通りかかった先で偶々目にしてしまった光景に、シュウは目を瞠った。
「あらあら、どういった用事でしょうね。最近は地上との関りも薄くなったと思っていましたが」
チカの云う通り、地底世界と地上世界はその関わりを薄くしつつあった。
第一世代であるマサキたち地上人操者たちの強大な気は、地底人たちの本能を呼び覚ます効果があったようだ。本能に劣り、理性に勝る筈の地底人たちはこぞって争いを繰り返すようになり、その結果、これまで埋もれていた傑出した戦闘能力を有する者たちが日の目を見ることとなった。
その一部は魔装機神操者たちの協力者として、まだ第二世代の魔装機操者として、各地で治安維持の任に当たっている。
彼らが育ちつつある昨今、ラ・ギアス世界は能動的に地上世界に関わる理由を持たなくなった。ましてやシュウには自らが時間をかけて構築した強大な情報網がある。マサキが地上に赴かなければならない政治的な理由が存在しているのであれば、とうにその情報を背景も含めてシュウは掴んでいることだろう。
そうでない以上、今姿を消したばかりのサイバスターとマサキは、私用で地上に向かったということになる。
虹色の光に包まれて揺らぎながら時空の壁を超えていったサイバスターは、きっとシュウという目撃者がいることに気付いていなかったに違いない。随分堂々と地上に転移してみせたものだ。そう思いながらも、シュウは地上世界に未練を抱いていないように振舞うマサキが向かう目的地に対する好奇心を抑えきれなかった。
「行きますよ、チカ」
「ご主人様、好奇心は猫をも殺すって言葉をご存じで?」
呆れた風に言葉を吐くチカを無視して、地上への転移システムを起動させる。
流線形に歪む正面モニターの世界。違法薬物を摂取したかのようにサイケデリックな視界は、さしものシュウであっても慣れられそうにない。なるべく目の焦点を合わせないようにしながら待つこと一瞬。すぐさま地上世界の上空に転移を果たしたグランゾンに、レーダーを確認してみれば、ぎりぎり反応が見出せる位置にサイバスターは居るようだ。
シュウはマサキに気取られぬように、距離を保ちながら慎重にサイバスターを追った。
ややあって、都市部から少し離れた郊外の上空でサイバスターが動きを止めた。シュウはサイバスターの再起動を待つことにしたが、暫く経っても動き出す気配がない。どうやら地上に降りたようだ。そうマサキの行方に見当を付けたシュウは、恐らく緊急時に備えて残されているだろう二匹の使い魔にコンタクトを取った。
「ニャ? ニャんでお前がここにいるんだニャ!?」
「まさかあたしたちの後を付けてきた、ニャんてこと!?」
通信モニターの向こう側で目を剥いている二匹の使い魔にマサキの行く先を尋ねるも、当然ながら簡単には口を割りはしない。頑なに主人のプライバシーを守ろうとする彼らに、詰問は却って毒だ。シュウはセニアへの口利きを餌に、彼らから情報を引き出すことにした。
「うう……卑怯ニャんだニャ……」
「帰ったら大目玉だってわかっててやってるのね……」
どれだけ口が堅い彼らにしても、主人が怒られるのは避けたいと見える。暫く悩んでいた彼らが重い口を開く。どの方面に向かったのかという大まかな位置だけではあったが、こうして無事に彼らから情報を引き出すことに成功したシュウは、グランゾンをチカに任せて自らもまた地上に降下することにした。
「なるべく早く戻って来てくださいね!」
覚えのある土地は、DC時代の土地勘がまだ働いていることを示していた。
懐かしくもほろ苦い思いに囚われながらシュウは駅に向かった。マサキの二匹の使い魔の言葉を信じるのであれば、彼は都市部のとある地区に向かったようだ。
乗り継ぎは二回。方向音痴な彼が素直に辿り着けるとは思えない道程に、どこかでは追い付けるだろうと思いながら電車に揺られること四十分ほど。駅のホームに降り立ったシュウは、後続の電車にマサキがいないかを確認しながら、続けて三十分ほど待ち続けた。
果たして彼は、遅れて駅に到着した。遠くにあってもひと目でそれとわかる気。地底世界からシュウが追ってきているとは思ってもいない様子でホームから改札に下りてゆくマサキに、シュウはそれでも警戒を緩めず、距離を保って後を付いて行った。
改札を抜けて、バス停へ。
流石にこの距離では気付かれそうだとシュウはタクシーに乗った。人生初のシチュエーションであるのだろうか。前のバスを追ってくれと頼んだシュウに、どこか弾んだ声であれこれ尋ねてくる運転手。その対応に苦慮しながら、タクシーに乗り続けること十分ほど。目立つ施設は学校ぐらいな住宅地の近くでマサキが下車する。
まさか――と、思いながらシュウもまたタクシーを下りた。
迷いを見せずに学校へと近付いてゆくマサキが、校門で咲き誇っている桜の下で足を止めた。懐かしさと心残りが入り混じったような眼差し。黙って桜を見上げているマサキに、無粋だとは思ったものの、シュウは黙ってはいられなかった。
マサキ。と、名を呼ぶ。
どうやらシュウの存在に気付いてはいたようだ。驚く様子もなく振り返ったマサキが、母校だよ。と、呟く。
「卒業出来なかったな、ってふと思い出してさ」
逞しくも太々しく。そして、真っ直ぐに。純粋な願いを胸にラ・ギアスで前に進み続けている彼からは、無邪気な少年時代は想像し難い。
果たして彼はどういった少年時代を送っていたのか。それについて尋ねていいものか、シュウは逡巡した。桜を見上げるマサキの横顔からは未練は感じられなかったが、取り戻せないものを懐かしんでいるような様子が窺える。
シュウは何も云わないことにした。
シュウが誰にも触れられたくない記憶を抱えているように、マサキにも触れられたくない記憶はあるに違いない。そう、誰にだってそういった記憶が少なからずある筈だ。シュウは沈黙を続けた。マサキも特に急いて言葉を吐くような真似はしない。
シュウが知らない時代の安藤正樹。彼はもしかすると、こういった表情をしながら学校に通っていたのやも知れなかった。蓮っ葉な、けれども大人びた――そして、あらゆる人々にそれぞれの解釈を与えるような表情をして……。
彼の心の奥底に仕舞われている記憶。それがどういった性質のものであるかは、シュウの明晰な頭脳をもってしても予想は付けられなかったが、桜が満開の校門はその端緒であるような予感を感じさせる。
「花見がしてぇな。付き合えよ」
ややあって、視線を下ろしたマサキがそう云って笑った。
全ての煩悩を取り払ったような穏やかな笑い顔。時に表に現れる彼の人生を悟りきった態度が、シュウは決して好きではなかったが、今日ばかりはそれについては何も云うまい――。そう決意して、浮かんだ言葉の数々を喉の奥に収める。
そして、ええ。と、頷くより先に前を行き始めたマサキに、シュウは肩を並べて歩んで行くことにした。