈がない。マサキは思い出してしまった悲惨な記憶の数々に、思わず口に出して我が身の不幸を尋ねていた。
「駄目ニャのよ、マサキ! そんなこと云わニャいで!」
「大丈夫ニャんだニャ! これまでだって迷っても無事だったじゃニャいか!」
 思いがけない主人の後ろ向きな反応に、二匹の使い魔が慌てふためく。
 腹が空き過ぎているのはわかっていた。こういう時は後ろ向きな思考になり易い。それでも口に出さずにいられない。マサキの空腹はとうに限界を迎えていた。
「いざとニャったらおいらたちを食べるんだニャ!」
「そうよ、マサキ! あたしたちだったら大丈夫ニャのよ! 魔法生物ニャんだし!」
「どうせ次に生まれてくるおいらたちも、このおいらたちニャんだニャ!」
「だから大丈夫ニャのよ! いざとなったら遠慮なく食べていいニャのよ!」
 膝の上に乗り上がってきて、交互に言葉を吐き続ける二匹の使い魔にマサキは小さく笑い声を立てた。
 落ち込む暇も余裕も与えてくれない二匹の使い魔。けれども窮地に追い込まれた今のマサキにとっては、彼らのその気遣いは骨身に染みるほどに有難く感じられた。
 彼らがいてくれて良かった。独りで物事に対処をするのが当たり前だった過去。それから比べれば、どれだけ今のマサキは恵まれた環境にいることか!
「獣は毛の処理が面倒なんだよ」マサキはチョコレートを抓み上げた。「これ食ったら行くぞ。本当に力が尽きない内にここから抜け出さないとな」
「了解ニャ!」
「頑張るニャのよ!」
「よし、行くぞ!」
 マサキはサイバスターの起動準備セットアップを開始した。口に含んだチョコレートが、これまで食べたどのチョコレートよりも美味しく感じられる。絶対に脱出出来る。強い予感とともに、沈黙を貫いていた計器類に明かりが灯り、コントロールルーム内が一気に賑やかさを増す。
 瞬間、激しい振動が大地を揺らがした。
 サイバスターのものとは異なる駆動音。これだけ派手派手しい音を立てる機体は、ラングラン広しと云えども数に限りがある。わけてもマサキの窮地に計ったように姿を現してみせる機体ともなれば、ほぼほぼ一機に限られたようなものだ。
「マサキ、一時の方向!」
「この出力はアレニャのよ!」
 限られた存在の中でも特に厄介な機体。二匹の使い魔の声にマサキがその姿を脳裏に思い浮かべた刹那、その予感は正しいとばかりに山間やまあいから姿を現したグランゾンが、マサキたちの許へと白煙を上げながら近付いてきた――……。

※ ※ ※

 かくてシュウに助け出されたマサキは、その後、近くの街で、腹が膨れる程の量の食事を彼に奢ってもらい、ついでに山のような小言も頂戴することとなったのだが、好きで迷っている訳ではないマサキにとっては馬事東風。
「これだから、マサキさんの方向音痴が、いつまで経っても治らないんじゃないですかねえ」
 主人の行動に思い当たる節があるらしいチカがそう云うのでさえも、片耳で聞き流しながら、それでも多少ばかりは態度もしおらしく、マサキはシュウに送られながら帰路に就いたのだった。