そろそろ陽気が向いてきたからという理由で、サフィーネたちから海へのバカンスをせっつかれたシュウは、自らが海に入らずに済むのであれば構わないときつく云い含めた上で、彼女らとともに州を跨いだ南洋へと向かうことにした。それだけなら平穏無事に済んだ話がそうならなくなったのは、ビーチに辿り着いたところで、同じく海にバカンスと洒落込みに来たらしいマサキたち魔装機操者たちと鉢合わせをしてしまったからだ。
――これはアレじゃないの? マサキ、シュウと示し合わせたんじゃないの?
どうしてそういった話に方向が向かったものか、シュウにはさっぱり理解が及ばなかったものだが、恐らくはその偶然の邂逅が穿った考えに陥り易い女性陣の妄想力に火を点けたのだろう。全てを列挙するのも馬鹿々々しい妄言の数々をシュウは軽く受け流したものだったが、何の脈絡もなくシュウとの関係を邪推されたことがマサキには気に入らなかったようだ。すぐさまさっさと行けとばかりに引き連れてきた仲間たちを海へと追い立ててしまった。
それから続く沈黙。サフィーネたちも機嫌を損ねたマサキの側にいるのは嫌とみえて、とうに海へと出てしまっている。手伝えと云われて組み立てたビーチパラソルとテーブルセット。海辺に並んでいる色とりどりのパラソルの隙間にそれを収めたマサキとシュウは、めいめいその下に陣取って、無言の時を過ごしていた。
気まずくはないものの、退屈な時間。
帆布が貼られた椅子に軽く腰掛けて、海に向かって口唇を尖らせて拗ねているマサキが、ようやくいつまでもそうしていたところで、誰も自分を慰めてはくれないのだと気付いたのだろう。はあ、と溜息をひとつ吐くと、ウッドテーブルの上に置かれたアルミ製のカップに手を伸ばした。
そして中に並々と注がれているオレンジジュースを一気に半分ほど飲み干すと、足元のクーラーボックスからペットボトルを取り出してくる。半分ほどになっているペットボトルの中身をカップに新たに注ぎ足しながら、何であいつらいつもああかね、と同意を求めるようにシュウに話しかけてきた。
「単純に面白いからでしょう」
「何の切欠でも云い出すのがうぜぇ。揶揄うにしてもやり方ってものがあるだろ。俺だけならともかく、相手があることをああだこうだ弄るのはな。相手に対して失礼だ」
それもそうだ。と、対面のマサキから視線を外したシュウは海を眺めた。騒いだ張本人たちと来た日には、それをすっかり忘れた様子で、ビーチバレーやゴムボートと、海水浴に日光浴とめいめいに海でのアクティビティを楽しんでいる。
これではマサキとて口を尖らせて拗ねようというもの。そしてだからこそ諦めてしまおうとも思おうというもの……シュウはマサキに視線を戻した。お前も飲むか、とオレンジジュースの入ったペットボトルを差し出してくるマサキに、少しだけとカップを差し出す。
「それにしてもあなたがそんな風に考えていたとはね、マサキ。私に気を遣ってくださっているとは思ってもいませんでしたよ」
半分ほど注がれたオレンジジュースに口を付ける。そこそこ果汁が入っているのか、酸味の中に感じる仄かな甘み。紅茶で割っても良さそうだ。そんなことを考えつつ、マサキにそう言葉をかければ、当たり前だろと云ってテーブルの上で頬杖を付いた。
愛くるしい顔だ。とシュウは思う。
黒々とした大きめの眼に白目が筋を引く三白眼。目は口ほどに物を云うとは良く云ったものだが、マサキに関してはそれが顕著だ。無造作に流している不揃いに切り揃えられた前髪の下。くるくると表情を変える瞳が、今は半目がちにシュウを眺めている。
つんと上を向いた小鼻や厚めの口唇とひと揃いになったマサキの顔は、美しいと手放しで褒められるような造りではなかったものの、見た者の心に強い印象を残す個性に溢れている。そう、まさにファニーフェイス。口を尖らせて拗ねていた先程の表情などは、年齢的なものもあるのだろうか。シュウにとっては思いがけず可愛らしく映ったものだ。
きっと、普段のふたりの付き合いでは見れない表情であるからだろう。
そういった表情を仲間には惜しげもなく晒しているのだと思うと、シュウの胸は微かに痛んだものだが、それこそが付き合いの長さと密度の違いでもある。そう自分に云い聞かせて騒ぐ胸を鎮めたシュウは、いつしか自らの胸に深く棲むようになった目の前の少年との付き合いを振り返りながら、ふふ……と笑った。
「何だよ。急に笑って」
「あなたとの付き合いを振り返っていたのですよ、マサキ。思えばこんな風に穏やかな環境で、あなたと顔を合わせる機会にはそう恵まれなかったですね。いつも戦いの迫る場でばかり会っていたような気がしますよ」
「まあな……でも、仕方がないことだろ。お前と俺じゃ住んでる世界が違う。立場や目的だってそうだ。そうなれば付き合う人間の質だって変わるだろ。日常的に顔を合わせる関係になるのは難しいだろうよ」
そこでどうやらマサキは先程の出来事を思い出してしまったようだ。あいつらの口をどうやったら塞げるかな。溜息混じりに呟いたマサキに、そこまで深刻にならなくともいいのでは、とシュウは言葉を返した。
「彼女らにとっては、あれもあなたとのコミュニケーションの手段なのでしょう。あなたはどこか他人を寄せ付けない空気がありますからね。ちょっとした切欠でも引き寄せないことには、そう易々と話が出来ないと感じているのかもしれませんよ」
「絶対嘘だろ、それ。あいつらいつも人のことを揶揄ってばかりだぞ。若しくは保護者気取りか何か知らないが、やたらと人のやることやなすことに口を出してきたり。後ははちゃめちゃに騒いでみせるか……」
どこかで止めなければならないと感じてしまうまでに日頃の鬱憤を吐き出し続けるマサキに、けれどもシュウは言葉を挟まずにいた。
近しい関係の人間に対して、好ましい感情だけを向けられる人間は稀だ。近くなればなった分だけ、不満を感じ易いポイントも目に付くようになる。仲間と密な付き合いを続けているマサキには、もしかしたらそうした不満を忌憚なく吐き出せる相手がいないのかも知れない。そう思ったからこそ、シュウはマサキの愚痴を最後まで聞き続けた。
「悪い……お前に聞かせることじゃなかったよな、こんな話」
やがてマサキは、シュウがひと言も口を挟まずに、己の一方的な愚痴を聞き続けていることに気付いたようだ。そう云って突然に話を止めると、シュウの視線から逃れるようにそっと顔を伏せた。
気まずさを感じているのだろうか。手元のカップを揺らしながら、波立つオレンジジュースの表面を眺めているマサキに、決して彼の愚痴に嫌気を感じていた訳ではなかったシュウは、そこだけは伝えておかねばとその名を呼んだ。何だよ、と返ってくる声。けれども顔を上げようとはしない。まあ、いい。シュウは言葉を継いだ。
「私は別に構いませんよ。あなたとて、偶にはそういったことを誰かに吐き出したくなるのでしょう。そもそもあなたたたちの付き合いは公私に渡る。仲間の中から誰かひとりを選んで愚痴を吐くにしても、その誰かが口を噤んでいてくれるとは限らないでしょうし」
「とは云ってもな……相手に対する不満は、自分の力で変えていかなきゃいけないだろ。誰かを選んで愚痴愚痴云うだけじゃ何も変わらねえ。それって結局の所、ただの陰口じゃねえか」
「誰かの在り方を自分が変えられると思っているのだとしたら、それは思い上がり以外の何者でもありませんね。彼女らはこれまでの経験で構築してきたものがあるからこそ、ああした人間性を備えているのでしょう。そこに口を挟むことは彼女らが送ってきた人生を否定する行為に他ならない」
「だったらお前は、サフィーネやモニカ、それにテリウスに何か思ったりすることはないのかよ」
「ありますけれどもね」シュウは苦笑した。
淫蕩な上に奔放なサフィーネに、貞淑なれど世間知らずなモニカ。そして茫洋なる日々を当てもなく過ごしているテリウス。そうした彼らのシュウに対するある種の傾倒めいた感情は、シュウ自身は実態が伴っていないと感じるまでに偶像崇拝的だ。
それでどうしてシュウが彼らを持て余していないと云えたものか。彼らはシュウの本質に届くことなく、ただその行動を端緒としてシュウを選んでみせた。それは運命でも必然でもなく、恣意的な彼らの意思だ。最早、教団や王室といった後ろ盾を持たなくなったシュウには、何ら利用価値がないというのに。
理解が及ばない――シュウにとって彼らは未知なる生き物で、責任を負わねばならなくなった厄介な荷物でもあった。
けれどもシュウは彼らの在り方を変えたいとは思えなかった。生き方は人それぞれだ。己の心に正直に生きている彼らは、どこにあっても自由に振舞う。人間の性格形成はそれまでの人生と生まれながらの気質の重ね合わせによって為されるとはいえ、あまりにもふてぶてしい態度。けれども、だからこそシュウは彼らの本質を好ましいと感じていた。全てを捨てて己の心のままにシュウに付いて来ることを選んだ彼らの、その逞しき精神を。
それがシュウをして彼らが側にいることを許している理由でもある――シュウがそうマサキに語って聞かせると、いつしか顔を上げていたマサキが、不思議なものを見るような目をになった。よもやシュウがそこまで彼らのことを深く考えているとは思わなかったのではないだろうか。
――あのよ……。
そう口を開きかけたものの、思いがけず耳にしたシュウの本音に、マサキはどう言葉を続ければいいか困っている様子だ。仕方ない。シュウは更に言葉を継いだ。
「まあ、私に対する距離の取り方に警告をすることはありますが、それは人付き合いで守るべきマナーのひとつですしね。物理的な距離が近くなったからといって、態度まで馴れ馴れしくなっていいとは限らないでしょう。親しき仲にも礼儀あり。そのくらいの節度は身に付けて貰わなければ」
「それだよ、それ」
ぱっと表情を明るくしたマサキが、我が意を得たりとシュウの言葉に膝を打つ。マナーなんだよ、マナー。と、前のめりでテーブルに両手を付いたマサキは、俄然勢いを取り戻すと、その勢いのままに。興奮した様子で言葉を吐き始めた。
「あいつらは確かに人の心の中に土足で踏み込んでくるような真似はしないけどな、距離の取り方がちょっと近いんだよ。お節介つうか、世話を焼きたがるつうか。もう少しお互いを尊重し合える関係っていうか、あれこれ口を出してくるのを止めて欲しいんだよ」
「あなたは余計なことに口を挟まれるのが嫌なタイプでしょうしね」
「そうなのかもな。だからあいつらにも、枝葉末節にまで口を挟んでくるような真似はしないで欲しいんだよ。揚げ足取りじゃないけどさ。お前との関係をやたらとそっちに持って行こうとするのだってそうじゃねえか。言葉尻を捕えるようにしてやりやがる」
そう云って、まるで酒を煽るかのようにオレンジジュースを飲み干したマサキは、濃縮された果汁に舌が渇きを覚えたのだろう。水が飲みてえ。そう呟くと、クーラーボックスから、ミネラルウォーターの小瓶を取り出した。そして自分だけが飲むことに引け目を感じたのだろう。ほら、とシュウにも一本。ミネラルウォーターを渡してくる。
カップにまだオレンジジュースを残しているというのに、随分と優しい真似をしてくれる。シュウは受け取ったミネラルウォーターの小瓶をテーブルの上に置いた。そして視線を海に向けた。
空に向かって波を伸ばしてゆく海。その波頭を眺めながら、昔は――というほどに遠い過去ではではないその日々に思いを馳せた。それは教団を離れたシュウが、それでも尚残るサーヴァ=ヴォルクルスの支配と戦っていた頃だ。
今のようにマサキがシュウの言葉をすんなりと受け入れたりはしなかったその頃。先ず反発ありきだったマサキに対して、シュウはかなり大人げない態度を取ったものだった。嘲笑に冷笑を返し、嫌味に皮肉を返し、盾突かれては刃を返す。他人と付き合うようには行かないささくれだった関係。だのに誰よりも近しく感じられる関係。シュウはそこでようやくマサキに対する自分の尋常ではない感情を自覚した。
素直になりきれない自分のマサキに対する意地がどこから来るのか。その答えを得てしまった瞬間のシュウの混乱! シュウはただマサキの印象に残りたかっただけだったのだ。誰よりも、そう誰よりも強くマサキの中にシュウ=シラカワという存在を残したかった。自らの行動原理に思い至ったシュウは、呆れるどころか絶望までも感じたものだ。悪目立ちで相手の気を引こうなど、ジュニア・スクールの子供たちですらしないのではないだろうか。けれども、それもマサキと顔を合わせるまで。全く子供じみたことに、シュウはどうやらマサキに会えることを喜んでいるようなのだ。自らの感情を他人事のように観察することが出来るシュウは、だからこそその感情が自らの苦悩を飲み込んでゆく様を、冷静に眺め続けていた。そうして、結論を得た。これは好意、それも恋に等しい感情であるらしいと。
――自分でさえもコントロール出来ない感情であるのならば、それに任せて生きてみるのもまた一興。
シュウがサフィーネやモニカ、そしてテリウスの本質を好ましいと感じているのは、彼らがシュウ=シラカワという人間に向けている感情が、自らがマサキに向けている感情に近しいものであるからでもあるのだ。
マサキ、とシュウはその名を再び呼んだ。まるで聖句の一句のように尊いその名を。何だよ、とマサキはミネラルウォーターを口にしながらシュウを見る。尖った口先に、先ほどまでの拗ねた感情はもう読み取れない。ただただ愛くるしい。シュウは自然と自らの口元が綻んでいるのを感じていた。
「重ねて云いますが、私は気にしていませんよ」
「お前が気にしてないからって、放置しといていい話じゃねえんだよ」
ミネラルウォーターの小瓶を両手に挟み込むようにして、膝の上。帆布の張られた椅子に深く腰を埋めたマサキは、砂浜から手を振ってくる魔装機操者の女性陣たちに軽く手を振り返してやると、そのままシュウの視線の先を追うように海を眺めながら、
「お前、好みのタイプってないのかよ」
「それを聞いてどうするつもりです」
「いっそ他で結婚相手でも見付けたらどうだって云いたかったんだよ」
「好みぐらいはありますが、果たして見付けられたものか」
長々と話をした割には、お人好しなマサキのこと。どうやら彼女らに直接的に非難を浴びせかけようとは思えないようだ。それにしても短絡的な解決方法に頼ろうとする……何度目のシュウの将来を問うマサキの発言に、自らの気持ちを知るシュウは、だからといってマサキの将来を問い返せるほどに厚かましくもなれずに。
へえ……と言葉を吐いたマサキが、波に呑まれながら海水浴を楽しんでいる男性陣に視線を移す。
「それは初耳じゃないか? お前、これまでそういった気持ちはないって云ってたよな」
そう尋ねられたシュウは、そうですね、とだけ答えた。
移り変わる季節と歳月は、それだけシュウをマサキに対して心安くさせていたのだろう。
マサキとの関係を取り立ててどうにかしたいとシュウは思ったことはなかったが、それでもよそよそしく一線を置いた関係のままでいるのが寂しく感じられる年齢になったのかも知れない。そういった気持ちが思いがけず発露してしまったのか……シュウがそういったことをぼんやりと考えていると、唐突に「聞かせろよ」というマサキの声が耳に飛び込んできた。
「もしかしたら見付かるかも知れないだろ」
「お節介なことを云いますね。あなたにしては珍しい」
「なら、ただの好奇心でいい。それを満たしてくれるってなら、俺は何もしねえ。誰にも云わないって約束もする」
「そこまでして聞きたいものですか」
シュウが驚きつつマサキを振り返れば、やけに深刻な面持ちでシュウを見据えて深く頷くマサキがいる。どういった気持ちからなされたものかシュウには理解が及ばなかったが、どうせ云ったところで鈍感なマサキに通じる筈もなし。それなら――と、ゆっくりと口を開く。
「短気で、勝ち気で、跳ねっ返りが強くて、しかも口が悪い。だのにお人好しで、他人の頼みに嫌と云えない。しつこくも根気強く、果たさなければならない目的の為なら、命を捧げてでもその達成に向けて邁進してみせる……そんな人をあなたは見付けられると思いますか、マサキ」
暫く呆然とマサキはシュウを見詰めていた。やがてその口唇が、それって、と言葉を吐く。けれどもそれが自分であるとは認め難かったようだ。マサキは次の瞬間、何かを振り切るように首を強く振ってみせると、リューネなんかはどうだよ、とあからさまに話を逸らしてみせた。
リクエスト「他人事のようにマサキに対してマサキのことを惚気るシュウ、が見てみたいです。」